ファイアーエムブレム 双極の盾   作:マフィン野郎

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第十七話 群雄の目指す先

 

1

 

 歴史は時の移ろいと共に忘れ去られ、そして永遠に繰り返される。人間の歩んだ歴史とは戦いの歴史であり、勝利の栄光と共に後世に遺されるもの。

 人類の歴史は勝者の歴史だ。裏切りの過去を消す事も重ねた勝利の前には霞んで見えるほどに勝利は重く、価値がある。だからこそ軍人は勝利の栄光を追い求める。何事を成すにもそれが絶対必要な条件だと理解していたイエリツの選んだ道は正しかったのかも知れない。

 私達は敗北した。コルテス平原の戦いにおいては確かに第5軍を掃討して公都奪還への障害を排除した。だがその結果として国王軍は大損害を被り、後退を余儀なくされてしまった。勝利を祝える程の気力も残されていなかった国王軍は兵士たちが身を引き摺る様に撤収の支度を進めていた。

「最後の最後で貴方は私を負かしたわよ…イエリツ」

 コルテスを照らす朝焼けの太陽に数多の死体が照らされる。緑豊かな大地は真っ赤に染められて、その光景は地獄という言葉がお似合いだった。

「軍師殿。如何されましたか」

「なんでもない。なんでもないわ」

「…少しお休みになられてはどうですか?その…」

 気を遣ってくれたのだろう兵士の言葉を察して引き継ぐ。

「竜に化身して疲れてるんじゃないかって?」

 そう言うと彼ははい…、と遠慮がちに答えた。

 疲れていないと言えば嘘だ。だけどあの死線をくぐり抜けた周りの皆の方がよっぽど疲れているだろう。私は笑顔を作る。

「大丈夫よ。ありがとう」

「それでは、失礼致します」

 態々それを言う為に来たのか。それとも私の姿は周りからは心配されるほどに疲れて見えるのだろうか。

 はぁ…とため息が出た。私が化身した所で結果は変わらなかった。化身しない状態で戦いが続いたらこちらが敗走していたに違いない。私もあの時間違いなく死んでいた。そう思うだけで肝が冷える。

 全てを投げ打って勝ちを目指したイエリツ。奇策に奇策を重ねて、最後には遺志を継いだ者の執念が危うく負けかけた第5軍に勝利をもたらした。

 残された私たちは“敵を掃討した敗戦”という現実を受け入れられていない。 

「シーチェ。ここに居たのか」

 聴き慣れた声に私は振り向く。

「リク…傷は平気なの?」

 私とリシアを守って肩を斬られたと聞いていたが。肩を回す仕草を見せて大丈夫だと見せてくれた。

「私を庇ってくれたのよね。ありがとう」

「気にするな。それより、少しいいか?」

「えっ、ちょっとどこ行くの?」 

 リクは言うなり、私の手を掴んで何処かへと連れて行ってしまった。

 

 陣から少し離れた小さな池がある場所でリクは止まった。

 兵士たちの喧騒も聞こえないし、また死体もここでは見られない。彼はここに来る間に本題について教えてくれていたので不安はなかった。ここでなら内密な話をするのにも心配はいらないだろう。

 辺りを見回して誰も居ない事を確認してからリクは話始める。

「なぜ隠していた。『黒の盾』のこと」

 珍しく彼の表情には怒りが宿っていた。確かに痣の事は隠していたが誰がそれが黒竜に纏わるものだとその時分かるのか。少なくとも私は分からなかった。

「私だって知らなかったの」

「知らないで済む問題じゃないんだ。人類がかつて存続を掛けて戦った竜をその身に宿しているなんて大陸を揺るがしてしまう問題なんだぞ…!」

「だったらどうするの?私を拘束でもするの?」

「っ…そうじゃない。そうじゃない。ただ問題なんだ…」

 ここまで狼狽えているリクは珍しい。でも彼の言っていることも分かるのでこの場で笑う気にはなれなかった。

 黒竜が復活したなどと知れれば各国は討伐の軍を興すだろうし、シューレ教も聖教騎士団を動かすだろう。問題は国内だけではなくなる。なにせ黒竜の力は強大だ。当のオルヴァヌスは世界を滅ぼす力は持たないと言っていたがそれは果たして何を意味するのか分からない今、その力をたった1人の人間が持ってこの大陸の命運を握ることなど許されるはずもない。

「オルヴァヌス…黒竜を封印する方法を見つけないといけない」

「なぜあんたに宿ったのか含めてな。世界を滅ぼす竜が人に宿るなんて…あんたは大丈夫なのか?体に不調はないか?」

「今の所は落ち着いてる。悪いところはないわ」

 体内に別の何かが居るのは気持ちの良いものではないけど、どうやら戦いの時以外オルヴァヌスは出てくるつもりないみたいだ。体の中も特に変わったところはない。ただ変わった所を挙げるとすれば目が良くなったのと感覚が鋭くなった。

 だから私には分かった。

「貴方。リクじゃないよね」

 その言葉に彼はその瞬間表情を動かさなかった。それが答えだった。

 背後の池の中から2人静かに出てくる。水音も立てない程静かに顔を出した。後ろを向いたら目の前の奴に殺られる。

「何言ってるんだ…やっぱり黒竜に犯されてるんじゃないか?」

「教えてあげる。“リクの言葉にヴィツワ訛りは入ってない”」

 その瞬間リクが動く。手元に隠していた短剣で首を狙った突きを捌いて後ろに回り込むと背後から投げられていた短剣が男の胸に突き刺さる。

“感ジルゾ…死ヲ”

 戦いの気に触れてオルヴァヌスが目覚めてしまった。頭の中に聞こえる声に私は反応せず敵に対応する。

「(あいつしくじりやがって)」

「(違う。俺らに気付いてた。油断するな)」

 聞こえてくる早口で小さい言葉も今は聞き取れる。ヴィツワ人の〈アサシン〉は左右に分かれるとそれぞれがほぼ同時に斬りかかってきた。

 私も腿の短剣でそれぞれと打ち合う。体術も交えた暗殺術はこの国のものではない。読めない動きから繰り出される攻撃に対処した。

「(仲間が死んでいる。ここで退かないと問題にするわ)」

「(もう遅い。あんたは死ぬ)」

「(ならシリアンに攻め寄せる者に等しく死を差し上げるわ)」

 忠告を聞き入れるような連中でないとは思っていたが案の定だった。

 だが、“殺セ。敵ヲ殺セ”という脳内での声の後、視界が真っ赤になる。敵の姿や景色は写っているが色はない。その異常に混乱する私。

「(この女の殺気は異常だ)」

「(あの目を見ろ。狂ってやがる…!獣にでもなったのか?)」

 反射的に距離を取った敵に逆に攻めかかる。一瞬で長槍2本分くらいの間合いを詰 めて右手の短剣を振るう。

 なんで?なんでこの体は勝手に動いているんだ。

 フェイルノートの時と違ってリーチの短い短剣の扱いには相手に利があるが、振るった短剣は防いだ敵の得物を破壊して叩き切った。砕かれた鋼が粉々になって飛び散ってゆっくりと落ちていく。刃は喉元を捉えていた。

“次ダ”

 意図せず目が右に向く。顔を隠したマスクから覗く紺色の瞳が大きく見開かれる。  

「(貴様やはり…ッ?!)」 

 返す刀で右の敵に腕が持って行かれた。私の意思ではなくオルヴァヌスが体を動かしている。攻撃を間一髪で躱した〈アサシン〉が一方的に防戦に回り、私の体は尋常でない動きで追い詰めていく。

 こんな動きは出来ない。自分の体の動きに思考が追いつかず、動かされるまま私は混乱している。混乱しているうちに私はもう1人の〈アサシン〉を文字通り八つ裂きにしていた。

 ここまで無残な殺し方をしなくても息絶えていただろうにと思うほどにズタズタに引き裂かれた遺体。べっとりした液体が体中に付いていて血である事は感覚で分かった。

 私は自分の意志と裏腹に男の体を切り刻む自分の手を止めることが出来なかった。

“モウ終ワリカ”

“勝手に出てきて私の体使わないでくれます?”

 心底つまらなそうに吐き捨てたオルヴァヌス。体を勝手に使われた私はオルヴァヌスに抗議したが黒竜は歯牙にもかけない。

“オ前ハ我ガ器。ドウ使オウガ我が自由トイウモノ。人間如キガ指図スルナ”

 オルヴァヌスはそう言うと私に強烈な頭痛と疲労を残していった。どうやら眠ったようだ。

「全くもう…痛っ」

 諸国の状況も私の状況も、事態は思っているよりもずっと悪いのかもしれない。とにかく本物のリクに話をしておかないといけないと思い、私は踵を返した。

 

 2

 

 ヴァルドラ大陸にはシリアン公国の他に2つの大国家が存在している。

 大陸の西から北にかけての細長い国土。山と水に囲まれた自然豊かな土地を持つ国王テンゲンの治める“カイ王国”。そして大陸の北側に位置し、広大な領土と強大な軍事力を持つ覇権国家“ヴィツワ帝国”。

 シリアンとカイの二国はお互いの安全を相互に守るべく長い間に戦乱とは無縁であったが北のヴィツワ帝国は皇帝クーゲルの大陸制覇の野望に則り、常に他の国の隙を窺っていた。

 “ヴィツワ帝国はシリアン公国とカイ王国の宗主国であり、統治権は我が国にある”と常に口にしていたクーゲルはシリアンでの反乱発生の報せを聴いてほくそ笑んだ。

 いよいよ覇道を始める時が来た。大陸を手中に収め、荒れ果てた国家を再建する。

 クーゲルは王家で第4位の皇位継承者であった。本来であれば王位など遠い存在であった彼が就いたのにはヴィツワの歴史が関係している。

 彼が生まれた前から始まっていた皇位継承争いは王家の7人の兄姉がそれぞれの領地の軍を動員して行う内戦だった。長く続いた戦いで土地は焼け、民は貧困に喘ぎ、生きる希望すら失うという状態をクーゲルは殆ど知らずに過ごす。戦いが起きている頃はまだ幼く、争いに加わることなく帝都から離れた土地で過ごした。

 知識をつけ、力を付ける前に王座は投げ渡すかの様にある日突然転がり込んだ。消耗した兄や姉が戦乱を収める為に妥協案としてクーゲルの即位を選択し、そしてその政権を陰から支配しようと水面下では争いは続いた。

 己に力があればこの国をそんな下らない争いから救うことが出来るのに。幼いクーゲルは現状を打開できない己の無力さを呪い、いつしか力を望むようになる。そして骨肉の争いの中で生き残り、力を手にして水面下で争っていた兄や姉たちを抹殺すると自らの力への渇望は更に増した。独裁者として君臨した彼は自らの力を以て大陸制覇の野望を掲げた。

 その野望を成就する為にはシリアン公国とカイ王国の2つとは必ず決着を付けておく必要がある。そのチャンスは自分が王座に座った時と同じように転がり込んできた。

「くっくっく…ハハハハハ!」

 こんなに愉快なこともない。長年の望みである大陸制覇の輝かしい第一歩を踏み出すための材料が向こうからやってきたのだから。そしてその計画はもう時を待つだけとなっている。

「宰相ゲラン…国を奪った男が俺に助けを求めるか。愚かな男よ」

 手にするグラスの中で赤紫色の液体が揺れる。程よい渋みと奥深さを併せ持つシリアン産のワインはやはり上等な品物だ。この国の気候ではまず作ることは出来ない果物をふんだんに使った逸品にクーゲルは心を躍らせる。

 その産地ももうすぐこの手に入る。そう思うと自然と口角は上がった。 

「失礼致します兄上。宜しいでしょうか」

「オレーヌか。良いぞ」 

「晩酌中でしたか。これは申し訳ありません」 

「気にするな。お前もどうだ?シリアンのワインだ。中々手に入らんぞ」

「うふふ。それでは私もご一緒させてい頂きます」

 水色の髪をツインテールに縛った女性が微笑みながら入ってくる。

 オレーヌ・クレマンドロス・エル・ヴィツワ。ヴィツワ帝国の第4皇女でありクーゲルの実の妹。そして兄の覇道に欠かす事の出来ないヴィツワの頭脳として、またその剣だった。

 クーゲルはもう1つワイングラスを棚から取り出すと自身のグラスに並べてそのボトルを傾ける。オレーヌは静かにそれを眺めていた。

「良き報せではなさそうだな妹よ」

「はい…カイ王国が慌ただしくなっております。近いうちに軍が動き出すかもしれません。王都アキツに将軍たちが集まって軍議をしていると」

「“カイの獅子”テンゲンも動くか。シリアンなどを守って戦いになろうものなら一纏めになぎ払ってやる」

「兄上。お言葉ですが…ワインが溢れそうですよ?」 

「なに?!」

 グラスになみなみと注がれたボトルを慌てて戻すクーゲル。よそ見をしていたせいで随分と入れすぎてしまったがオレーヌは嬉しそうに続けた。

「私の分という事でしたら有り難く頂戴致します。上質なワインは香りだけで心が踊ってしまいます」

「そうだな…これはお前にやろう」

「ふふ、ありがとうございます兄上。それともう1つお伝えする事が。コルテス平原でイエリツとゲクランが戦死しました。リク率いる国王軍も進軍を停止しているようです」

「流れがきたな。シリアンの名将が2人纏めて死んだのは幸運だ。残すのは“フェイエンベルクの悪魔”か」

「非公式ながら軍師としてリクの傍にいるそうです。今となっては彼女の過去について触れるものはいません」

「そもそもそれ自体がゲランのブラフだった。まんまと乗せられたバカな国王にまた仕えるとは“悪魔”にもヤキが回ったか」

「どんな理由にしろ、これまで我々の覇道を邪魔してきた者です。シリアン侵攻の暁には必ずや決着を付けます」

「面白いな“悪魔”対“微笑みの麒麟”。お前が奏でる謀略の旋律と悪魔の歌う鎮魂歌はどちらが美しいかな?」

 クーゲルはなみなみになったグラスをオレーヌに差し出した。

(兄上が自ら注いでくださったワインをこんなに頂けるなんて幸福です!あぁ、どうかこの時間が終わらないで欲しい…!) 

 顔をパッと明るくしたオレーヌはグラスを手にすると静かに掲げた。

「鎮魂歌を奏でるのも美しいのも私です兄上。悪魔の断末魔を聴かせて差し上げます」

 

 3

 

 カイ王国。自然豊かな地形によって生活と護りが支えられ、国王テンゲンの治世の下で他国の侵略を許す事なく人々は今日まで安寧と繁栄を享受してきた。シリアン、ヴィツワの2国に引けを取らない軍事力を背景に中立を保つ事で保たれて来た平和。

「大陸を滅ぼす“黒竜”の復活。見過ごすわけにはいかぬが…」

  赤い羽織袴に黒い髭と濃い眉。彫りの深い顔を持つテンゲンと長い金の髪を肩まで伸ばしているマルラン。2人はカイ王国王都のアキツのとある所で会っていた。

「そうなんですよテンゲン様ー。我々シューレ教としても放っては置けなくて。奴の復活は大陸の滅びを意味しますんで何とか貴国のお力をお借りしたくですねー」

 テンゲンはマルランの話を聴きながら考えた。

 何故黒竜の存在が今現実となったのか。聖教騎士団が討伐に動いていないのにシューレ教の動きが慌ただしい理由は。何故。国同士を争わせるような真似をするのか。

「カイ王国としては“シリアンを侵攻する”という事実を歴史に刻むわけにも参らん。何が言いたいかは分かって頂けますなマルラン司教」

「…貴国は自らの安全が危険に晒されない限り軍を動員しないという事ですねぇ?それはこの大陸の安全よりも大事なものがあるからですかー?」

 マルランの表情に怒りに近い感情が浮き出る。それを見てテンゲンは彼の言葉を肯定した。

「左様。黒竜が大陸の人間を滅ぼす、というのであればその時は我々はカイの民を守るため戦う。だが今はその時ではないのでは」 

「司教会に逆らうと仰るのですかテンゲン様?」

「諸君の言う歴史と現実は違いがあった。黒竜が現れたのは言い伝わっているそれが正しくない、ということになるのではないか?」

 大陸において唯一の宗教であるシューレ教のこれまで人々に布教してきた歴史。それは平和に生きていた大陸にある日人々を滅ぼさんとする黒竜オルヴァヌスなる存在が出現した後、勇敢な戦士たちに女神シューレが力を授けて打ち倒したと言うものだ。 

 その打ち倒した筈の存在がシリアン公国に再び出現し、そして姿を消した。だが倒されたという事実はなく、また住民を無差別に殺したという話もない。

 出現の事実は今の所はまだ国内には知れていないがいずれ民にも知れ渡る。そうなれば混乱も生まれる。国王としてこの問題を放っておく訳にいかないが司教会がシリアン領への攻撃越境を命じる決定をここで受け入れることも出来ない。

「その発言は耳が痛いですねー」

「まずは君たちが各国に黒竜出現について説明する義務があると思うが?」 

「…歴史は物語だ」 

 マルランはそう言って視線を落とした。

「どういう意味だ?」 

「そのままの意味ですねー。あなたも王なら分かるかと」

 上げられた酷く人相の悪くなった顔を残してマルランは腰を上げた。部屋を去る背中を見送るとテンゲンは膝を立てて用意されていたお茶を啜る。

 シューレ教の相手はいつだって疲れる。国王相手に敬意も何もあったものじゃないその振る舞いは自分たちこそが神である、とでも言いたげだ。

 部屋の外に居た兵士にテンゲンに声を掛ける。

「…カンクロウ、聴いていたな?」

「はっ。面白い事を言っていましたね」

 カイ王国兵の兜を外した男―カンクロウはこの国の軍師だった。年齢はまだ若いが時に思いがけない戦術でカイを勝利に導いてきた。その知略に表裏のない実直な性格を気に入り、テンゲンはカンクロウを取り立てた。

「お前はどう考える。“歴史は物語”というその言葉について」

 思い当たらない事が無いといえば嘘にはなる。だがテンゲンは敢えてカンクロウに尋ねた。

「シューレ教司教会に未来を決めるような力があるという事か、もしくは歴史に間違いがあるか…と私は考えます」

「未来を決められる、か。もしそうであれば大陸はシューレ教には永遠に逆えんな」

「彼らに逆らうのですか?先程もそう申されておりましたが」 

「物騒な事を言うなカンクロウ。ワシが戦好きだと思っているだろう?」

「これはお戯れを。お館様は無類の戦好きではございませんか」

「それでも神と争う気にはならんな」

 テンゲンはカンクロウの言葉ににやりと笑う。

 “カイの獅子”テンゲン。カイ王国をこれまで守ってきたのは彼の巧みな戦略と戦術、そして死を厭わないほどに勇敢な兵士たちだ。

「ヴィツワの侵攻が近い今、姿の見えない黒竜に踊らされている時間はない。前線に倅は入っているな?」

「アスマ様は既に国境の砦に入られております。私もこれより後詰の部隊と共に向かいます」

「分かった。倅を頼むぞカンクロウ」

「命に代えてもお守り致します」

 片膝を地面に付いて頭を垂れた軍師にテンゲンはうむ、とだけ返した。

 

 4

 

〈コルテス平原〉

 

 撤収の準備が遅れているのはここからでも分かる。第5軍と激戦を繰り広げて辛くも勝利したが負傷者が大半を占める今の国王軍はもはや戦う力など残っていなかった。

 自分も何人殺しただろう。時間が経つにつれて人数なんてもう数えられなかった。生き残ることに精一杯で、敵を殺す事だけ考えていた脳はいつもの何倍も冴えていた。生存本能だと言わればそうだと思う。戦いが終わった今もその余韻が残っている。 

「おいアヤ震えてるぞ。大丈夫かよ?…アヤ?」

「サミー…大丈夫ですわ。少し肌寒くて」

 肌寒いというのは嘘だ。一緒に警戒に出ているサミーに外套越しに見えるほど震えているのかとその時初めて分かった。

「同じだ。寒気が止まらねェ」

「…私達の寒気は何処から来るのかしらね。あの戦いを生き残ったというのに。生きていられるのに冷たい」 

 アヤは震える手を見ながら呟く。手には敵を殺した感触が残っている。これまでも何度も殺してきたこの手は殺すことには慣れてしまったと思っていた。

「私達は同じ国の人同士で殺し合う事も“敵だから”の一言で済ませてしまう。きっと皆さんにも家族や待っている人が居た。そう思ってこの手を見ると…怖い」

「守るものが何処かにあるから人はこの恐怖を超えれられる。だからこの地獄で生き残りたいという力が湧いてくる」

「サミー…」

「敵になっちまった奴らを俺たちが説得出来る訳でもないんだ。殺されない様にするしかないだろ。俺達にも死んだら悲しむ人間が何人もいる」

 死んだら悲しんでくれる人間。故郷の両親はきっと死んだら悲しんでくれるだろうか。あんな風に喧嘩別れ同然で家を出たけれど。急に自信が無くなったのでアヤはサミーに話を振った。

「サミーの家は沢山兄弟がいらっしゃいましたよね?」

「弟が4人、妹が4人。末っ子は赤ん坊。毎日お祭りみたいだったぜ」

 家族のことを話す相方の顔は少しだけ明るい。9人兄妹なんて想像も出来ない。でもそんなに沢山兄妹がいたらきっと毎日飽きないだろうなと一人っ子のアヤは思った。

「それは確かに楽しそうですわ。サミーの兄妹だと皆さん揃って騒がしいのかしら?」

「血の気が多いより良いだろうよ。喧嘩は耐えないが精々泣いてオシマイだからな」

「そうですね…血の気が多いのは否定は出来ません。ただ私は幼馴染に影響されただけですわ。あの方の苦しみに比べれば私はまだまだ気楽の筈なのに…」  

 いつだって前に居て、同じ時を過ごしたのに1人で進んでいく背中。傷だらけの心と体になっても常に誰よりも苦しい位置にその身を置く誰よりも優しくて強い人。騎士になれば力になれると思っていた。

 だけど騎士になった時、人を殺す立場になると同時に自分も命を狙われる立場になったと思うと怖くて堪らなかった。それは今でも同じだ。だから恐怖で動けなくなる前に体を動かした。“戦闘狂”なんかじゃない。

「私本当は怖いんです。命を奪る事も奪られる事も。あの人みたいには出来ない…っ」

 頬を静かに流れる滴が手綱を握る両手を濡らす。その時、震える肩にそっと手が置かれた。 

「死ぬのが怖いのなんて当たり前だよアヤ」

 アヤは涙を拭いもせずサミーの方を向いた。

 死ぬのが怖いなんて当たり前。その言葉はまるでこれまでの自分を否定されたような感じがした。だけど彼の言う通りなのだろうとアヤは思った。

「無理することはない。アヤは十分強いんだ」

「サミー…ありがとう、と言っておきますわ」

 無理して強がることなんてしなくていい。私は死の恐怖に屈したわけではないのだ。だからその恐怖に抗えるように、死を迎えないようにしよう。それを言ってくれたのがサミーで良かった。

 調子を取り戻したアヤはいつもの口調で宣言した。

「貴方は私の好敵手であり、相棒なのですからそれくらいの気概で居てもらいませんと。私に何かあった時は必ず来るのですよ。私も貴方の危機には必ず参りますから」

「へいへい。俺もあんたに死なれると夢見が悪いんでね。共に励むとしましょうか」

「えぇ。だけど…シーチェの件といい、これからどうなってしまうんでしょうか」

 国王軍は大打撃を受けた末の決断としてグラーヴァへの撤収を余儀なくされた。全滅という結末を回避させたのは間違いなくあの黒い竜が異形の軍勢を単独で一掃したからにほかならない。そしてその竜がシーチェであるという話はもうここにいる皆に知れ渡っている。 

 彼女は目覚めた後もいつもと変わらず忙しそうに動いているみたいだったが、リクは竜に化身する人間をそのままにする他ないという決断を下した。それ自体を隠すこともなく、ただ事実として。

「どの歴史書を開いても書かれているのは黒竜が人間を滅ぼそうとしたという事だけだ。そんな事をする奴が異形の連中だけを倒すなんてするのか?」

「だから…陛下はシーチェを信じた?黒竜という存在をシーチェが制御できると思ったって事?相手は人知を超えた存在なのは間違いないのに」

「そんな事俺が知るかよ。そもそもあいつならその力を制御する方法なりを思いついたとしても不思議じゃねぇ。そうなら国王軍はゲランなんざ敵じゃなくなる」

「それはこの大陸においても同じでしょう。かつて大陸を滅ぼそうとして人間に倒されたとしても、人口の数は全体の3分の2減ったと書いてありましたもの。その力を行使すればまた戦争になりますわ」

「黒竜の力を宿した人間か。シーチェはなんで戻って来たんだろうなぁ。陛下の事だって恨んでるだろうに」

 サミーは遠くを見ながらぽつりと零す。その言葉をアヤは否定できなかった。カパダのオンセンで見てしまった体の傷は例の事件の以前はなかった。

 ゲランが証拠を揃えてリクを説得した事はエリフから聴いている。側近だったエリフは考え直すように進言したと言っていたが父を最も信頼していたシーチェが殺したという事実が彼の判断力を奪った。

 だが、今ではそんな事があったようには見えない程に2人は平然と過ごしている。偽の証拠だという事をお互いが認識したからなのか。

「分からないですわね…あれは?」

 アヤの指差した方向から兵士の隊列がこちらに向かって来ている。白の鎧に包まれた軍勢、竜に立ち向かう女性を象った旗が空に靡いている。

「聖教騎士団、ようやくお出ましか。遅いにも程があるぜ」

 

 





 第十七話新キャラ
・クーゲル  本名 クーゲル・クレマンドロス・アル・ヴィツワ
 クラス  ???
 ヴァルドラ大陸北の覇権国家ヴィツワ帝国皇帝。力を求め続ける若き覇王。ゲランと共謀し、シリアン公国の侵略を狙っている。

・オレーヌ  本名 オレーヌ・クレマンドロス・エル・ヴィツワ
 クラス  ???  
 ヴィツワ帝国第4皇女。兄クーゲルの下で才を活かす。別名“微笑みの麒麟”。 

・マルラン クラス ???  
 シューレ教司教会の1人。

・テンゲン クラス ???
 カイ王国国王。別名“カイの獅子”。カイ王国の事を最優先に考え行動する武勇と知略を兼ね備えた勇敢な王。生粋の武人で無類の戦好き。文化人としても名を馳せる。

・カンクロウ クラス ???
 カイ王国軍軍師。若くしてテンゲンに取り立てられた秀才。


 次回も宜しくお願い致します!

    
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