1
「お前その血はどうした?」
「返り血よ。暗殺者が紛れ込んでいたの…リクに化けてね」
ヴィツワ語を話す連中を返り討ちにした後、全身ベトベトになったまま野営地に帰還してすぐにリクを探した。
オルヴァヌスに体を一瞬乗っ取られた。なんて話をしたら彼はなんて反応をするだろう。ヴィツワの暗殺者3人を瞬く間に斬ったあの動きは私の意思ではない何かが作用して、私の普段の能力以上の力が発揮されていた。奴が人の行動を支配できるのなら私は奴には抵抗出来ずに化身する可能性もある。そうなれば大陸を席巻しているシューレ教の多数の信者を抱えるシリアン公国の王政が倒される。ゲランを倒した所でリクは帰る場所を失う。
私のこれまでやってきた事も皆の犠牲も全てが無駄になる。それだけは避けないと…考えながら野営地を早足で進む。一刻も早くリクに伝えないと、と焦っていた私を見る仲間の声は全てが雑音にしかならなかった。
「何をそんなに焦っている?お前自分の姿見たのか?」
追い掛けてきて隣で言葉を投げかけてくるブレグ。なんだその言い方は。
「人をバケモノ扱いしたいのは結構だけど、後にしてくれる」
「シューレ教が来ている。フランシスカって司教会の女司祭だ。聖教騎士団も隊列を組んでこちらに対峙してるんだ」
「だったら何よ。聖教騎士団が私たちを攻撃する理由が…」
「ある。黒竜だ。お前がそのままフランシスカの所に行ったら確実に問い詰められる。お前の右腕は…もう誰にも見せられないだろう?」
その言葉に私は立ち止まってブレグを見る。
誰から聞いたの?と問い掛ける私の視線でブレグは察した様だった。それを分かっても答える事を躊躇う彼を咎める事は出来ない。私が黒竜に化身した事自体は国王軍のここにいた人間なら誰でも知っている事実。外部にもいずれ伝わる。
「シューレ教に知れれば私が拘束されるかも知れないって思ってるの?」
「否定は出来ないだろ。お前の持つ力を野放しにしている連中じゃない」
「私自身はどうなっても構わない。シリアンの安全が保証されるならね」
「シーチェ本気で言ってるのか?あんたが居なくなって3年で体制は崩壊しかけたんだ。それに漸く得た自由をみすみす…」
私をこれまで殺したくて仕方なかった筈のブレグが私を心配するような事を言うなんて。思いがけない言葉に私は少し破顔した。
「やっと貴方にも私の有り難みが分かったのね。だけどこの先も私が軍師でいられる保証は何処にもない。だったらこの大陸で力を持つ連中と取引するメリットもあるかも知れないでしょ?」
お人好しと言われればそれまでだけどね。
リクと決闘して負けたあの雨の日誓ったこの国の為に再び尽くすという事。軍師というポジションに収まって私が戦い続けるのには理由が必要だったわけだが、それでも私は今も昔も戦う理由は変わらない。
ただ、戦わなくても済むのならその選択は最優先されるべきだ。そしてその選択肢を選ぶことが出来るようになった時に私がシーチェとして居られるかは分からない。
「もしもの時は親友の貴方がリクを支えてあげてね」
再びリクを探して歩き出す私をブレグは追い掛けてくる事はなかった。
2
リク達が天幕の中に居ると聴いて私はその前までやって来た。人払いがされているので見張りの兵士は少し距離を取った所で配置されており、中で秘密の話合いがされているのが分かる。シリアンの兵士のすぐ傍には聖教騎士団の騎士も何名か控えており、その全員が私を可笑しなものを見る目で見ていた。
「シーチェさん。その姿だと怪しまれます。竜について聴きに来たようですよ…」
見張りの兵士が私を見るなり耳打ちする。あまり目に付くようにひそひそと話をするのも聖教騎士団にマークされるので私は手を軽く挙げて答えた。
「至急の要件があるの。通して貰える?」
「それが、陛下から誰も通すなと命じられております」
「ならここで待たせて貰うわ」
「…その血はご自分のではないですよね?」
「えぇ。ちょっとね」
曖昧に返事を返し、私は天幕の近くにある箱に腰掛けた。撤収を進める兵士に混じって我が物顔で闊歩する聖教騎士団はその場に居るだけで仲間から煙たい目で見られているが彼らは少しも気にする素振りはない。
流石教団だけを守っているシューレ教の騎士と自負しているだけはある。どの国に行ってもきっとあんな感じでいるのだろう…撤収を手伝うのは命令がないと出来ないだろうし、端を歩けと言うつもりもないが負傷者であっても撤収作業を手伝うシリアン兵を見下すように見ているのはいい気分ではない。
何より歩いている連中が私を見る度にぼそぼそと話すのを目の前でされると激しくストレスになった。汚いだの、悪魔だのと好き勝手に悪評を並べ立てているのが耳に入る。言われるのは慣れっこで確かに今の私は綺麗ではないけれども。
「おい、あいつがシーチェか?」
「しっ!聞こえるぞ…そうだ、あいつだ」
天幕の傍で控えていた聖教騎士の一団がこちらを見て何やら話している。気にする事なく無視しようとしていたがある言葉が耳に入った。
「あいつが国王殺しか。どうやってまた取り入ったんだろうな」
「今はあんなナリだけど、結構いい女だって話だぜ。たぶらかしたんじゃないのか?」
「血濡れの悪魔にたぶらかされるのは俺はゴメンだぜ」
ぶちっ。という何かが切れた音が聞こえた。その声の主を睨みつける。面甲を下げている彼らの表情は見えないが面白がっているに違いない。
「私が誰をたぶらかしただって…?」
冗談でも言っていい事と悪いことがあるのを教わらなかったみたいだ。個人として許せないものは許せない。立ち上がって話をしようとした瞬間、彼らも反応した。
「おい聞かれた…!行こうぜ…」
気まずさからかその場を離れようとする聖教騎士達。それに待ったを掛ける人物がいた。
「お待ちなさい。今の話は聞き捨てなりませんわ…今すぐ彼女の前で跪いて謝罪すべきです」
「誰があの人がお前らみたいなのをたぶらかすのか言ってみろ?あぁ!?」
聖教騎士の前に立ちはだかったのはサミーとアヤだった。シリアンの誇る騎兵隊長2人が怒りを顕わにし、それを聴いて他の兵士も集まってすぐにシリアン側と聖教騎士側の列に分かれる。
「ありのままを言って何が悪いんだ?!悪魔を信じて戦うお前らも変わらない存在だな!我々に近寄るな!」
問題発言を始めた騎士が大声で威嚇するがそれに動じないシリアン兵。重ねて自分たちも貶された事で火に油を注ぐ事になり、シリアン兵の1人が聖教騎士に突っかかった。それを発端として乱闘騒ぎになる。
仲間まで同じ目で見て貶すなんて絶対許せない。我慢できなくなった私はいよいよその場に近寄った。その近くで殴り合う兵士達の怒号や喧騒を目の前にして…
「止めなさいッ!!」
そう怒鳴っていた。
私が命懸けで守りたい彼らが私の為に殴り合うのは間違っている。誹謗中傷で私が悪く言われてもそれは私が解決すべき問題だ。だから彼らの喧嘩は止めなくてはと思ったら感情が振り切れていた。
「だけどシーチェさん!こいつらはあんたを悪く言ったのをそこで聞いてただろ?!」
「命懸けで俺たちを助けてくれた貴女をこいつらに中傷される謂れはない!」
声を上げる兵士達。ここにいる皆は私に感謝してくれている。だから何も知らない連中がその対象を傷付ける事をいう事を許せない。その気持ちが伝わって来る。
「…その気持ちで十分。だから私に任せて」
私は元凶の騎士に振り向く。
「悪いけど悪魔の方も神の名を騙る連中と付き合うのは御免被るそうよ」
「なんだと…!我らを侮辱するか!」
「その言葉そっくりそのまま返すわ。お互い許せない事をすべきじゃないでしょ?」
「貴様ッ!」
拳を振りかぶる騎士の動きに私は合わせて踏み込み、騎士の腕を取ってそのまま投げた。宙を舞って地面に叩きつけられた騎士の顔のすぐ横に足を落とし、私はそのまま顔を近付ける。
「悪魔は敵に等しく死を与える。死にたくなければ傍に寄らない事ね」
「女神に逆らって許されると思うなよ…」
「許して貰わなくて結構。貴方達は神ではないのだから」
この大陸で罪に対してシューレ教の赦しが必要な事が私はおかしいと思っているのだから、彼が神の名を使ってどれほど私を威嚇しようと無駄でしかない。私は中傷された側だからとやかく言われるべきでもないのはここにいるシリアン兵たちが証人だ。それに信者の誰もが女神シューレの代弁者でも何でも無い。神に縋る事は許されても神を騙る事は許されるべきではない。
「分かったらその口を閉じて大人しくしてなさい」
足をどかして騎士の上から離れる。悔しさを滲ませる舌打ちをしながら騎士は仲間に起こされててその場を去っていった。
「シーチェ…」
アヤが隣に来て私の肩にそっとが置かれ、その温もりがシャツ越しにも感じられる。顔を見ると怒りを堪えているのが自分でも分かる位歯を強く噛み締めていた。
「あんなのに態々向かって行くことないのにさ」
「貴女自分があの様な物言いされたのにどうしてそんなに冷静で居られますの?!」
相手の生活とか性格とかを知らない人間だから傷付ける事を何とも思わない。傷付けられて当然の事をしている自覚も持っている。人を殺す事が日常になってしまった人生だったから、酷い事も沢山してはされ返した。許せない事がある度にああやって対処してきた。私が縋る相手は神じゃなくて力なだけだ。
そして私は間違いなくあの騎士に怒りの感情を抱き、ぶつけた。
「あれでも怒ってたよ。だから投げたの」
「身を守るためではないと…?」
「守る為って言うのは結果かも。だって傷付けようとしてくる相手に丁寧に話合いなんて出来ない。分からせるのに最も早い手段は力を見せる事だと私は思うから」
「シーチェ、貴女は変わらないですわね…」
アヤが関心したようにこちらを見つめている。幼馴染と言える立場の彼女から見れば今でも私は変わらない様に見えるのか。他人から自分の評価を聞ける事は稀だから、新鮮だった。
あんな3年を過ごしても変わらない私という存在。
本当に私は変わっていないんだろうか?
「おい、なんの騒ぎだ?」
シリアン兵が固まっていた所に投げられた声。人混みが左右に分かれて入ってきたのはリクだった。傍らには聖教騎士団を率いて来たフランシスカも居て、視線を向けている。その目は私を観察しているようだった。
「私のせいでちょっと揉めちゃって。ごめんなさい。話は終わったの?」
「あぁ。今後の事で少し話がしたい。来てくれるか?」
さっきと同じ流れ。またもリクが化けていたりしたら…なんて心配が頭から離れない。だから少し答えに迷ってしまった。
「どうした?その血は…返り血か?」
「…その件で私も話があるから。行くわ。フランシスカ殿も私に用がありますか?」
表情の変わらない女性司祭は私を観察していたが問い掛けると目を見て答えた。
「私は大丈夫です。先程は私の部下が失礼を働いたご様子ですね。大変申し訳ありませんでした」
「…お気になさらず」
「ありがとうございます。それでは失礼致します」
前と変わらないゆったりとした所作でお辞儀をし去っていくフランシスカ。その背中は凛として真っ直ぐに伸びる。
「シーチェ。いいか?」
「えぇ、ごめんなさい。行きましょう」
3
さっきまでフランシスカとリクが話していた天幕に入る。テーブルの上には2人分の茶器が対面に置かれていて片方は殆ど口が付けられていなかった。入っている液体から漂う香りはこの国の物ではなかった。
「フランシスカの陣中見舞い?」
「そんな所だ。俺は飲む気になれなくてな…そのままにしてしまった。飲むか?」
その言葉を聴いて安心した。この感じは本物のリクだ。彼はデリカシーなんて言葉知らないからそんな事だって普通に言ってくる。
「何か分からない物を薦めるなら貴方は本物のようね」
「どういう事だ?」
「さっきリクを騙るヴィツワ人に殺されかけたのよ。これはその返り血。〈アサシン〉が3人潜り込んでいた」
「俺に化けていたのか?あんたならすぐ気付いただろう」
「所作は完璧だったわ。姿形は擬態魔法の類で似せていたから気付いたのは話して少しするまで気付かなかった…」
「そこまで変装のレベルが高いとなると安心出来ないな。他にも入り込んでいると思うか?」
リクは近くのイスを引くと腰を下ろした。腕を組んでテーブルを見つめる表情は深い思考に入る時のそれだ。
「目的が私の暗殺ならもう居ないと思うけど。目的が分からないのと、あれがヴィツワ帝国の人間かは分からない」
「…らしくないな。あんたなら返り討ちにしたら殺す前に情報を取るくらいはしそうだが?」
「いつもの私なら、ね。…黒竜に体を乗っ取られたの。襲われた時」
その話をするとリクの表情がぽかんとしてからすぐに困惑のものになる。
「…どこでもそうなる可能性があるって事か?」
「分からない。暗殺者と戦って1人倒すまでは何もなかったのよ。倒してから他の2人を倒すまでは私の意思ではない動きを体がしていた。黒竜の力じゃないとあの場は切り抜けられなかったかも」
これは本音だ。私はフェイルノートを置いてきていたから短剣しか持っていない状況で囲まれて敵の実力もかなりのものだった。深手を負わずに済んだのは黒竜のお陰とも言えた。
「それだけじゃ乗っ取られたとは言えないんじゃないか?今のあんたは少なくともいつものシーチェだろう?」
リクは疑問に思ったみたいだ。それもそうか。普通信じて貰える話ではないからそうなるのも無理はない。私は彼の問いに返す。
「今は私。って変な言い方だけど…だからさ、私本当に…このままで良いの?」
リクは私に普段通りに過ごす事と全軍に私の変身については触れない様に命じた。野放しにする、と取れる命令に不満は出なかったし私は感謝しているがこのままもしさっきみたいな事があって暴走してしまったら取り返しがつかない事になる。
「あんたが黒竜の力を使えるんだとしても俺たちを救った事は事実だ。その存在についてはフランシスカに説明するよう言ったんだが、ちゃんとした答えはなかった。それを鑑みてもそのままでいいと思うが」
「信じてくれてありがと。リクは知ってた方が良いと思って…だからもし暴走したらその時は迷わないでね」
迷わない、という意味がちゃんと伝わっているといいけど。その時が来る事を私は望んでいないけれど、いつまで生きていられるか分からないのだから伝えておくべき事はちゃんと伝えておきたい。
しかし。返って来た答えは“否定”だった。
腕を組んだまま俯いていたリクは念を押す様に“出来ない”と言う。
「あんたが何故その力を手にしているかは知らないが受け入れたなら勝算があるんだろう?黒竜をその体から封印する手立てが」
「……」
私は完全に答えに詰まった。私の中にそれについての答えは見つけるどころか解決に至る道筋すらない。
あの時死にかけた自分の為、全滅しかけた軍を救う為にオルヴァヌスを受け入れてしまった事は浅はかだったと言われればそれはそうかもしれない。だが、浅慮だったと言われてもそれしか選択肢はなかった。
この選択が周りに迷惑を掛けるとしても、どうしてもここで死ぬわけにはいかなかった。
「ごめんねリク」
「急にどうした?」
「伝えておこうと思って。私がある日いきなり死んで何も話せなくなってもいいように」
戦場で生きている人間だからある日突然訪れる死というものは覚悟していた。死を間近に感じながらその隙間を這うように生きていた自分の生がある日別の物に喰われるのは中々に恐ろしい。
自分が分からない存在に支配される恐怖。
「せっかくもう一度やり直せるかも知れなかったんだもん。私だってこんな死に方したくないよ……」
「…救いの方法は必ずある。生きることを諦めるな」
少し弱気になってしまっている。最後の方になるにつれて声が小さくなった。根拠のない励ましをくれたリクがそんな弱気を吹き飛ばすかの様に今度は言い切った。
「大丈夫だ。あんたが道を考えてくれれば俺が切り拓く。だから諦めないでくれ」
私が道を考える…か。自国の安全だけを考えていた私にとって大陸を滅ぼさない様に舵取りしなくてはいけないとなるとそれもまた過酷なものになるだろうな。場合によってはシリアンと大陸の国が戦わなくてはいけない選択をする可能性だってある。
私とこの国と大陸。天秤にかけるものの大きさが次第に増していく。
それでも私を信じてくれるのなら、私も諦めてはいけない。
「分かったわ。最善を尽くす、それでもだめだった時は…」
「…俺が止める。あんたが尽くしてくれたこの国の為に」
「ありがとう」
それを聴いて私の表情も気持ちも少し和らいだ。あとは私が道を探して示すだけだ。
「それで聖教騎士団の件だが…あの司祭、共同進撃を提案してきた。この先の公都奪還の先陣を切ってくれるという事らしい」
「この状態で進撃するの?いよいよ戦力を失う事になるよ」
「伝えた。現状これ以上ここの兵達に戦う事は出来ない、の一点張りでな。フランシスカも中々強情で全然引かなかった」
そこまで言ってリクは目の前にあったカップを手にして液体を飲み込んだ。さっきは飲む気にならなかったと言っていたが喉の渇きには勝てなかったのか。フランシスカと話をしていた間の乾きもあったのかも知れない。人払いされた天幕には給仕担当も当然外している。
「何考えてるのかさっぱり分からない。ゲラン討伐をするのにもここまで黙っていたシューレ教が動き出すのに時間が経ちすぎているし、第一、奴の目的が玉座なら国の問題にシューレ教が動くことは協定違反よね」
「あんたが言う通り。動きが怪しすぎる。だが問題があってな…さっき早馬が届いて、公都で民衆が武装蜂起したらしいんだ。俺たちが無理でも行かないと民衆を死なせてしまう」
「国王の地位も失墜する、か」
民衆の武装蜂起が起こるタイミングが良すぎる気がしないでもないけど、予想外の事態はいつでも重なってくるものだ。ゲランの疫病発生という嘘がバレ始めているのとこれまでの隔離政策が限界に来ているのは違いない。
ここでリクが国王軍を率いて勝利を手にすれば民衆の信頼はうなぎ上りになる。だが失敗すればその時点で国王軍は壊滅し、シリアンはゲランのものになる。自作自演を疑いたくなるが“行かない”という選択肢を決断するリスクも大きい。
「あんたならどうする?」
「私なら行かない。この状況じゃとても無理よ」
「民が死んでいくのを俺に黙って見過ごせと言うのか?」
「…って言うと思った」
救援に行きたい気持ちに駆られるリクを諌める。彼は不満そうに口をへの字に曲げて黙り込んだ。納得はしていないのが見て取れる。今の状況は理解しているがそれでも行かなくてはならない、と顔が語っていた。
その表情が先代国王、彼の父親と重なる。のほほんとして穏やかでひょうきんな性格の先代国王とは全く性格は違うが、いざとなると決断が早くて果敢なお方だった。唯1人の子供にもその素質は受け継がれ、この窮地にそれを発揮しつつある。
彼が行きたいと言うのならそれを示して見せよう。無いのなら道を作ろう。
「…行きましょ公都に。覚悟は出来てるわね?」
彼の決意に満ちた表情は揺るぎない。
「平和を愛し、民と共に生きる。その為ならどこにでも行くさ」
その日の夜、集合した兵士達に“国王軍はこのまま公都へ進撃し、逆臣ゲランを討伐する”という命令が下された時は流石に響めきが起きた。リクの言葉は力強く自信に溢れ、聴く者を確かに鼓舞し、兵たちを導く。
自身の帰るべき場所でもあり、そこに家族を残している者も兵士の中には多くいる。その先頭を切って進んできたリクの言葉に異を唱える人間は存在しなかった。
リクはその話の中で、公都での武装蜂起の件と聖教騎士団との共闘も宣言。共にゲラン討伐に進む事が決まった。
進言したのは私だ。今は聖教騎士団も貴重な友軍、戦力として計算しないと策を作ることもままならないくらい国王軍は数が少ない。だからフランシスカと手を組むことにした。
「貴女が共闘をお赦しになるとは正直思っていませんでした」
「私に決定権がある訳じゃないから。大体、進軍する事を提案したのだから当然勝算があっての事でしょうね?」
「ここにはシーチェ様より戦を操れる人間は居ないかと思っておりますが」
「あんたねぇ…!」
他人事みたいな言い方が癪に触る。この女は一体何に興味を示し、何があったらこんな風になるのだろう。私が嫌いだった士官学校で歴史を教えてた人間にそっくりだ。
だとしたら分かり合う事は難しい。せめて何故戦うのかくらいは訊いてみるとしよう。
「…フランシスカは何故戦っているの?」
ほんの興味だ。こんなに戦場には向いていなさそうな覇気のない人物がここに立っている理由とはなんだろうか?その質問にもフランシスカは淡々と答えた。
「シューレ教に仇なす人間は生かしておけないですから。私にとってはこの世界の不変の営みが続く事だけが望みですので」
「信じる神の為…か。信心深いのね」
「貴女はとても神を信じるようには見えませんね」
「…信じる事、か」
かつて私が忘れてしまったもの。居場所を取り戻しても帰ってこない人間の大切な部分。私はこの先ずっと自分以外の何かを信じることは出来ない気がする。
そう思って黙っているとフランシスカが言葉を繋げた。
「神を信じるかは自由です。ただ、我々に仇なす事だけはどうかお控えください…私と会話してくださる貴重な方ですから殺したくありません」
意外な言葉にえっ?と聞き返してしまう。彼女にもそんな感情があったのか、と言ったら失礼なんだろうけど思っているよりも話が好きな人間なんだろうか?
本人は正面を見たまま、それ以上を語る事はなかった。
4
国王軍はリクの命令に従い動き出した。コルテスに残された僅かな兵士達が僅かな物資を持って足取り重く公都に進むその隊列は葬列の様に静まり返っている。その後ろに続く聖教騎士団の雄姿とはまるで違い、誰もが覇気を失った姿は“死者の行軍”と囁かれていた。
「陛下…本当に宜しかったのですか?今戦闘になればすぐに全滅してしまいますよ」
「エリフ。もう決めたんだ。公都で戦う人たち…待ってる人達が居る。俺たちが行かないと彼らは長くは戦えない」
「仰る事は重々理解しているつもりです。ですが、後続を待つ時間と兵に休息は必要かと心得ます」
「尤もだ。エリフの言う事が最善なのは理解している」
では何故。と言葉は続かなかった。リクの最大の理解者であるエリフにも彼の考えることはすぐに分かった。
国王として成すべきを成す。平和を愛し、民と共に生きる。彼はその王道を進もうとしている。彼の父君が君臨していた時から受け継がれてきた教えが彼に進撃を選ばせた。
勝ち目のない戦いに突き進んでいると思っているのは全体から感じられる。それを分かっていながら進むと決断した彼には現実が見えていないのでは?だとしたら、それを止めなくてはならない。
「陛下。聖教騎士団が居るとは言え、本当にこのまま進撃を続けるおつもりですか?」
「あぁ…進むも地獄、退くも地獄さ。同じ地獄なら進んだ先の地獄の方が良い。策はあいつに任せている」
その眼にはいつもと変わらない闘志が滾っている。強い決意を秘めた者に宿る力強い眼だ。言葉や目線、そこに不安が見えていない事がエリフの不安を更に強いものに変えた。
「陛下ご自身は勝算があるとお考えですか。公都の門は閉じられたままなのです。攻城兵器もない我々が無策で攻めて落とせる場所ではありません。民衆の武装蜂起も事実確認が出来ていません。それを鵜呑みに…」
エリフはまくし立てるように疑念を叩きつけていた。本当にフランシスカという司祭や武装蜂起の情報を鵜呑みにして良いのか。自分自身の納得出来ない部分はさて置き、彼が国王として民を守るべきだと考える事が敵に利用されて居るのではないか。
宰相として3年もの間リクの傍に居たゲランであればそれくらいの事を計算していると考えても不思議ではない。
(あるいはその術中に嵌っている事は分かりながら進んでいるのか?)
長年使えてきた若い王だが、その胸中を測ることが出来ない。それを考えているとリクがエリフに問いかけた。
「エリフ。命をあんたが命を賭ける理由はなんだ?」
リクの問いにエリフは迷いなく答えた。
「陛下の御身の為です」
「俺は民の為、そして俺に想いを重ねてくれる者の為に命を賭けて戦っている。この決断が正しいかどうか決めるのはここにいる誰でもない。あんたの忠告してくれている気持ちというのも分かっているつもりだ。だが俺はここでは止まらない」
「万が一陛下が戦死なされればこの国の王家の血筋は途絶える事になります。そうなればどうなるか…」
「大事なのは血筋や肩書きじゃない。人の心だ。この国を愛して居るから守ろうという志が繋がる。もし俺が死んだらあんたが一番この国を大事にしてくれると思う人間を王に据えてくれ」
「お戯れを。陛下は如何なる戦場でも私が守り通します。陛下の決意を試すような真似をして大変申し訳ございません」
「端から見たら明らかに無茶な進軍だ。俺に異論を唱えてくれる人間が傍に居ることに感謝している。だがここで勝てれば一気に戦局がひっくり返る」
この状態で攻め込んで勝つつもりでいる。兵士にとっては地獄に進んでいる感じで生きた心地がしないかも知れないがそれでも彼は皆を導くだろう。
その導く先が勝利になるように努め、攻撃までに兵の士気を上げる。戦場では陛下を狙う敵を一掃する。同じ志を持つ者として。そして王家に仕えてきた一族の人間としてエリフは決意を改めて固いものとした。