カイへの旅を急ぐ一行の下へシリアンの村人が助けを求め、快く応じたリクにシーチェは複雑な感情を抱いていた。
戦況が極めて劣勢な今、急いで救うべくは前線の兵士と国そのものである筈だと考えるシーチェが旅を急ぐ事を提案するも、それは受け入れられず村を賊から救援する事になった。
ー誰かの理想は誰かの犠牲の上に成り立つー
シーチェは現実の中で理想を追い求め続けるリクに知って貰おうと自ら危険な役目を背負う事にしたのだった。
1
救いを求める女性の手を払い除けようとした挙句、私の意見は通らず結局助けに行く流れとなった。
時間がない、と誰もが分かっている筈の状況下で、この様に時間を割く事を許せない自分。余裕が無い、と言って目の前の人を見捨てる事はこれまで何回もあった。だからこそ、目的を達成出来ないリスクを冒してまで選ぶその選択が私にとっては理解出来ない。人の命を奪うこと、捨てる事に慣れている自分が当たり前になっているからその選択が出来ない誰かに恨めしさすら感じる。
人としてリクの判断が間違っていないのは分かっている。そこには勿論一切の異論はないけれど、今、この状況では正しいとは思えない。
私達は犠牲の上に生きている――数多の命を踏み台に今日の生を歩んでいる。誰もが願い、誰もが望んだ明日を奪った上に成り立つ命。今もどこかでこの国の為に沢山の命が燃えている。
目の前の命も大切だが、未来の大勢の命を救う方が大切なのではないのか。全てを手にする事は叶わないのだから。
「私の村はこの先です…!」
「分かった。村に近づいたらあんたは隠れていろ」
「大丈夫です。シューレ様は必ず貴女を救って下さりますよ」
命を奪われるかも知れない恐怖に私の反応も加わって嗚咽が止まらない女性を慰めているリシアとリク。行軍を続ける一行の最後尾に付いた私。そのやり取りの様子が見える度に沸き上がる感情にモヤモヤしながらそれを現れては振り払うと言う事を1人繰り返している。
「虫の居所が悪そうだな」
話掛けてきたのはハスタだ。私よりも頭2つ位高い所から掛けられる声に私は顔を上げた。いつもより首を大きく上げなければ彼の顔を直視する事が出来なかった。
「…そうね。解決出来そうもないから」
「リクの判断か?」
「そう。彼の性格を考えてもそう言うだろうし、人としてだって彼の判断は間違ってなんてない。でも私はそれを許せないでいる。あの人や、彼女の村に恨みがある訳じゃないんだけどね。でも今選ぶべきは彼女達じゃない、って思ってしまう私は狂ってるのかしら」
「立場で考え方は変わるモノだろ。シーチェだって恨みはねぇって思ってんじゃねーか」
「うん。だけど、ずーっと現実しか見てこなかったから。私には理想を選ぶって事が理解出来ないのかも」
そう思いを呟くと、ハスタは答えに迷ったのか沈黙してしまった。
これまでの生き方が私を歪なものにしているのか。人として大事な事をすっかり失ってしまった事に気付かずに来てしまったのだろうか。そう考えるとなんだか自分がとても狭い器の人間だなと思った。
夢を見れたら…何かが変わるんだろうか。これまでずっと無縁だった事を訊ねてみた。
「夢を見るってさ、ハスタにとってどんな事?」
彼は私の問いに少し間を取ってから答えてくれた。
「生きる希望、かなぁ。何となくただ生きるのも嫌だし」
「そっか。ありがと。教えてくれて」
「あんまり上手く言えた気がしないんだ。良く分からなくても許してくれよ?」
「気にしないで。私もそうだし。自分の感情をちゃんと伝えるって難しいわよね」
「分かって貰えて嬉しいよ」
そう言って破顔したハスタを見て、私も表情が少し緩んだ。気持ちがすっと軽くなると同時に張り詰めた緊張も一緒に緩んだのが分かる。
その瞬間、空気を裂く高い音が聴こえた。
「伏せて!!!」
叫ぶと同時に私はハスタを押し倒して頭を下げさせる。その時体が彼を庇う様に動いたのは無意識だった。どこからか飛来した音の正体が矢なのは直ぐに分かった。
複数の矢に襲われ、そのうちの1本が私の右腕に牙を剥く。
鋭い痛みに反射で食いしばられた歯の奥からぐっ…と声が漏れ出て、傷を見ると皮膚が裂けて血が溢れて滴っている。
「シーチェ!」
「平気!女性と“隊長”を森に移動を!ここじゃ良い的だわ!」
矢傷の周りがべったりとした感触に覆われ、その部分の痛みを堪えながら指示を飛ばす。死ぬほどの傷ではない。
動かせる方の腕を上げて正面に見える森に入るように促す。正確に狙いの定まった狙撃は数こそ少ないものの絶え間なく続けられている。負傷者が増えるだけなのは見過ごすわけにはいかない。
「足止めされた…!ハボック、ラスティー、当てなくていいから撃ち返して!」
「撃ち返すって何処にです?!」
「撃たれた方に決まってるでしょ!」
混乱するハボックとラスティーに喝を入れながら私もフェイルノートで撃ち返そうと矢筒から矢を取ろうとして腕を動かした瞬間、撃たれた時よりも更に強い激痛が走った。
少し動かしただけなのに。このままでは足手まといになってしまう。
「衛生兵と非戦闘員、負傷者を守りつつ正面の森へ急げ!」
「あそこにか?!そのまま突っ込むのか!?」
「今はあそこに逃げるしかありませんよベネット殿!」
暗い雰囲気に包まれたまま戦闘を余儀なくされた私達は文字通り逃げるように近くの森に入った。
昼間である事すら忘れる程に薄暗い森の中。陽の光さえ遮られるその静かな空間に逃げ込んだ部隊を先導しながら私は相手にしたのが唯の賊でない事を感じ取った。
リシアに腕の矢傷に処置をして貰っている間、リクの問い掛けに私は描いていた今後の展開を述べる。
「これからどうする?」
「賊相手だと侮ったら死ぬわ。戦い方をよく知ってる。このままじゃ狩られるのを待つ獲物と同じ…移動しましょう」
「森を正しく進めるのか。地形は分かるのか?」
「私を誰だと?この国の地形はまだ頭に入ってる。手を出したことを後悔させてやる…!」
この森はコルテス平原に広がっていて、北に進めばヴィツワ国境に出て、西に進めばカイとの国境まで進める広い森林だ。こんな所で強盗をしているとは概ね地形が分からず迷い込んだと見ていいだろう。軍でもここは進軍を避けるし、地元の人間も近寄らない。時折奥から聞こえてくる呻き声の様な音や聞き慣れない鳴き声に人々は“恐れの森”と呼んでいる。
以前に何度か開拓と調査の為に兵を送り込んだがその度に全員が帰らなかった。
「こ、こんな所に入るんてぇ…!女神よ貴女の加護があらん事を…」
私の傷の治療を続けたまま半泣きの顔になっているリシアを元気づける。悩める人間を導く筈の神官服を身に纏うリシアを神を少しも信じていない私が慰めているのは立場が逆な気もするが仲間を放っておけなかった。
「うぅ…シーチェさぁぁぁん!」
涙を溜めて抱きついてくるリシアを片手で相手しながら集まった部隊の皆に作戦を話した。
「敵を引き付け、各個に撃破する」
「敵を引き付けるか…相手には狙いの正確な弓兵がいる。接近する囮は危険が大きすぎるのではないか?」
「心配はご尤もだわベネット。だけど女1人なら敵も油断する。それも手負いなら」
その言葉の意味を理解した何人かの表情が動く。
誰かがこの言葉を否定する前に私は言葉を続ける。
「皆の仕事は私が連れてきた敵を全力で叩くだけ。簡単でしょ」
「それじゃあシーチェさんが危険すぎますよ!俺も一緒に…」
気を遣ったのか、本心なのか自ら付き添う意を示したアイゼン。それを最後まで言わせない。
発言を手で制する。
「これは誰にも譲らない。必ずやり通す」
誰かの意思を貫く為に誰かの命が懸かるのだと言う事を、私は彼に知って貰わなくてはならない。この決断をした人間の前に立ち、ここの森の簡単な地図を手渡す。この作戦の流れを示したメモを添えてある。
「これを託すわ。夕暮れまでにこの場所に私が来なければ待たずにカイに向かって」
それだけ言い残してフェイルノートを手に森の切れ目に向かう。限られる時間の中で採れる道を選び、その先を切り開けるかは分からないが、やるしかない。
2
「はぁっ…はっ…はっ…はぁぁ…」
空気を貪る様に吸い込んでから大きく、しかし静かに息を吐き出す。肺の中いっぱいに吸い込んだ空気を全て出し切るのを何度か繰り返す深呼吸で息を気持ち整え、木陰から敵の様子を窺うと、獲物を見付けた盗賊共が目の色を変えて自分たちの周りの背の高い草を乱暴に刈り始める。
「この辺に逃げ込んだぞ!必ず見つけ出して八つ裂きにしてやれぃ!」
「俺達に楯突いたらどうなるか刻み込んでやるぜぇぇぇ!」
「嬢ちゃーーーん。出てこいよぉぉーー」
数はそんなに多くはないが狩りに慣れている。そして一人ひとりは相当の実力者である。部隊としてもかなりの練度を持つ連中なのは私を探す動きで見て取れた。
いかにも野蛮な発言や声以外は洗練された戦士だ。武器も装具も手入れが届いている。
これは厄介なのを相手取ったかも…。
再びそっと木陰から様子を窺う。付かず離れずの距離を取って私を探す賊の姿がかなり近くまで来ていた。後手に回れば更に不利になる。
すーっと矢立に手を伸ばし、弓を番えて迫る敵を引き付ける。ドクンドクンとリズムを刻む心臓の音がはっきりと聴こえてくる程に意識が研ぎ澄まされていた。
「そこに居るんだろぉ…?」
パキ!という木の枝が折れる音が木霊して、意識が一瞬そちらに向いた。
…殺った!
半身を出して矢を放つ。鋼で出来た弓矢は直線最短距離で賊の眉間に迫る。それは空気と木の葉を切り裂いて男に牙を…
突き立てなかった。
「ひゃははは!見付けたぜぇぇぇぇ!!」
肩の装甲で矢を受けた賊が目を見開き、ニヤリと口角を上げる。図体から想像も出来ない勢いで挟み撃ちしてくる賊の攻撃を躱すと、斧の一撃でそこそこ太かった木の幹が大きく抉り取られた。
なんて力?!いつもいつも馬鹿力の奴ばっかり出てきて…!
後ろ足で前に向かって一気に踏み込む。フェイルノートの間合いは奴の斧よりも長い。低い体勢から懐へ入り込み、そのまま賊にぶつかる。
「ぐあ…!」
「えぇぇぇぇい!!!」
右胸を貫いた刃を間髪入れず反対の腰に向けて振り下ろすと、男の体から鮮血が飛びそのまま崩れ落ちた。
「良くも兄貴をっ!」
「あにきぃぃぃぃッ!!!?くそ、大兄に伝えるぞ!」
静かな森の中に大きな指笛が響き渡る。賊の1人が放った何かしらの合図なのは分かったけれど、詳細が分からない以上は妨害も出来ない。
そして森の三方から指笛が返ってくる。
「…狩りの時間だ。この女は生きて返すなよーーーッ!」
「ふへへ…!楽しくやろうぜぇぇ!」
対峙している敵は2人だが、まだまだ仲間がいる。どこから来るのか分からない…黒竜もあれからずっと何の反応も干渉もないままだ。普段の過敏すぎる程の勘も今のままでは並の人間程度。
弓を引く暇は無さそうだ。接近戦の構えのままジリジリと間合いと隙を窺う。
「嬢ちゃーん。楽しいことしよーぜー?」
賊の1人が楽しそうにニヤニヤしながら投降を促す。勿論出来ない相談だ。
「私が今一番嬉しいのはあんた達が消えてくれる事よ」
私も負けずに言い返す。とびきりのウインクも添えてあげた。
それでも奴らは忠告に従わない。
「俺らスパイス一家に口答えとは面白ぇ。ブチ殺せ!」
一気に上がる殺気のボルテージ。放たれる殺気と圧はやはり唯の賊ではない。それなりに場数を踏んでいる戦士の殺気だ。戦いを知っている。
逸るな…読み違えたら死ぬかも知れない。
相手は力の限り斧を振り回している様に見せかけてもう1人が反撃の隙を常に狙い、それをお互い繰り返して消耗を防いでいる。こちらは常に回避を強いられるせいで常に消耗させられる。
大振りで隙がある戦い方。タイマンならすぐに決着が付くだろうに。
振り回される斧の切っ先を搔い潜り、フェイルノートを喰らわせる好機を待つ。耳元で鳴る刃が空気を薙ぐ音をさせる度恐怖を掻き立て、心臓をギュッと鷲掴みにする。
動きを止めたら死ぬ。歯を食いしばって攻撃を躱し、一歩を踏みこんだ。逆手に構えたフェイルノートを首目がけて突き出すと切っ先は賊の肩を僅かに掠って後ろに流れた。
「てめぇ…!」
腕を掴んで引き寄せられ、頭も掴まれた。そのまま力任せに振り回された私は近くの木に頭から叩き付けられる。
頭から伝わる衝撃に脳が揺れ、視界がぼんやり暗くなる…倒れそうになる体に鞭を打って体勢を整え、無闇にフェイルノートを振りながら相手と何とか距離を取った。
「…つっ…」
フェイルノートを構え直す間も無く攻撃の波が始まる。後手に回らされたら回避が精一杯。2人掛かりの攻撃の隙を衝いて反転し、私は逃げだした。
出来る限り全力で足を動かし、木々の間を縫う。草を踏み、倒木を越えて、リクに示した地点へ真っ直ぐに向かう。
「みっともなく逃げるのかよー嬢ちゃーーん?」
後ろから迫る賊どもの煽る声を聞きながらも走ることを止めない。みっともなく逃げる事も私の計算の内だ。
だけど走りながら今回の事は頭を離れなかった。
誰かの理想の為には誰かが犠牲にならないといけない。その順番はいつか誰かに回ってくる。私の順番が今回だっただけだ。
それでも。どんなに辛くても。どんなに苦しくても。誰かに殺されそうになるくらい恨まれても。でも今は生きないと。私が彼の王道を支えるんだ。道を切り拓くのは私だ。軍師として、もうこの国を好きにはさせない。
その意思はここで私が犠牲となる未来を拒んだ。
3
遠くで響く剣戟が不安を一掃加速させる。手負いの身でありながら単身囮を買って出た軍師を止められる者はその場には居らず、誰もが申し出を受け入れざるを得なかった。
戦う事に臆した訳でも、危険な役を買って出る存在に安堵した訳でもなかったが、リク達は治療を終えるなりすぐに敵に向かっていく背中を様々な想いで見つめた。そしてすぐに自分たちの役目を果たす為に行動を起こした。
地図に示された地点に身を隠し、迫ってくる存在をひたすら待ち受ける。
それがとんでもなく長く感じるのは自分だけだろうかと、リクは自問する。
「なぁ王様よ…やっぱり行った方がいいんじゃねーか?」
隣で前線を担当するハスタが言葉を投げた。同じ気持ちを抱えているのは自分だけではないのが嬉しかった。だが、リクは個人的な想いをそのまま言葉にしたいのを堪えた。
「……」
「何とか言えよ。あんたが決めた結果だろ。そのケツを拭く判断は今はあんたにしかできねぇだろうが」
「…待つしかない。あいつを信じている」
「あんたの相棒だろうが…!死ぬかも知れないんだぞ」
ハスタの口調に怒気が込められ、強くなる。今にも掴みかかって来そうなのを感じながら、リクはそれでも真っ直ぐ剣戟の聞こえる森の向こうを見据える。
「最善の選択は作戦通りに俺たちが動く事だ。それが今は…何よりも正しいんだ」
「そうかよ」
吐き捨てる様に言葉を切ったハスタはそれ以上口を開く事はなかった。
彼が言っている事は間違いでない事を理解しながらもそれに気持ちのまま言い返す事を許されない。それはこの状況を作った責任が誰にあるのかを分かり、痛感しているから。
最初から言われた通りにしていればこの事態は避ける事が出来た。その結果、後ろで隠れている村の女性や彼女の村の人間が全員死のうと、戦争という言葉一つで片付けられた話だ。
「ハスタ。陛下は背負うものが我々とは違うんだ。それを弁えろ」
「いや、いいんだエリフ」
「しかし…!」
「俺は良い仲間を持った。間違いなくな」
素直に感じた本音だった。
仲間を見捨てて逃げようとする傭兵なんて腐るほどいる中で、自分の雇い主に真っ向から反対意見を述べる傭兵はそうは居ない。仲間を救おうとするその心意気は信ずるに足る存在であると示すのに十分だった。
「どちらも守って見せる」
誰に宛てた訳でもなかったがリクは意思を持って呟く。誰よりも強い気持ちを持っていなければならない自分を奮い立たせるため。
「来ました…!シーチェさんです!」
見張りをしていたハボックが報告する。
その報告を聞いた一同が指された方向に目を向けると戦いながら走ってくる人影があった。後ろから迫る賊の攻撃を防ぎながら、躱しながら、回避で土や泥にまみれながら黒い服が躍動していた。
後ろに迫る賊は5人。それぞれがシーチェの身の丈ほどある大きなギザギザの刃を持つ斧を持って見た目の大きさからは想像できない機敏さで迫ってきている。倒木を軽々と飛び越え、森を疾走する姿はその地形に慣れている事をリク達に突きつける。
そして敵の姿を見たハスタは舌打ちしながら続けた。
「クソ、あいつらヴィツワのスパイス一家だ!」
「名が知れている連中か?」
「ヴィツワの南部じゃ最悪の連中だ。元帝国軍戦士だった奴らが犯罪に走った完成系みたいな奴らだぜ」
ヴィツワ帝国内には厳しい国内状況から普通の市民だった人間が賊に身を落とす事が珍しくないと言う話はリクも聞いたことがあった。実際に先代国王の前の時代から、賊が国境を越えてシリアン領内の村を襲い、それを鎮圧するために軍が出動する事も珍しくなかった。
ヴィツワの南部と言う事はシリアン国境に近い場所を根城にしていたという事だ。
「なんにせよ、シリアンの民に手を出した以上放ってはおけない。行くぞ!」
リクはクルバルカを携え、草むらを飛びだそうとした。
そこを目掛けて弓矢が翔ける。
「陛下ッ!」「危ないっ!!」
気付いたのはエリフの他にも居た。他の方向から聞こえた声とその奇襲に驚きつつも、エリフは辛うじてリクを凶弾から守り抜いた。
「何者です?!」
「私の野営地に勝手に入り込んで来てこっちの台詞よ!商品が…私の商売道具が台無しじゃない!」
長い赤い髪を靡かせて隣の草むらから小さい唇を尖らせている1人の女性。身なりは整っていて背中には華奢な体には似合わない大きな荷物を背負っていた。
「言ってる場合か!あんたは隠れていろ!」
「もう遅いわよ!ダメになった品物については後で話しましょ!」
言いつつその女性は荷物を降ろすと手にしていた弓を引いた。
「…女の恨みは怖いのよ?」
そう口元が呟いてから放たれた矢は空へと飛翔し、木々の間に隠れていた〈弓兵〉を一撃で射抜く。
弓の腕は相当なものだ。
「向こうの草むらにも居るぞ!」
「やっぱり隠れてやがった!女諸共殺っちまえ!」
賊の気勢が上がり、最前線のシーチェへの攻撃が更に強くなる。1人で5人の〈バーサーカー〉を相手にしているが反撃まで対応出来ていない。
「進め!」
リクは部隊に前進を命じた。正面からぶつかるリク達と賊。ハボックやラスティー、謎の女性の援護射撃を受けながら数的有利に持ち込む。
「シーチェ!」
「どういうつもり!段取りが滅茶苦茶だわ?!」
剣戟を交えながら怒鳴るシーチェ。余裕を失った顔には大粒の汗と隠し切れない怒りが見える。
細かく刻む独特の脚捌きでフェイルノートの間合いを取り、斧の攻撃をいなす動きに合わせてリクが攻撃を見舞う。大きな弧を描く賊の斧に対して突きをメインに繰り出されるリクの槍術は相手に少しづつダメージを負わせていった。
しかし、槍と斧では武器の相性では槍は不利となる。その相性の部分で致命傷を与えられない場面が続く。
「リク!!クルバルカでは危険すぎる!アリスと隙を衝く事だけ狙って!」
「分かった!」
「そうするよ!」
「エリフ!ハスタ!私と連中を引き付ける!倒せるなら倒して!」
「お任せを」「はいはい!」
シーチェの指示に、各々の配置が素早く変わる。
前衛に立つのはシーチェ、ハスタ、エリフ。その援護と止めを刺す役目にリク、アリス、ラスティー、ハボック。後方には守りに徹するベネット、アイゼン、衛生兵としてリシアとミッシェルが控える。
「てめぇらまた出て来やがったな?!」
ハスタが威勢のいい啖呵を切りながら勢い良く斬り込む。いつも淡々と仕事をこなす事の多い彼が感情を見せて戦いに臨む事は珍しく、シーチェはその機微に反応した。
「落ち着いてハスタ!」
「こいつらには借りがあってね…!」
静かに鬼を宿らせるハスタ。素早く的確な剣術が乱舞のように繰り出され、受ける賊を瞬く間に追い込んだ。致命傷には至らずとも、小さい傷を幾つも幾つも負わせて動きを鈍らせていく。
「てめぇは堅気の人間じゃねぇなぁッ?!」
「俺は至って真っ当さ。ちょっと道を間違えただけだ」
ハスタが対峙していた敵が僅かに彼と言葉を交わすと、再び激しく打ち合う。
シーチェはその言葉を聞き逃さなかった。だが、賊が繰り出す攻撃も激しく対処と反撃以外の余裕を渡さない。
シーチェは奥歯を噛み締めながら力を込め、持ち手の位置を巧みに変えて刃の軌道を読みづらくさせて反撃する。しかし槍より少し短い位の長さのフェイルノートは連撃には向かない。
シーチェの身のこなしで攻撃の手数を増やしていたが、打ち合いに負け始めると次第に劣勢になり始める。
「こいつら力ばっかりで品がないのよ!」
「勝てばいいんだよ!勝てばな!!」
賊の男はそう言うと地面を斧で薙ぐ。乾いた土がシーチェ目掛けて飛び散って彼女の視界を奪い、動きが鈍ったその隙を賊は衝こうとした。
土を付けられ、視界を僅かに失った。右目を開けられない状態で賊〈バーサーカー〉の攻撃に対処しようとして力では到底及ばないシーチェはフェイルノートで一撃を防ぐも、体勢が整えられず大きく吹き飛ばされる。
「ぐっ…!」
「おいシーチェ!やられたのか?!」
地面を膝を着きながら受け身を取り、辛うじて倒れずに持ち堪える。しかし次の動きに移るのには誰から見ても違和感があった。
傍に居たハスタが援護に回ろうと動くのをシーチェが鋭く制する。
「持ち場を外れないで!崩れれば破られる!」
「傷が開いたんじゃないのか?!」
「…ここを生きて帰れればいつでも治療できるでしょ!」
そう言い、戦列を維持しようとすぐに打ち合いに戻るその背中は大きく揺れていたのをハスタは見逃さなかった。
4
カイ王国 クロガネ城 カイ/ヴィツワ国境
「皆、聴いているな。ヴィツワはシリアンに攻め入りかの国の前線はかなりまずい状況にあるようだ」
豪華な屏風が飾られているクロガネ城の天守閣にはカイ王国軍の隊長勢が軍師カンクロウと指揮官アスマに呼ばれ、軍議を開いていた。
カイの諜報部隊によるシリアンとヴィツワの開戦の報は既に周知されており、一兵卒でもその状況は知られている所である。
「このまま攻め込まれれば公都まであっという間に詰められる。先代国王であれば救援するようにお館様も命じたであろうが…」
「盟で結ばれていたのは先代までと言っても、後の話は知らぬ存ぜぬで通す事は義に劣る。しかしお館様はそこまで命じられなかった。我々としても帝国軍が軒先に来ているところではどうする事も出来ない」
「まずは帝国軍の侵攻部隊を片付けると?」
「全てはその後だ。家の前に盗人がいるうちは留守にする訳にいかんからな」
アスマは腕を組んだまま方針を伝えた。
クロガネ城を中心としたカイ王国東部の防衛線には3万人の兵士が動員された。城の攻略の為には守りの3倍の兵力が必要だと言われるがヴィツワ帝国は膨れ上がった人口と劣悪な生活環境に対処する為、兵士を募り当初集めた8万の兵力から更に数を増やしている。
「して、アスマ様。クロガネ城の防衛方針ですが如何いたしましょう」
「敵の数は増え続けているのだろう。だが、数の劣勢など問題ではない。我が将兵は半農半兵なれど、常に訓練を続け、皆国を守る気概に溢れている。しかし敵はどうかな…カスケに部下を集めて新兵の訓練と補給を妨害させろ。まともな訓練を受けていない兵士など戦場では役に立たないからな」
「御意にございます」
カンクロウは両手を握って畳に付けると軽く頭を下げ、了解を意を示す。
「アスマ様。我々の出番はまだない…そう仰られるのですかな?我々“赤備え”としても緒戦に武功を立てられぬとなればこの名が泣きます」
「…マサカゲ。そなたには此度の戦の一番槍を任せる。武名轟くその名を最も発揮する瞬間に、その武を披露していただこう」
カイにおいて長く軍事を支え続けている重臣の1人マサカゲはその言葉を聴くと、俄かに表情を和らげる。王国軍一の精鋭騎馬部隊、全身を赤の装具で統一した“赤備え”を率いる彼は国でも屈指の名将。口元の整えられたヒゲと顔の幾つもの傷跡が彼を厳つく見せ、更に細く切れ長の目から発する目力が厳つさを増長させていた。
「その言葉を待っておりました。このマサカゲ、見敵必殺の精神で敵を駆逐して御覧に入れましょう」
「此度も期待させてもらう。他の皆にも必ず手柄を立てる機会があるだろう。諸君の武運長久を祈り、いつものアレをやるとしようか。ナナ、用意を」
「はい。すぐに“お持ち”いたしますね!」
部屋の入口の襖の前で控えていた巫女装束の女性が朗らかに答えると隊長勢の1人が急に吹き出し、それに釣られて笑いが部屋を包んだ。
「ふぇぇ?な、なんですか?なんなんですかーーーー?」
笑いの理由に見当を付けられず、ただただ困惑するナナ。あまりに困った顔をしているのを見たアスマが助け舟を出した。
「お前、これから食べるのが“餅”だと知ってて言った訳ではあるまい?」
「餅…お持ち…っ!はっ!こ、これは違うんですぅー!!!」
「まぁ、良いではないか!ナナ殿のその天真爛漫さは戦前の我らの癒しでもあるわい。そなたを見ていると故郷の家族を思い出す。そして思い出すのだ。何故ここに来たかをな」
「そういう事だ。さぁ、餅をお持ちしてくれ!」
「もぉーーーっ!皆さんそーやってー!」
顔を膨らませながら、襖の向こうから紅い盆と白い皿に乗せられた餅を置いていくナナ。
青々しいゲッケイジュの葉に巻かれた餅を食べるという行為は長くカイの国では戦前の験担ぎになっていた。
配膳を終えたナナは一礼するとアスマの前で正座をして腰に差していた神具を手にする。
「それでは、皆様ご一礼下さい」
さっきとは全く違う雰囲気で凛と告げたナナの言葉にアスマを始め、笑っていた隊長勢も素直に従う。外から虫の鳴き声が聞こえる程に静まった部屋に鈴の音が三度響いた。
最後の一振りの後、音が完全に消えてから直る様に告げると彼らはその言葉に従い頭を上げる。
「皆、これより戦を始めよう。何人も他人の家に土足で踏み入る愚か者は生きて帰れぬと思い知らせるのだ。我らの勝利を祈願して」
アスマの言葉に各々は右手を顔の前で拝むように立ててからゲッケイジュの葉を剥いて餅を食べ始める。
命懸けで向かう戦場から栄光を持ち帰れる事を誰もが祈りながら。
ご無沙汰しております。ようやく第二章スタートします。
亀よりも遅い更新ですがどうぞ引き続きよろしくお願いいたします!