愛馬に跨った赤い鎧の女騎士の瞳が遠くの城を捉える。
騎士にとってはかけがえのない産まれ故郷。永らく帰っていなかった思い出深い土地に漸く戻ってきた彼女が抱いているのは父親への殺意。本来持たないはずの黒い感情を抱いて戻ったアヤは複雑な気持ちで生家を見つめていた。
「帰ってきましたのね…私の故郷」
「さすがに喜べはしないな。大丈夫か?」
「確かに喜べはしないですが、特に気持ちに変化はありませんわ。私は必ず討ちます」
心中は複雑でもそれがマイナスに作用してる素振りは見せず気丈に振る舞うアヤ。父を討つと宣言した時の表情に城を見つめていた時の迷いはなかった。
剣に手を掛け、一気に抜いて切っ先を城へ向ける。
「…ホズエンに負けはしません」
自分の想いを剣に込め、迷わないと決意するように宣言する。
それを見たサミーは“強いな”と思った。だがそれはどうやら漏れていたようで、アヤが振り向いて言う。
「あら、私がここまで来れたのは貴方が一緒だったのもありましてよ?私だけではきっともう生きてはいません」
「ようやっと俺の努力が伝わったなぁ…命あっての物種。自分を大切にしろよアヤ」
「もちろん。私はソールズベリー伯爵を継がねばなりませんから。だからしっかり私に付いてくるのですよサミー」
全く疑わない声色。どこまでも隣に居てくれると信じる赤い騎士の隣で緑の騎士は肩を竦めたあと笑ってみせた。
答えなど決まっている。
「当たり前だ。俺だけ生き残ればなんて思える訳ないだろ」
答えを聴きアヤは俄かに笑う。
「背中を託せるからこそ私は後ろを気にせず進めるのですわ。お忘れなきよう」
2人だけに聴こえる様に小さく告げると、彼女は今度は高らかに命を下す。
「これより、反逆者の討伐とソールズベリー城奪還作戦を始めます!私に続いて下さいッ!!」
アヤの後ろで並ぶ数千の兵士たちが上げる大きな歓声が咆哮のように大地に轟いた。
先頭を駆ける赤い騎士の隣を緑の騎士も続く。空気を押しのける音を感じながら馬上で2人はお互いを見る。
言葉は要らなかった。互いの意思を確認すると更に馬を加速させる。城の下には城下町が建っているがそこから兵士が出てくる様子はない。空から監視を行う竜騎士を見上げると緩やかに旋回しながら“敵影なし”と合図を出していた。
「本当に籠城されるおつもりか…でしたら覚悟は決まっておられますわね」
下した面甲の中で1人呟く。今度は逃がさない。絶対に決着を付ける。城が大きくなる度にアヤの決意は固くなっていく。
少しして城下町の入口に差し掛かった。町を出た時とは比べられないほどに静かで、生活感のなくなった様子に違和感を覚える。
「住民が1人も居ないだと?妙だな…アヤ、どう思う?」
「既に逃げているにしてもこんなに綺麗になっているのは不自然です。混乱の跡が全く見られない。進軍停止し、周囲の状況を確認して下さいまし」
部隊は号令に従って進軍を止めて斥侯が町の偵察の為に散開していく。上空の竜騎士は変わらず旋回を続けている。空からの異変は見られないようだ。
「部隊の集合からここまでそれほど時間が掛かっていないはず」
アヤは馬を降りて近くの家に足を向ける。扉が開け放たれている家の中からは生活感が残っているのが見受けられた。生活感がそのままで人が居なくなった、というべきだろうか。
残された食器に食べかけのパンとスープ。近くに寄ると、パンは乾燥しているがスープから腐臭はしなかった。
「片付ける暇もなく逃げ出した…訳ではありませんわね。どちらかというと避難するよう促された?連れ去りというのも違うでしょうね」
後ろから足音がして振り向くとサミーがアヤを追って家に入ってくる所だった。
「何か分かったかい?」
その問いに静かに首を振る。そうか、と残念そうに返したサミーはつかつかと部屋を歩き回って物色し始める。
「連れ去られた訳じゃ無さそうだな。混乱なく組織的に、秩序を持ってここを離れている」
「そんなこと出来るのは領主ホズエン位のものですわ」
だとしたら、と言いかけたアヤはそこで気付く。
「すぐにここを離れましょう!」
血相を変えて家を飛び出したアヤに遅れてサミーは後を追う。
周りは移動出来る所はない。進むも戻るも道を往く他にない。そして敵は何も気にせず敵を撃てる状況だとしたら。
「偵察竜騎士、攻撃を受け撃墜されましたッ!」
近くに居た騎士が声を張り上げる。声を聞いた騎士達が見上げた空は黒く染まっていた。空の染みは高速でこちらに向かってくる。
「敵襲ゥゥゥッ!!」
「射撃防御急げ!!」
怒号が響き渡った直後、矢の雨が公国軍部隊に降り注ぎ打たれた騎士達から悲鳴が上がる。屋根や壁を叩く鏃の音は豪雨が地面を叩く音そのものだった。
アヤはサミーに抱えられ、家の中に押し込まれていた。元立っていた所にもびっしり矢が突き立っている。あのまま立っていたら命は無かったと冷や汗を拭い、助けてくれたサミーに感謝を述べる。
「助かりましたわ」
「気にするな!すぐに移動しよう!」
矢の雨はまだ止まないだろう。ここを離れて移動し続けなければすぐに射撃に捉われてしまう。機動に不利な市街地に騎馬突入したのは無策だった、とアヤは後悔した。
外で待機していた部隊のほとんどは凶弾に捉えられ、戦死、もしくは負傷していた。横たわる仲間の姿を目の前にして言葉を失ってしまう。
「アヤ、馬に乗れ!お前の馬は生きてる!」
「…」
「アヤ!!しっかりしろ!今は戦え!」
「……う…」
サミーの声にアヤの思考が動き始める。
戦わなきゃ。そうだ。恐怖に竦んで止まっている時じゃない。
しかし体は動いてはくれなかった。
「くッ!総員今すぐ馬を出せ!散開している部隊と町の入り口で合流する!」
サミーはアヤの様子がすぐに回復しないと踏んで指揮を代わる。生き残った騎士によって指示が伝達され、部隊は移動を始めた。
横目で確認するとアヤを再び抱え上げて馬に乗せる。自力で動くことは出来るので騎乗はスムーズだった。サミーの移動に合わせてそれに続いて馬を走らせる。
「サミーさん!このままじゃ捉まりますッ!」
「速度を殺すな!走り続けろ!!」
隣を走る騎士の悲鳴に近い問い掛けに答えつつも最善策を絞り出そうとする。射撃がすぐそばを抜けていく度に後続に被害が出る。
走る以外の正解が見付けられない。今はそれしかないのかもしれないが、ずっとそうしてはいられないのは自分でも分かっていた。
2
ソールズベリー城内 反乱軍side
実の娘と争う事が正しい世の中なのだろうか。何故こんな事になってしまったのかと自問自答して、自分を納得させる答えが導き出せないままこの日を迎えてしまった。
攻め寄せる公国軍の中には恐らくアヤが居る筈だ。大切な1人娘。全てはこの地と受け継ぐ娘の為と信じてやってきた筈の行いは裏目に出続けた。
自分の判断で進んだ道を他人の所為にするつもりはない。この世を変える為には必要だった。それを一番分かって欲しい人に分かって貰えなかった事実が唯一心を縛り付けている。
“この世の偽りの歴史に捕らわれ、貴様は自由である筈のこの世界で誰かに搾取されるのを望むのか”
“真実は限られた者しか知らない。我々は世界の真実を暴くのだ”
宰相ゲランの言葉が脳裏から離れなかった。自分が生まれる前から慣習であったシューレ教の存在。彼らが説く歴史。それが意図的に改竄された可能性があるという事。
真実を暴く。その計画に加担して結果全てを失おうとしている。
「お前を信じてしまった私が愚かだったのか…」
口をついて出た言葉には抱えている全ての想いが込められ、失意に暮れるホズエンは暗い表情のままもう何日も食事を取らないままだった。
貴族の寝室らしく豪華な装飾の施され、本来なら燭台に火が灯る時間になってもカーテンの隙間から差し込む僅かな陽の光だけがホズエンのこけた頬を照らす。
「ホズエン様。侵入して来た敵は撃退しました」
小さいノックの後で扉の向こうから私兵が報告内容を告げた。
「……殲滅せよ」
掠れる声で聞こえるか聞こえないかくらいの声で返答するホズエン。
「承知致しました」
もう何日もこの調子が続いている事を知っている兵達は細かな命令を求める事なく、自分達で動くようになっていた。
足音が遠くなっていく。また静寂が部屋を包む。
“進め。止まる事なく”
「またか…」
時折聞こえる男の声にホズエンは頭を抱える。声が聞こえ始めてから暫く経過していた。姿が分からない声が聞こえるのは相変わらず気味が悪い。
もうやめてくれ。放っておいてくれと何度願ってもその声は追いかけてくる。
“貴様はもう逃れられない。進む以外に道はない”
“娘を敵に回したあの瞬間から貴様は独りだ。孤独から逃れる方法は進むしかない”
「したくてした訳じゃない…!あの状況でまさかアヤが来るとは思わなかった!」
“しかし現実は娘が来て剣を交えた。貴様らを結んでいるのはもはや憎悪だけだ”
「私は、私は違うぞ…いつだってあの子を…!」
“なら今度こそ務めを果たせ。世界を暴くのは死体の大地と血の海だ”
囁く声に悪寒を感じて振り向くが映るのは白い壁とベッドの装飾だけ。気が付けば冷や汗をびっしょり掻いていた。
(あやつは死んでなお、私如きに何をしろと言う…?)
思考を巡らせていると今度はドタドタと足音が外から聞こえてきた。
「ホズエン様!ホズエン様!!」
ノックとほぼ同時に焦った兵士の声が投げかけられる。
「何事だ…」
「城に集めた民が国王軍との戦闘を停止するように要求し、一部で暴れております!」
思わず舌打ちする。民に犠牲を出さず、戦闘を進められるように打った策だ。討伐に来た公国軍も民が城に居ると分かればこの城に手を出す事は出来ない。時間を稼げば帝国軍が前線を突破してこの土地を治めたまま寝返りが叶う計画だ。
「私が出る」
「もう一点ございます。アヤ様が公国軍の小部隊共に城門前の陣に来ていると」
兵の言葉を聴いてホズエンは血が燃え盛る様に熱くなるのを感じた。それは今一番大切な情報であり、最も片付けなくてはならない問題。そんな大切な事を後回しにしておいたその怒りだった。
「アヤ…?アヤが来ているのかッ?!なぜそれを早く言わぬのだ…!!」
「も、も…申し訳ございません!」
「どけ!」
ドアを勢い良く開いたホズエンは目の前の兵士を突き飛ばす。どこにそんな力が残っていたのか、と思えるくらい荒々しく、彼は部屋を出て行った。
3
公国軍side
サミーは戦意を取り戻したアヤの作戦を聴いて驚いた。
自ら城に赴いて目の前で領主と一騎打ちするという。最初は全力で否定し、撤退を促したが、彼女は騎兵の先頭に躍り出ると真っ直ぐに城門を目指した。
無謀な事だという自覚があったのか、道中従う兵達には撤退を指示したが殆どが残り、彼女に続いた。
多くの犠牲の上で矢の雨を搔い潜り城門前に辿りついたアヤは堂々と敵の戦列の前で馬を止めた。
「アヤお嬢様…?」
城門の前に避難していた住民や守備の騎士がアヤに気付き、どよめきが広がる。
「貴方達はいつまで民を苦しめ続けるつもりなのです。その胸に“蕾”が宿るのならそこを退きなさい」
城の至る所に立ち、風に靡く白銀の盾と蕾の旗。未来へ繋がる全ての者の為に今ある蕾を守るという理想。ソールズベリーに代々続く理念だった。
赤い騎士の前に立ちはだかるソールズベリー伯の兵士達は語気を強めるアヤの言葉に隣にいる仲間と見合う。馬を降りてつかつかと戦列に向かっていくアヤの正面はまだ開かない。そこに戦列を率いる隊長格の騎士が割って入る。
「我々は…!誰であろうとここを通す訳にはいかないのです。どうか、どうか、お戻り下さい!」
「それは父の命だからですかディーセ」
「はい」
ソールズベリーの騎士ディーセは迷いなく言い切った。
「裏切りの誹りは免れませんが我らも忠義に生きる者。せめて最期まで領主様と共に」
「残念ですディーセ。貴方ほどの忠に篤い方が敵に回ってしまうのは」
「悲しい世界ですが選んだ我らにも責任があります。全ては我らの未来の為…!」
「ではもう言葉は要りませんわね」
「出来れば貴女と戦いたくはなかった…」
馬上で剣を抜いた騎士。覚悟を決めて距離を詰めるディーセをアヤは真っ直ぐ睨みつける。話していた時には感じなかった殺意が2人を包み込んだ。
初撃はディーセから。高い位置から振り降ろされる剣を躱してお互い反撃の応酬を浴びせ合う。
馬上からのリーチと勢いを乗せた剣撃を見舞うディーセに対してアヤはまともに一撃を浴びない立ち回りで的を絞らせず少しずつ消耗させる事を狙った。
どちらも纏う鎧に切っ先を掠めた傷が増えていく。反撃を受け止めてからディーセの馬が大きく前脚を上げながら嘶き、そこから落ちてくる一撃を辛うじて剣で受け止めたアヤだったが馬の人間の放てる重さを超えた剣撃に大きく体勢が崩される。
顔が地面に付きそうなくらい前のめりになり、アヤは慌てて体をディーセから離すように体を投げだした。その直後、剣が元居た所に突き刺さっていた。
「はぁ…はぁ…」
小回りが人間より利かない馬上のディーセも細かい反撃を受け続け消耗している。しかし普段行わない自身の足で動き続ける実戦で消耗しているのはアヤも同じだった。
顔についた泥を拭う暇もなく、呼吸を整えて向き直る。
面甲を下している相手の表情は見えない。しかしこちらを凝視しているのは分かった。アヤも視線は外すことなく睨み続けた。
対峙する騎士の後ろには敵となった故郷の同胞が居て、更にその後ろには城へ続く門が聳えており、敵を決して入れんと立ちはだかっていたが、敵の一団を目の前にして開く筈の無い門が大きな音と共に開きだす。
(開門!?何事なの…?)
誰もが門を見ている。その様子はそこにいる誰もが予想していない事態だという事が垣間見えた。
門の後ろには一人の男が立っている。戦闘中だと言うのに甲冑も着けず剣だけを手に、そこに立ち尽くす人物は門が開ききる前に外へと飛び出した。
「父、上…!」
「アヤ…何故ここに来た?」
信じられないという表情でアヤは固まる。まさか倒すべき仇となった父が目の前に出てくるとは思いもよらず。
「ホズエン様!そのような無用心な真似はお止めください!」
ディーセは声を荒げるがホズエンは真っすぐ娘を目指して歩き続ける。その眼はアヤが良く知る父の眼だった。
殺れると直感が訴える。剣を持つ手に力が入る。足を動かせば、きっとディーセが動くより先に剣を突き刺せる距離に居る。
「私はお前を守りたかっただけなんだ。誰よりも愛しているお前を」
「…何を仰っているのですか。ここは戦場で、私は敵ですわ。貴方の娘ではありません!」
アヤは動揺を隠すように語気を強めた。
「そうだな…。敵、か。そうだな…」
ホズエンは急に歩みを止めてブツブツと呟き始める。
「アヤに似た人間がこの世に居たとして、見間違える筈もないと思っていた…見間違える事はあり得るかもしれぬ…」
穏やかだった表情が急に曇りだす。それはすぐに怒りの表情に変わった。
「私は…私はこのふざけた世界から娘を守りたいだけだった!そうだ!何がいけなかったッ?!」
怒りを表しつつ泣き始める豹変ぶりに圧されてアヤは後退る。
確かに父親の面影がある人物だが、あれから痩せたようにも見えるし、目元もくすんでいる。豹変した良く知る人物が少しずつ詰め寄ってくる恐怖で肌が粟立つ。
「っ…!貴方はもう…!」
「うっ、あぁぁぁ…!」
父親ではないと言い聞かせようととして思考がフリーズする。真っ白になって何も考えられなくなって足が完全に止まった。ホズエンは我を忘れ、剣をアヤに向ける。
「わぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!」
切っ先は真っ直ぐ胸に迫る。視界いっぱいに父親とその影を映し。
その刹那、強い衝撃に見舞われた。
強い衝撃にぶつけられて地面に倒れる。見えるホズエンの足元。背中に感じる何かが滴る音と感覚。アヤは顔を上げた。
「らしくねぇよ…」
聞き覚えのある声の主は相棒のサミー。声が苦しそうなのを感じて全てを理解した。
隣に降ってきたサミーに崩れ落ちるホズエン。それぞれの身体はお互いの槍と剣に貫かれている。
「サミー貴方…今救護を!」
「アヤお前、ホント頼むぞ……」
開いていく瞳孔。力の無くなっていく表情。思わず顔に手を添えた。助けたいと願ったその一心で。
「…らしくねぇよ、マジで……」
サミーは言い残すと瞼を閉じた。
最期まで付いてきてくれた誰よりも家族思いだった男。どんなに数多くの死を目の前にしてきても、身近な人間の死の悲しみからは逃れられなかった。
「私が、甘かったせいで!」
自分が倒すと誓った父を討てていればこんな事にはならなかった。父の言葉に動揺して動けなくなった自分のせいで死なせてしまった後悔の波がどっと押し寄せる。
アヤの瞳から溢れる涙がサミーの骸に吸い込まれる。最期の言葉がいつまでも胸に残って響いていた。