1
貴重な時間を割いてここに来た価値は間違いなくあった。それは間違いないのだが、ここからの未来を描くことに関してはなにも進んでいない。黒竜オルヴァヌスの存在は長寿である彼らマムクートですら知りえず、突如出現した自分たちと似て非なる存在という程度のものであり、そのせいで人間に虐げられることになった恨みの対象とも言える。
彼らはもうこの世界の危機に立ち上がることも人間と共存していくこともないだろう。互いに不干渉である限りこの均衡を保つことが彼らの自制の限界だ。
それにしたって。
「どんだけ欲深いのよ
富。権力。地位。土地。自分より優れたものを妬み、自分の持たないものを欲し、手に入れる為に大切なものや弱いものを簡単に蔑ろにして捨て去る。そうしたものに捕らわれて争いを続けるのは人間の性なんだろう。命懸けで友である人間の為に戦ったマムクート達を差別の対象にして虐殺した私たちはどうしてそんなに傲慢になれるのか。
世の中で手に入れたいものが大きいほど差し出すものは大きい。それが自分のものであるうちは正常だが、他人の
この世界で何度も見せられ、感じてきた愚かな歴史の繰り返し。
(ソウダ愚カダト思ウダロウ?貴様ラ人間ハ何度繰リ返シテモスグニ忘レル)
オルヴァヌスが私の思考を読んだのか語りかけてくる。声が直接頭に聞こえてくる感覚にももう慣れてしまった。これまでは言葉に出さないと会話が出来ないと思っていたがどうやら私も同じように意思の疎通が出来ることに最近気が付いた。
(あんたの言うことも少し理解出来るようになってきたわ。長くこの世界に当てられていると全部ぶっ壊したくなるのかもね)
(ククク…コノ力ヲ使エバソレモ容易ク叶ウ)
(でしょうね。ただそんな事して許される存在はないの。あんたの力はこの戦争を終わらせるのに必要になるかもしれないけど)
(貴様ノソレハ許サレルノカ。世界ヲ焼ク事ト、帝国ヲ焼ク事ニ違イハナイダロウ)
オルヴァヌスの指摘は全うだった。焼いた土地や人間が多い少ないの問題ではない。
攻めてきたから、戦争を止めるため、だから敵である帝国の人や土地を焼く事は仕方のないことだなんてそれこそ自分勝手な解釈だと。
だけど人間は気が付いている。痛み分けで“まぁお互いこの辺で”なんて終わり方をする戦争なんて存在しない。だからこれまで何度も攻められたらその分攻め返して、
「はは…」
乾いた笑いが口から漏れ出た。
この世界で永遠に歴史と苦痛を繰り返すのと、全て壊して更地からやり直すのとどちらがマシな選択なんだろうか。
見上げた空は沈んだ太陽が仄かに残した明かりに照らされるだけで、星空も見えなかった。
2
シリアン公国領 城塞都市ブルガンツ
「負傷兵は後方へ運び選別を受けさせろ!重傷者や戦闘不能の者から公都へ搬送する!」
「しかし補給部隊にはもう搬送する荷台の余裕がありません!」
「分かっているっ!だから最低限にするために選別をして残りをここで見ているのだ!!」
シリアン兵の隊長と補給部隊の士官が激しくやり取りする様子を見ながら、グライフとヘッツァーは早歩きで本部の置いてある城内に入った。装備やマントを返り血でべとべとに汚し、土や傷の付いた鎧のままがしがし廊下を進む2人に兵士達は敬礼をするが答礼を返さず、そのまま奥の部屋へと入った。
普段は軍議を行う為に用意された部屋には数名の騎士の他には1人の老人が座っている。身なりが整えられたその姿は貴族であるのは容易に見て取れる。
「これはこれはマーシャル伯ではないか!こんな時に何用かな?」
部屋に入るなり挨拶もなしに王宮騎士団長のグライフは老人マーシャル伯に声を飛ばした。如何なるときもよく通る声でどこに居ても分かると言われるほどの大きな声を当てられマーシャル伯ブリントンは体を震わせる。
「そんなに驚かなくてもよいではないか!寧ろ驚いているのは俺の方なんだからなっ!さぁ要件を聴こうか?」
ブリントンの正面に腰を下ろしたグライフは尋ねると彼の答えを待った。
内戦の折は国王リクを裏切って宰相ゲランに付いて敵対。ゲランの死後は自分の領地に戻っていたとされていた。国賊とも言える彼が自分の領地の軍を率いてブルガンツに来たと報せが入ってグライフ達は驚きつつも慌てて面会の場を設けたのだった。
「早く答えろブリントン殿。我々は貴方が思っているより暇じゃない」
グライフの隣に控えるヘッツァーが鋭い視線と口調で促す。2人から異常な程のプレッシャーを感じ、ブリントンは視線を落とした。
(これがゲクランと対を成す猛将グライフとヘッツァーの大きさなのか…)
器の大きさに然り、戦場でここまで戦い続けてきたその度胸も自分とは何もかもが全然違う。正面の2人からの視線も背後に立つ騎士の視線もすべてが自分を睨みつけている気がする。早く解放されたい…その気持ちが先走ってブリントンは口を開く。
「わ、我々も貴軍と共に公国の為に…」
「断るッ!!!」
ブリントンが言い切る前にグライフは両断する。決断の速さは折り紙付きであるグライフ。団長でもあり、貴族の出でもある彼は話を全てを聴かずとも言いたいことを理解できた。
「な、なぜだ?!我々は1万の軍勢だぞ…?今は兵力が必要ではないのか?!」
「陛下を裏切り、宰相に付いたと思えば今度はこちらに寝返りだと?風見鶏の軍が当てに出来るか!」
拳で机を叩き、声を荒げるグライフ。自分がこのままジリ貧になるまえにこうして帝国との戦いに参戦して失点を減らそうと考えているのが見え見えのブリントンの思惑に乗ってやろうとは思っていない。思ってはいないが、無傷の1万の軍勢は正直喉から手が出るほど欲しい。グライフは賭けに出ることにした。
「統制の効く我が騎士団と現地の守備軍だからここを支えられているのだ。国の為にどうしても共に戦うと言うなら覚悟を見せて貰おう」
「なんだ…言ってみろ?金か?土地か?」
いつだって
「マーシャル全軍はそちらの旗を掲げるな。今後マーシャル伯の名を出す事も独自の行動を取ることも一切禁ずる。マーシャル貴族軍は王宮騎士団の一部隊として参加せよ」
「なんだと?そうなると余がここで戦った証にならないではないか!」
「おい。立場を弁えろ反逆者。今ここで首を取って陛下の土産にしてもいいんだぞ」
ブリントンの自分の事しか考えていない発言にヘッツァーが噛みつく。反逆者と言う所が効いたのかそれ以上の抵抗を渋々、と言った感じで飲み込み、ブリントンは苦虫を嚙み潰したように渋い表情を露わにする。
旗を下ろす、と言うことは自分の存在を失うという事を意味する。
戦場で敵国の旗を倒せばその土地が自分達のものになった証明になり、部隊の旗を倒せば敵を敗走させた証明になる。マーシャル貴族軍が旗を下ろして傘下に加わるという事は
それでは点数は稼げない。領土と地位を守る為、ソールズベリー伯の救援要請を無視してまっすぐここに来たのだから、それでは意味がない。
「バカめ。余が無策でここに来たとでも思うのか?お前たちは余の話に乗るしか方法はないのだ!」
でへへへ、と引きつった笑いをするブリントン。それを見てグライフはわざとそれに乗った。
「面白い事があったのか伯爵殿。あ、そう言えば俺もあった。ヘッツァー、あれを見せてやってくれ」
グライフが言うとヘッツァーも応じて、あぁそう言えばと合わせながら一枚の報告書を差し出した。机に置かれたそれを見てブリントンは顔が急に真っ青になった。
「おたくの貴族軍、ずいぶんと金を掛けているみたいだな。軍備というのはどうしたって金が掛かるもんだが、調達するのにこんな方法があるのかといい勉強になったよ」
シリアン公国において軍備の補助として装備などは国から支給されるものがある。申請して承認されればそれは支給されるという手順だが、ブリントンはそれを過剰に申請して在庫を抱えて余った分を高値で売り捌いていた。それも賊や隣接する帝国軍に向けて。
報告書はその横流しされたリストについて記載されていた。長い期間、かなりの量が敵の手に渡っているのはそのぎっしり書かれたリストを見れば明らかだった。
「反逆に敵を助けた罪が重なれば行き着く所は地獄だと思わないか!なぁ!」
表情は若干微笑み加減だが、強烈な圧で問い詰めて来るグライフ。
「それでも優しい団長殿は命だけは助けてやろうって言っている。選べ」
氷のような視線を向け今にも剣を抜きそうなヘッツァー。
「ぐぬぬぬ…」
自らの悪事を暴かれ、命と天秤に掛けられている状況でブリントンの思考は冷静に働いていない。自らの保身を第一に生きてきた彼にはそこれまで築いてきた全ては奪われる事は到底受け入れる事は出来ない。2人はそれを分かっていた。
だからこの後の答えも想像できた。
「そんなものはふざけるな!せっかく助けに来てやったのになんだその…」
「成敗!!!」
「喜んで!!」
またしても言葉を遮ってグライフから発された号令にブリントンの後ろの騎士が応じる。
振り返ったブリントンの頬に籠手を着けたままの一撃が入れられ、彼は一瞬で気絶させられた。机の上で伸びているだらしない姿を見ながらグライフは呟く。
「こういうの何て言ったかな。いんがおーほーだっけか」
「よくご存じで。カイの諺ですね」
「あそこはいい国だぞヘッツァー。さて、外の
素早い対応で国内の敵の策略を封じた2人。全ては出国前からシーチェが予測していた通りの展開でその支度は整っており、国内の敵はこうして一掃されたがそれでも国境の戦線を支え切るにはもう限界が近づいていた。
「しかし、そううまく奴等が従うでしょうか?既に帝国の息がかかっているかも知れませんよ」
「だとしたらこいつを単身ここに連れてこれる訳がない。お供が居ない時点で見捨てられてるのさ。君、そいつを連れて来てくれ」
そういうとグライフはよっせ、と椅子から立ち上がって城壁へと向かった。
外へ出て、城壁へ上がると眼下には久しく見ていなかった軍勢の錚々たる姿が入った。しかし、一目見て彼らの練度がそれほどでもないと察したグライフとヘッツァー。
「やっぱりこんなもんか」
「奴等の何人が戦場に出た事があるでしょう。恐らく一割もいないのでは」
「それでもこいつらを立派なシリアン軍騎士に仕立て上げないとならん。次の攻勢が始まるまでにな」
ヘッツァーは聴きながらグライフの横顔を見た。同時に彼の中にある焦りを感じていた。
(団長、いつもなら“いらんもんはいらん!”と両断して追い返してしまう所だろうに。陛下が援軍と戻るまでにこの兵力が持たないと思っている)
自分の中に確固たる正義感と信念があるグライフは例えどれほど有益なものが目の前にあっても、それを曲げたり譲ったりしてまで手に入れようとする事はなかった。それがここにきて、恐らく初めてそれを曲げようとしている。
「らしくありませんね、団長」
何か聞けるかも知れない、という単なる好奇心からヘッツァーはわざとそう呟く。
「だろうな。聴きたいか?」
ヘッツァーの言葉に対してグライフはにやりと笑う。そして目の前の軍勢を見たまま答えた。
「
「…随分と…それは、なんと言うか……」
自身の恋心を恥ずかしげもなく暴露し、だーっはっはっは!と豪快に笑う団長の隣でヘッツァーは回答に困り、そのまま彼の笑い声を聴く事にした。少しすると冗談だ、と言い、やけに締まった声色が続く。
「俺の矜持など他人には何の価値もない。今必要なのは兵力そして時間よ。陛下がこの地に戻られるまで我々は最後までここで奮戦する義務があるのだ。そして俺には義務の他に、この地を守り切る任務がある。任務を果たせずして王宮騎士団長を名乗る事が出来るか?果たす任務がある以上、出来る事はなんでもするさ」
言い終えると彼はそのまま城壁を歩いていき、兵士達がグライフを見える場所まで進んだ。兵に対して正対すると大きく息を吸い込み、そして。
「総ォ員気をつけぇぇィッ!!!」
腹の底から出した声は眼下の一万の軍勢の端から端まで届く声量で、音に敏感な馬がその声の大きさに驚いた素振りを見せる程だった。同時に長らく待機を命じられていた兵士達も瞬間的に反応した。
「突然だが!これよりお前達はこの王宮騎士団長グライフの指揮下に入る!!ここまで軍を率いたブリントン伯爵だが、この国難において残念な事に敵であるヴィツワ帝国を利する行為が発覚したためである!!」
これまた突然の暴露。整列した兵士達は明らかに混乱し、ざわざわとしたどよめきが瞬く間に広がりそれは抗議の声を巻き起こした。
それを幾らか浴びた所で再びグライフは彼らを一喝する。圧に押されて沈黙したのを確認すると言葉を続けた。
「マーシャル伯の行いは決して許される事ではないが、ここで彼に対する断罪をするものではない!我々はもっと巨大で凶悪な危機に直面しているからだ!!諸君らの中にそれを知っていた者や手引きした者がいようとも、そしてここから立ち去る者の、その罪は免除する事を俺はここに宣言する!!」
罪を免除する、そんな権限は誰からも与えられていないはず。ヘッツァーはその言葉を撤回させようと動きかけたがそれはグライフの手で制された。
演説をしているその振付かのように見えたその動きは明らかに自分に向けられていた。
「清廉潔白、何の罪も犯したことのない人間など存在しない。後ろめたい事や、魔が差した事がある者も、後ろ指を指されるような事をした者もいるだろう。それは一時の間違いに過ぎない。生きている以上、それを償う機会が人生において与えられる。それが今だ」
軍勢の1人1人の顔を眺めるように視線を巡らせる。城壁の上からでは表情などはっきりと見えないが、その仕草は誰の目が見ても伝わる意図があった。
「選択する機会を与えよう!これまでの行いから何一つ変わらず後ろめたい人生を歩み続ける者は今日中に立ち去れ。過去の罪を今ここで真の騎士、真の戦士となる事で贖罪とし、生まれ変わるか!そしてこの国に、家族に、歴史に称えられる英雄として生きていく者は門を潜れ!!」
グライフは腕を組み、堂々と胸を張った。
「お前達は1人残らず間違いなく勇敢であり、英雄の資格がある!!俺からは以上だ!明日の日の出をお前達と見る事を楽しみにしている!」
一方的に言い切るとさっさと踵を返すグライフ。演説の余韻にも浸る事なく動き出した彼には自信が垣間見れた。
「どれくらい残ると思いますか?」
「さてな。考えてなかった」
グライフはあっけらかんと言い放ったのを聴いてヘッツァーは一瞬理解が及ばず、は?と声を漏らした。
「計算があったのではないのですか?」
「ここで大事なのは数じゃない。自分の意思で残ったかどうかだ。たとえ千人でも、それで十分だ」
そう言うと彼は城壁と繋がる見張り塔の部屋に笑顔で入っていった。