圧倒的戦力差で包囲する帝国軍に割って、国王リクの帰還に絶望していた民と兵士は大きく沸いた。戦意を取り戻し、カイの精鋭“赤備え”と行方不明だった空軍戦力も合流したシリアン軍はブルガンツ解囲に向け動き出す。
抵抗を続けるブルガンツのシリアン軍だったが敵も本格的に攻勢を始めた事で日に日にその力は削がれていき、陥落は目前に迫っていた。
1
リクと共にブルガンツ入った翌日、その報せを受けた帝国軍は大規模な攻勢を開始した。敵は投石機やシューターなどの兵器を投入して城門を破ろうと試みてきたが、この日も何とか粘り切って敵を撃退する事が出来た。
敵は膨大な戦力を用いて包囲戦から力攻めに切り替えたらしく城壁には敵も味方も死体が重なっていき、日を追うごとにその数は跳ね上がっていく。
指揮を担当するエリアの防御拠点を戦闘終了後に見回るのだが、どこも等しく地獄だった。物資が足りないので負傷者の治療もままならず、少しの手当だけで放置せざるを得ない者が壁にもたれて座っていたり、倒れていたり…衛生兵となる〈
「ぐ、軍師殿…」
一人の〈ジェネラル〉が私を細い声で呼び止める。頭部からの出血が酷い。傍には大きく凹まされた鉄の兜が転がっていた。よく見ると彼はまだ何の手当もして貰えていない様子だった。
私は彼の近くで跪き、出血を止めようとぱっくり割れた傷口を手で覆い押さえつける。
「俺は…このまま死ぬんですよね…?」
それを聴いて考えてしまう。彼が聴きたい言葉はなんだろうか、と。それは生存への具体的な希望、というのが正解なのかも知れない。でもこの状況で彼の傷では恐らくもう助けてあげられない。
死を感じ取り恐怖する彼の頬にそっと手を添える。生きていたいと望む者に君はもう長くない、と伝える事がどれほど酷な事だろう。死ぬんですよね?と言ったというのは覚悟はしていた、という事なのだろうがそれを肯定しなければならないのは心が痛む。
「そう、ね…」
助けてあげられない無力感を感じながらやっと声を出す。それを聴いた彼は苦しそうにしながらも弱い声で笑い、私は思わず彼を見つめた。
「やっぱり。でも後悔なんてないですよ…兵士になってから、覚悟はしてましたから」
「…貴方が、貴方達が命を擲って守ってくれたからこの国の未来は繋がったわ」
「では一つ、約束してくれますか」
彼は力なく垂らしていた腕を持ち上げて私の手を力強く握った。どこにそんな力が残っていたのか、痛い程に握られた掌を私も握り返す。彼の瞳からは大きな涙が溢れていた。
「この国を…救ってください。俺や仲間や、家族が愛するこの国を。舞い戻った貴女の力で」
涙に震えながらも力強い言葉と掌から伝わる意思を汲み取り、嚙み締めてから私は返答する。
「必ず」
答えを聴く前に息絶えてしまった兵士の頬に伝う涙を拭い、そっと手を解いて亡骸を横たえる。傷だらけになった鎧の隙間にはシューレ教徒である事を示す教団の紋章の入ったお守りが括りつけられているのが目についた。彼の心の拠り所だったのだろう、こうして戦って死を迎えたとして女神は必ず救ってくれると信じればこそ、こうして戦い抜く気力が失われなかったのかも知れない…などと考える。
「…如何なる時もシューレの加護が有らん事を」
シューレ教徒が戦場に立つ前に祈りを捧げる時の言葉を彼に手向けて私は次の拠点を目指した。
2
シリアン公国 ソールズベリー伯爵領西方
「ブルガンツからの文書か。見せてくれ」
ブレグがブルガンツから伝書鳥による手紙が来たという報告を受けたのは、事前の戦略に従って軍を進軍させている最中だった。ソールズベリー領を奪還してマーシャル領を無血開城した事で公国内の反乱勢力は一層され、公国軍の主力とソールズベリー貴族軍を併せた3万もの軍勢が幾つかの集団に分かれて帝国の都市ノヴィツとブルガンツの救援に動いている。
機動力に優れる騎馬を中心としたアヤの率いる新生ソールズベリー軍は、途中から分離して機動力を以てノヴィツの兵糧庫を奇襲し、ブレグ率いる公国正規軍は混乱する帝国軍の退路である橋を側面から突く作戦だった。
手紙を受け取ったブレグは書かれている手紙の内容を読んで驚く。そこにはリクがカイからの援軍を率いて包囲下のブルガンツに入ったと記されていた。
(なんて無茶をしてくれたんだ)
包囲を解いてから入ればよかったものを態々危険を冒して包囲に飛び込むとは狂気としか言いようがない。ブレグの苦虫を嚙み潰したような表情を見かけたアヤが声を掛ける。
「どうされましたかブレグ様」
「あぁ、伝書鳥が届いたんだが我らが王はカイから直接包囲下のブルガンツに入ったそうだ」
それを聴いてアヤも一瞬ハッとしてから表情を曇らせる。それは確かに頭を抱えたくなる問題だ。伝書でそれを最初に知ったブレグが先の表情になるのも無理はない、と同情を覚える。
「ではこの戦いはブルガンツの解放と、陛下の救出が目的と言う事になりますわね」
「厄介な事になったぞ。あの猪め…全く、シーチェやエリフは何をしていたんだ」
不満が止まらないブレグだったが、空を仰いで息を吐き切るとすぐに気持ちを切り替えて宣言した。
「緊急で軍議を行う。兵士に言って将達を呼んできてくれるか」
「分かりました」
「所でアヤ…もう平気なのか」
ブレグは普段通りの振舞いを見せるアヤに尋ねた。彼女は領地の反逆に加担した実の父とこれまで共に戦ってきた相棒であるサミーを同時に失ったばかりだった。そこからすぐにソールズベリーの爵位を継承して、軍に加わり、指揮を執っているのだ。ここまでの間、気持ちを整理する時間など全くなかったはず。
そんな彼女に対する心配をしたブレグだったが、それはすぐに解消された。
「戦友を失うかもしれない事も、父を討たなければならない事も、覚悟していた事です。もう過去を見て悲しんでいられる場合ではありません。この国を守って平和が訪れれば偲ぶ時間も出来ますわ」
「そうか。私が思っているよりもずっと君は強いな」
ブレグの言葉をアヤは言葉を否定する。
「いえ、覚悟をしていてもその時は涙を流しました。あの時は堪え切れませんでした」
「一度に二人も近しい人間を亡くす事はあっても、お互いが差し違える事はそうない。何か出来る事があればいいんだが」
「お気遣い感謝します。もし叶うのであれば、一つだけお許し頂けますか」
表情をきゅっと引き締めるアヤ。それを見てブレグも向き直る。
「次の解放戦では私を是非最前線へ配置してください」
「自分で言うのなら問題はないんだろう。君の戦働きに期待させて貰う」
それから少しして進軍を停止させたエリフ達はその場で軍議を開催した。議題は勿論リクがブルガンツに入った事とその救出方法について。初めにその状況を将に伝えただけでどよめきが起こり、それは歓声とはならなかった。大多数が「何故包囲下のブルガンツに入ったのか」という一点の発言とそれを否定的に考える意見ばかり。ブレグはそれを否定できない気持ちではあったが彼が何を考えているのかは理解していた。
「陛下は恐らく自ら死地に入る事と自らが敵を打ち破る事で士気を上げ、敵を後退させて戦局を五分に戻すつもりだ」
「こちらの出遅れの分を取り戻そうと?それは叶えば我々は大きく時間を稼ぎ、敵の勢いを削げるでしょうが…ですがどうやって」
「我々が来る事に懸けている。時間を掛ければブルガンツは陥落し、陛下は処刑される」
ブレグの歯に衣着せぬ発言に将達は息を呑む。それを気にせずブレグは続けた。
「しかし敵は我らを甘く見て時間を掛けた。そこに付け込む!当初の計画に従い部隊を動かすがここからは強行軍で行く。今日より三日の内に騎馬部隊はノヴィツを襲い、歩兵部隊は五日以内にブルガンツに到達せよ」
「そ、それは幾ら強行軍だとしても無理ですぞプラマー伯!」
将の一人がブレグに意見を言おうと前に出た。実際今停止しているソールズベリー領から公国中央の国境に位置するブルガンツに行く為には行商隊でも一週間は掛かる。行軍となれば人数も増える分時間が掛かるという状況を鑑みたら当然の反応とも言えた。
そこにブレグは喝を入れた。
「必ず成し遂げろ。出来なければ祖国を失うだけだ」
これまでと違って大きな声が上がった事で沈黙する将達。そこに誰かに語り掛けているでもなく口を開く者が居た。
「祖国の存亡懸けた戦い、そして戦局を決める兵糧庫の奇襲…ふふ」
一同が声の主の方へ向く。赤の鎧を纏った騎士は堪え切れなくなったかのように少しずつ笑い始めた。
「うふふふ…!その先陣を私を任じて頂けるとは光栄ですわ。必ず兵糧を焼いて参ります。ヘイロー、部隊に強行軍の支度を」
「畏まりました」
アヤは早速ソールズベリーの騎士に命じて支度を急がせた。動くと決まれば寸秒ですら時間が惜しいこの状況で兵を遊ばせている時間はなかった。
「よいな。私は本隊を率いてブルガンツの救援に行く。攻撃部隊の指揮官はアヤに任せる。この瞬間にも陛下は危険な状態だ。すぐさま準備に取り掛かれ!」
ブレグの言葉に応じて敬礼を交わした各将は各々の部隊の下へ急ぎ足で戻っていく。
今この瞬間にもブルガンツでは激しい戦いが繰り広げられ、確実に陥落へ向かって歩んでいた。
3
帝国領ノヴィツ城 帝国軍陣営
「堅牢な城塞である事は知っていたんですがねぇ。こうも攻めあぐねてしまうと流石にこちらも余裕がなくなってしまうね」
盤面に置かれた彼我の配置を示す駒には攻略中のブルガンツと攻勢拠点であるノヴィツでの部隊展開図が広げられている。
電撃的侵攻を以てブルガンツを抜き、公都を制圧する計画はもう完全に瓦解した。開戦からもう一か月が経とうとしていて、まだ領内に進む事すら叶っていない。各地から集まる情報では公国軍は反乱した勢力を掃討して反撃の準備をしているとの情報もある。
弱体化が目立つシリアン公国だが軍の能力は相変わらず維持されているようだった。戦力差にも怯まず頑強な抵抗を続け、攻撃の度に被害は大きくなるばかり。着実に攻略の糸口を掴みつつあったが、シリアン軍が崩れる要素は見当たらなかった。
「さて、これ以上遊んでいるとボクも首が飛びそうだから本気で行くとしようかな」
机に脚を乗せて盤面を眺めていた銀色の髪の男はクォンテ。彼は脚を下すと部隊の行動を指示し始める。作戦を諸将に伝えると解散を告げ、すぐに行動に移させる。
諸将が各々の行動に移り部屋を出ていくとそこにはクォンテともう一人。皇女オレーヌの姿が残された。
「オレーヌ様。今日も変わらずお美しいですねぇ」
「そんな言葉が聴きたいのではありませんクォンテ。単刀直入にお伺いします。兄上が“いつだ?”と」
クォンテはそれを聴き、焦燥感に包まれる。
これは質問されているのではない。いつまでに、という期間を訊かれているのはすぐに理解出来た。
遊びすぎたかなぁ、と思い空を見上げ。少し考えてから答えを出す。
「後1週間頂ければ」
「そこまでの余裕はありません。ソールズベリー伯を討伐した軍がブルガンツに向かって来ています」
「うーん。それは由々しき事態っすねぇ」
そんな報告は受けていない。偵察はローテーションでしっかり周囲を監視している筈だが、それを見落としたという事なのだろうか。それともオレーヌが独自の情報網を持っているのだろうか。
一瞬考えて後者だと結論付ける。皇帝の妹であり、最側近でもある彼女の事だ、いつ問題が起きてもそれを把握する為の手立て位は用意してあるだろう。
油断も隙もない。“微笑みの麒麟”と呼ばれてもいるが、類を見ないほどに聡明な人物なのは間違いない。
「じゃあノヴィツに駐留している部隊にも城攻めに参加させるとしますか」
仕方ない、と言った感じの素振りを見せながらクォンテは探りを入れる。皇帝がこうして言葉を届けたのなら自身の思惑がある事がこれまでは殆どだったからだ。
これまでの苦難を乗り越え、絶対的な自信に満ち溢れたクーゲルは他人に任せる事を嫌うタイプの人物なのは分かっていた。
「采配はお任せします。勝利をお持ち帰り頂ければ」
「へぇ…こりゃ意外だ。陛下の言葉を貴女が自ら伝えに来たとあれば、何かしらの指示があると思いましたが?」
短く整えた髭を指で撫でながらクォンテは更に訊ねる。オレーヌは顔を落とし、僅かに溜息を吐くとそれに答えた。
「陛下は本来防御型の指揮官である貴方にブルガンツ攻略を任せた事を憂慮しています。ですが、貴方の用兵に期待していると仰っています。その期待にどうか全力でお応え下さりますよう」
言葉を聴けば激励にも思えたが、いよいよマズいと肝を冷やす。これまでの少し余裕を見せる様な柔らかい表情と声色だったが気持ちと共に切り替える。
「…御意に。“歓喜のクォンテ”が必ず吉報をお届けしますよ」
跪いて礼を取った姿を見とどけたオレーヌもその声色と雰囲気の違いを感じ取り、柔和な人柄を思わせる微笑みをクォンテに向けると何処かへと消えた。
オレーヌが移動の為に使った魔法陣が霧消するとその場には眉間に皺を寄せたクォンテが一人残され、軍議室には静寂が広がる。人が居ないという自分には中々起こらない状況で、クォンテは窓から外を眺める。
ノヴィツ城の高層から見える景色には帝国内でも評価が高い。周りが平野に囲まれ、視界を遮るもののない景色。今は青空が見えているその先に数多の兵士が詰め寄るブルガンツも見えている。
敵味方共に沢山の兵士があそこで戦い、命を燃やす事に意識を向ける。すると途端に、何故この戦争が始まったのかや戦争とはという事に意識が傾く。
我々はどうしてこうも戦い続けるのか。考えてみた所で自分では何かを変える事なんて出来はしないんだが、とこれまでの自分の軌跡を思い出す。何を言っても結局は戦う事しか知らない人間だ。だから皇帝であるクーゲルがどんな視点で何を見ているのか、従った先に自分達はどうなるんだろうかというのは凄く関心がある。
困窮する国民、塞がった国境。経済も農業も落ち込み、人々が飢えに苦しんでいる状況を改善するべく皇帝が手を尽くしたのは知っている。だが持ち直す事は叶わず、残された最後の手段が他国から奪う事だった。
この戦争は自国民の救済の為に行われている、とクォンテは信じているが、それだけではないと感じている所もあった。
「あそこを落とした先に陛下は一体何を見ているんだろうか…」
煙草に火を付けながら再開した攻撃の様子に目を向ける。放たれる魔法や矢が飛び交い、わらわらと蠢く人影に火の手と黒煙が彩りを加える。
「…さて行くとしようかな」
そう言うとクォンテは煙草を咥えたまま地上へと足を向けた。
4
三日後 シリアン領ブルガンツ
今日もブルガンツは激しい攻撃に晒されている。日に日に増す激しさに兵士達は消耗しみるみる損害は増えて、負傷者はもう施設に収容しきれず民の持つ大きな倉庫や宿などを借りて押し込んでいる状態だ。食料も武器も底を尽きかけ、指揮を執る私やリク、グライフ達も負傷しながら前線に立ち続けている。
状況はすこぶる最悪だ。そんな中いよいよかと思ってしまう報告が突き抜けた。
「急報!北門突破されましたッ!!帝国軍侵入中!」
その報せを聴いた兵士が明らかに動揺する。どよめくのを感じ取りすぐさま一喝して混乱を収めるように努める。
「北門前に兵力を集中し侵入した敵の対処を!城壁沿いの部隊は外部への攻撃を停止し、城門前の部隊の掩護と更なる脅威の観測に移って!!敵を掃討し、瓦礫を並べれば障害になる!」
「はっ!!」
「私も下に降りる!ここは任せたわ!」
ここの守備兵長に指揮を任せて私は城壁の塔の階段を駆け下りる。行き交う兵士達も門の事を口にしていて、士気の低下に拍車を掛けた。
このままじゃ食い破られる。何とか食い止めて今日一日を凌ぎきらないと、いつ彼らは来るのか?と私はやきもきしている。
階段を駆け下り、地上に降り立つ。城門に向かって兵士が殺到し、すぐそこでも激しく戦闘が繰り広げられているのを見て状況を確認して進もうとすると、私気付いた兵士が私の腕を掴んで声を掛けて来た。動揺しているのか、彼は明らかに挙動がおかしかった。
「軍師様!?ここは危険です!すぐに本部まで後退を!」
「後退?バカ言わないで!退いたら全部お終いよ!将としてここを去る訳にはいかない!」
強い口調で制して彼の制止を振りほどき、私は戦列に加わる。もう列という概念はなく、最前線は完全に乱戦になっている。このままでは押し切られると直感した。
「皆聴けッー!!城門を抑える部隊の外側から順に前後左右の仲間と列を組め!最前線は時間を稼いで!!このまま門に蓋をする!」
「軍師殿が来た!指示に従えッ!」
現場指揮官が私の声を聞いてすぐに駆け付ける。彼も既に戦列で敵を倒した後だったようで鎧には返り血が付着している。
「シーチェ様ここは長くは持ちませんッ!ブルガンツはもう…!」
門を突破させてしまった責任に動揺して弱気になっている指揮官の頭を兜越しにはたいて喝を入れた。
「決して諦めないで。後少しだから!」
彼への言葉は私自身への叱咤も混ざっている。落とさせてたまるもんか。ここを抜かれればもう公都は目の前だし、何よりここにはリクがいる。入ってきたのだから包囲を抜けて脱出する事はもう出来ない。その覚悟があってここに入ったのだから脱出を提言するのは間違いだ、と分かっていても脱出を提言したくなる。ここにきて状況は最悪だった。
「敵
「撃ち落とせ!何もさせるな!」
指示が飛び、〈弓兵〉や〈魔導士〉か迎撃が始まるが遠くから放たれたその
振ってきたのが何かは分からなかったが、空で竜騎士が弓を構えている姿とその鏃に灯る火を見た瞬間に理解した。奴等は火を放つつもりだ。
「くそっ…!!」
フェイルノートで火矢を構える敵を狙う。放たれた矢は狂いなく竜騎士を撃ち抜いたが火矢を止める事は出来なかった。
建物に向かう火矢を見ているとまるで時間の流れがゆっくりになった様に感じた。もう止められない…!
矢は地面に突き刺さり、瞬く間に火の手が上がる。まただ。また、私は同じ事を繰り返してしまった。
私の思考が一瞬真っ白になる。蘇る五年前のあの光景。火から逃れようとする民が外へ出て来て、兵士達とぶつかり、道は更に混乱する。
子供を抱き抱えて逃げる女性や弱った足で伴侶を連れ添い逃げようとする老人。阿鼻叫喚するブルガンツ市街は見ればあちこちで火の手が上がり、絶望しそうな様相を見せている。
「軍師殿もうこれ以上は持ちませんッ!?撤退しましょう!」
気力が限界を迎えた指揮官の言葉が耳に入り、私は思考力を取り戻す。
「逃げる場所が何処にあるの?!兵士なら腹を括りなさい!!」
もう絶対に退けない場面に陥った。ここを破られれば公国はお仕舞だ。
私は戦列の後ろから前に飛び出す。私に気付いた兵が空けてくれた所を通りながら檄を飛ばす。
「聴けッ!!我らはこれより死地に赴く!!」
空気が引き締まるのを感じる。絶望に打ちひしがれ、折れそうになった兵士達の心の火が再び灯る。
一気にその火を燃え盛らせるため、フェイルノートで迫る敵を薙ぎ倒す。そして最前線に躍り出て、私は声を張り上げた。
「兵士諸君!ここで英雄となり未来永劫この国の繁栄と共に語り継がれる!!愛する者の為、信ずるものの為、今一度その身を祖国へ捧げよ!!」
「「おぉぉぉぉぉーーーーーッ!!!」」
背中に大歓声を浴びながら、迫る敵兵を斬り伏せる。両隣の兵も次々に槍を突き出し帝国兵を屠り始めその勢いは広がって行く。返り血を浴びながら、目の前の敵を必死に切り伏せて一歩ずつ前へ前へと門への距離を縮めた。刀を浴びても槍に貫ぬかれても、シリアン兵は止まらない。完全に勢いに乗ったシリアン兵は門を目指して押しまくる。
大きな波の様に押し寄せるシリアン兵。狭い門を潜ってきたばかりで少数の帝国兵は自慢の数の力で押し返す事も出来ず波に飲み込まれ、門の前には帝国兵の死体で溢れた。侵入を阻止して余裕が出来るのを確認してすぐに指示を飛ばす。
「門を塞ぐ物を持ってきて!!同時に手分けして消火を!民にも声を掛けて手伝って貰いなさい!」
後方で控えている兵士達が動き始め市街に散っていく。〈ジェネラル〉が率いる重騎士の部隊が門の前に展開して部隊で蓋をする事にも成功し、魔法も受けない状態で守りを固め直す事が出来た。
ここは何とかなったけど、このまま終わる敵ではないだろう。次に突破されてしまったらもう同じ展開にはならない。
時間を稼げば援軍も来る。包囲を解きさえすれば戦線を立て直す事も叶うだろう。門を塞ぐ作業を見ながら次の展開を読む為にも外の状況と各所の戦況が知りたい所だ。
城壁の階段を駆け上がり階下の敵の状態を観察する。周囲で矢や魔法が飛び交う中、私は背後から声を掛けられたので振り向く。立っていた兵士は肩で呼吸をして顔や鎧に沢山の返り血を浴びている。そして彼の表情は決して良い知らせではない事を察するには十分だった。
「どうしたの!」
「ソールズベリーからの奇襲部隊、敵の待ち伏せに遭い進軍を止められました!兵糧庫への奇襲失敗!」
その報せを聴いて自分の中で何かが崩れる音が聞こえた。これで兵糧庫の守備は固められ、敵を撃退する事がより困難になった。
敵部隊の引き寄せが甘かったのか?それとも敵将クォンテは物凄く頭の切れる将で、こっちの動きを読んでいたのか。いずれにしてもこの危機を脱する為の策略は潰えた。
「…陛下と他部隊の将に報告を」
そう兵士に伝えるのがやっとだった。
それから数時間後の事だ。夜になり戦闘が中断した僅かな時間で私はリクやグライフ達と緊急で軍議を開いた。
議題は今後の方針と兵糧庫の奇襲失敗について。度重なる戦闘による疲労と負傷、そしてこの重大事態から生まれる重苦しい空気が私達にのしかかる。
「敗走した部隊はどうなった?ある程度逃げ延びたんだろうか…」
腕を組み低い声で参加者の誰かに尋ねるグライフ。それにヘッツァーが答えた。
「その後の報告はありませんね。どこに行ったのかすら掴めません」
今回の戦闘で負傷し、頭に包帯を巻いている姿が痛々しい。辛うじて血は止まっているみたいだが、包帯によって視界は半分失われている状態だ。
「密偵の方向では、ノヴィツの守備は固められ本格攻勢でないと攻略出来ない状態になってしまった、と」
奇襲部隊がどんな状態で敵の迎撃を受け、どんな状態で敗れたのか全く分からない。大多数の部隊をこの数日で引き付けた筈だったから隙を作るには十分だと思っていたけれど…まさかあのアヤが失敗するなんて。
アヤ達がノヴィツに到達してから動き出す算段だった天馬騎士団と飛竜部隊も足止め状態になっている。貴重な兵力をこのまま遊軍にしておく訳にもいかないから今後をどうするかによって彼らの動きはかえなければならない。
しかしここまで来ると降伏してブルガンツを明け渡す、という事も選択肢に入るのだが大きな問題があった。
リクだ。彼がここに居る以上それはシリアンの滅亡と王家の消滅を意味する。それはここに入った以上その選択が絶対に認められないと覚悟していたものだ。
「俺達がこの包囲を解く手段は…」
「…残念だけど、
私は下を向いて答える。口がいつもよりもずっと重たくて、言いたくはないけれどそう答えるほかない。
これはただ、あくまでも定石の話だ。なりふり構わずとなれば話は変わって来る。
「定石じゃなければあると…」
「よせ、シーチェ」
食いつきかけたグライフを遮る様にリクが割り込んだ。じっと私を見つめたまま、こちらの真意を見透かそうとしている。
もしかしたら何をしようとしているかもう気付かれているかもしれない。デリカシーはないが、意外に彼は人の心を考えを読むのが上手だ。
「まだ何も言ってないわ?」
大仰に手を広げて悪い事は考えていない、というアピールをしてみせる。余裕ぶって見せているが、実はもうこれしか考えられない。私は広げた手を下し、お腹の上に置いて天井を見上げた。
「とはいえ大きな賭けになるのは間違いないわね…」
もしかしたらここで死ぬかも知れない。そう思いつつ私はゆっくりと考えを言葉にした。