ブルガンツで頑強な抵抗を続けていたリク率いる公国軍だったが、遂に城門を破られてしまう。帝国軍の侵入を一時許してしまうが退けて戦闘を終えた後、指揮官たちは今後の方針を話し合う軍議を開く。
そしてシーチェはある提案を出す。全てはリクの理想を叶える為。
1
状況は絶望的だ。壁の向こうには大多数の敵が今も陣を張り、人一人通さない様に包囲を続けており彼らの攻撃は止まる事を知らない。
いよいよ城門も破られ一時は侵入も許した。辛うじて撃退して食い止めはしたけれど次同じ事は出来ないだろう。味方に与えたショックは大きく、戦意もかなり低下した。
糧食も底を尽きかけ、戦闘によって家を燃やされた市民が行き場を無くして城の広場に集まって身を寄せている。彼らだけでも何とか救ってあげたいと思うのは誰もが共有しているが、それを叶える為の手段を見出す事が出来ずにいる。
残った民の脱出とブルガンツの解囲を同時進行で進める策。戦闘で決着を付けるのはもうジリ貧にしかならない。いずれ限界も来る。
「大きな賭けになると言ったが、何を考えている?」
リクが真っ直ぐ私を見たまま投げかけた。
「ここらで停戦すべきだわ。この身と、ブルガンツを差し出す事で交渉材料とする」
参加している皆が息を呑んで目を見開く。すぐに反応したのはグライフだ。机をバン!と叩きながら立ち上がる彼は困惑を浮かべている。
「何を言っている?!どういうつもりだ!」
「勝ち筋が見えないのよ…このままじゃあね」
「その後はどうする。また黒竜になって今度は町ごと吹き飛ばすとでもいうのか?」
入ってきたリクの言葉に私は天井をまた見上げる。
あぁ確かにそういう手段もある。なんならこれから周囲の敵軍を殲滅しにいくと
だが、それは数ある選択肢の中でも最悪の決断だと確信している。
「それはお互いに一時の痛み分けにしかならない。その後で待っているのは無限に湧く憎悪だけね。お互いがお互いを滅ぼすまで戦争が続き、永遠に終戦は訪れない」
理想論だと言われるだろう。敵がしてきた事をやり返す、それでは解決にならない、とのたまってその凶行を甘んじて受け入れる事で平和になるのか。そこまで人は互いを理解し合う事が出来るだろうか?
それでもどちらかがその理想を捨ててしまえば雪解けは訪れない。怨嗟の連続を断ち切る為にも。名前を変える前の
「民と共に生きる。それを為す為には必要なことだと思うの」
「…勝算はあるのか?」
「このまま戦い続けるよりは可能性があるわ。再び、この地を失う事になったとしてもね」
リクの問いに答えて、私は手元のコップに口を付けた。冷たい水が喉を潜って内臓に染み渡る。すると更に頭がすっきりした勢いで私は決断を促した。
「選んで。このまま戦い続けるか、私の提案に乗るか」
あれから何時間か経ち、夜を迎えた。
月明かりが空を照らしていて星が瞬く。ふわりと包み込むように夜風が凪ぐのを感じながら私は何もしないでただ立ち尽くした。
何も考えずただただ風を浴びて空を見ているだけ。手元には残っている貴重な紅茶を淹れたカップがあり、ほんのりとした暖かさを指先に受ける。包囲された後で最後まで保管庫に残されていた紅茶。命を懸けてブルガンツを救いに敵陣に乗り込む私の為にグライフが出してくれた。
本当なら味や香りを心行くまで楽しみたかった。人生最後になるかもしれないと言うのに思ったよりも感想が出てこない。余裕がないのかもしれない。
「それもそうよね」
独り言が零れる。この国の未来の為に私は本当に命を差し出そうとしているのだ。戦いに行くわけではなく、人質として。いや生贄の方が近い。私とブルガンツの放棄を土産に停戦を承諾させようというのが私の策だ。不安に思う事は山ほどあるが今の最善はそれしかない。全て失うよりはずっと良いと思っている。
ポットに入っている紅茶を継ぎ足そうと傾けたが中身はもう殆ど入っていなかった。
「…これが最後かぁ」
策が成ったとしても、この先どうあがいてもまともな生活を送る事は出来ないだろうし、シリアンの為に生きる事も出来ない。この務めを全うして私という存在は消える。
これが本当に最後。父の様なシリアンの柱になるような偉大な人間になる事も、何かを成し遂げる事も出来ないままだった。そう思った瞬間涙腺がぶわっと熱くなった。
「私は。どこまでも愚かな娘だった……ごめんなさ…い」
手にしたコップに溢れた涙が頬を伝って次々に零れ落ちていく。何も成し遂げられなかったという大きな失意が私を支配して、自分がどんどん嫌いになっていく。
最後まで祖国の為に、とか言っておいてこの結末は誰が聴いても納得出来るものじゃないだろう。この選択だって結局逃げを打ったとも思っている。
でも分かって欲しい。ここから戦局を好転させる術が見つからなかったんだ。
城のバルコニーの隅に移り、腰を下ろす。外気を吸って冷ややかな石の感触をスカート越しに感じながら背中も壁に預けて縮こまり、私は嗚咽を隠すように顔を膝の間に埋めた。
“分カッテイルダロウ。貴様ノ目的為ノ為ニヤルベキは殲滅スルシカナイ”
人が傷心の時に語り掛けて来たオルヴァヌスの声は相変わらず低くおぞましい。しかし、どこかで私の気持ちを見透かしているみたいな不思議なものを感じさせる語り口だった。
“貴様ハ言ッタナ?仇ヲナスモノニ対シテ悪魔ニナルト”
こいつはまだ私に戦えというのか。決着がほぼ見えているこの戦闘で未だ抗う事をシリアンの為と嘯き、自身の力を溜め込もうとしている。
「“もうお終いよ。出来る事はやり尽くした…この先戦うなら多くの死ななくていい人間を殺すだけになる”」
“愚カナ小娘ニ教エテヤロウ。暴力ノ限リヲ尽クス敵ハソレヲ望ンデイルゾ…貴様ノ望ミハ、イヨイヨ達サレル事ハナイ。待ツノハコノ土地ニ居ル人間を皆殺シニスルノミ”
…オルヴァヌスのその言葉は今一番聞きたくなかった。
やっとの想いで全てに見切りを付けて断ち切って下した決断がその一言でぐらぐら揺さぶられる。この最後の決断だって私と土地を捧げる事で戦争を止める為に、と願って進める。相手がシリアンの土地や資源を狙って侵攻してきたのだから想定は出来る事だけれど、そこを突破するのが私の最後の仕事なのに。
「“ならば敵は滅ぼすのが上策、というのかしら”」
私の問い掛けに低い声でそうだ、と端的に答えが返って来る。
敢えて聞かなくてもオルヴァヌスの答えは分かっていたが、私はどうして…
彼の答えに反論する材料を探す為に私は頭を巡らせた。ぐちゃぐちゃの感情のまま働かせる脳が混乱してズキズキ痛むけどそのまま酷使して。
「“人間はあんたの様に単純じゃない。何も残らない様に破壊し尽くすだけが能じゃない!”」
“ナラバ貴様ノ行動ノ先ニ得タ未来ガ何ヲ残ス?コノ国ハ間違イナク滅ブ。ソレヲ望ムノカ”
「違う!私は…私、はっ……!」
オルヴァヌスが容赦なく心を揺さぶる。この決断は間違いで、それは祖国を滅ぼす選択だと言葉のナイフを突き刺してくる。
動揺して呼吸も乱れ、涙も止まらない。
どうして?戦争を終わらせてお互い生きていく為に戦禍を広げない様にしたいだけなのに。私は戦いなんてしたい訳じゃないのに…
“答エハスグニ分カル”
頭を抱える私にオルヴァヌスはそう言い残しそれから話しかけて来る様子はなかった。
2
ブルガンツと呼ばれるこの土地はかつてシーチェの一族、フェイエンベルク家が長年治めていた。
帝国とカイと繋ぐ道の要所に築かれた城は、やがて公国の発展と共に国の守りを司る正位軍師の一族の物になった。
これまでの歴史の中で起こった幾つもの戦乱。それでもシリアン公国が土地の多くを荒らされる事なく凌いできたのはこの城が強大な盾となっていた事は明白だった。
しかし、そんなブルガンツは二度侵攻を受けている。今回と以前はシーチェが領主だった時期。長期留守にしていた隙を衝かれ、帝国軍の略奪に遭ってしまった。あの時はシーチェと敵将の一騎討ちで撃退する事がで来たが、今回はそうはいかない。
「すまないシーチェ…」
リクは項垂れていた。自分の選択が結果として何も救う事がなかった、足を引っ張っただけだ。戦争が始まる前…内戦の時から思えばそんな事ばかりだった。
反対意見の多い選択も、無茶な選択も押し通してきて最終的にはシーチェが敷いたレールを歩んできた。成し遂げたいこと全てレールを引いてもらい、その上を進んで来た。
思い返せば俺は何かを自分の力で成し遂げられた事があるだろうか?
廊下をゆっくりと進み目指すのはシーチェの所だ。謝罪、感謝、昔話に何気ない話…話たい事は山ほどある。
だが、今日が終われば話す機会は二度と無くなる。
全て俺の所為でだ。リクは後悔した。謝っても謝り切れる話ではない。再会したあの日からゆっくり話す時間も取れないままこの日を迎えてしまったのも悔やまれるし、しっかりとコミュニケーションを取らなかった自分を恨ましく思う。
正しいと思ってきた事がそうではなかった。自分の行動はこの国の為になると信じてきたが、それは周りがフォローしてくれたから上手くいっただけだったという事すら分かっていなかった。
過去の自分の行いに反省の念を抱きながら、角を曲がりバルコニーのある通路に差し掛かる。すると、バルコニーの扉の前で人だかりが出来ていた。
「何の騒ぎだ?」
通りがかった何人かの兵士がその場で立ち尽くし、そっと外を窺っている様子だ。
「陛下…」
その場に居た兵士がリクに敬礼をする。兜を外した彼らの表情は暗く、不安に満ちている。その表情の理由が戦況の悪化であるなら皆が知っている事だとして、そんな扉の外を窺って不安げになるような状況があるだろうか?と他の理由を勘繰った。
「どうした」
「いえ、実は外にシーチェ様がいらっしゃるのですがどうやらかなり思い詰められているご様子でして…」
「…どいてくれ。皆は仕事に戻るんだ」
暗い表情の理由はこれか。なにはともあれ、目的の人物はここに居る。
ドアノブを回そうとしてふと思い出す。“貴方はデリカシーが欠けているわ”とよく言われていた事。デリカシーという言葉の意味する事が言葉では説明できないが、どういうものかやっと理解出来た気がした。
一回手を離し軽くノックをしてから問い掛ける。
「シーチェ、俺だ…少し話せるだろうか?」
「……」
戻るのは沈黙。やはり間が悪かっただろうか、と考えていると少しして向こうからドアが開かれた。
「待たせてごめん」
決して明るいとは言えない声色と表情のシーチェが現れる。声こそいつもと変わらないが顔を見るといつもより目元が腫れぼったいし、充血しているようにも見える。彼女の後ろから夜風が入り込んで来る。
少し肌寒く感じたので寒くないか?訊ねると、シーチェは思ったより嬉しそうな顔を見せた。
「ちゃんと相手を思いやるのが出来る様になったのね?言い続けた甲斐があったわ」
悪戯っぽく笑うがどこか力の無い声。からかう時は大抵声のトーンが上がるシーチェだが、場の空気を何とかしようとする心遣いがひしひしと伝わる。
本人の心境は穏やかじゃないはずなのに。
「…話したい事、あるんでしょ?どうぞ。何もないけど」
リクが返事をしないうちにシーチェは彼をバルコニーに招き入れ、少し遅れて入ったリクはシーチェの隣に並んだ。
並んだまま時間が過ぎていく。色々話したい事は山ほどあるのに何から話せばいいか纏まらない。
これで最後の別れになる、脳が理解しているが心はそれを拒絶している。話したことを全部言い終えたら彼女は消えてしまう、そんな風に感じられ言葉が出てこないのもあった。
「そんな悲しい顔しないで?この国を守る為に行くんだから。国王の貴方がそんなんじゃ私も不安になるでしょ」
「なぁ…シーチェは後悔していないか?」
「後悔ねぇ。山ほどあるわ~」
そう啖呵を切るとシーチェは抱え込んでいた後悔の念を次々に吐き出し始めた。
もっと自分の時間を取っておくべきだったこと。
女性らしさを磨いて良き伴侶を得たかったこと。
悪魔なんて渾名じゃなくてもっと可愛らしい渾名を得られるように努めるべきだったこと。
思いを全て吐き出そうとするみたいに、シーチェは珍しく喋り続ける。シーチェが喋る間リクはずっと彼女の話を聴く側に徹し、それは一般に会話とは呼べないかも知れないがどうでもよかった。
「…ちゃんと聞いてる?」
少し間が空いたかと思うと声の出どころが少し下がり、見るとリクよりも身長の低いシーチェが上目遣いでリクを見ていた。唇をムッとして目にも力が入っている。
不意に投げて来る確認にドキリとしつつもしっかり返答すた事でシーチェの疑念が怒りに変わる事はなかった。その出来事で間を置いたシーチェは落ち着いたようで、バルコニーの縁側に身を預けて穏やかに話を続けた。
「まぁだからさ。後悔なんて腐るほどあるんだけど、別に気にもしてないのよねー。陛下相手に愚痴ってゴメンね?」
「付き合いの長いあんただから俺も気にしてはいないが…思い返すとこうして時間を取って話すのはいつぶりかな」
「ゲランを暗殺するのに公都に戻ってからずっーと戦ってるもんね。あの時はお互い信用してなかったのに」
「そんな事もあったな」
シーチェの言葉にリクは軽く笑みが零れそれを見てシーチェも少し笑った。
ずっと昔の話をしている感覚になるがあれからまだ一年も経ってない事に気付く。物心が付いてこれから一緒に色々取り組んでいこうとする中で、ゲランの謀略に巻き込まれて時間がすっぽり抜け落ちているがそれでも幼少からの付き合いだ。
そう。気が付けば隣にはシーチェはずっと傍に居たのだ。どんな時も支えてくれて、守ってくれていた。嫌な顔一つせず、どこにでも付き合ってくれたしある程度大きくなってからは鍛錬も一緒にした。
共に過ごした時間の方が遥かに長い。それなのに父が殺された時、彼女を信じる事が出来なかった。そこから全ての運命は決まっていたのかもしれない。
「これから、だったのにね」
シーチェが顔を落として呟く。これから、という未来を感じる言葉の筈なのに、それが失われた事実を受けて酷く暗い声色で表現される。彼女自身がこの先の事を諦めていると分かるのには十分だった。
本当に、このまま終わらせてしまっていいのだろうか。リクは静かに葛藤する。良い筈がない。答えは出ているが、過程を導き出す事が出来ない。
「訊いてもいいかしら?」
リクは肯定で答える。するとこれまでと変わって真剣な口調でシーチェはリクに問い掛ける。
「こちらが平和を望んでいても、相手が仮に私達の滅亡や隷属を願っているとしたら…それを受け入れても世界の平和は守られるべきだと思う?」
すぐに返事が出来る内容ではない、と察してリクは時間を使って思考した。
国王としての立場、個人的な考え。様々な目線から問題を見つめていると不意にその言葉が言葉通りの意味ではないのではないか、と思った。
まさか…と思いシーチェを窺うが下を向いたまま表情は見せてくれない。だからなのか、リクはシーチェの顔色を窺う事をせず思いのまま答えた。
「それは違うな。片方が不利益を被ったり虐げられて生きていく世界では再び同じ事が起こる。力あるものこそが正しき世に導いていくべきだと俺は思う」
「…どんなに茨の道を進む事になったとしても?貴方はその理想を追い求め、実現出来るかしら?」
「進まなければ光は見えない。違うか?」
リクの答えにシーチェはふっと笑うと、満足気に顔を上げ安心した表情で言う。
「ありがとう」
その笑顔が何を意味しているのか、リクは直感的に理解した。