ファイアーエムブレム 双極の盾   作:マフィン野郎

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 要衝ブルガンツでの戦闘を止めて、土地と自らを差し出し停戦交渉に赴く軍師シーチェ。
 全ては包囲下で苦しむ民や、国王であるリクを救う為。これまでの全てを失っても未来に希望を繋ごうと足掻くシーチェを仲間達は歯がゆさを感じながら見送る。
 そして交渉の為に敵地に入ったシーチェだったが…


第四十二話 晴れぬ霧

 

 1

 

 停戦交渉に赴くと決まりそれから三日が経った。戦闘を継続し何とか門を死守し続けたシリアン軍だったが、民を別の場所に逃がす為と称して帝国軍に対して停戦交渉を持ち掛けるという方針とその細部が決定されその日の夜の内に行動を起こす。使者が帝国軍に送られ、公国軍はすぐに停戦に向けた支度を行い返事が届いた翌日にはその準備が完了していた。

 大勢の兵士が整列している中を歩き、誂えたドレスを身に纏い、帝国の()()を待つ。

 武器を持たないまま敵地に行く事は何度かあったが、今回ほどの重責はなかった。まぁこの国が滅ぶか滅ばないかの瀬戸際にいる時に行く交渉などそう何度もあって堪るかというのもあるけれど。緊張と恐怖で体が強張るのを落ち着いた所作で誤魔化しながら門の近くまで来た時、そこにはベネット傭兵団の面々が並んでいた。

「よう。調子はどうだ」

 ベネットがいつもより少し低い声で声を掛けて来る。煙草を咥えたまま、いつもと変わらない雰囲気ではあるが私を気に掛けてくれているのが伝わった。

「絶好調よ?」

 気遣いが分かったから私もいつもと同じように答えようとするが、どうしても言葉が引っ掛かって出てこない。

「…とは言えないね」

 肩を竦めて付け加える。それぞれが自分達の置かれている状況を理解しているからこそ私へ掛ける言葉が見つからない、と言った感じだ。

「シーチェ。このまま終ったりしねぇよな?」

「さぁね。この戦いには完敗だったもの。勝利を掴めなかった愚かな軍師が責任を取りに行くだけよ」

 何がこの結末を迎える原因だったのかは分からない。事前に根回しをしておいた策が失敗した辺りからだったのだろうか。と今更考えても仕方のない事だと分かりつつ考えてしまう。

 それももうどうする事も出来ない。私は賭けに負けた。

「後を頼むわよベネット」

「傭兵にそこまで期待すんのか?」  

「一人ひとりが折れなければまだまだこの国は戦えるわ。陛下を守って」  

 そう言って私はベネット達傭兵達やハボック、ラスティー、アイゼンに目を向ける。特に参加してから話す機会も多かったハボック達は目尻に光るものを浮かべていた。

「貴方達もよくここまで付いて来てくれたね」

「…これで最期なんですか?こんなのって…」 

「残念だけど戦いに負けるっていうのはこういう事なの。だからやると決めたら絶対に負けちゃいけない。私が行って話が出来るくらいならまだマシ」  

 私の言葉を聴いてハボック達は続ける言葉を失う。本来ならそれでは済まないかも知れない局面だという事までは分かってなかったのかも知れない。

「何か出来る事はないんですか?!前みたいに…!」  

 前みたいなとハボックが言っているのは内戦のグラーヴァ城塞の時の事だろう。あの時は彼らの勇気に命を救われたし、言いたい事は分からなくないがあの時と状況が違う。

「奇跡を起こしてくれた君達には感謝しているけれど、奇跡が何度も起きる訳ないのよ」

 そう言って笑って見せたが、その乾いた笑いには何の効果もなかった。暗い表情で視線を落とす彼らの頭に手を乗せて語り掛ける言葉を探した。

 気の利いた言葉の一つでも出てくれば良いのに、こんな時に限って全然出てこなくて。

「死にたがる必要はないわ。いずれ死ぬんだから。大切なのは自分の持っている何かを誰かに受け継ぐこと。それを見つけるまでは生きなさいよ」

 私は彼らにそう残して歩みを進める。こうして言葉を交わしていく度に胸の内の心残りが大きくなるのを感じる。

 やっぱり怖い、この門を超えたくないと叫ぶ心に蓋をしていよいよ門の前まで来てしまった。   

 ふと手を見るとガタガタと震えている。力は全く入っていないのに震える手を私はそっと自分の手で覆い隠す。

 そして門が開き始める。

「さよなら…皆」

 

 2

 

 帝国領ノヴィツ 軍施設

 

「将軍失礼します。公国軍正位軍師シーチェ・フェイエンベルクが到着しました」

「お…じゃあ行くとしますか。不在でありながらここまでブルガンツや戦線を纏めてきた名軍師の顔を拝みに」

 クォンテは部下の報告に表情を明るくした。

 何を隠そう、どうやってかの地を陥落させようかと頭を捻っていた所でこの申し出だ。このまま時間が掛かっていたら本当に首が飛ぶ所だったし、皇帝の妹オレーヌの機転が無ければ公国軍の別動隊に兵糧庫を焼かれている所だった。ここまで全くいい所がなかったが、降伏に追いこめたのは大きい。失点は少なくなったはずだ。

 自身の部屋を出てシーチェの所に向かっている間に兵士に問い掛ける。

「シーチェはどんな様子か、見えたか?」

「はっ。全く表情を動かさず一言も発しません」

「噂とは全く違う雰囲気だねぇ。戦場では〈黒鬼〉ゲクランや王宮騎士団長のグライフにも引けを取らない猛将で通っているからこそ、ここでの冷静さか」

「もしくはいよいよ最後を感じ取って恐怖しているかも知れません」

「…そんな人間らしい奴なのかねぇ」  

 噂を聞く限りでは戦闘狂で軍師でありながら積極的に前に出る。敵に対して一切の容赦がない事から付けられた“悪魔”という二つ名。それだけを慮ればとても恐怖で固まる様には思えなかった。

 廊下を進み、シーチェが通された部屋の前まで来ると同じタイミングで兵士と付き人を連れたオレーヌと会った。

 彼女は心なしかいつもよりも険しい表情を浮かべていた。

「クォンテ。良い所に」

「どうされましたか殿下」

「兵には伏せておいて下さい。実は…」

 そう近くで耳打ちを始めたオレーヌの言葉に反応して手で人払いをすると、二人になったわずか空間を確認してから続きを促す。

「彼女は竜に化身できるという情報があります。コルテス平原で劣勢を一気に打開し、やクロガネ城でジュギウの部隊を撤退させたのは彼女だと」

「なんと。カイで女の竜の一族(マムクート)が出たというのは聞いていましたが…事実なんですか?」

「実際に化身の瞬間を見た兵士は我が軍にはジュギウの部隊だけですが、尽く討ち取られていて真実は掴みかねています。念の為、警戒を」

 シーチェが竜の一族(マムクート)だとしたら他にも同じような人間がいるかもしれない。それにジュギウの部隊を一人で半壊に追い込む存在がここに来たとなれば万が一の事も考えられる。

 以前公国軍が狙ってきた様に、ここにある兵糧を焼き払われれば帝国の南部戦線、こちらの方面は継戦不能になる。 

 クォンテはメモに幾つか指示を書き記して控えていた兵士に渡すと、オレーヌの前に立って部屋のドアノブに手を掛けた。

 扉を開けた先には数名の監視が立っており、その先には突然の扉の音にも落ち着いた素振りで振り向く茶色の髪の女性。

「お会いできて光栄です。クォンテ殿、オレーヌ殿下。シーチェ・フェイエンベルクです。お見知り置きを」

 窓の傍で外を見ていた人物こそシリアン軍の悪魔。今見えているその佇まいからはとても猛将には見えない。この人物がこれまで数多の戦いを勝利に導いてきた歴戦の将であり、ここまで帝国軍を手こずらせ続けた存在。見た目こそ若い高貴な娘にしか見えないがその眼は冷たく、少しも隙を見せない。

「遠路はるばるようこそ帝国へ。私がオレーヌ・クレマンドロス・エル・ヴィツワ。ヴィツワ帝国の第四皇女です」

「クォンテ・アンバーレイン。帝国将だ。包囲され、劣勢の中でもここまで持ちこたえた貴女の軍略とシリアン軍の強さに敬意を払おう」

 お互いに自己紹介を交わした所で各々が着席する。ここまでの僅かな時間でも空間がビリビリとしているのをクォンテは感じ取っていた。監視の兵も表情こそ崩れていないが緊張した面持ちなのが見て取れる。

(淑女が二人…のハズなんだけど。国を背負うからこそのこの雰囲気か)

 シーチェと対等に見えるのはここではオレーヌだけだった。大軍を率いるクォンテでさえ少し格下に見える程の存在感が室内でぶつかり合う。

 敗軍にならないよう話に来たシリアンの将と皇帝の野望実現の為に采配を振るう皇女。どちらも抱えているものは外の人間には見えない程大きい。

「…早速本題に入りましょうか」

「まぁ。そんなに急ぐ事がありまして?私のとっておきの紅茶を用意しているのでまずはご賞味なさってくださいな」

 さっさと本題に入ろうとするシーチェを微笑みながら躱し、柔らかい口調で自分のペースに引き込むオレーヌ。しかしシーチェも負けてはいない。

「心遣い感謝します殿下。しかし私がそれにおいそれと口を付けられると思いますか?」

「毒など気にされる必要ありません。私がこの場で淹れますから」

 そうシーチェを制したオレーヌは徐に立ち上がり、ワゴンに用意されていた茶器で支度を始める。慣れた手つきで茶を淹れる彼女に怪しい様子はないが敵地に単身乗り込んでいるシーチェからしたら油断は出来ない。

 交渉に来ている以上警護の兵にいきなり斬り付けられる心配はないだろう。しかし、毒の類で動きを封じられれば何も出来ないまま全てが終わってしまう。

 カップから跳ねさせない様に茶を淹れたオレーヌが運んできた茶器をシーチェとクォンテに差し出し、最後に自分の分を運び席に着く。

「貴女の好きな茶葉までは分かりませんでしたの。私の好みの茶葉(アールグレイ)でお許しください」  

 カップから漂い、鼻を衝くのは柑橘系の香り。知っているその匂いに色味もまさにアールグレイの紅茶そのもので温かみと匂い以外の何かは感じない。オレーヌとクォンテが口に運ぶのを見てシーチェも漸く茶器を手にし、口に運ぶ。

 良く知る味わいの赤褐色の液体を喉に流し違和感がない事に静かに安堵した。それを感じたのかクォンテが大仰に手を広げながら言う。

「安心しなシーチェ殿。ここでキミを殺す計画はない。勿論キミ次第、と前置くが」

「今の私に何か出来るとでも?得物も全て置いて来て丸腰ですし」

「それもそうだ。それにキミは公国屈指の弓の使い手と聞いている。ボクも弓は得意なつもりでね。やりあうなら広い所が良いだろう?」

 試す様な薄ら笑いを浮かべたクォンテ。

「貴方程の腕前の方と競い合うのは確かに心が躍ります。だが、それは叶いそうもないですね?私はここで死ぬつもりで来ていますから」

「死ぬかどうかなんてボク達が自分で決められる事の方が少ない。特に軍人は。違うかな?」

 それを聴いてシーチェは小さく笑った。そうだ。殆どの人が自分の死に場所を選べないのに、それを自分で選べるのは軍人としては幸運なのかもしれない。

「だからこそ気になるんだ。一度は裏切られた主君の為に再び舞い戻り、命を懸けてここまで公国を生き永らえさせた。そして命を差し出してまで守ろうとするのは何故だい?裏切られたのに」

 改めて訊かれると不思議な事かも知れない。忠義に篤い軍人や文官の存在は古今東西存在しているが、裏切られた後に戻ってまた尽くす人物というのは聞いた事がなかった。

 考えてみると何故だったんだろうか。あの時は成り行きだったし、ゲランを討つという目的もあったから可能性がある方法を選んだだけだった気もする。

 それがいつしかまた正位軍師としての職を拝命し、国王を支える役目を背負っていた。支えたくて戻った訳ではなかったけれど、日々を過ごすうちに体に染みついた行動に従っていた。実際気持ちの整理がつかなくてリクを殺そうとしたこともあった。

 ただ自分の命が自分の物でなくなった()()()から許すとか許さないとか、そんなもので動いていなかった気がする。少し考えてから曖昧に答える。

「さぁ…気が付けばそうなっていただけ。自分の気持ちを考える時間なんて、ずっとなかったですから」  

「根っからの忠臣だな。キミも」  

「クォンテ。初対面の客人に失礼です。さて…では本題に入りましょう。ブルガンツの放棄と貴女を引き換えに中に居る全シリアン人の解放、でしたね」

 茶器を置いて話が始まった瞬間に部屋の空気が変わる。オレーヌの柔和な表情は一気に引き締まり、シーチェも目元に力が籠る。

「圧倒的優勢な中で会談を受けて頂く以上、これくらいの手土産は必要でしょう」

「正位軍師であるシーチェ様が自らを差し出す程、状況は切迫している…国王と貴女が守る街を降伏に追い込んだ事は我が軍には十分戦果となり、我が王もその条件について異論はないと申しております。が…」

 オレーヌが少し間を置く。その表情を見ていたシーチェは思考を読み取ろうと見つめる。

 疑いが晴れない、事実かどうか分からない。そんな事があるのか?という困惑に近い感情が見えて一つ、と口にした。

「…貴女が竜を体に宿していることについて隠さずに教えてください」   

 やはりそれが来たか、と思いシーチェは紅茶に一口付けると茶器を置いて口を開いた。

「分かっている事は殆どありませんよ。それが何なのか、どんな存在なのか。分かっているのはこの力はとても強大で私は辛うじてそれを使う事が出来る。それだけです」

 シーチェにとっても知っている情報は多くない。ある日誰かにその力を渡され、力に目覚めた感じになってそれが世界を滅ぼそうとしたと言われる黒竜だっただけだ。

 全てと言われてもそれをここで言える物ではない。自分でも説明が出来ないのだから言いようもなかった。

「キミはカイを始めコルテスでもその力を使っているね。途轍もなく巨大な竜で部隊を瞬く間に消し炭にしたと聞いているけど?」

「はい」

「それは自分の意思で制御しているのかい?」

「一応、と言っておきます。自分でも原理が分からないので」

 クォンテの問いにシーチェは言葉を選びながらも淡々と答える。余計な事を言って深堀りされるのは本意ではなかったからだ。だが、クォンテに続いて今度はオレーヌが問い掛ける。

「その力の事ですがこちらでも調べさせて頂きました。古に人類を滅ぼそうとした黒竜オルヴァヌス。貴女の身体に宿っている竜の正体…覚えはありますか?」

「シューレ教が世界に教えている歴史ですね。その力の事も勿論心得ています」

 カイで帝国軍相手にこの力を使った事でその正体はもう敵には知られている。しかしその脅威は恐らく自国軍に対する戦力としてとしか認識されていないだろう。世界を滅ぼし掛けたのはオルヴァヌスで、()()は間違いなく事実だった。

 それを繰り返す訳にいかない。何があったとしても、誰かの私欲の為に世界を焼くなどという事は。

「だからこそ、限られた命と残された時間を懸けて私はここに来たのです」

 シーチェは真っ直ぐオレーヌを見つめ、オレーヌはそこで彼女の意図を察した。

(劣勢の中、停戦の交渉に来た身でありながら黒竜の問題を解決する手立てを探すことに協力して欲しい、と。なんと豪胆なのでしょうか)

 答えが出てくるまでの沈黙の間もシーチェは真っ直ぐオレーヌを見つめ続けた。

 どんな話が出て来るかは分からないが、彼女がこの問題を決着させるのに必要不可欠な人物なのは間違いない。本当に世界を巻き込む程の問題だとしたら戦争をしている場合でもなくなる。

 少なくともシーチェの話を聴かない事には始まらない。

「…お話だけは伺います」

「感謝します」 

 オレーヌの返答に一度頭を下げてからシーチェは自分が黒竜を宿す事になった経緯を話し始めた。

 河原で突然現れた何者かに力を与えると言って突然渡され、浮かび上がった紋章の様な右手の痣。それはやがて腕全体に広がり、今では呪詛の様に禍々しい存在感を放つそれをシーチェは露にさせた。

「こいつは…」

 眼を見開き、言葉を失うクォンテとオレーヌ。これまで見た事のない模様と筋が腕中にびっしり浮かび上がっているか細い腕は、人間の腕とは思えないほどの姿だった。

「その紋章の様な痣、というのは?」

「手の甲に」   

 シーチェは広がっている痣の中心にある紋章を見せる。紋章と言われたその模様をまじまじと観察したオレーヌは密かに記憶すると同時に記憶を探した。

 黒竜と繋がる紋章の話。遥か昔にあったとされる竜と人間の戦いの物語とは別の昔話を聞いた事があったはずだが。後程調べさせると思い話を続ける。

「それが本当であれば貴女はとても危険な存在という事になりますね?我が国に対してもその力を行使した以上、次がないとは言えない」

「普通であればそうなります。ですから私は自らこの身を差し出しているんです。この力を行使すれば焼き払う事も出来ますが、私はそうしたくない。我が陛下とも話して決めた話です」

「それは脅しですか?私の要求が呑まれなければ帝国などいつでも焼き払う事が出来ると仰るのですか?」

 少し声色が強張ったオレーヌにシーチェは冷静に返答する。

「私が自分の意思で黒竜を制御できるうちに解決する術を得たいだけです。世界を滅ぼす事になんて興味ありませんから」 

「それを証明する手段は?信じろ、というには無理がある話なのは分かるだろう?」   

「私とて武人の端くれです。私を追いこんだ貴方程の将が武器も持たず敵陣に来て、命と引き換えに民を守ろうとする人を信じる事が出来ない。と?」

 強い口調で言い切るシーチェの迫力にクォンテは返す言葉を失う。民の為を想う気持ちは痛いほど良く分かる話だ。

 だがそれだけでは決断するには足りない、とクォンテ達は考えていた。

「シーチェ殿。キミのその力が帝国の国内で使われ、民が被害に遭う事だけは何としても避けないといけないんだよ。意図的に使うにしろ、暴走するにしろだ」

「そのお気持ちも重々承知しております。ですが、これ以上私にもこの件で何かを証明する手立てがないのです」

 議論が平行線を辿る。想像はしていたがやはり足を引っ張るのはこの力だった。相手にしてみたら当然の反応だが、策を用意する時間も情報も得られずに来た私の失敗だとシーチェは落胆した。

 その時、沈黙が流れる部屋に慌ただしい足音と共に誰かが来て部屋のドアがノックした。慌てているのかその音は少し乱暴なくらい大きい。

「会談中申し訳ありません!急報です!」

 非礼を承知でも要件を告げた兵士はオレーヌとクォンテの傍に身を寄せると、小さな声で何かを耳打ちした。

 報せを聴いて驚く二人の表情。意識を部屋の外に向けると、足音や声のやり取りが飛び交っているのを聞くに戦闘準備が始まっていると予想した。

(まさか公国軍(ブレグ達)が独断で来た訳じゃないでしょうね…)

 兵士が部屋を飛び出すように出ていく。その背を見送る前にオレーヌが声を発した。

「何者かが攻め寄せて来たようです。()()()()()()()…の存在を貴女は知っていますか?見るに堪えないおぞましい姿をしているもの」

 シーチェはオレーヌの言葉を肯定した。人ではないおぞましい姿をした何か。人間を攻撃するその存在は一つだ。

「ええ。何度か相手にしたことがありますから」

 コルテス平原、公都それにカガミ山脈。どちらも異形と呼ばれる存在が突然現れた。まるで誰かが操っているみたいに。出現する度に私は黒竜に化身せざるを得ない状況に追い込まれたが、今回はそういう訳にはいかない。

(敵地で手の内を見せる訳にはいかないけど、さすがに状況次第では手伝わないといけないか…?)

「続きは後程。私達は敵の対処に参ります。暫くこちらでお待ちを」

 オレーヌとクォンテは兵に連れられて部屋を出ていく。残されたシーチェはガラス張りの部屋から外をぼんやりと眺めながら冷め切った紅茶を口に運びながら、大人しく彼女達の帰りを待つ事にしたのだった。

 

 3

 

「マルラン様。遂に隙を見せました。丸腰で少数の護衛が部屋にいるのみです」 

「いよいよですねぇ…これまで何度も防がれて来ましたが今日、必ず奴を捕らえますよー」

 何者かが会話をしながら廊下を進んでいく。目的地は応接室。先ほどまでシーチェとオレーヌが会談していた部屋だ。

 手入れのされた長い髪を一つに結ったマルランという人物が数人の武装した部隊の先頭を進んでいく。城内が突然の敵の襲撃で混乱している隙をついて行動を起こした。

 目的はここに交渉に来ているシリアンの軍師シーチェ・フェイエンベルクであり、彼女の身柄を押さえて自分の管轄する教会に連れ帰ること。

 帝国軍をはじめとする様々な組織の中で()()()()()()()()()()()()()する為に、ここまで沢山の投資をしてきた。彼女(シーチェ)ここに来るという情報を掴んでからすぐに引き渡しを訴えたが、それは叶わなかった。戦争が始まる前からだが、各国に対する教団の工作活動が効果的に働いていない。肝心な所で協力が得られずこういう時に障害がいくつも発生する。もうそろそろ教会の権威も限界が近いとでも言うのだろうか?

 司教会に連なるマルランには少なくとも代替わりした大司教からは権力の維持には執着していない様に見えていた。 

「大司教は一体何をお考えなのか…意図が分かりませんねー。この状況を許しておくのは教団の権威の低下を起こすというのに」

 黒竜の力を宿している人間なんて出現したら、教会が伝えている歴史と矛盾が生じる。倒したはずの黒竜がある日突然現れたと知れれば民は混乱するし、実際各国の王族からはコルテス平原で発生したこの件で説明を求められている。

 だが、そんな中起きているヴァルドラ大陸での戦争に転機が訪れた。

「シーチェがここに居るという事は、戦争はもう終わるという事でしょうか?」

 停戦交渉の為にシーチェが単身でここに来る。という話が伝わり潜伏していたのだ。教会の憂いを取り除く大きな好機だった。

「私は戦争の事は知りませんよ。何らかの交渉をしに来たのは間違いないでしょうけど我々には関係ないですね」

「戦争なんて愚かな行為をいつまで続けるのでしょうか。我々の理想の下で一つになれば争いなど…」

 兵士の言葉を聴いてマルランは内心バカな事を、と思ったが口には出さない。

 女神の下に纏まる世界など人間である以上あり得ない。だから歴史は作られた。甘い理想を人々に訴える裏で世界を統べるという愚かな夢を描いた者達が作ったおとぎ話と共に。

「誰かが声高に騙る慈悲や理想が、本当に純粋なものの筈がない」

 聞こえないくらいの声でマルランは呟く。誰に向けた訳でもない言葉は空へ溶けていく。それと同時に目的の応接室に辿り着き、兵士が部屋の扉を開け放つ。

 部屋の中の人物が一斉に扉の方を向き、警護で配置されていた帝国兵の一番近い者が声を上げて剣に手を掛けた。

「何者だ?!」

「我々はそちらの客人を安全な場所へ連れて行く命を受けている。残念だがそれ以上話せる事はない」

「ふざけるな。ここより安全な場所だと?所属と名を名乗れ」

 こちらの存在を警戒した帝国兵が剣や斧などの得物を手に立ちはだかる。兵士達と押し問答する時間はなかった為、マルランは押し切る事にして得物である倭刀の柄に手を掛けた。

「退いてくれないとこうしますよー」    

 そう言うと自分の前に居た兵士を躊躇なく斬り捨てる。力なく事切れた兵士を見た仲間は敵と判断して襲い掛かって来るが、彼らを簡単に屠ったマルラン達は護衛の居なくなったシーチェに歩みより声を掛けた。

「客人を安全な場所へ…なんてコソ泥が良く使いそうな手ね。司祭マルラン」

「女神の教えを説く司祭への冒涜はこの大陸では重罪。ご存じないんですかー」

「そんなもの興味ないわ」

 視線を合わせる事もなく、窓の外を眺めて気だるそうに答えるシーチェ。彼の名は良くも悪くも大陸中に響いている。特に裏の世界を経験している者は必ず聞く名前だ。

 そんな悪名高いマルランと静かに言葉でやり合うが、頭の中ではどうやってこの状況を切り抜けるかを思考している。この人数相手に得物もなく立ち回っても倒されてしまうだろう。護衛に立っていた帝国兵もそれなりに手練れの雰囲気だったが、あっという間に手に掛かった。

「ふ、しかしようやく貴女を捕まえる事が出来ましたよ。〈盾を宿すもの〉」

「黙って捕まると思っていて?その気になればこの土地ごと焼き払ってもいいのに?」

 脅しのつもりでシーチェは言ったがマルランは鼻で笑って一蹴した。

「それでは両国の停戦は成りませんねー。貴女が命と引き換えに得ようとしたものは全て失われる。それでも良いと?」

「所詮人間なんて血塗られた存在。戦いや暴力を私達から奪う事は出来ない。皆が持っている牙を見せようとして、誰かが糸を引くのよ」    

 そう言うとシーチェは徐に立ち上がる。

 ここで、あの話をするべきだろうか。竜の一族(マムクート)の長ハイゼルが教えてくれた竜と人間の昔話を…と考え始めてすぐにそれを捨て去った。

(まだ早すぎる。それにこいつの目的が分からない…)

「準備は出来ましたかー?シーチェ・フェイエンベルク」

 一刻も早くここを離れたいマルランの表情に俄かに怒りの表情が見える。どうやら今は従わないという選択肢は無さそうだ。観念してシーチェは小さく頷いたのだった。

 

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