単身でノヴィツの帝国軍施設に交渉に赴いたシーチェだったが、異形の襲撃によって交渉は途中で中断されてしまう。その隙をついたシューレ教司祭のマルランによって身柄を押さえられたシーチェだったが、状況は更に変化する。
自分の手の届かない所で目まぐるしく動く状況にシーチェはフラストレーションを溜めながらも、目的を達成しようと努めるのだった。
↓筆者より↓
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1
シューレ教司教会の一人、帝国方面の教会を束ねる司祭マルラン。裏に繋がった事のある人間で、その名を聴いた事のない人物は恐らく存在しない。
それくらい悪名高い人物が目の前で剣を弄んでいる。私を捕らえる事を目的にしていたと言っていた彼は、その目的が達成されようとしている事に喜びを隠しきれないようだった。
「準備は出来ましたかー?シーチェ・フェイエンベルク」
今の所付いていくしか選択肢はないが、小さく頷いて見せようとして思い留まる。すんなりと従うのは気が乗らない。
「黙って付いていくと思って?」
「私は無駄な事が好きじゃないんですよー。スマートじゃないから」
薄ら笑いをするマルラン。彼が教団でどんな仕事ぶりを評価されているのかは知らないが、どこがスマートなのだろうか。あちこちで手を出しては方々を引っ搔き回していく行いのどこが。
「私は意外に寄り道とか好きなのよね。その先々で色々見れるもの。知らない事を知れるわ」
返答が皮肉な事に気が付いたのかマルランの表情が僅かに変わる。
「…手枷を。連れて行きますよー」
それ以上のやり取りには応じて貰えず、部下によって手枷を嵌められた私はそのまま男に促されるまま足を運ぶ。扉を出て廊下に出ると喧騒がさっきよりも激しく聞こえた。
異形はどこから来ているのだろうか。そのまま兵糧を焼いてくれたら助かるのに。しかしタイミングが良すぎる異形の襲来。狙って引き起こされたのか偶然そうなったのかは分からないけれど。こんな時に動くなんて。
私をこのまま拘束出来なければあらゆる意味で教団には大きなダメージになるというのに、よくも思い切ったものだ。この代の大司教は問題が多すぎて頭を抱えているに違いない。自分達の勢力維持にここまで混乱を起こさなければならないなんて。
「おら。早く歩け」
後ろから押されながら、角を曲がって上の階へと続く階段を上る。途中何人か帝国兵を見掛けたが皆異形への対処で手一杯になり、私が拉致されているなんて事態には全く気が付いていなかった。
声を上げた所で敵地に残るだけなので、私は黙って彼らに続いた。
上階のバルコニーに着くとそこには一騎の竜騎士が待っていた。鎧は帝国の物を纏っていて面甲を下しているので顔は見えないがこの騎士も教団の者なのだろうか。
「女神」
「加護」
兵士と竜騎士の間で短いやり取りがなされ、何かが確認されると私は竜騎士へと引き渡された。
ぐい、と手枷を掴まれて引き寄せられる。関節に負荷がかかって痛みを感じた。
「痛いんだけど?!」
「…黙っていろ」
声を間近で聞いた瞬間違和感を覚える。敵である筈の人間なのに、懐かしい感じ。聞き覚えのある声。
どこで聞いたか…
手枷を付けられて騎乗でバランスを取れない私は竜に乗せられ、竜騎士は私の後ろに跨り移動を促す。力強い羽ばたきを何度かすると空へ舞い上がり、バルコニーから飛び出して空を翔ける。
どこへ連れていかれるのか。空に上がってしまったらもうこいつから竜を奪う他に脱出する機会はない。教団が私を捕らえたら厳重に拘束し、警備を配するはずだ。
「漸く空へ上がった…」
騎士はほっとしたような独り言を呟いた。声が大きいだけなのか、わざと聞かせたのか分からない、独り言にしてははっきりとした言葉。それを乗せてきた声にやはり違和感を拭いきれない。
「貴方、どこかで聞いた事ある声をしてるのよね。私と会った事あるかしら」
「会った事あるか?」
随分なれなれしい口調でとそう言うと騎士は面甲を上げた。
「なんだ、忙し過ぎて記憶も飛んじまったのか」
「…!」
また随分と懐かしい顔がそこにあった。公国を脱出する前、侯爵時代に家に尽くしてきてくれた〈密偵〉のレームだった。トレードマークとも言える鋭い目つきは変わらず、しかしこうして時折見せる軽口と笑顔のギャップがある人物だ。
「どうして私を?どうやって情報を?」
「あんたのボスの依頼だ。ずっと帝国に潜入していたんだが、“何かが起きたら助けてくれ”と頼まれてな。事情を聴いて準備していた」
「そう。リクが…」
随分と機転が利くようになったものだ。何かあった時の為、特にこうした異常事態への対処も打てるようになっているなんて素直に感心する。
ただ、問題は何も解決していない。それよりもっと難しい事態になった。
交渉が決裂したとは言い難いが、実際教団の襲撃で状況は混乱した。どうにかしてこの状況が私が仕組んだ事ではないと帝国に知らしめなければ。そうしないと全ての出来事がシリアンが仕組んだ事にされてしまい、私の計画は水泡に帰す。
状況の打開策を考える為、空からノヴィツを観察する。異形の群れは主に北と西から攻め寄せているようだ。
城のある中央の他に、城壁の外にも幾つか襲撃を受けている場所があった。馬車と逃げ惑う人々の姿…民だろうか?沢山の馬車が並び、どこかに何かを運び出しているがそのすぐ近くの門は閉められようとしている。
押し寄せる民の救出にまで手が回らず、城内を守る事を優先した帝国軍は城門のすぐ近くだけに展開して異形の群れと対峙していく。
「助けに行くとか言わねぇだろうな?シーチェが一人で行った所で出来る事は殆どねぇぞ」
「…」
「図星かい。今は諦めな」
レームに言われて上空から異形の群れと帝国軍が戦う様子を眺める間にも竜はノヴィツを離れて行く。
本当にこのままここを離れてしまっていいのだろうか。不安が胸を突き、心に絡みついたままだった。この事態が私の所為にされてしまうのはシリアンにとっても物凄くマイナスに作用するし、何よりこの異形の襲撃に教団が関与しているのならば、この事実を突き止めなければ。
「レーム。調べたい事があるの」
「あんたをフェイエンベルクに届けてからだ。あぁ…今はブルガンツだったか」
「ダメ。ここで手がかりを掴めないとずっと奴等の良い様に動かれてしまう。帝国と早期に停戦する為にも、必要な情報なの」
それを聴いたレームが一瞬言葉を止めて何かを考えたようだったが、それを遮るかのように強い口調で言い切る。
「…この状況では得られるもんはない。相手が明確なら追いようもあるがな…それにあんたのボスからの依頼だ。投げ出す訳にもいかん」
レームは契約の遂行に絶対の重きを置く密偵だから、依頼主でない私が何を言った所で譲る事はないだろう。それに私が必要な情報と言うものがどれだけのものかというのも彼は分かっていない。その全てを説明する余裕もない。
だとしても、私がこのままここを離れるのはどう考えても最悪だ。
「レーム。リクに伝えて」
「何を言い出すか知らんが自分で…」
「今は戻れない」
私は体を大きく倒して竜から身を投げる。自由の効かない体で地面に落ちながら、要領を覚えつつある黒竜への化身を始める。
右手の紋章から感じる拍動が大きくなって、体温が急激に上がっていく。そして目の前が黒い焔に包まれるのを感じた瞬間、目の前が真っ暗になった。
2.
シーチェ曰く“異形”と呼ばれる存在へ対応する為の指示をしていると、空で突然黒い光が瞬いた。闇魔法とは違って人の大きさを優に超えるその塊はやがて漆黒の焔を巻き起こし渦となって空へと伸びる。その光景を見れる者全てがそれに目を奪われた。それは意思を持たないと思われている異形ですらも同じで、目の前の人間よりもその方へと意識が向き、動きが止まった。
戦場全体の時間がその時は止まった。焔の正体が何なのか。それを知っている者はノヴィツには存在せず、目の前の出来事に目を釘付けにされる。
焔が空で膨らんでいき、やがて花が咲いた様に消えると中から現れた巨大な竜の姿。大地を薙ぎ払うかのような羽ばたきで風を起こしながら空に佇む
「まさか、あれが黒竜オルヴァヌス…」
「なんてデカさだよ……」
オレーヌとクォンテは初めて見る黒竜の存在に啞然とする。あの竜の正体はシリアン公国の軍師シーチェ・フェイエンベルクであり、彼女は
あの部屋を抜け出してわざわざ化身したというのか?もしくはこの襲撃は仕組まれていた…?
「悪魔と話を付けようってのが間違えてたんだ」
オレーヌの隣でクォンテが舌打ちしながら毒を吐く。
「何をしようと言うのですかシーチェ…」
止まったままの戦場を動かしたのはまたも黒竜で、空に留まったまま視線を巡らせると口を大きく開ける。大きく何かを溜め込んだモーションの後に地上に向かって黒い焔を吐き、文字通り焼き払った。
クォンテは城壁を大きく超える火炎を目の当たりにして後ずさる。
「ノヴィツを消し炭にする気か?!誰でもいい!あの一撃の被害を報告しろ!!」
命令を受けた兵士が何人か纏まって炎上するエリアに向かって駆け出すが、竜から離れようとする民が大勢向かってくる流れに阻まれて思うように進めなかった。
その民の流れはオレーヌ達が指揮を執る本陣にぶつかり更に混乱を生む。
「民を安全な場所へッ!逃げて来る民が混乱して指揮の邪魔になっている!!」
「誰でもいいから誘導を付けて南へ送れ!外には出すなよ!敵が入って来る!」
この町が安全な地帯だと考えていた民は住んでいる場所が突然戦場に変わり、しかもそこに得体の知れない巨大な竜が現れたとあって、町全体に一気に混乱が広がった。それを捌く兵員も足らず数名の兵士が民に叫んで誘導を試みるが全く効果がない。
「仕方がありませんね…」
オレーヌが動き、民の流れの前に立つと彼女は魔力を解放して民を威圧した。逆巻く魔力の渦が空へと昇り、周囲には風が巻き起こる。それを見た民が一人、また一人と足を止め、やがて列が動くのを止めるとオレーヌは両腕をそれぞれ左右に振って氷の壁を作る。そして動きを止めた民に向かって行くべき先を指さす。
「帝国皇女オレーヌが命じます。皆さま逃げるならばあちらへ。南へ行き、兵の指示に従うよう」
良く通る力強い凛とした声が民の耳に届き、民は幾らか冷静さを取り戻す。指示された通りに南へ向かい始めると、本陣の混乱はすぐに解消された。
「流石はオレーヌ様。民の混乱を瞬く間に収められるとは」
「集中なさいクォンテ。ここからが貴方の務めです。この城と運び込んだ食料を異形と黒竜から守り抜くのです」
オレーヌはクォンテにそう告げると手を挙げて何かを合図すると、黒竜の方へ向けて歩き出す。気が付けば手には得物である銀の装飾が施された剣が握られている。
「殿下どちらへ?!まさか奴の近くに…?」
「近くで観察します。色々調べたい事もありますのでここは任せましたよ」
自身の護衛を集合させ、黒竜の方に向かって歩きながら話していたオレーヌが最後にこれまでとは違う声で呟いた。
「…次はしくじらぬよう」
常に柔和であり、“微笑みの麒麟児”という二つ名の示す人物の最後通告にクォンテは肝を再び冷やしたのだった。
クォンテと別れ、市街地を進んで巨大な
だが、あの力を目の当たりにしてしまっては、自分も彼女の言葉に嘘がない事を確信出来なければ受け入れる事など出来るものでもなかった。
放っておいたら世界を滅ぼす存在を見過ごす訳にはいかない。この戦争だって、民を飢えを解消する為に開かざるを得なかっただけのものであり、黒竜に世界を滅ぼされてしまっては本末転倒だ。
「あの竜の動向を事細かに記録して下さい」
「はっ!」
オレーヌは兵に命じ、自分は更に黒竜に近付いていく。近付いていくとじりじり温度が上がっていき、それはあるところで熱波に近い感覚に変わった。
肌が焼き付くような感覚。そこから先に進む事は本能が拒否した。
(なんて存在。これは本当の災禍だわ…)
制御下にあると言った巨大な竜は確かに建物や人間に対しては決して手を出さなかった。吐き出す火炎も爪の攻撃も全ては眼下の異形に対してだけ向けられ、時折意図的に視線を周囲に巡らせる動きも見せた。
どこに手が必要なのかを判断しているように。
「貴女の言っている事は本当だった」
何がそうさせたかとか、考えは分からないが彼女なりに考えて戦う事を選んだのだろう。何度も異形と戦っているシーチェが黒竜になって助力してくれているのは有難いこと。
そのはずだが…
(
火山の近くに居るかのような暑さだというのに、背中に寒気が奔る。あの力が必ず人類に牙を剥くと思うと底知れぬ恐怖に体が動かなくなりそうだ。
どうする事が正解なのか分からない。正解なんてもしかしたら無いのかもしれないと思いながら、オレーヌは黒竜の観察を続けた。
一方、ノヴィツの城の階段を降りていたマルランは黒い焔を見て足を止めていた。
「どういう事ですかねぇ…?」
城のバルコニーに飛び出してぼやいた。脱出させる所まで見送り、自分達もそこを離れようとした瞬間空が瞬き、そこから巨大な竜が現れたのだ。
あの竜の正体がシーチェなのは分かっていた。だからこそ捕えて教団で幽閉しておく予定だったが、その計画が失敗した事よりもその姿が見れた事にマルランは心を奪われていた。
マムクート達よりもずっと大きな体躯で目の前にいる異形の群れを薙ぎ払う姿は、この世の終わりに見えると同時に奮い立つような不思議な気分にさせる。何しろ
「あいつの行動をよく観察し、書き留めておくように。次はあれを相手取る事になりますよー」
「あ、あの竜を相手にするのですか?」
「今じゃないですがねー…あのバケモノが好き勝手暴れる様になったらどうなる?世界が滅ぶでしょー」
萎縮する騎士達を諭してマルランは目の前の竜の一挙手一投足に注目した。全ての人間が伝説でしか知らない、少なくとも千年も昔の話に出てきた世界を滅ぼそうとしたという竜の姿だ。
シューレ教の教えの中にあるかつて世界を飲み込んだ災禍の根源がこうして人々の目に触れた以上混乱は免れない。あれを倒すのがシューレ教としての役割で、その先頭で兵を率いるのは自分以外に居ない。
「これからどうするつもりかなシーチェ・フェイエンベルク。お前の命を世界が狙うだろうが、倒すのは私だ。黒竜になったお前を倒して証明してやる」
全ては認めさせるため。自分を蔑んだ愚か者たちに思い知らせるため。
「マルラン様、何故あの様な存在が現れているのでしょうか。奴は
背中から騎士に問い掛けられるがマルランは質問には答えない。人の姿から竜に化身する
「よくあるでしょ。自分が知らなかった事以外に、世の中に言われている事以外にある真実に驚くこと」
「教団は何かを隠しているという事ですか。あれ以外にも、我々や民には公に出来ないことが」
「知る必要がありませんからー。貴方方はあれが敵であるという事だけ分かっていればよい」
詰め寄ろうとする騎士にマルランは鋭い視線を送ってその思惑を阻止するのであった。
3.
人から竜へと姿を変えた私は、混乱するノヴィツの空を漂いながら敵と対峙していた。
口から吐く事の出来る炎のブレスや、巨大な体躯を活かして戦っていたが敵の数は相変わらず減ることを知らない。ノヴィツに迫る異形の軍勢は一部は私目掛けて来ているが、その他は相変わらず手近な所を襲撃しようと真っすぐに城門を目指していた。
何度か異形と戦った経験のある私だからか、湧き続けるように思えた異形に違和感を覚えた。数はこれまでも以上に多かったが、いつまでも切れ目がないのは初めて。
竜になった影響で赤くなった視界で私は光るものを“見ること”は出来ても色までは判別出来ない。炎を吐きまくってノヴィツ郊外を火の海に変えてしまっている中では、例の白い光を見付けることは出来そうもない。
(こう異形が出る度に化身しないとならないのはしんどいわ。早く出所の正体を見付けて、手を打ちたいけど)
思いつつ黒竜の体を駆使して敵を薙ぎ払っている時だった。突然意識の中に何かが入ってくる不快感に襲われる。
自分の中にドロドロとした塊のようなものが流れ込んでくる感覚。不快感を拒絶したいという意思だけではそれを止めることが出来ず、意識があっという間に侵食されていく。
強烈な頭痛が始まり、オルヴァヌスとは違う声が波の様に重く響き渡る。
“もう自分を止めることは出来ない。抗う事も利用するのも終わりだ”
(誰…?)
意識がそちらに持っていかれ、敵への攻撃が止まる。辺りを見回してみるが声の届きそうな所に人は居らず、遠い所から語り掛けて来ているらしい事が分かった。
“世界の終焉を共に見届けよう。これまでの苦しみの代償に、我らの悲願が叶う瞬間に立ち会う権利をくれてやる”
あまりにも一方的な物言いに相手が誰かも分からないまま、私は意識の中で言い返す。
“冗談じゃないわ!何のために
押し寄せる異形の群れに炎のブレスを吐き、辺りを一掃しては別の場所の敵を焼き払う。語り掛けて来る何かを拒むように、頭に響く声を無視して。
“お前は特別だ。世界を思いのままに出来る力を手に入れた。もう世界の煩わしさに心を砕き、平和に苦心する必要はない”
まるで私の歩みを見て来たかの様な物言い。黒竜を介してみる事が出来るのか…?それとも
私が何に心を砕いて、何に悩んで来たのかなんて、こいつに分かる訳がない。その人が感じた事を本当に共感できるのは経緯を知る目撃者と共に歩んだ人間だけだ。
“誰だか知らないけど知った口を利かないことね”
“誰なのかなんてどうでもいい。世界を守ろうと願う君の様な力のある存在が諦めれば、それだけでボクらの悲願達成は近付く。この醜い世界は守るべき価値があると思えるか”
“…人が人であるから世界には炎が上がる。人が人であるから世界は醜く見える。自分の理想以外は邪魔だと感じて、それでも殆どの人は心の何処かで
“何を言っているんだ?世界を滅ぼす手を下すのは他でもないキミ自身なのに”
“そうだったとしても、人間の意思…人間の想いというものを甘く見ない方がいいわ”
声を送ってきたなにかはそれ以上何かを言ってくる事はなかった。異形の群れもいつの間にか居なくなり、私の周りには様々な表情でこちらを見つめる帝国軍人や帝国の民と燃え盛る炎が見えるだけ。先ほどまでの戦闘の喧騒は嘘の様に静まり返り、静寂が辺りを包んでいる。
私が指揮を執る事のない戦闘。終わった瞬間気が抜けてしまい、強烈な疲労感に全身が包まれた。
(終わった…)
化身に使う集中力を切ると体がふっと軽くなり、重たい何かが溶ける様にして消えていく感覚を覚える。これまで終わった瞬間には気絶していたからこの瞬間を感じる事がなかったが、体はやっぱりしんどい。
熱にだるさ、極度の疲労感が残っているのはこれまでと変わらない。体が元の人間サイズに戻り、いつも見ている風景に世界が戻る。建物の大きさ、人間や生き物のサイズ、見渡す事の出来なくなった地平線。なにより地面に足が付いている感覚があるだけで安心感がある。
目下、ここでの安心感は唯一その足元の感覚だけとも言えるけれど。
ほっとしたのも束の間で、私は背後から声を掛けられた。震える声の主は初邂逅したばかりのオレーヌなのが分かった。
「シーチェ様…貴女本当に」
何を言いたいのか分かったので頷いて肯定する。
「あれを見せてどうするおつもりだったのですか?」
「私はここの民を守りたい一心でしたよ。何の罪もない人々が巻き込まれるようなことはあってはならないですから」
「そうなのかも知れません。ですが、幾万もの軍勢を一人で片付けられる力を見せて、我々を屈服させるおつもりなのでは」
オレーヌからは警戒感が滲み出ている。今度化身を許せば、自分達が消される。黒竜の力を目の前で見せられた直後に、自分達の敵である人間がそれを行使しないと思えるほど能天気な人間は居ないだろう。彼女の反応は当たり前と言えば当たり前だった。
「だとしたら私が人間に戻って会話する必要はありませんよ。このままノヴィツを焼いてしまえば少なくとも我が国への侵攻は止められる」
私の言葉に、その場にいる帝国軍人の表情がキッと引き締まるのが見える。
滅ぼされる前にこいつを消さないと―そんな空気が醸成され、少しの間違いで彼らは波の様に襲い掛かって来そうだ。それを辛うじて食い止めているのは、皇女オレーヌが目の前に居るからだ。
彼女も険しい表情を浮かべているが、対話の窓口を閉ざしてはいない。今、
「ですが、町を丸ごと焼き払えばそれは更なる遺恨を生むだけです。私の意思とは反しています」
「…そうでなくても。この町に置いてある食料を焼き払い、飢え死にする民を生み、困窮する帝国の隣で餌をぶら下げれば我が国がいずれ屈すると、お考えでしたよね」
「軍をぶつけて悪戯に人を傷つけるよりもずっと救いがあります。我々は少なくとも帝国の滅亡を望んではいません」
私と、リクも含めた公国政府の本心だ。ただ戦火に巻き込まれたから戦っているだけで、望んで戦争をしている訳ではない。これ以上戦火を広げずに済むのであれば、戦後処理もそれほど複雑にならずに済む。
オレーヌはトレードマークである微笑みを完全に封印して話をしていたが、これまでテンポよく進んでいた会話が突然止まった。
「これ以上はここではお話出来ません。貴女も今はお辛いでしょうし…また後日改めて話す事に致しましょう」
「会談の機会を今一度頂けることに感謝申し上げます。オレーヌ殿下」
少し柔らかかくなった私達の間の空気。だがそれを良しとするオレーヌではなく、ですが…と続けて釘を刺された。
「身柄はこちらに置いて頂きますね」
それが交渉の条件だ、言わんばかり。彼女の要求を断れるカードが私にはない。
こうして私は条件に応じノヴィツに留まる事にした。