てぃーえすっ♡~男、織斑千冬の自分探し青春ストーリー~ 作:逆立ちバナナテキーラ添え
最終話です。
生地から仕立てたオーダーメイドのスーツの着心地は、あのいやらしいパイロットスーツとは違った、密着感を覚えさせる。寄り添うような、嫌じゃない圧で俺を締め付ける。ロンドンやニューヨークに行った時に毎回作って貰っているのだが、今着ているものは銀座で作って貰ったもので、海外のものも良いのだが、同じ日本人が作ったからか、とても着心地がいい。
真白い、いっそ目に悪いほどに春の陽光を反射する廊下を歩いているとどうしても浮いてしまう。白の世界に、色は映えすぎる。現に黒のスーツはこの廊下で俺という存在を異質なまでに際立たせている。
いつ歩いても処女くさい廊下だった。思春期の男と根底では同じような、なにか間違った期待を持っている馬鹿な子供たち。少し、欲しがっているモノをくれてやれば尻尾を振る、盛りのついた愛玩動物と違いが不明なやつら。そして、なにも知らないで希望を胸いっぱいに抱えた、俺の可愛らしい教え子たち。
あの後の話は、ほんとうに蛇足ほどの価値もないような代物でしかないと思う。
世界中が血眼で英雄を探し回った。今では天使事件なんて呼ばれている俺と束の盛大な狂言で核弾頭八発を消滅させた映像は瞬く間に世界中に拡散して、おかしな宗教団体が毎日日本の方角へと祈りを捧げているなんてこともあったらしい。
そんな中で束はいつも通りの笑みで全世界へと声明を発表した。あれは自分が造った新たな技術の結晶である、名称は『インフィニット・ストラトス』──俺が束に漏らした洒落が、束にしてみればいたく気に入ったらしく、Aaeよりも親しみを持てるということで名前は変わった──、あらゆる環境での人類の活動をサポートするパワードスーツで、ミサイルが墜ちるのは都合が悪いから独断でやった、と散々言って、姿を眩ました。近いうちにまた会おう、と短い書き置きを俺に残して。
その時のことはよく覚えている。俺の周りも、俺の知らない所もひっちゃかめっちゃかの大騒ぎだった。束を捕まえようと色んな国のいかつくて、血生臭い連中が放たれたけれど、全員の首の塩漬けが国に送り返された。勿論、日本も例外ではなかった。アメリカの証人保護プログラムを模倣した、保護措置によって篠ノ之家は遠く離れた場所へと引っ越すことが決まって慌ただしかったし、俺も束に頼まれた彼らを誘拐しようとしたやつらを微塵切りにするバイトが請け負ってすぐに繁忙期になってしまって、てんてこ舞いだった。やたらと公安の刑事が俺を睨んでくる中、柳韻さんが知っていたのか、と訊いてきたから何のことだかさっぱり、と肩を竦めて返した。束の真似。それで全てを悟ったのか、なにも言わずに柳韻さんは車に乗った。お袋さんには餞別代わりに加賀友禅の着物を一着贈った。束の妹には髪飾りを一つ。柳韻さんには笑みを。
篠ノ之家がいなくなったからといっても、俺に暇が訪れることはなかった。たぶん、その数ヵ月が殺人というカテゴリに於いて、最も俺が集中して人を殺した期間だった。俺を殺そうとするやつら、妹を殺そうとするやつら、なにがなんだか分からないが殺しにくる連中をいやになるぐらい片付けて、その都度束に教えてもらったビルに行ってお礼参りをしていが、ある日、赤坂の議員会館の一室と麻布にある議員の邸宅が月まで吹っ飛んだ。束の我慢の限界だった。
それで面倒になった束はコアを五〇〇ばかりばら蒔いて、ニューヨークの国連本部に忠告がてら、UAVを突っ込ませた。日本のアレルギーを刺激したと思えば、今度はアメリカのトラウマを土足で踏みつけた。表向きはイスラム系反米グループの仕業ということになってはいるものの、各国の首脳宛に次はおまえたちの国の首都が更地になる番だとか言ったメッセージを送りつけた。全くもって、とんでもないやつだが、それで俺の周りは静かになった。
高校を卒業してからは、モンドグロッソとか言う競技大会で優勝したり、薄暗い、じめじめした場所でへんに企みをきかせる老人どもの小賢しいちょっかいに辟易しながらダンスの終わりに向けて準備を重ねていた。
俺にしか、ISが男に反応しない理由を束に訊ねると、俺以外の男を乗せるなんて信じられないし、いくら俺でもそんな酷いことを言うなと泣きつかれて、束が女だったらとてつもなく面倒な女なんだろう、と思った。その女にしか乗れないということを疎ましく思うやつもいるようだけれど、なにより、世の女こそが優れた性別であると信じてやまないご婦人がたが聴けば、泡を吹いて倒れてしまうことは必至の言葉をさらりと言った束は男であるということをそのご婦人がたが失念している事実を考えれば、どちらも程度が低いとしか言えない。
それ以上に驚いたのは、その束に娘が出来たことだ。ドイツで拾ったという銀髪の少女──クロエ・クロニクルはあの変人によく懐いているようで、束の身の回りの世話をしているらしい。その少女の役割がなんであれ、束はいい拾いものをしたようだ。元はドイツで研究されていた優性個体の産物だというだけあって、性能はいい。俺も一つ欲しいなんて思っていたら、ドイツに教導しに行った際にクロニクルの姉妹にあたる個体を見つけたので、頂いた。落ちこぼれだった彼女──ボーデヴィッヒを引き上げて、耳障りのいい言葉を一つ二つ言えば、ぞっとするほど簡単に俺に堕ちた。出自上、元から承認欲求が強かったらしい。
そして数年前から、日本近海の洋上に設置されたIS関連の人材育成機関で教師をしている。俺が暴れないようにするための措置であり、束に対するデモンストレーションでもあった。実入りが良かったので、俺は三度目のモンドグロッソの優勝をイタリアの女にあげて、現役を引退した。
他にも色々とあったけれど、大まかに言えば、そんなつまらない話だ。
新しく受け持つクラスの名簿を確認していると、自販機の前に生徒が一人立っていた。
「おはようございます、織斑先生」
「あぁ、おはよう、更識さん。こんなところで、どうしたのかな?なにか私に用でもあったか?」
「いえ、大したことではないのですが、今年の新入生には先生の妹さん二人と、あの篠ノ之束さんの妹がいるとのことでしたので、一応確認をと」
深紅の視線を扇子越しに向ける更識楯無に俺は当たり障りのない答えを返す。
「特別扱いする気はないよ。彼女らも等しく私の生徒だからね。それに、束も自分の妹がいるのだから大それたことはしないだろう」
更識楯無はそうですか、と言って扇子を気味のいい音と共に閉じた。
出来るならばさっさと殺してしまいたい、と思う。この手の──特に更識は──非公然の暗部組織はやたらと粘着してくる。殺すつもりがもうないにしても、こうやって生徒の安全管理のためと宣って近くにいられるのも目障りだし、この女は束曰く俺と因縁があるらしく、進んで面倒を抱え込むのは好きとは言えない。
以前、俺と束を襲ったセクションと同じような深度にある更識という暗部は一等しつこく、俺と束の神経を逆撫でした。なにが目的かは興味がないが、未だにこうして張り付いているのだから、なにかしら狙いはあるのだろう。もしくは、組織単位の目的を隠れ蓑にした、個人的な狙い。件の因縁だとか。
「先生、つかぬことをお訊きしますが……」と更識楯無は言って、「先生の御両親は厚労省の官僚だったとか」
「そうだね。父も母も官僚だったよ。それが……?」
「いえ、先生の御両親は、先生が学生の頃に失踪したと聴いたもので……、知り合いに厚労省の人間がいまして、それで先生の御両親の話になったんです」
「そうか。まぁ、いい人たちだったよ。願わくば、もう一度会いたいものだよ」
今ならもっと巧く殺してやれる。
しかし、彼女はどうにかして、俺の尻尾を掴みたいらしい。既に跡形もない両親の話題からぼろを出すことを期待しているのだろうが、俺だって馬鹿ではないし、小娘にいいようにされるほど薄い生活をしているわけではない。普段ならここで煙に巻いて終わらせるのだが、これからこのように付き纏われると些か都合が悪い、というよりは精神衛生上よくない。だから、少し釘を刺すことにした。
「あぁ、そういえば今年の新入生にはきみの妹もいるらしいじゃないか。確か、四組の簪さんだったかな?いい名前だ。成績も優秀で、代表候補生にも内定しているだとか。市ヶ谷の友人に聴いたよ、日米の合同開発プロジェクトにも参加するんだって?素晴らしいな、この歳でここまで優秀だなんて驚きだ……」
「そうですか?あの子はそんなに優秀ではないですよ。そのプロジェクトだって、人数合わせの補欠に過ぎませんから……」
「そう余り邪険にしないであげなさい。私にも妹がいるから、年長者として、上の兄として助言させて貰うが、言葉一つで関係は簡単に壊れてしまうから気をつけなさい。気がつけば手遅れ、なんてことにならないようにね」
更識楯無は心に微塵もない感謝を述べて、丁寧に頭まで下げた。
弱点のない人間などいない。彼女の弱点は露呈した。口ではあのように言ってはいるものの、心底妹が──更識簪が大事なのだろう。眼鏡をかけた気が弱そうで、特撮やロボットアニメが好きな、保護欲を掻き立てられる妹。彼女が傷つけられることを何よりも恐れている。俺が持つ一組から外されて、四組へ配されたのも更識楯無の手が回ったからだろう。
だからだろうか。今の今までそんな気は全くなかったのだが、唐突に更識簪への関心が高まった。更識簪のなにかが損なわれた時、この女はどのようにして俺に報復するのか。そんなに俺から遠ざけて、自分が嫌われてまでも守りたい更識簪はどんな味がして、どんな愉しみを見せてくれるのか。
「そんなに優秀な子だったなら、一組で受け持ってみたかったがね……。今年は教務主任に学年主任だ。見てやれる時間が多くは取れない。残念だよ、本当にね……」
「あの子に先生の貴重な時間を割くことはないですよ。あんな出来損ないの、木偶にもなれない子なんて、なにか教えるだけ無駄ですよ」
「辛辣だな。しかし、確か、四組の担任は冴木先生だったかな?ならば、安心だ。冴木先生は、代表候補生時代に私が面倒を見た、教え子でね。あぁ、彼女なら安心出来る。あの子は優秀だからな……。あぁ、それと、御父上の怪我が早くよくなるように祈っているよ」
目を見開いている更識楯無にホームルームに遅れないように、と注意して教室へと歩き出すと、更識楯無が小さく──それは常人ならば聴き取れないほどに小さな声で、「悪魔が……」と溢したのを聴いた。何を今更、と言ってやりたかったけれど、笑いを堪えて、ポーカーフェイスを保つので精一杯だった。
教室に足を踏み入れると、例年通りの息を飲む音と、絡み付くような視線に晒される。
後ろの方には目を輝かせる妹たちが、純白の制服を着込んで小さく手を振っていた。軽く笑んで返してやれば一夏ははしゃいで円に叩かれている。
一夏たちから少し離れた場所には束の妹がなにか言いたげな視線を俺に向けながら背筋を伸ばして座っていて、目の前には
しかし、そんな今年の生徒の中で一番驚いたのはイギリスからの留学生──セシリア・オルコットだ。なにせ、彼女の両親が死んだ直接的な理由の前にのこのこと現れるとは、どうやらなにも知らないらしい。彼女の両親、特に父親は俺と束の真実に近付きすぎた。鼻が効く男だった、いや、効きすぎた。最期には
これから始まる一年間で、最後にはこのクラスに配された生徒のうち、どれだけの者が生きて二年目を迎えられるのだろうか。希望と根拠のない未来への展望を胸にしたこの子たちが、終わりの世界で、束を殺した後に俺にどんな悦びを齎すのか想像すると胸が高鳴る。
この一年間は忙しくなるだろう。ダンスは今がピークだ。準備も大詰めを迎える。束の描いた脚本を破るためのカードは揃った。クロエ・クロニクル、ラウラ・ボーデヴィッヒ、更識簪、相川清香。これらを上手く使えば、束の顎にいいアッパーを叩き込める。女の扱いは、俺の方が得意だ。それが例え、他人のものだろうが、なんだろうが束には負けない。
一頻り教室を見回した後、教壇の上に立って、微笑んでみせる。
「おはよう、新入生諸君。副担任の山田先生は昨夜から
それらしいことを言って、この光景を見ているであろう親友に向けて俺は言葉を放つ。
「愉しもうか。今や、世界に果てなどないのだから……」
何処かからか、あの人を小馬鹿にしたような笑い声が聴こえた気がした。
期待が膨らんで、はち切れそうだ。たった二人だけの戦争はもうすぐそこまで来ている。終わりの世界の更に向こうにはなにがあるのか、なんてことも想像してしまう。そう、もう果てなど何処にもない。
疼きはもう何年も感じてない。今はこの飢えすら愛しい。俺は心の底から笑えている。
この愛すべき世界が堪らなく、大好きだ。
素晴らしきかな、我が生。今年の桜はとても美しい。まるで、それは泣いているように舞っていた。