てぃーえすっ♡~男、織斑千冬の自分探し青春ストーリー~ 作:逆立ちバナナテキーラ添え
朝、俺が起きる頃には大抵誰も家にいることはない。妹たちは規則正しく起きて、爽やかな朝の中に足を進めて、学校に行くのだ。俺の部屋に近付くこともないし、声をかけることもない。
そんな俺が目を覚ますのは昼前であることがほとんどで、俺はリビングで束の作り置きをレンジで温めて朝食と昼食を兼ねる。テレビでは煩い声の司会者が不倫した俳優をぼろくそに言っている。ホテルに入る時に撮られた写真が週刊誌に大々的に報じられたという。その俳優の顔をよく見てみれば、その男とは何度かホテル街で見かけたことがあった。あまりテレビを見ないからよく分からないが、随分と売れている俳優だったらしい。
野菜炒めが盛られていた皿を食器洗浄機に入れてから、家を出る。貰い物のスプリングコートとプラダのティーシャツに真っ白なスタンスミス。学校に行くつもりはない。どうせ行ったところで授業を受ける気は起きないし、教師にとっても迷惑なだけだろう。
何の予定も入ってない日に、夜まで時間を潰すというのは思うより難しい。ダーツやビリヤードをやりに行くにも、空いている所は少ないし、馴染みの店は今日は休みだ。図書館にでも行こうか、ブックカフェにするか。束は少し前から自分の部屋──という名の工房──に籠ってこそこそとやっている。柔和そうな表情の裏に子供を追い立てる残酷さを隠した少年課の警官とすれ違いながら、俺はぼんやりと今日一日の予定を立てる。
近辺で一番品揃えのいい本屋で一冊、文庫を買った。『斜陽』、という昔の小説だ。それを持って適当なカフェで読み始めた。コーヒーを一杯傍らに置いてページを捲れば、俺はもう羅列の中に溺れていく。
堕ちていく人々。没落していく華族と、臆病で弱い人たち。そんな人たちが時代の変わり目の中で滅び行く姿の、退廃の美。綺麗なものなんか、ない。俺は彼の小説が好きだった。
厭世的というわけではないけれど、特に娯楽を持ち合わせない身としてはこういうストーリーはすっと入ってくるものだった。好き、とは言ってもそんなに明るいベクトルの話じゃない。
彼は最期、自ら生を絶ったけれど俺はどうなんだろう。コーヒーを淹れる音だけが芳しく起つ。
束は俺が心の底から笑っていないと言った。たぶん、どの道ろくな死に方はしないだろうけど、もし何かに熱中出来るようになればそも終わりまでの道程が何か良くなったりするのだろうか。
本を閉じて、外をを行き交う車と人の忙しさ見ていると、頼んでもいないコーヒーがテーブルに置かれた。ふと見上げるとブラウスがよく似合う女マスターが俺を見ていた。客は俺だけで、間違いということはないはず。
「これは……?」
「サービスです。もう二時間も本ばかり読んでいるから」
時計を見れば確かに随分と時間が進んでいた。二時間もコーヒーだけというのは、図々しいにも程があった。
「ごめんなさい。つい、集中していて……。フルーツタルトを一つ、それとこのコーヒーも会計に入れておいてください」
「大丈夫ですよ。わたしが勝手に、あなたに淹れただけだから気にしないで……、どうせ客もいないのだし」
彼女はカウンターへと戻っていった。ショーケースの中から小山のようなタルトを持ってきて、どうぞ、とコーヒーの隣に置いた。ブルーベリー、ラズベリー、イチゴにオレンジ。とても美味そうで、一夏あたりが好きそうな可愛い見た目。
フォークを入れて口に放り込むと、実際、味は良かった。気が付けば一切れ平らげていて、もう一切れ頼むぐらいにはこのタルトを気に入っていた。
「きみ、学生でしょ」
唐突にカウンターから投げられた一息のナイフに俺は貫かれた。動揺を出さないようにきわめていつも通りに返そうとすると彼女は笑って、
「別にお説教するとかそういうのじゃないよ。学校に連絡する気もないし。だから安心して、きみはタルトを味わって。自信作なんだ」
「なんで分かったんです?」
「昔、似たようなことをしていたことがあるから。学校サボって、ふらふらふらふら。そうやって本を持ってカフェで時間を潰したこともあったね。でも、きみみたいな難しい本じゃなくて、わたしが読んでたのはマンガだけどね……」
だから、サボタージュの後輩への細やかなプレゼントだよ、と微笑んだ。
『Perch』、店の名前、止まり木。誰かがこうやって羽根を休めるための場所を、かつて自分が欲したものを彼女は提供しているという。俺はそんなに頑張って羽ばたいてきたというわけではないが、こういう場所があってもいいんじゃないかとは思う。サボり場というものは貴重だ。とくに、それを許してくれる誰かがいる場所は、そうそうあるものじゃない。
巡っていた緊張がほぐれて、椅子に身体を預けた。別にサボりがばれて学校に連絡されるのはいい。面倒なのはその後で、柳韻さんが出張ってくるのだ。
はっきり言えば、俺はあの人が嫌いだ。俺のことをあの子たちの兄と認めるわけにはいかないとか、道を踏み外した半端者とか散々に言うけれど、そこは大した問題ではない。言っていることは大体的を射ているし、俺が兄というよりはあの人が父親代わりになってくれた方が情操上いいことは明らかだ。あの人は心底妹たちのことを思ってくれているのだろう。まるで本当の娘のように。
俺は以前、篠ノ之流に身を置いていたことがあったのだが、その際にあの人は随分と厳しい稽古を見込みのある門下生に着けていた。精神論というやつで、限界まで追い込んでいたようだけれど、それはあくまでも俺や束を基準にしたものであって、死ななければ良いとでも言うような稽古を着ける柳韻さんの神経を疑った。いくら見込みがあっても、潰れてしまう。そのくせ、俺のことをいずれ鬼になるだろうとか言うものだから、あんたも似たようなものだろ、と言い返した。俺と柳韻さんの確執はそこから始まって、俺の剣が篠ノ之流から逸脱していったのも同じ時のことだった。
誰もそういう相手に小言をねちねちと言われたくはない。しかも、最後は俺の人格は腐っていると言い出す。余計なお世話でしかない。ただひたすらに迷惑、というやつだ。そんなことはあなたに出会う前、とうの昔に理解しているのだ。だから、これから先、二度と同じ食卓を囲むことはないだろうし、篠ノ之流の道場の敷居をまたぐこともない。既に破門されているから。
おぼろげに、最後に柳韻さんに小言を言われた時のことを思い出してみる。朝方、家の前でタクシーから降りると着流し姿のあの人が俺をねめつけていた。話すこともなし、家に入ろうとすると腕を掴まれて、俺はそれはもう貶され罵られて、寝付きは最悪だった。どうやら余程あの人は俺を追い出したいらしく、しきりに俺に世の常というものを説いてきた。
俺としては、
電話が鳴って、回顧から浮上する。着信先は掛かってくるはずのないナンバーだった。妹たちの通う学校だ。
おっかなびっくり出てみると、だみ声の中年らしき男がまくし立て始めた。妹、一夏と円の担任と言っていた。
何か問題でも起こしたかと考えたが全くの見当違いで、妹たちが珍しく熱を出して早退するという。それで迎えに来て欲しいとのことだった。
普段はこういう時は柳韻さんがしゃしゃって、父親代わりの動きをしたり、お袋さんが病院に連れて行ってくれるのだけれど、おかしなことに今回は俺にお鉢が回ってきた。あれだけ人に言っておいて、俺に任せるとは如何なものだろうか。
ともあれ、迎えにいかないわけにはいかないだろう。束に代理を頼むのは今日に限っては現実的ではない。妹たちからどう思われていようが構わないが、一応続柄上としての責任を果たさなければならない。
俺は伝票を持って、席を立った。
「もう行くの?」
「急用が入りましてね。背に腹はかえられないですから」
「サボタージュは一旦終わりだね」
「サボってばかりじゃあ、バチがあたるから」
本当に神様がいれば、あるいは。
「きっと神様だって休憩ぐらいするよ。まぁ、適度に動くことは賛成だね」
「だから、少しだけ義務を果たしに行ってきます。もう、ほとんどないような義務だけど……」
「うん、いい響きだね。義務を果たしに行く。その原動力にわたしのフルーツタルトがなってくれたのなら嬉しいよ」
「とても美味しかったです。義務を果たしたら、また食べに来ます」
「そう。嬉しいことを言ってくれるね……」
俺は彼女から釣り銭を受け取った。彼女の指はすらりと細くて、今にも折れてしまいそうなほど華奢だった。そのうえ、絹のようにきめ細かい肌と色。その皮下から血が滲めば、きっとよく映えてしまう。そんな手に僅かの間、見とれてしまった。
ありがとう、と言うと彼女は微笑みを浮かべた。
「ごちそうさま。また、来ます。今度はゆっくりサボりに来ますから」
「客がいなければ、話し相手になるよ……。いってらっしゃい」
誰かにそんな風に言われたのはいつ振りだろう。以前はお袋さんが言ってくれていたけれど、今じゃ誰も言う人はいない。だから、その言葉は少しだけ懐かしかった。俺が何も知らないで、のうのうと竹刀を振っていた時の話だから、もう随分と昔の話だ。
俺はいってきます、と返して前の道でタクシーを捕まえた。そういえば名前を聴こうと思っていたんだっけ。結局のところ忘れてしまったが、俺の中ではあの店にもう一度行くことは決まったことだから追々聴けば済む話だ。
妹二人が熱を出して、具合が悪い中で女のことを考えている自分はやはり腐りきっている。いつもながら、たいへん救いようのない我が性根を嘲笑いながら、俺は散りゆく桜を車窓から眺めた。
千冬くん:頑張ればエロビームを出せるやつ。篠ノ之流を破門されてから全国大会で優勝したキテる男。千冬くんだけが使える流派を自分で編み出しちゃった。相手は死ぬ。もしかして→射殺す○頭?篠ノ之柳韻とは表面上は繕っているが、相当仲が悪い。
柳韻さん:いい人。身寄りのない織斑一家を我が子のように育てている。グレ始めた千冬くんにかなり厳しく接している。でも、やっぱり何だかんだ心配だから家に行ってみるも朝帰りに夜遊び三昧でブチギレ。
やべえ稽古については、門下生の頼みもあってつけたが、やはりパンピーには高すぎるハードルだった。
織斑千冬という男が内に飼うモノに勘付いている。
女マスター:千冬くんの被害者2号。(予定)
妹´s:お兄ちゃんが迎えに来ると聴いて緊張と驚きで、一周回って元気になっている模様。