てぃーえすっ♡~男、織斑千冬の自分探し青春ストーリー~ 作:逆立ちバナナテキーラ添え
ここでワンクッション。
サブタイが大仰だけど、メインタイトルに偽りなし。
ベッドの上で寝息をたてるカフェの女マスターを横目に、俺は貰い物の煙草に火をつけた。土砂降りの雨だけが耳朶を叩く。窓ガラスに親の仇のようにぶつかって、弾ける雨粒はかれこれ半日前から絶え間無く天から注がれていた。
これまた、特に理由も、ちゃんとした動機もない発作的な事故だった。悪癖とでも言うべきか、俺は美人に求められた場合断ることはほぼない。俺自身にその気がなかったとしても、だ。
また来店するという約束を守るために件の『Perch』に向かう途中で酷い雨に襲われた。予報は大外れで、傘もなにも持っていない俺はバケツをひっくり返したような大雨で濡れ鼠になってしまった。運悪く、コンビニがない通りを歩いていたため、急いで店まで走ると定休日のプレートもびしょ濡れ。途方に暮れて、何処かへとふらふら歩き出そうとしたところ、扉が開いてバスタオルを持った女マスターが大慌てで出てきたのだ。
店の入り口で髪と服を拭くと、そのまま二階に通された。どうやら彼女は二階を住居として使っているようで、ほぼ面識のない男を簡単に家にあげるのは如何なものなのだろうなんて考えつつ、俺はシャワールームに押し込められた。身体を温めて、出ると洗濯機の上には男物のティーシャツとジャージが綺麗に畳まれてあった。
「すいません。定休日って分からずに、御迷惑を……」
「大丈夫だよ。あのまま歩いていったら絶対に風邪をひいちゃうでしょ?そうしたらせっかくの常連さま候補が遠のいちゃうからね……」
湯気の立つマグカップを両手で包み込みながら、彼女は言った。中身はカフェオレだった。
「また来てくれてうれしいよ」
「また行くって言いましたから。定休日でしたけどね……」
「まぁ、本当は今日は営業日だったんだけどね。色々あって、休みにしちゃったの。だから、本当に気にしないで。貼ってあった紙も飛ばされちゃったみたい。体調不良につき、臨時休業ってね……」
そうやって遠い眼をする。俺はマグカップに口をつけながら、彼女の瞳を見る。純粋な黒ではない、やや茶色がかった、虎目石のような綺麗な色をしている。黄昏のような、憂鬱で、ノスタルジックな鏡。
窓の外は重い鉛色の世界で、空の上では雷が転げ回っている。暗くて、闇というほどではないが、先を見ることの出来ない不安な景色。だから、窓には自分が反射する。窓の外を見ているはずの彼女は鏡会わせになって、写しの自分の瞳を見る。その中に何かを見つけて、見つめている。髪をおろした、マスターでない名前も知らない何処かの女。
「だからって、名前も知らない、素性もよく分からない男をあげるっていうのは、ちょっと不用心じゃないですか?」
俺が言うと、彼女はきょとんとして、薄く笑んだ。
「なにか、するの?」
「別に、なにも」
「してくれないの?」
「してほしいんですか?」
彼女は考えもつかなかったというふうに、首を傾げた後、俺と子供みたいな言葉の応酬をやった。
部屋にはアロマキャンドルのような匂いが染み付いていた。我が家の玄関のように。
部屋は何処も変わったところなどない、いたって普通の女の部屋だった。可愛らしい小物が一つ二つ棚の上に乗っていたり、友人と行ったらしい旅行の思い出がフォトフレームでスライドショーになって飾られている。そんな、今まで見てきた女の部屋と変わらない所だった。男の痕跡など、何処にもない。
じゃあ、この着替えはなんだろう。予め用意していたというわけではないだろうに、しっかりとこの部屋の匂いが媚り付いた大きめのティーシャツ。そして、その奥に微かに残る、男の
よく見てみれば、彼女の眼の下にはきわめて薄く隈が浮かんでいた。髪も少し、ほつれている。笑う度に陰がさす。
「危ないよ、そんなんじゃあ、襲われちゃうよ」
「そうかもね。滅茶苦茶にされちゃうかも」
俺は彼女の右手首を掴みあげた。短い悲鳴みたいなものが聴こえたが、着ていた長袖のシャツの袖をひっぺがした。
あざ。痣。字。アザ。
青くなった斑が真っ白な腕にぽつりぽつりと点在していた。打たれて内出血したようなものに、中には引っ掻いた跡のようなものもあった。それを俺は壊れ物に触れるように、指先でなぞった。ぴくりと身体が跳ねたけれど、手首から二の腕までゆっくりと下ろしてゆく。彼女は俯きながら、小刻みに震えていた。つい先日の妹のように。
「酷いな」
心にもないことを言う。よくもまぁ、悲しげに言えるものだ、と内心笑いながら。
「どうして……、こんなことするの……?」
「気になったから」
「そんなことで、私を暴いて……酷いのはそっちじゃないか」
「だから、言ったんだ。不用心だと……」
単純な推測だった。なんとなく察した、と言ってもいい。
この着替えは前の男のものだろう。誰にだって分かることだ。今時のませた子供でも察してしまう。部屋に男を感じるものがないのは、出ていく時に全部纏めて持っていったからで、この着替えは忘れていったもの。店を休みにしたのは男絡みのいざこざで疲れたから。別れでもしたのだろう。ちらりと見えた腕の痣が決め手だった。
「あんた、襲われたかったんだろう?誰かに押し倒されたかったんだろう?」
「そんなこと、あり得ないわ。ねぇ、手を離してよ」
「だったら振り払えばいい。でも、あんたはそれをしない。いや、振り払う気なんてないんだ……。やってみろよ、ほら、振り払って……」
項垂れたまま彼女は動かない。俺が手を離すと、腕はだらりと落ちて、床を叩いた。
「捨てられちゃったんだ……。ポイって、ガムみたいに貪られて、傷だらけにされて、頑張って尽くしたのに、飽きたって言われて……」
「DV?」
「なのかな……?すごく短気な人だったよ。すぐに怒るし、すぐに手をあげるの。でも、別れられなくて……」
「それで、気付けば捨てられていた。そんなところにちょうどいいタイミングで俺が濡れ鼠になってたから、家に入れた。期待して、な」
ぽろぽろ涙を流しながら膝を抱える彼女を暗い部屋が包む。大きな音と光と、一瞬での暗転。
「だったら、慰めてあげるよ。望み通りに」
腕を掴んで、ベッドに投げた。突然のことに理解が追い付かない彼女は涙が止まらない瞳を大きく開いて、俺を凝視していた。伺えない表情を見ようとして。
ベッドに登って、彼女の上に覆い被さり、両手首を頭の上で抑えつけた。強く、折れてしまうほどに。
デリカシーの欠片もないキスをして、口内を犯した。
細く、触れ難い首筋に手を添えて、締め上げて、歪んだ音を鳴かせた。
絹のような柔肌に爪を立て、何度も、何度も打って、殴って、歯を立てた。
俺はそれらを淡々と粛々とこなしがら、彼女が望むようにその身体を貪った。生で。その最中、彼女は泣きながらごめんなさい、許して、私が悪かったから、と喚き散らしていて、時たまそれらが快感で途切れることがあってもうわ言のように知らない名前を呼び続けていた。
そんなわけで、気がつけば半日が経過していた。ラッキーストライクのタールを大きく吸い込んで、静かに吐き出す。アロマをヤニで汚す。
心ここにあらず、というよりは燃え尽きてしまったようにぐったりとする彼女は俺の手首を握って離さない。それをほどく気は俺にはなくて、ただひんやりとしたバングルを着けているような感覚を味わっていた。
雨の音も聴こえなくなる。世界が麻痺して、なにもかもが気泡のなかに閉じ込められたようだ。光も届かない深い海の底で二人、生き物たちの死骸の上に横たわっている。
「妹がいるの。歳の離れた妹が一人」
こぽりこぽり、気泡が漏れる。
「奇遇だな。俺にも妹がいる。二人だ」
「仲はいい?」
「話しもしないし、顔も合わせない」
「私と同じね。私ね、妹が嫌いなの。妹は私と違って、とっても可愛いんだ」
「あんたは綺麗だよ」
「ありがと……。だから、両親は妹にばかりお金も、愛も注ぎ込んだ。荒れてた私なんか気にもせずにね。習い事をさせて、いい学校に行かせて、猫可愛がりしたの。私なんかいないふうにね。そのなれの果てがこれ……。男とデキて家を飛び出して、カフェを開いて、別れてからもろくな恋愛も出来ないで、こうやって年下のきみに恥を晒している。そんな私を姉と呼んでくれる妹を見るとね、本当に、ほんとうに、自分が惨めに思えて、いらいらしちゃうの。ほんと、最低……」
罰してほしかった。そう、彼女は言った。
寂しさの反動で荒れていた思春期、男遊びに耽って家にも帰らなかった彼女は新たな家族になけなしのものまで奪われた。誰も叱ってくれなくなった彼女は家を出て、男と一緒になって捨てられ、それを何度も繰り返した。ろくでもない男しか出会うことなく、暴力を振るわれても受け入れて、それでも彼女は生きている。自分の醜さに辟易しながら、痛みで以て罪悪を清算出来ると思っている。
「あんた、名前は?」
「相川……、相川
「でさ、相川さん。満足したかい?ろくでもない男にこうやって犯されて、殴られ、首を絞められて、あんたのその欲求は満たされたかい?」
「どうだろうね……。でもね、」相川は俺の手首を強く握って、「あなたはろくでなしじゃないよ……、神様みたいにいい子だよ……」そう言った。
神様みたいにいい子でした。京橋のバアのマダムが大庭葉蔵をこう評した。なるほど、彼は神様のような優しさを持っていたのかもしれない。母娘の幸せを願って、穢れた自分をそこから排すために逃げる。純粋というか、臆病でいい人だったのだろう。
でも、俺がそうかと訊かれたら、それは外れも外れの大暴投だ。束が腹を抱えてげらげら笑いながら、倒れこむ姿が容易に想像出来る。俺が神様ならば、八百万の神々よろしく世界は神様仏さま聖人君子で溢れかえって、宗教はナルシズムにすげ変わる。
なにがどうして、俺がそう見えるようになったのかは分からないが、相川には俺がそういう救世主だか教祖みたいに思えるようで、これじゃあまるで下手な宗教だ。本当に世界がナルシズムに飲み込まれてしまう。俺は宗教が好きじゃない。煙草が不味くなった。
「お父さんも煙草吸ってたんだ……。いつも煙草の匂いがして……」
相川が身体を起こして、俺に寄り掛かってきた。彼女は冷たい。その分、心が優しい。俺の手や身体は暖かいらしい。
「いいよ」
そう言ってやると、相川は堰を切ったように叫び始めた。はじめは分からなかったが、それは泣いていた。喘ぎながらでもなく、喉を絞められながらでもなく、ただただ泣き叫んでいたのだ。汗まみれで、新しい痣を作って、艶やかな髪を乱して。
ごめんなさいお父さん。ごめんなさいお母さん。ごめんなさい、許して、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
「あぁ、本当に悪い子だよ。本当にね、
声か、音か。よく分からない雑音が、さらに大きい雑音に掻き消されて、祈るような、縋るような彼女を優しく抱き締めながら俺は煙草の灰をきめ細やかな肌の上に落とすか否か、思案していた。
何処かで見たような光景だった。そう、一夏だ。一夏も俺に縋って、泣いていた。
なにが違うのか、俺は妹の時とは違う感覚を──感情が起きていたのだ。無ではなく、感じるものがあった。それがなんなのか、俺には理解が出来ないけれど、その未知の感情を迎合した。まるで、降って湧いたように現れたそれはこれまで感じたこともないような疼きを齎した。
その時、窓に写る俺は笑っていた。
笑っていたのだ。
千冬くん:恥の多い生涯を送ってます。びしょ濡れのイケメン。つい、うっかり、やっちゃった。求められたら、仕方ないね!!ベッド上で敵う者なしのスーパーヒーロー。おや、ちふゆくんのようすが……?
女マスター改め相川史華:メンヘラ。罰してほしいウーマン。腕は痣だらけで、元カレのDVで傷だらけ。たまたま通りかかった千冬くんを家にあげるも善意6下心4の本心を見抜かれて、非常に、パワフルな、殺意がかった頂かれ方をするも、全部望んだこと。
荒れてた時期に親に見放され、あとは放られたまま。実家には帰っておらず、流石に両親も心配しているが、あなたの娘さんは一番駄目な男に調教されてしまったので諦めましょう。どんな言葉も、心の籠った説得も謝罪も無意味です。
千冬くんの沼に填まる。ちなみに妹の名前は清香。
こういう描写に初めてチャレンジしてみましたが、なかなか難しいですね。うまくいかないものです。