……またいつものか。
そうやって溜息を吐くことすらなくなった今日この頃。部屋のドアをノックされてもベルベットは特に嫌がる素振りも見せずに客人を迎えに行く。
そう、彼女は油断していた。
「織斑……先生……?」
どうせまた専用機持ちの誰かだろうと高を括っていた。初めの頃は一番可能性の高い人物であったのに、今ではかなり意外な人が訪ねてきたと言える。
「私が来てはおかしいか?」
「いえ。そのようなことはありません」
最初こそ動揺したものの、すぐに毅然とした態度を取り戻す。
「何のご用でしょう?」
「今はお前一人か?」
同室のクーリェについて尋ねられているとすぐにわかる。ベルベットは軽く首肯を返した。
「そうか。ならば、少し邪魔をしていいか?」
「構いませんが……」
結局、何の用なのか確認できないまま、ベルベットは千冬を部屋に通した。
千冬が軽く室内を見回して一言。
「もっと殺風景な部屋だと思っていた」
「それは、私がつまらない人間だということですか?」
「違う。ちゃんと根を張っているようで安心したと言いたかった」
二人はテーブルを挟んで座る。いつもの悩み相談の指定席になっているところだが、今日ばかりは役割が違っている。
「部屋に上がり込んでこんなことを言うのもなんだが、今はIS学園の教師でなく織斑千冬個人として来ているつもりだ。だからこの場ではベルベットと呼んで構わないか?」
「好きになさってください」
返事をしてからよく考えてみる。普段は千冬からはヘルと呼ばれている。どの生徒も共通して名字で呼ぶことを徹底しているのは一夏を特別扱いしないという意志の表れだろうことは推測が立つ。
今は教師でなくプライベート。その途端に名前で呼ぶのは何故だろうか?
その疑問は尋ねるまでもなく、本人が答えを口に出すこととなる。
「正直なところ、ヘルとは呼びづらい。単純に日本語訳して地獄だぞ? それを真顔で呼ばなければならない辛さがお前にわかるか?」
まさかの愚痴だった。しかしそう言われてもベルベットにはどうしようもないことである。
「ヴィシュヌ・イサはギャラクシー……私の知る限り、タイ人でギャラクシーを名乗っているのは所属しているジムの名前を名乗ってるボクサーとかくらいだぞ? アイツもギャラクシーという名前のジムに所属してるのか?」
「いえ、知りませんが……」
「ローランディフィルネィに至っては長すぎると思わないか?」
「そのための愛称では?」
「生徒を公平に扱うためにはそういうわけにもいかんだろう。だがこうした呼びにくさが非常時に咄嗟に名前を出せないなどという間抜けな事態を引き起こしかねない」
「もう変なこだわりは捨てればいいと思うのですが。先生は更識姉とかコメット妹のように呼ぶこともありますけど、作戦時の指揮官という立場を考えると呼び方の区別はもっとハッキリさせた方がいいと思います」
「言いたいことはわかる。特に凰は姉と妹でないからややこしい。あの二人はもうフルネームで呼べばいいと考えているが……」
「公平にするという観点で考えるとロランもフルネームということになるのでは?」
「やめてくれ。頭が痛くなる」
やれやれとでも言いたげな千冬だったが口元は笑っていた。
「ではそろそろ本題に入るとしよう、ベルベット」
改まって本題。とはいってもオフモードの千冬の表情はかなり柔らかいため、緊張感はほぼなかった。
「お前は最近、専用機持ちたちの悩みを聞いてやっているそうだな」
「……率先して聞こうと思っているわけではありません」
「わかっている。人付き合いに関して、お前は私と似ているところがある」
「何が言いたいんです?」
「難しいことではないさ。私もただの相談者の一人というだけだ」
結局、このテーブルはまたもや悩み相談所と化すこととなった。
しかし教師が生徒に相談とは穏やかではない。
「本気、ですか?」
「最初から教師としてここに来たわけではないと言っているだろう?」
「……わかりました。聞くだけ聞きましょう」
正直に言ってしまえば、早く帰って欲しいところ。
そもそも誰とも深く関わりたくないと思っているのだから、厳しいことで有名な教師と親しくなる機会など望んでいるはずもない。
とは言っても追い返すのは現実的でない。ベルベットにできるのは状況に流されることだけだった。
「お前から見て、私は良き教師であると思うか?」
千冬個人として来たと宣言し、教師としての評価を尋ねてきた。つまり、お世辞は要らないという意思表示。千冬の本気を受けたベルベットは愛想笑いを返すことなどとてもできそうにない(そもそも愛想笑いなんてできない)。
「はい」
即答。肯定。元より生真面目なベルベットである。冗談や世辞でないことは千冬には伝わっている。
「解せないな。一度は私のことを非合理的だと批判しただろう?」
千冬が言及しているのはクリスマスの出来事。世界各地にイマージュ・オリジスが攻め込んできたとき、千冬はIS学園の戦力を分散しない方針を取ろうとしていた。普通ならば千冬の決定に異を唱える生徒など居ようはずもない。だがそのときだけは違っていた。
クーリェだ。彼女は戦略も戦術も全く知らない。故郷が襲われているとわかっているのに遠く離れたIS学園の地で黙って見ていることが我慢ならなかった。
年相応な幼さ。感情任せで先のことなど考えていない。だが彼女の言葉は間違いなく状況を動かした。
クーリェの涙を目にして黙っていられなかった者が居る。それが誰だったかは語るまでもない。彼女は冷徹な指揮官を前にして啖呵を切ったのだ。
――合理的な話をしましょう。
言い換えれば非論理的だとして相手を否定していることになる、その言葉を言ってのけた。
「否定したつもりはありません」
「だがお前は明確に私の方針に反対を表明しただろう?」
「あのとき、間違いなく全員の士気が低下していました。あれでは我々が集まっていたところで烏合の衆に劣る戦力であったと思われます」
「どこが良き教師だ?」
「正直に言わせてもらえば、指揮官として褒められたことではありません。しかし織斑先生はクーリェの思いを汲んで方針を翻しました。その一点で十分、良い先生だと思います」
「……指揮官失格か。耳が痛い話だな」
生徒からの手厳しい評価を受けた千冬だったが憑きものが落ちたかのような柔らかい笑みを浮かべている。
教師としての千冬は常に合理的な判断をしようと心がけている。だが千冬のそれには人間の心理が抜け落ちている。頑なになって自らの感情を排除しようとする傾向もあり、感情に従った最善策を自分から遠ざけてしまう失敗もしたことがある。
だが仕方がない。そもそも千冬が自分の感情に従えば、自分が前線に立ちたいの一点に収束する。煩わしさを強引に押し殺した結果、千冬の指揮は落ち着いているようで乱れている。
「参考になった。お前たちの士気……難しいものだ」
千冬が席を立った。ベルベットも後に続き、廊下に出たところで千冬が振り返る。
「合理的な話とお前は言った。だがお前のあの行動は果たして合理的だったのか?」
一つの問いかけを残して去って行った。
見送るベルベットは千冬の残した言葉を頭の中で反芻する。
「……わかってる。私はフォルテを……そのためにIS学園に来たのだから」
思い描くのはかつての親友の顔。その隣にはいつの間にかクーリェの顔も出てくるようになった。
ベルベットの真の望みは彼女自身も知らない。