この日、ベルベットの部屋を訪問してきた生徒に対して、ベルベットは全く違和感を覚えなかった。何故ならば、専用機持ちたちの中で彼女は既に少数派どころか最後の一人となっていたからである。
篠ノ之箒。ベルベットは彼女と交流がほぼないため、篠ノ之束の妹であるということくらいしか知らない。
これまで親交の有無にかかわらず、専用機持ちたちが自分を訪ねてきていた。『ベルベットが悩み相談を受け付けている』という噂を率先して流している者がいるらしいことは察していたが、どうやらその者の交友関係は狭く、専用機持ちばかり。唯一の心当たりである幼い少女のしたり顔を想像し、クスッと微笑む。
「何かおかしいだろうか?」
客人である箒が自らの身体を見下ろしている。考え事を顔に出していたことに気づいたベルベットはすぐさまキリッとしていつもの冷たい表情を作った。
「ごめんなさい、ちょっと考え事をしていたわ」
「ベルベットさんも思い出し笑いをするんですね」
「そこを意外と思われるのは心外ね」
「あ、すみません」
ベルベットとしては軽く言ったつもりでも、顔は笑っていないので軽く受け取ってくれる人はほぼいない。やや畏縮気味の箒に茶を出してから、単刀直入にいつものを始める。
「それで? あなたの用件は?」
「相談……というよりもあなたに質問したいことがあります」
箒の切り出し方は珍しいパターンだった。今までの相談はハッキリと言ってしまえば、相手がベルベットである必要がない。しかし箒は明確にベルベットにだからこそ言いたいと言っている。
その内容――聞いてしまえば簡単なことだった。
「もしあなたの身内が世界の敵となったとき、あなたはどうしますか?」
『もし』という仮定の質問ではあるが、ベルベットは正にその問いの渦中にいる。箒のその問いかけに対して最も真に迫る回答を示せるのはベルベットに違いなかった。
もう専用機持ちたちにはベルベットとフォルテ・サファイアの因縁はおおよそ伝わっている。無茶はしないと約束させられたベルベットだが、どこまで信用されているのかは定かではない。
基本的に楽観的でポジティブシンキングな織斑一夏はベルベットの負の覚悟を見誤っていた。しかし目の前の少女、篠ノ之箒もそうであるとは限らない。
「…………」
返答に窮する。そもそもこんな質問をぶつけられた時点で、『本当にフォルテとの因縁を穏便に済ませる気はあるのか?』と疑われているようなものだ。亡国機業の手先として倒さなければならないことはIS学園の総意に違いないが、フォルテ・サファイア個人を殺害対象としているわけではない。明確に殺人を視野に入れているベルベットは、真の意味で一夏たちの仲間となれたわけではなかった。
「……ご存じのとおり、私には姉がいます。どこをほっつき歩いているのかもわからない、それどころか私を家族として見てくれているのかすらも怪しい、そんな姉が」
ベルベットが黙っていると箒が語り出した。話を聞く限りでは、どうやら箒はベルベットを糾弾しに来たわけでなく、本当に単なる悩み相談として来たらしい。要するにベルベットの考えすぎだった。
「あなたはお姉さんのことが好きなの?」
「よくわかりません。嫌いかと聞かれても同じようにしか答えられないです」
「でも、無関心でもない」
「はい。あの人がいなくて、今の私の人生はありませんから」
おそらくそれは悪い意味が強いのだろう。限りなく無に近い感情を抱きながら無関心であるわけにはいかない。まるで義務であるかのように姉の存在を認識している。そんなように受け取れた。
「篠ノ之博士が世界の敵となることを想定しているの?」
「どう転んでも不思議ではありません。あの人が関われば、ありえないことなんてありえない。そうなったとき、私はどうするのか。それを想像したとき、気づきました。どのパターンを追ってみても、しっくりと来ないんです」
「姉の側についても、姉の敵となっても、信じるべき自分が定かではないということね……」
きっと正義がない。少なくとも想像できない。姉が世界の敵となるとき、姉を悪だと断じることができない。姉が世界中の軍隊に喧嘩を売った白騎士事件では、姉の方に正義があったのだと箒は思っている。
ベルベットの答えを求めたのは一般論が知りたかったからだろう。身内だからとついていくべきか、逆に殺してでも止めるべきか。誰かの答えと合わせることで安心を得ようとしたのだろう。
箒の意図は読めた。しかしだからこそベルベットは上手く答えられない。
答えは決まっているはず。身内だからこそ殺してでも止める。それがベルベットの答え。これを言ったところで、箒にはベルベットを糾弾する意図がないのだから何も問題は無いはずだった。
「私も……わからない」
問題の渦中に居るというのに、具体的な返答をすることができなかった。
「やっぱり、そうですか」
箒は一夏と同じ誤解をしている。相手が善人だと信じ切っている。
ベルベットは身内への殺意を胸に秘め、機会を窺っているだけの暗殺者である。迷いとは無縁な人物に対して、『やっぱり』などと言ってのけるのはお人好しが過ぎるというものだ。
――だが真実が見えていないのは果たして誰なのだろうか。
「わかりました。最悪な状況に陥ってもすぐに決断に至るとは限らない。必ずしも焦って決めることもない。そういうことですね」
「ち、違う! そうじゃない!」
箒が勝手に納得しようとしたのを大声で制してしまった。
「私は、フォルテを――」
「……この話はやめましょう。私が悩むにはまだ早すぎた。ベルベットさんを見ていて、そのことは良くわかりましたから」
箒からハンカチが差し出されてようやくベルベットは自分が涙していることに気づいた。
「では失礼しました」
去って行く箒を見送ることすら出来ず、ベルベットは思考する。
フォルテをこの手で殺す。そのためにIS学園に来た。イマージュ・オリジス迎撃はあくまで目的のための大義名分に過ぎない。
フォルテさえ殺せば、後のことはどうなろうとどうでもいい。そのはずだったのに――
「わからない……」
頭の中がぐちゃぐちゃになっている。
フォルテを殺したと仮定し、その後の自分……ではなく、その後のIS学園を想像する。
『あの子、一度も笑ったことがないの』
更識楯無の言葉がフラッシュバックした。
ベルベットはフォルテを殺すと同時に自分も死に至るつもりでいる。だがベルベットの当初の目的が果たされたとき、フォルテと自分自身のみだけでは終わらないかもしれない。