箒の相談を受けてからというもの、イマージュ・オリジスの迎撃任務以外において、ベルベットは教室と寮の往復しかしなくなった。本人は変わらぬ生活をしているつもりであるが、寮に帰ってからすぐに眠りに就いているのはたしかな変化である。誰とも関わらないために無意識にそうしているのだろう。事実、同室であるクーリェすらもしばらくベルベットとまともに会話できていない。
そんなある日、クーリェも眠っている真夜中にベルベットは目が覚めた。早い就寝なのだから仕方がない。そのままもう一度寝ることはできそうになかったので、とりあえず起き上がってみることにした。
「……外の空気を吸うのも悪くないわね」
こうして真夜中に起きて外を出歩くのも実は珍しいことではない。一人の時間を好むベルベットにとって、気楽に散歩できる真夜中は過ごしやすい空間だ。晴れた日には星空が見えるのもプラス要素だ。生憎、この日は満月で星明かりは霞んでしまっていたが。
冷たい夜風が布団で暖められていた身体の熱を奪っていく。それが逆に心地よい。冷え切る頃にはまた眠りに就くことが出来るだろう。
「――ベルベットさん」
結果的に真夜中の散歩は誤算だった。ここは一人の空間ではなく、会いたくなかった先客がいる。
ベルベットにかけられた声は男のもの。該当者は1名。
「織斑、一夏……?」
どうして、と尋ねることはしない。以前にもこうして夜中の散歩中に遭遇したことがあるからだ。今回も偶然鉢合わせたということだろう。
今日は話す気分ではなかった。ベルベットはそのまま一夏を無視して散歩に戻る。
だがその前に一夏が立ちはだかった。
「待ってください」
またしてもベルベットは見誤っていた。一夏は偶然ここにいたのではない。目的があって待っていたのだ。
誰を? 決まっている。この場に現れる可能性の高い生徒の筆頭は今ここにいるのだから。
「私に用?」
「はい。どうしてもベルベットさんに聞いて欲しいことがありまして」
「悪いけれど後にしてくれる? こんな時間だから……」
踵を返して立ち去ろうとするベルベット。
しかし彼女の左手を力強く一夏が掴んだ。
「逃げないでください」
「…………」
逃げたわけじゃない。そう否定する言葉を出せなかった。
ベルベットは立ち尽くす。この場をどう終わらせるか、考えても答えが出てこない。
「俺の悩み、聞いてもらえますか?」
「……勝手にすればいい」
やっと出てきた言葉はやや棘のある物言いになってしまった。
なんでもいいから早く終わらせて欲しい。それが本音である。
どうせまたベルベットにとってどうでもいい相談に決まっている。そう高をくくってもいた。
だが今日のベルベットの勘は全く当てにならない。
「ベルベットさんが悩んでるのをなんとかしたいんですけど、俺に何ができるのかわからなくて困っています」
相談という形だが本質は真逆。要するに一夏はベルベットに対して『相談に乗ろう』と言っているだけだ。
「じゃあ手を離してもらえる?」
「いえ、それはできません」
「困ったわね。もう部屋に戻って眠りたいのだけれど」
「わかりました。ついていきます。ここはちょっと肌寒いですし」
「あなたねぇ……その意味は理解している?」
「? もちろんですよ?」
絶対に理解していない。そう断言してもいいベルベットだったが、断言できるからこそ、このまま連れて行っても間違いは起きないという信頼性があってしまう。
「お邪魔します」
本当に部屋までついてきた。しかもベルベットの左手を握ったままというおまけつき。もしこの場を専用機持ちの誰かに見られていたら面倒なことになるのは間違いなかった。
「クーリェを起こさないでね」
「わかってます」
「それで? いつまで私の手を握っているのかしら?」
「あ、すみません!」
「声」
「あ……すみません……」
先ほどまでの強硬な姿勢はどこへ行ったのやら。謝りっぱなしの一夏はすっかり畏縮していた。
強引かと思えば頼りない一面を見せる。そんな彼の等身大の姿を見て、ベルベットはクスッと微笑む。
その笑顔を見た一夏も釣られて笑顔を見せた。
「あ、今、笑いました?」
「ええ、嘲笑よ」
「くっ! やっぱりか!」
「声」
「す、すみません……」
いつものテーブルに向かい合って座る。主導権を握ったベルベットは落ち着きを取り戻していた。
冷静になると一夏がこうして悩み相談という形でベルベットと話そうとしてきた理由が見えてくる。恋愛以外は鈍感でない一夏のことだから、困っている女の子を放っておけるはずもなかっただろう。
困っていたのはベルベット本人ではない。今も寝息を立てているであろう同室の彼女の寝顔を想像しつつ、またベルベットの頬が緩んだ。
「あなたには迷惑をかけたわ」
「へ? いや、今迷惑をかけてるのは俺の方――」
「そういうことにしておきましょう」
たとえ自分が不利になろうとも、あくまで誰に頼まれたかは伏せておく。行動の責任は自分にあると無意識に思っており、助けを求めてきた誰かの責任にはしない。こういう気遣いを当たり前にしている点は彼の長所だと言える。
「それで? 私が何を悩んでいるのかが知りたい、ということでいいの?」
「はい。俺はベルベットさんの力になりたいんです」
既に一夏はフォルテ関連のことで悩んでいると推測している。たしかにベルベットが悩むことと言えばフォルテに関わることしかないのだが、それだけかと問われれば否であった。
フォルテだけなら結論はギリシャにいたときに出ている。問題はIS学園に来てから発生した。
誰とも関わる気がなかったのに、ベルベットを頼る少女という存在が生まれてしまったのだ。
「答える前に、私から質問するわ」
「わかりました」
「もし織斑先生が世界の敵となってIS学園から消えたとしたら、あなたはどうする?」
箒にされた質問と似たことを今度は一夏に聞いてみた。彼は多くの生徒に慕われている。もし彼が千冬一人のために自分の身を蔑ろにすれば、ベルベットの比ではない数の人間を悲しませることになる。
ずっとベルベットが悩んでいた問題。それを聞いても一夏は特に考え込むような素振りを見せなかった。
「引っぱたいてでも連れ戻す。俺一人じゃ無理かもしれないけど、皆の力を借りればなんとかなるさ。たとえ千冬姉が相手でも」
なんと楽観的なのだろうか。あまりの考えのなさにベルベットは眩しさすら覚えた。
そして、気づいたことがある。
「“皆”で?」
「はい。俺が一人で足掻いたところでどうしようもなさそうですから。だからといって自暴自棄になるような必要もない。俺は仲間に恵まれてますから」
ベルベットとの決定的な違いがここにあった。仲間と道を切り開くという発想はベルベットにはなかったものだった。
「羨ましいわね」
「何を言ってるんですか。ベルベットさんには俺がいます」
ほぼ告白に近い言葉を受けて、流石のベルベットの鼓動も速くなる。だがそれも束の間――
「IS学園の皆がいます」
胸の高揚は一瞬で急落し、熱は溜息となって排出された。
そんなベルベットの様子には一切気づかず、一夏は続ける。
「だから、頼ってください。俺に出来ることがあればなんでもしますから」
「なんでも……?」
「はい」
少なくとも、もうベルベットは悩みとは無縁となっていた。フォルテを殺さず、同時に彼女を救う方法があるかもしれない。ベルベットに思いつかないだけで、“仲間”の誰かが思いつくかもしれない。その可能性を切り捨てることは、今のベルベットにはできないし、する意味もなかった。
そもそもの話、フォルテ殺害を躊躇し始めた時点でやめるべきだった。その理由が今の生活にあるのならば尚更のこと。このまま消えようとするのは、クーリェ・ルククシェフカを第2のベルベット・ヘルにしてしまう愚かな行為となりうる。
悲しいだけの結末は嫌だった。フォルテだって殺したいわけじゃなくて、より大きな悲劇を避けたかったからだ。
「わかった。私の悩みを話すわ」
結論は出た。一夏の望むとおり、ベルベットの悩みを伝えることにする。
「最近疲れ気味なの。だから噂に聞くあなたのマッサージを受けてみたい」
「へ?」
想定外の頼みが出てきて間抜け面をする一夏。
ベルベットはすっとぼけたまま残念そうに首を傾げる。
「やはり迷惑かしら」
「あ、いえ。それくらいならすぐにでもやりますけど……」
それでいいんですかとでも言いたげだったが最後まで言わなかった。彼にとってマッサージは性的なものではないので触る相手を女性として意識することは全くない。
「では移動しましょう」
「どこへ?」
「あなたの部屋に決まっているわ。クーリェが寝ているからここでは明かりを付けられない」
結局のところ、ベルベットは自らの抱える問題を吐き出さなかった。しかし何も変わらなかったことはなく、今の仲間を遠ざけようとすることの無意味さは自覚した。
もう自分が消える選択肢はない。
現実から逃げることは許されない。
前を向いて、フォルテと対面する。殺すかどうかはそのときに決めればいい。
とりあえず言えるのは、これからは自分が消える想定をせずにIS学園で過ごせばいいことになる。
クーリェが一人前になるまで付き添ってやれる。
それはとても楽しそうだ、と思えた。
終わり