とある平日の放課後。特に訓練の予定を入れていなかったベルベットは他にすることもないので寮に直帰した。
だからだろうか。ドアノブに手を掛けて回しても扉が開きそうにない。そこで初めて気づく。
「……そういえば、いつもクーリェが先に帰ってたのね」
同室の幼い相方はいつも先に帰っていてベルベットを出迎えてくれるのが常だった。これまでは今日のようにベルベットが訓練をしていない日でもクーリェは必ず先に帰っていた。だからか、帰ってきて鍵を開けようという習慣が抜け落ちていた。
「珍しいこともあるものね。あの子、戦闘の訓練に積極的じゃなさそうだったから」
元々高いIS適性値を示していたクーリェではあったが、精神的な幼さのためにIS操縦者としての訓練はしてきていなかったとベルベットは聞いている。イマージュ・オリジスの襲撃があってから、ロシア代表である更識楯無によってIS操縦者としてある程度鍛えられてからようやくIS学園にやってきた。
現在いる専用機持ちの中で圧倒的に経験が足りていない。にもかかわらず周囲と遜色のない戦闘をこなしているのはクーリェの持っているセンスの高さ故だろう。
ほぼ才能だけで戦っている。幼さと優しさのため、必要に迫られないと戦おうとはしない。本当は戦いたくないからだ。
「……私がもっと強ければ、あの子を無理矢理戦場に出すこともないかもしれないけれど」
呟いてから己の非合理さに呆れる。いくらベルベットの戦闘能力が高くとも、クーリェが戦場に出る事実は覆らないだろう。出せる戦力を出さない理由にはならないからだ。
自室で特にすることもないベルベットはとりあえず椅子に座る。ちょうどそのタイミングで入り口のドアがノックもなしに開けられた。
「ただいま」
「……おかえり」
クーリェが帰ってきた。彼女に『おかえり』と言うのはこれが初めてだ、とそんなどうでもいいことを考える。
部屋に入ったクーリェはすぐにドアを閉めようとしない。注意を促そうとしたとき、彼女の後ろに誰かが立っていることに気がついた。
「こ、こんにちはー」
フランス代表候補生、シャルロット・デュノアだった。どうやらクーリェが連れてきたらしい。この居室に住人以外の人間が客人として足を踏み入れるのは初めてのことである。
あくまでクーリェの客人である。「こんにちは」とだけ返したベルベットはテキトーに読む気もない本を広げて読みふけっているフリをする。『私は関係ないから好きにしてて』と態度で訴えた。
ところがだ。ベルベットの服がくいくいと引っ張られる。
「助けて、ベルベット」
いきなりクーリェに助けを求められた。現状がさっぱりわからない。こうなっては無視を決め込むのは難しい。
「……どうしたの?」
クーリェとシャルロットの2人を交互に見ながら問いかける。クーリェはシャルロットを見ているばかりで口を開こうとしない。
「あ、えーと――」
「あなた……この子に何か、したの?」
「い、いや、そういうことじゃなくて!」
ベルベットの訝しげな視線を受けてシャルロットはあたふたしている。ここで己の失策に気づいたクーリェが先ほどの言葉に付け足す。
「シャルロットが困ってたから、なんとかしたいの」
ようやくベルベットの理解が追いついた。どうやらクーリェがお節介を焼いているらしい。それがどうして自分に助けを求めることになるのかは皆目見当も付かないことではあるのだが。
「そう……それで、あなたはどうしたいのかしら?」
ベルベットの視線はシャルロットに移る。何か困っているらしいが本人がどうにかしたいと考えていなければベルベットから何かをしてあげる理由は全くない。
「……いきなりで悪いんですけど、相談に乗ってもらえますか?」
シャルロットはクーリェとは交流があるものの、ベルベットとはあまり会話をしたことがない。当然、ベルベットは疑問に思う。
「どうして、私なの……?」
「やっぱりそうですよね。すみませんでした」
そう言って立ち去ろうと席を立ったシャルロットの腕をクーリェが掴んで引き留める。
同時にベルベットの顔をじーっと見つめた。
「……まあ、いいわ。私で良ければ、話してもらえる?」
クーリェの視線に屈したベルベットは仕方なく相談とやらを受けることにした。
「実は相談というのは、簡単に言うと進路についてなんです」
「進路……? この学園の卒業後の進路は入学時点である程度決まっているものだと思うのだけれど」
「普通ならそうです。でも僕の場合は少々特殊な事情がありまして――」
そうして語られるのはシャルロットの素性。
社長令嬢という身分は飾りであり、愛人の娘であるシャルロットはデュノア家に居場所がない。
元々はデュノア社のスパイ“シャルル・デュノア”としてIS学園に潜入していた。こうしてIS学園に“シャルロット・デュノア”がいるのはデュノア社を裏切ったからである。IS学園に籍を置いている限り、デュノア社はシャルロットに手出しできないことを利用して。
「――IS学園に守られているから今がある。だから卒業してしまえば自分を守るものは何もない。そう言いたいわけね?」
「きっと一夏は僕を守ろうとしてくれる。だけど、ルールが味方してくれなくなったとき、一夏が無茶してしまえば一夏の立場が危うくなる。それだけは嫌なんです」
「なるほど……信頼してるのね、彼のこと」
「はい。でも守られてるだけの僕じゃ彼の隣に立てない。この問題は僕自身が解決しないといけないと思ってます」
相談相手がベルベットである理由も見えてきた。織斑一夏を始めとするシャルロットに親しい人物にこのような相談をしてしまえば、それこそその人物を巻き込むことになる。だからある程度の距離感がある人物に頼りたかったのだ。
シャルロットのその思惑は間違っていない。ベルベットにはシャルロットの事情に親身になってまで解決しようという意志は欠片も存在していない。精々、出来ることと言えば、思ったことを口にするだけだ。
「織斑一夏は、女の子を守ることにアイデンティティを覚えている節が見られる。あなたの危機を聞きつければ、瞬く間に駆けつける。理に適ってるわ」
「はい。ですから、一夏が無茶をする必要のない、僕の進むべき道が知りたいわけで――」
「人の心にも理屈はあるの。感情論と呼ばれるものにもね。あなたは織斑一夏の理屈を理解しているようだけど、それ以外のことにはとても盲目になっているわ」
「僕に、見えてないこと……?」
「そう……父親と確執があることは聞いた。酷い仕打ちを受けたことも聞いた。でもあなたの説明からでは、あなたの父親の心が何も見えてこない」
「当たり前だよ! ……あの人に人間の心なんかあるわけない」
強い口調で怒鳴る寸前のシャルロット。彼女がここまで声を荒げることは非常に珍しいことであり、この場をセッティングしたクーリェもビックリしてビクビクしている。
そんなシャルロットの激昂も柳に風。ベルベットは涼しい顔を崩さずに続ける。
「あなたの母親の死後、デュノア社長は存在すら疎ましく思っているあなたを娘として引き取った。この時点で理屈に合わない」
「どこがですか!」
「デュノア社長があなたの言うとおりの冷徹なだけの人間だったならば。あなたを娘として扱っていないのならば。あなたの存在をなかったことにして、無視を決め込むのが最も合理的なのよ」
「え……?」
一瞬だけシャルロットが目を見開く。今の自分の境遇よりも最悪な事態がありえたことに気がついたのだ。
だが認めるわけにはいかない。自分が父に利用されている人形だったことにしなければ、今の自分が壊れてしまう気がした。
「父は体面を気にして僕を引き取った」
「誰も存在を認知していなかったあなたを引き取ることの方が逆に体面に傷が付くと思うのだけれど?」
「IS操縦者として利用しようと――」
「適性が発覚したのは引き取った後よね? 結果論でしかないものはきっかけの根拠として弱すぎる」
「じゃあ、どうして“シャルル・デュノア”が生まれたんですかっ!」
シャルロットの今までの認識が全て不合理だとして否定されている。理由をつけようとしても答えが出ず、シャルロットは子供みたいに喚くことしかできなくなった。
「……その答えを聞く相手は私じゃないわ。誰に聞くべきか。誰に聞くしかないか。わかるわね?」
「でも、僕はあの人と話せそうにない……」
「あなただけなら無理かもしれない。でも人と人が向き合うのに、一対一でなければならないなんて理屈はないわ。あなたには頼れる仲間がいるのだから」
「一夏……いや、でもそれじゃ今までと何も変わらない」
「一人で抱え込むことの方が迷惑をかける可能性もある。そういう視点も持ちなさい」
お互いにこれ以上の言葉は出なかった。
何が解決したわけでなくとも、少しだけ視野が広がったシャルロットは最後には上を向いていた。彼女は礼を言って部屋を去り、クーリェが見送りについていく。
一人部屋に残されたベルベットは頬杖を突いて溜息を漏らす。
「『一人で抱え込む方が迷惑をかける』だなんてどの口が言うんだか……自分に向かってそんなことを言う気はないくせに」