「私、まだ休憩に入れてないから、その後でならいいよ!」
無情なまりなさんの好意で、Roseliaの練習の後半1時間を見ることになった。
前半の1時間の間にまりなさんには休憩に入ってもらい、俺は放置したままのギターのメンテナンスと電話番に励む。オイルを塗布したままだったギターの指板はすっかり潤い、あとは弦を張るだけの状態になっていた。
鷲のイラストがプリントされた黄色いパッケージを破いて、丸まった新品の弦を取り出し、クロス越しに指で摘まんで引っ張り巻き癖を直す。ボディ裏から弦を通して、1本1本ペグに巻き付けてチューニングをする。
オクターブピッチを確認し問題がなければ、動作確認用の小さなアンプに繋いで軽く弾いてみて電装系の確認をする。
「お疲れさまー、相変わらず器用だね。はい、これ奢り」
「ありがとうございます。どうしました、まだ10分くらい休憩時間残ってますよね?」
「さすがに高橋君もぶっ通しはしんどいでしょ?休憩がてら、ちょっとお姉さんとおしゃべりしようよ」
「珍しいですね・・・。コーヒー、頂きます」
ギターをスタンドに立てかけて、手渡された紙コップに満たされたコーヒーを一口啜る。なんだかんだで疲れていたのだろう、温かいコーヒーの熱が体に染みわたっていく。
そういえば、この間の羽沢さんの所のコーヒーはとても美味しかった。次の休みにでもまた行きたいなぁ。
「リサちゃんの先生、本当にすることにしたんだ?どういう心境の変化?」
「正直、自分でもよくわかってないです。ただなんでか彼女のベースが気になったから」
「そっか、でもちょっと安心したよ。高橋君、音楽には関わり続けているけど、どこかベースを遠ざけてるような感じがしてたから」
「別に遠ざけてはないでしょう。たまに頼まれたらサポートに入ってますし」
「それはお小遣い稼ぎのためでしょう?そういうのじゃなくて、純粋に好きでベース関わる君が、久しぶりだなって思ったの」
「リサの件に関しては、まりなさんの掌の上って感じでしたけどね」
「もう、ああ言えばこう言うんだから!」
まりなさんに髪の毛をぐしゃぐしゃにされる。
しかし実際そうだろう。俺の失言が発端だったとはいえ、ここまで話が広がったのは間違いなく彼女の行動が大きく影響している。
あの日からずっとこうして気にかけて貰って、この人には一生頭が上がらないんじゃと思えてくる。
「リサちゃんの先生、頑張ってね。応援してるから」
「善処します」
「そこは素直に、頑張るって言えばいいの!」
苦笑するまりなさんだけど、その笑顔が妙に温かくてこそばゆい気持ちになった。
それをごまかすように、紙コップの中の黒い液体を口に流し込む。
防音扉の開く音がした。そちらに目を向けると気まずそうにリサがこちらの様子を窺っていた。扉のガラス窓から先程までのやりとりを見ていたのだろう。
「えーっと、お邪魔したらマズい感じだったり?友希那がそろそろ練習を見てほしいって言っててさ・・・」
「いや大丈夫、いじめられてて困ってたとこ。ナイスタイミングだよ、今そっち行く」
「誰がいじめてるってー?」
「なにかあったら呼んでください。後はよろしくお願いします、コーヒーご馳走様でした」
カウンターに戻って私物のICレコーダーとメモ帳とを手に取ると、スタジオへそそくさと逃げ込む。怖い怖い鬼から逃げないと。
リサが呆れたような視線をこちらに送る。
「ねぇ、陽さん本当はまりなさんと付き合ってたりしない?」
「この間も言ったけど、そんなんじゃないよ」
そんな恐れ多い。まりなさんは俺にとってかけがえのない恩人だ。とてもそういう目ではみられない。本人には絶対に言わないけれど。
「怪しいんだけどなぁ・・・」とぼやくリサの声を聞き流して、Roseliaの待つスタジオへと足を踏み入れた。
スタジオの中は籠った熱と、濃密な音楽の余韻とが充満していた。
アンプから薄く流れるノイズが、マイクが拾う小さな衣擦れの音が、やたらと懐かしさを刺激する。
うっすらと汗を滲ませた、Roseliaのメンバーと向き合う。
「湊さんからリクエストがあったから、終了時間まで練習を見させてもらうね。まぁ口を挟む気は無いから、いつも通りの練習を見せて貰えれば大丈夫だから」
「仕事中に無理を言ってごめんなさい。いたらない所があれば、演奏を止めて口を挟んで貰って一向にかまわないわ」
「・・・おっけー、じゃあ気になったらバシバシ言っていくから。練習の音を録音してもいい?後から聴いて改善点探したいからさ。リサにデータ渡すから皆にも聴いてもらえると嬉しい、自分の演奏を客観的に聴くのってすごく大切だから」
「もちろん大丈夫よ、よろしくお願いします」
湊さんに続いてRoseliaの面々も「よろしくお願いします」と声を上げるので「こちらこそ、よろしくお願いします」と返す。
楽器を構えた彼女たちと対面になる位置に椅子を持ってきて腰かけ、余っているマイクスタンドにICレコーダーを括り付ける。録音の開始ボタンを押す。
「それじゃ、始めてください」
次の瞬間、スタジオ内が彼女たちの吐きだす音でいっぱいに満たされた。
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