リサの温かなベースの音とは対照的な、氷川さんの無機質に歪んだギターの音がスタジオ内を満たす。
その音はどこまでも正確無比で、まるで精密機械が弾いているかのようだ。氷川さんのギターの前では、決して狂うことのないクリックでさえも、どこか頼りのないものに感じてしまう。
ギター単体で聴かせて貰うのは初だけど、これは凄い・・・。
ギタリストとふたりでスタジオにはいるのは、随分と久しぶりのことだ。
最も以前一緒に入っていたやつとは、ロクに練習もせずに喧嘩ばかりで利用時間を消化していたのだけど。憤怒の表情を浮かべて、赤いギターを振りかぶる彼女のことを思い出し苦笑する。
記憶の隅に無理矢理押し込めた彼女の記憶は、最近になってちらほら姿を現わすようになった。以前までならきっと耐えられなかっただろう。この心境の変化はリサのおかげなのだろうか。
氷川さんのギターの音が止む。いけない、思考が停滞していた。
コーヒーを一口啜る。
「高橋さん、いかがでしたか?私の音は」
「上手い。1人だった頃に比べて随分と上手くなったね。正直引くほど上手い」
「・・・それは褒められているのかしら?」
「褒めてる褒めてる。氷川さん、ちょっと歪みを全部切ってクリーントーンで、今と同じやつを俺が止めるまで弾いてみてくれない?」
「はい、わかりました」
氷川さんの細く華奢な脚がローファーの爪先で、エフェクターのスイッチを踏み、アンプのチャンネルもクリーンに踏み変える。前に勇人が言っていた、氷川さんに踏まれたいという妄言を思い出し、少しだけ共感してしまいそうになった。
「では、いきますーー」
先程までのディストーションのかかった激しい音とは打って変わって、煌びやかなクリーントーンが氷川さんの手を介して紡ぎ出される。
コードの構成音がひとつひとつ聴こえてくるような恐くなるくらいの分離感、フレットを移動する際のノイズも最小限。
普通、極度のクリーントーンで弾くと、歪みに隠れていた小さな綻びが全て明るみに出るため、一見上手な人でも途端にグダグダな演奏になってしまう場合が多いのだが、氷川さんのプレイは歪ませているときとなんら変わりなく正確で美しい。
「いいよ、止めて」
彼女の爪先でミュートスイッチが踏まれると、煌びやかなギターの音が一瞬で止んだ。
「うん、やっぱり上手い」
「ありがとうございます。音の方はいかがでしたか?」
「びっくりするくらい均一な音だなと思った。レコーディングスタジオの馬鹿高いコンプを通してるのかなってくらい」
「なるほど・・・やはりそうですか」
「あ・・・もしかして、氷川さんが悩んでることって、この音のこと?」
コクリと氷川さんは頷いた。
コンプのかかったような均一な音、それは裏を返せば、抑揚のない無機質な音だということになる。
精密機械のようなピッキングは大きな武器だが、それしか出来ないとなると話は大きく変わってきてしまう。
「氷川日菜という娘を、高橋さんはご存知ですか?」
「確か・・・、Pastel*Palettesのギターの娘だったかな?ガールズバンドパーティーに出演してた。見た目はアイドルなのに頭のネジ外れたプレイしてたから記憶に残ってる」
「その頭のネジが外れた娘は、私の妹です」
「失言でした」
同じ苗字だった。気づこうよ俺・・・。
あのバンドのバランスの悪さは、いい意味で衝撃的だった。
アイドルらしい甘ったるい歌声と、決して上手ではない鍵盤とベースの腕前、それを支える異様に上手すぎるドラムの腕前。
そんなアイドルバンドな世界観に突然、宇宙人に連れ去られて脳ミソを弄られた直後のような意味の分からない、けれどなぜかバンドサウンドにハマってしまうギターが鳴り響くのだからアンバランスもいいところだ。
「氷川さんの妹さんだったんだ彼女・・・。ギターのスタイル、氷川さんと真逆過ぎない?」
「・・・混乱するので私のことは紗夜で大丈夫です。あの娘は天才なんです、センスで全てをどうにかできてしまう」
天才という言葉は確かにしっくりくる。妹さんのギターにぴったりの言葉だ。
「あの娘と同じギターを弾きたいとは今は思いません。その辺りのことは吹っ切れましたから。でも私にはないあの表現力が時折、羨ましく思えてしまって・・・」
「紗夜は、恋をしてる?」
「・・・は?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、紗夜は固まってしまう。
いつも澄ました顔かしかめっ面ばかりを見せられていたから、こういう表情は新鮮だ。
「それはギターに関係のある話なのでしょうか?」
「あるある、大いにある。表現は人生経験がとっても大事だから。特に恋は大事」
「・・・すみません意味が理解できません」
表現の仕方を伝えることは技術を伝えることよりも、別次元の難しさがある。表現には正しい練習法なんてものが存在しないからだ。
「物の例えだけどさ、ギターを弾くんじゃなく、ギターで歌うって考えるようにすると良いかもしれない」
「ギターで歌う?」
「そうそう、紗夜が好きだっていってたカートコバーンの音って、まるで叫んでるように聴こえない?それこそカートの歌みたいに」
「確かに・・・、そう言われてみると」
「それと同じで、紗夜もギターで歌えばいいんだ。カートは鬱屈した感情や怒りをギターから吐き出してたんだって俺は思ってる。紗夜は何を歌いたい?それがわかると、良い表現に繋がっていくんだと思う」
「私が歌いたいこと、ですか・・・」
「歌いたいことが定まったら、さっき言ってた恋みたいな人生経験が音に厚みを与えてくれるようになるから、たくさん、色々な経験をするといいよ。紗夜にはもうギターを歌わせるための技術が備わってるからあと少しだ」
楽器は感情と技術のバランスが大切で、どちらか偏ってしまうと途端に音楽的じゃなくなってしまう。
紗夜の場合、技術がすでに一級品に仕上がっているから、後はそこに感情を足していくだけで良い。
高校生でこの状態にあるのは、正直とんでもないことだ。
「・・・なんとなくですか、わかったような気がします。ありがとうございます、あなたに相談してみて正解でした」
「禅問答みたいになっちゃったけど、力になれたなら嬉しい。紗夜なら間違いなく良いギタリストになるよ」
珍しく柔らかく微笑む彼女の表情は素敵で、ずっと笑っていればいいのにと心から思った。
リサにもこういう話をする時がくるのだろうか?また意地悪と言われてしまうかもしれないが、彼女が表現に悩む日が来ることを待ち遠しく思っている自分がいた。
喋りすぎて乾いてしまった口を、すっかり冷めきったコーヒーで潤す。それをみた紗夜が「あっ」と声を上げた。
「すみません、せっかく頂いたコーヒーを外に置きっぱなしにしてきてしまいました・・・」
「えっ!?・・・あーいいよ気にしないで、きっと店員さんが片づけてくれたよ」
「・・・高橋さん、あなた先程までミルクの入ったコーヒーを飲まれてましたよね?」
「・・・そうだったかな?」
「カップの縁にリップの色が付いていますが、男性なのに珍しいですね」
「ウソ!?」
慌ててカップの縁を確認するが、まっさらでリップの色なんてどこにも付着していない。・・・やられた。
「貴方という人は・・・、今井さんと湊さんの話、どうやら本当なのかもしれませんね」
「待って違う!あれは本当に濡れ衣だって!」
「誰が信じますか!そうやって言葉巧みに、ふたりにも付け込んだのでしょう?私は騙されませんよ!」
せっかく柔らかくなった表情はどこかへと消え去ってしまい、見慣れた怒り顔の紗夜に攻め立てられる。
紗夜のギターはきっとパンクスに向いていると思う。この俺に向けている怒りをギターから吐き出すことが出来るようになれば、彼女は立派なパンクロッカーだ。
鋲だらけの革ジャンを身にまとい、髪を逆立てた紗夜の姿を想像してつい吹き出してしまう。
今日のこの出来事もすぐRoseliaで共有されてしまうんだろうな・・・。次にリサに会う日までを怯えて過ごすことになりそうだ。
突然吹き出した俺に、怒りのボルテージをさらに高めた紗夜の怒鳴り声を聞き流しつつ、そんなことを思った。