「うっわー、何コレ凄い!」
所々、真っ赤な塗装が剥げ落ちて木部が露わになっている、ジャズベースを見たリサの猫目が、丸く見開かれる。
ロビーのテーブルの上には、リサが飲みきれずテイクアウトしたカフェオレの紙コップ、事務所から持ってきた俺のベースが並んでいる。
「ごめんなボロボロで。サブだと思って耐えてくれ。音はちゃんと出るから」
「イヤイヤ、カッコいいよ!ヴィンテージって言うんだよね、こういうの?」
「ヴィンテージっていうか、ただ古いだけっていうか・・・」
Fender、77年製の赤いジャズベース、決して評価の高い年代の物ではないが、アタリの個体だったようで鳴りは抜群に良い。ちなみに電装系が大幅に交換されてしまっているため、ヴィンテージとしての価値はほぼ無かったりする。
「高橋君がこれを人に貸す日が来るだなんて、夢にも思わなかったなぁ・・・」
「え、コレめちゃくちゃ高かったりする・・・?」
「リサのベースより全然安物だって。ただベース始めたときから使ってるから、使用期間が長いってだけ」
「むしろそっちの方がプレッシャーだよ・・・。何年くらい使ってるの?」
「始めたのが高1で今が23だから・・・、もう7年か。うわ急におっさんになった気がする」
「高橋君がおっさんなら、私はおばさんだね!」
「失言でした」
笑顔が怖い。久しぶりに感じる、まりなさんの圧が凄い。
さっさと結婚すればいいのに。もう数年もすれば元気にみそーー
「高橋君」
「まだなにも言ってません」
そもそも言うつもりもない。そんなに顔に出やすいのかな。まりなさんには口に出せない事を考えていると何故だか大概バレる。
俺とまりなさんとの間では定番のやり取りを繰り広げていると、袖口を控えめに引っ張られた。
「ねぇ、陽さん。ホントにアタシが借りちゃって大丈夫コレ?思ってたより色々凄いのがきちゃってビックリしてるんだけど・・・」
「そんな気負わないで、サポートだと5弦ばかりであんまり弾いてやれてなかったし。リサが弾いてくれた方がコイツも喜ぶよ」
「そっかー、うん、そうなのかなー・・・」
「俺、人に楽器触らせるの好きじゃないんだけど、特にこれは思い入れもそれなりにあるから。だけどリサにだったら弾いて欲しいって思ったから、だから自信持って弾いて欲しい。俺は、俺の弟子のリサを信頼してるから」
テーブルからベースを持ち上げる。7年間連れ添ったベースはボディもネックも、あらゆる部分が自分の体の一部のようで、これをリサに渡すのはとても特別なことのように思えた。
ベースをリサに差し出すと、おっかなびっくり伸びてきた手が、一瞬俺の手に触れて、そしてリサの手の中に俺の一部であるボロボロのベースが収まった。
うん、似合っている。
ベースを構えたリサは4弦の開放弦を控えめに鳴らす。
聴き慣れた音とは少し違うけれど、新しい持ち主にベースが喜んでいるように見えた。
最初は貸すだけのつもりだったけれど、彼女に譲ってしまっていいかもしれない。
そう思えてしまうくらいに、ベースを構えるリサの姿は、なんていうか綺麗だった。
「陽さん、アタシもっと頑張って上手くなるね」
「うん、期待してる」
リサの瞳が輝く。不安はもう払拭されたようだ。
自分の一部だったものが、彼女に受け継がれていくことに、今まで感じた事のない充足感のようなものが、胸に満たされた。
「・・・おふたりさん、凄くいい雰囲気だね。お姉さん30分くらい外そうか?」
「余計な気を回さなくて結構です」
30分も外されたら、Roseliaの面々が集まってしまうでしょ・・・
その後、Roseliaのバンド練習が始まるまでの間、簡単にベースの使い方を伝えた。
リサの使っているものと、多少ではあるが構造に違いがあるため、それを修正するためのエフェクターだったりを渡して、その説明もする。
そうこうしているうちに、Roseliaのメンバーが続々と集まってきた。
「わーリサ姉なにそれカッコイイ!なんていうかこう・・・封印されし深紅の剣が、悪魔の・・えっと悪魔の、えっと」
「あこちゃん、あこちゃん・・・」
「うん、うんわかった・・・封印されし深紅の剣が悪魔の力によって現世へと蘇ったのだ!って感じ!」
ありがとーりんりん!と白金さんに抱きつくあこちゃんだけど、2人ともそれでいくと俺かリサが悪魔ってことになるよね。
「陽さん、悪魔だって。ドSだし確かに悪魔っぽいかも」
「いやいや、リサの方かもしれないぞ?ほら小悪魔って感じだし」
「・・・陽さん、これがリサに貸すベース?随分なものを引っ張り出してきたわね・・・」
「友希那の親父さんに比べたら可愛い方だと思うけど」
「女子高生にヴィンテージを持たせるのも大概よ。これを聞いたらお父さん、悔しがるわ。これまでリサの機材は全てお父さん経由だったから」
それはそれでどうなのだろう。親バカが隣宅にまで漏れているじゃないか。
未だ見ぬ友希那の親父さんの印象は歪んでいく一方だ。
「おはようございます。すみません委員会で遅くなりました」
凛とした声が賑やかなスタジオに響く。唯一到着していなかった紗夜がやってきた。
遅くなったと言うが、時間までまだ10分程余裕がある。
そういえばリサが話題に出さないからすっかり失念していたが、先日の紗夜との間接キスの件は一体どうなったのだろう。
はたりと紗夜と視線がかち合った。
背筋に冷たい感覚が走る。
「おはようございます高橋さん。先日はありがとうございました。また掴みきれてはいませんが前進した気がします」
「お、おはよう紗夜。役に立てたなら嬉しいよ、うん」
「また機会がありましたら、よろしくお願いしますね。・・・今井さん、それが話していたベースですか?また随分なものを渡されましたね」
友希那と同じような言い回しでリサの持つベースに興味を向ける。
この感じだと、あの件は紗夜の中で収めてくれたらしい。さすがRoseliaのメンバーの中でも落ち着いているだけある。どこかの友希那とは大違いだ。
友希那の視線が急にこちらを向く。感情の読めない瞳に飲み込まれそうになり慌てて目を逸らした。顔に出ていたのだろうか、それにしても勘が鋭すぎる。
「Roseliaのメンバーもうみんな揃ったよね?少し早いけどもうスタジオ準備出来てるから入っちゃってもいいよー!」
ありがとうございます、とスタジオへ向かうRoseliaの面々を見送る。
また暇な時間がやってくるな。リサのベースのメンテを始めてしまおうか。
「それじゃ陽さんのベースで練習がんばるね!」
「うん、なにか使いづらい所とかあったら遠慮しないで言って。・・・リサ、カフェオレ忘れてるぞ?」
ベースを手にスタジオの入口へと向かうリサに声をかける。
紗夜といい、せっかく奢ったんだから忘れないでくれると助かる。
紙コップをリサへと差し出すが、悪戯っぽい笑顔を浮かべて受け取ろうとしない。
「残り、陽さんが飲んでよ。紗夜のは飲めて、アタシのはダメって言わないよねー?」
そう言い残して、小悪魔は防音扉を閉じてしまった。聞いてたのか・・・。
手に持つ紙コップを見ると縁には紗夜のときとは違い、薄く赤いリサの唇の痕が残っている。
せめてもの抵抗で、その赤い部分を避けて一気に飲み干してやった。
冷たくなったカフェオレは、さっき飲んだものよりもやたらと甘ったるくて、なぜだか少し甘酸っぱかった。
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