規則的に打ち鳴らされるクリック音と同時に弾き出されたリサの低音が空気を震わせる。
レッスンを始めて間もない頃は、基礎のクロマチックですらリズムがブレていたというのに、今では曲のラインも立派に弾きこなせるようになった。
たったの2ヶ月程でここまで成長するとは思わなかった。嬉しいような、少し寂しいような、不思議な感情が生まれる。
「おっけー。これなら、明日のライブも大丈夫そうだな」
「陽さんが素直に褒めるって・・・。ライブ前だからって変に気使ってたりとかじゃないよね?」
「なんで疑心暗鬼になってるんだよ・・・。ベースの調子は問題ない?」
「だって珍しいから、いつもはダメ出しばっかだし。大丈夫!むしろ前よりも弾きやすいくらい」
リサの手には1週間程前にメンテナンスを終えた、彼女自慢のESP BTLが深紅のボディをピカピカと光らせて収まっている。
やはりリサにはこちらの方がよく似合う。
「陽さんのベースって今どうしてるの?返せって言うから返したけど・・・」
「調整してCiRCLEの倉庫に置いてあるよ。必要なときに言ってくれれば出すから」
「うん!なんか妙に愛着湧いちゃってさ、たまに弾かせてよね!」
正直、あのベースはリサに譲ってしまおうかとも思ったが、プレイが固まる前に個性の強いヴィンテージを渡すのはいかがなものだろうと考え、思いとどまった。
リサのプレイがしっかり固まったら、リサが俺の元から去るときになったら。そのときに餞別代わりに渡そうと思う。
受け取ってくれるかはわからないけれど。
「それじゃ、少し早いけど今日は終わろうか。明日ライブだし」
「え!?いや、もうちょっとやっておこうよ?普段と違うことすると調子狂っちゃうっていうかさ、ね?」
「・・・まさかとは思うけど緊張してたりする?」
「ほ、ほんのちょっとだけ・・・あはは」
「嘘だろ?もうライブ結構やってるのに」
明日、Roseliaに出演して貰うライブは前回と同じブッキングライブで、集客の関係でトリを務めては貰うがそれも前回と同じだ。
緊張する要素なんてないはずなのに。
リサのネックを握る手に力が入る。アンプから漏れた弦がフレットに擦れる音が、小さな悲鳴のように聞こえた。
「だってさ、明日のライブは陽さんに教えて貰うようになって初めてのライブだから、そりゃ緊張するって・・・」
「え、そんな理由で?」
「陽さんにとってはそんな理由でも、アタシにとってはめちゃくちゃ大事なの!下手なベース弾いたら陽さんの顔に泥塗ることになるんだから」
ムッとした表情のリサに睨まれるが、まさかそんな理由で緊張しているとは思わなかった。
「この2ヶ月くらい、陽さんはたくさん時間割いて、アタシにベースを教えてくれたでしょ?お金も貰わないで」
「それは、俺自身好きでやってるから・・・」
「それでも!アタシが陽さんに出来る恩返しは、ライブで上手く弾くことだけなんだから、だから緊張くらいするよ・・・」
派手な外見に反して、真面目で思いやりのある娘だとわかってはいたけれど、ここまでだとは思わなかった・・・。
純粋に嬉しい言葉だけれど、これではプレイに影響が出かねない。
ある程度の緊張感は必要だけれど、どう見てもこれはダメな部類の緊張だ。
「気にするなって言っても、気にするよな?」
「うん、当たり前じゃん・・・」
当たり前か・・・。師匠冥利に尽きるというものだ。
ライブは明日だというのに、目の前に座るリサは、その手のベースとは対照的な青い顔をしている。
とてもじゃないが、この状態では送り出せない。
「じゃあギャラ、貰おうかな。それなら少しは肩の荷もおりるだろ?」
「・・・わかった、陽さんがそれでいいって言うなら。ママに言っておくよ」
少しだけ、いやかなり落胆した表情のリサに少し心が痛む。
「いや、リサから直接貰うよ」
「バイト代から払えってこと?・・・何?またキスと言ってごまかすつもり?ホントにするって言ったよねアタシ?」
「待て待て、違う、違うから」
予想外の地雷を掘り当ててしまったが、埋めたのは自分だ。こればっかりは過去の自分を恨むしかない。
思い返すとリサには色々とデリカシーの無い発言をしてきた。
これでよく愛想を尽かされなかったものだ。
「そうじゃなくて、今度ライブが終わったら家にご飯作りに来てよ。それがギャラってことで」
「ご飯?陽さんの家に?」
「筑前煮がいいな。リサの得意料理なんだろ?そのとき聞きたがってたバンドの話もしよう。どう?」
女子高生を自宅に招くのはどうなんだろうとか、そういう問題はとりあえず置いておこう。
これでリサが背負う必要のないプレッシャーから解放されるなら、そんな問題は些細なことだ。
嫌な沈黙がスタジオを包む。・・・さすがに無理矢理すぎたかもしれない。
「・・・んーどうしよっかなー、陽さんの家行ったら襲われちゃうし?」
「俺は大人だから、誓って未成年には手を出しません」
「この間、アタシが嫌がってるのに抱きついて匂い嗅いできた人はどこの誰だっけ?」
「・・・どこの誰だろうな」
「陽さんでしょー!」と笑うリサはいつも通りのリサだ。
「なーんか上手く言いくるめられた気がするけど、うん、ライブ終わったらご飯作りに行ってあげる!」
「楽しみにしてる。ライブ、リサなら大丈夫だよ。間近で見てきた俺が言うんだから間違いない」
「うん!陽さんが言うなら間違いないね!」
不要なプレッシャーから解放されたリサの顔は、先程までと違い輝きに満ちていて、きっと良い低音を会場に響かせてくれると思う。
彼女を部屋に招くに当たって、色々と隠したり処分したりしなければならないものが、頭にポツポツと思い浮かぶが、一旦忘れよう。
「明日、アタシのことちゃんと見ててね。陽さんのことビックリさせてやるから」
「見てるよ。大事な弟子の晴れ舞台なんだから」
ちょっとクサイかなと思ったけれど、リサに向けて拳を突き出す。ニヤリと笑ったリサが自分の拳をぶつけてきた。
2ヶ月くらい、短いのか長いのかわからないがリサのベースを見守ってきた。
おそらく彼女は家でも相当な時間、ベースを弾いている。そうでなければレッスンだけでここまで上達するわけがない。
リサなら大丈夫だ。努力はきっと裏切らない。爛々と輝く彼女の猫目を見て、そう確信した。
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観客の熱狂が徐々に引いていき、どよめきへと変化していくのがわかった。
背筋を這い上がってくる焦燥を振り払うかのように走る。インカムに向かって噛み付くように叫ぶ。
「まりなさん!まりなさんっ!いまどこにいる!?動ける!?」
返事はまだか、早くしてくれ、早く!
「高橋君?落ち着いて、聞こえてるって。どうしたの本番中でしょ?」
落ち着いたまりなさんの声に苛立ちを感じる。自分に余裕が無くなってるのがわかった。
「トラブった!ちょっとマズい!」
インカムから息をのむ声が聞こえる。本当にこれが現実なのか疑いたくなる。
努力はきっと裏切らない。でも神様は平気で裏切ってくる。こんな当たり前のことをどうして忘れていたんだろう。