「勇人ちょっと任せる!俺が合図したら3番のミュート切って!フェーダーには絶対触るなよ!」
「お、おっけーっす!」
全ては順調だった。
ライブは滞りなく進んで、トリのRoseliaも前回同様、いやそれ以上のパフォーマンスで会場を熱狂の渦へと巻きこんでいった。順調だったんだ。
アクシデントは陽だまりロードナイトのベースソロの後で起こった。
今日のリサは、バンドのグルーヴを牽引してるといっても過言ではないくらい、いつも以上に調子が良く、ソロの他楽器隊との掛け合いのようなスラッププレイには、客席に混ざって踊り狂いたいくらいに興奮した。
そして圧巻ソロを弾き終えたその直後それは起こった。
紗夜と交代でステージ中央のお立ち台から降りる際、なにかの冗談かと思うくらい派手に、リサはステージへと転がり落ちた。
ベースアンプから野太い悲鳴が上がった。
幸い大したケガが無かったのかすぐに立ち上がったリサだったが、演奏に復帰しようと弦に触れた瞬間、転がり落ちた際に床に強く打ち付けたベースからは、尋常じゃない音量のノイズが流れてバンドの音を覆ってしまう。
たまらずバンドの演奏は途切れてしまい、この世の終わりのような沈黙が会場を包んだ。
観客の熱狂が徐々に引いていき、どよめきへと変化していくのがわかった。
背筋を這い上がってくる焦燥を振り払うかのように走る。インカムに向かって噛み付くように叫ぶ。
「まりなさん!まりなさんっ!いまどこにいる!?動ける!?」
返事はまだか、早くしてくれ、早く!
「高橋君?落ち着いて、聞こえてるって。どうしたの本番中でしょ?」
落ち着いたまりなさんの声に苛立ちを感じる。自分に余裕が無くなってるのがわかった。
「トラブった!ちょっとマズい!」
インカムから息をのむ声が聞こえる。本当にこれが現実なのか疑いたくなる。
努力はきっと裏切らない。でも神様は平気で裏切ってくる。こんな当たり前のことをどうして忘れていたんだろう。
「倉庫にある俺のベース、上手のソデに持ってきて!早く!」
「わ、わかった!すぐ行くから!」
やっとの思いでステージのソデへとたどり着いた。大した距離を走ったわけでもなのにやたらと心臓が早鐘を打っていて鬱陶しいったらない。
しゃがみ込んでベースやエフェクターを弄る、ゴシック調の派手な衣装に身を包んだリサと目が合う。
どうやってもノイズを吐き出してしまうベースに、その顔は青ざめて今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
無遠慮にステージ上のリサの元へと向かう。友希那とすれ違う際に「無音はマズい、MCで繋いで、どうにかするから」と小声で言うと、たどたどしく友希那が喋りだした。
しくじった、MCはあこちゃんに振るべきだった。
「リサ、大丈夫?ケガはしてない?」
「陽さん、アタシ、アタシ・・・」
「落ち着けって、大丈夫だから。ちょっとベース貸して?ケガがないなら友希那のMC助けてやって、ちょっと聞いてられない」
リサからベースを受け取るが、やはり弦に触れた瞬間ノイズが鳴ってしまう。ボリュームを切ろうとノブに触れると、弦に触れたときと同様の悲鳴がアンプから上がった。
触る度に悲鳴を上げるクセに、深紅のボディは死んでしまったように色褪せて見える。
足元のチューナーで一旦音を切り、シールドを引き抜くとようやく不快な悲鳴は止んだ。
これは、とてもじゃないがステージ上でどうこう出来るレベルじゃない・・・。
途方に暮れる俺の耳に、友希那とリサの無音を埋めるためだけの空虚なMCが流れ込んでくる。
「高橋君、高橋君!持ってきたよ!」
インカムに声が響いて我に返った。
ソデの方に目をやると肩で息をしたまりなさんがベースケースを手に立っている。
物言わなくなったリサのベースを手に、慌ててそれを受け取りに行く。
「どんな感じ?大丈夫そう?」
「リサにケガはないみたいですけれど、ベースはダメです。中身が完全に壊れてる」
「そっか・・・。でもリサちゃんにケガが無いのならよかった、ライブは続けられるね」
不幸中の幸いとは言いたくないが、でもその通りだ。
演者の体が無事ならば演奏は続けられる。
心がどんな状態でも、体は無事なんだ。代わりの楽器さえあればどうにかなってしまう。
深紅のベースを持つ手に力を込める。「なんでこのくらいで壊れるんだお前は」と理不尽な怒りを込めて。
「時間かなり押してますけど、あと3曲予定通り進めますか?」
「・・・うん、そうだね。お客さんみんなRoseliaの演奏楽しみにして来てくれたんだから」
「わかりました・・・」
ケースから取り出したジャズベースを手にステージに戻ると、それを見たリサの表情が悲しそうにくしゃりと歪んだ。
MCを友希那とあこちゃんに任せてリサを招き寄せる。
「ごめん、リサのベースすぐには使えなさそうだった。残り3曲はこいつで乗り切って」
「わかった・・・。ごめん、ライブ台無しにしちゃって」
「バカ、まだ終わってないよ。最後までしっかりやり切れ」
「うん・・・ごめん。ホントにごめん」
チューニングを済ませ、勇人に合図を送る。軽く弾いてみると会場のスピーカーからも問題なく音が出力された。
ノイズから解放された観客に安堵が広がるのがわかった。
リサにベースを手渡すが、受けてるその手は震えていて力が無い。
とてもこれからプレイに戻れるとは思わなかったが、俺に出来ることは何もない。
友希那に予定通りに進めるように耳打ちしてソデに戻ると、観客へ一言二言の謝罪の言葉が述べられて、すぐにライブは再開された。
PA卓には戻らず、まりなさんとふたりソデで彼女たちのライブを見守る。まりなさんはなにも言ってこなかった。
轟音が会場を揺らす。
Diezelのアンプから歪んだギターが吠え、繊細な鍵盤の響きがサウンドを彩り、尋常じゃない手数のドラムがバンドを前へ前へと引っ張っていく。
そして、それらの音を背に圧倒的な熱量を持った歌声が、観客たちの感情をこれでもかと揺さぶる。
しかし、リサはそれについていけない。
リサのベースを起点に、演奏の綻びがどんどん大きくなって歪んでいく。
ボロボロのジャズベースを必死に弾く彼女の姿は酷く苦し気で、今にも壊れてしまいそうで、いつだったかのように「頑張れ」なんて、とても言う気にはなれなかった。
その日のRoseliaのライブは、俺の知る限り最悪の形で幕を下ろした。