「ついに未成年に手を出したね?」
「・・・まりなさん、覗いてたんですか?趣味悪いですよ」
ベースを2本、手にして戻ったロビーではまりなさんが待ち受けていた。
ここにいるという事は、もうフロアの後始末は終わったのだろう。今度、勇人にお礼を言わないと。
泣き止んで落ち着きを取り戻したリサは、楽屋で帰り支度を始めている。
「否定しないってことは本当なんだ・・・。はぁ、ついに身内から犯罪者が。お姉さんは悲しいよ」
ヨヨヨと芝居掛かった泣き真似をするまりなさんを無視して、リサのベースを作業台に載せる。
ステージで見たときは気がつかなかったが、ボディサイドに塗装が割れてしまって木部が露出するくらいに深い傷跡が残っており、あの転倒の激しさを物語っていた。
ネジを緩めて裏蓋を外すと、やはりというか衝撃で断線したのであろう配線が数本確認出来る。
ノブのシャフトもぶつけた際に歪んでしまったようで、数個のノブがボディに干渉してまともに動かない。
よく見ると、1・2弦のペグも変形している。
「どう?直りそう?」
「直るには直りますけど、パーツをいくつか取り寄せないと・・・。メーカーに持って行ったら相当取られますよこれ」
「高橋君がやってあげるんだから大丈夫でしょ?彼女さんのために頑張らないと」
「いや、彼女って・・・」
確かに俺とリサの関係性は、師匠と弟子の関係から、彼氏と彼女の関係に変わったのかもしれない。
けれど、こう・・・、面と向かって言われると、背中の辺りがむずむずして気持ちが悪い。
居心地の悪さを誤魔化すように、取れてしまった配線をいじくる。
「何?遊びのつもりなら見逃せないなー」
「それはないですから、彼女です彼女。お願いだから黙ってて下さいよ」
「こういうの、ちゃんと肯定しないとあの年ごろの子は不安になっちゃうんだから気をつけなよ?黙ってるかどうかは高橋君次第かなー」
「勘弁してくださいよ・・・」
まりなさんのアドバイスは純粋にありがたい。けれどなんだろうこの感じ。
したり顔で若い女の子の心情について語るその姿は、もうすっかり立派なおばーー
「・・・お姉さん、うっかり口が滑っちゃいそうだなー」
「まりなお姉さんのアドバイスはためになるなぁ!」
まだ失言にもなっていない失言を拾われて心底焦る。この感じは久しぶりだ。もう二度と体験しなくていい。
すっかり話し込んでいると、私服に着替えたリサが気まずそうにやってきた。
崩れていたメイクがばっちり直されており、女子力の高さが伺える。
「・・・陽さんお待たせ。まりなさん、ごめんなさい。すっかり遅くなっちゃって。今日のライブのことも・・・」
「女の子なんだから準備に時間がかかるのは当然当然!ライブもリサちゃんにケガが無くて本当に良かったよ。また今度もよろしくね?」
「は、はい!ありがとう、まりなさん!」
まりなさんのこういう所は本当にカッコいいと思う。女にしておくのが勿体ないくら「高橋君?」
「いや、今のは褒め言葉ですって」
だからもう二度と体験しなくていいんだって・・・。
「褒め言葉?ちょっとよくわからないけど・・・。私、先に帰るから戸締りよろしくね?はい、これ鍵。彼女さんちゃんと家まで送ってあげるんだよ?」
作業台にギターのキーホルダーが付いた鍵を置くとまりなさんは、手早く帰り支度を済ませてしまう。
「あ、あと高橋君、明日は有休ね。その鍵は次の出勤のときに返してくれればいいから。それじゃ、お疲れさまー。リサちゃんもおやすみ!」
そう言い残してまりなさんは風のように去って行ってしまった。
気まずい沈黙がロビーを包み込む。
ていうか有休?なんでこのタイミングで?
「・・・陽さん、アタシ達のこと、もう話したの?」
「いや、なんか見抜かれた。怖いよあの人」
溜息を吐いて、リサのベースを片づけにかかる。今すぐどうこう出来る故障ではない。明日にでもゆっくり・・・有休ってそのためか。
何もかもがあの人の掌の上のような気がして肝が冷えた。
「アタシのベースどう?」
手元をのぞき込んできたリサが心配そうに聞いてくる。
ボディサイドの傷を見て、その顔が悲しげに歪められた。
「大丈夫直るよ。けど、メーカー修理に持っていくと結構な金額持ってかれそう」
「・・・陽さん、直せたりする?」
「直せるけど、時間がかかると思うよ?そうだ、友希那に親父さんのツテでメーカーに流してもらえば?多分速攻で上がってくるよ」
この状態の楽器を持ち込むのは気が引けるだろうが、インレイの処理を3日間でやらせたんだ。きっと親バカっぷりを遺憾なく発揮して、これくらい修理なら3時間でやらせるに違いない。
「陽さんにやってもらいたいの。そしたらもう絶対壊さないって思えるから。・・・ダメ?」
「・・・わかった引き受ける。それ、乙女心ってやつ?」
「バカ」と控えめに肩を小突かれた。そんな表情で、そんなことを言われたら照れ隠しでしか返すことができない・・・。
裏蓋をもとに戻してケースにしまい込む。引き受けたからには完璧な状態に直そう。明日は必要なパーツを調べて注文なり、買いだしなりに出かけないと。
パーツ代がどのくらいの額になるか、頭の中でソロバンを弾いていると、突然リサからスマホを差し出された。ゴテゴテとした装飾に彩られたスマホの画面には「ママ」とシンプルな2文字が表示されている。
「陽さん。電話。お母さんが話したいって」
「は?お母さんってリサの?なんでまた・・・」
時間は少し遅いけれど、レッスンの時と比べても一人で帰しても問題ない時刻だ。
友希那あたりから今日の話を聞いたのだろうか。
頭の上に疑問符を浮かべながら、スマホを受け取る。
「あ、もしもし陽くん?久しぶり!元気にしてた?」
「ご無沙汰してます。お陰様で元気にやってます」
「返事が固いなぁ・・・。今日リサが陽くんの家に行くって言ってたから、一言よろしくって言っておこうと思ってね」
「・・・は?」
なんだそれ、聞いてない。
リサの方をみると不自然に視線が逸らされた。
「明日、日曜だし遅くなりそうなら泊めちゃってもいいからね。リサのことよろしくね!」
「い、いやちょっと」
「またそのうちご飯食べにきてよ?おやすみー!」
一方的に話された挙句、通話は終了してしまった。展開についていけない。
リサにスマホを返す。
「ママなんだって?」
「リサをよろしくって・・・。リサ、俺の家来るの?」
「うん。だってライブ終わったら料理作りに行くって約束したでしょ?帰りに材料買って行こう。筑前煮が食べたいんだったよね?」
「あぁ、うん」
気のない返事に、リサが少しだけ不満そうな表情を浮かべた。
確かに誘ったけれど、まさか当日に来るとは思わないだろう。ましてや関係性が大きく変わってしまったその日に。
師弟の関係から、男女の関係に変わってしまったリサを自宅に招いて、果たして大丈夫なのだろうか。
ケースにしまいかけていた半死半生の深紅のベースに視線で問いかけるが、死にかけのベースは何一つ反応を示してはくれなかった。