鍵を鍵穴に差し込んで回す。毎日最低2回は必ず行なっているこの行為が、今日に限っては特別な儀式のように感じてしまって、買い物袋を持つ手にうっすらと手に汗が滲むのを感じた。
後ろでドアが開くのを待つリサのせいだ。
「どうぞ、散らかってるけど」
「う、うん。お邪魔します」
先にスニーカーを脱いで部屋に上がると、踵の高いブーティを脱いだリサが靴の向きをきちんと整えてついてくる。その光景がとても非現実的で、夢の中にでもいるような気分になった。
俺の住む部屋は、鉄筋構造の6畳の1Kとごくごくありふれたものだ。
一階の角部屋で、家賃の割に風呂とトイレが別なことが気に入っている点だ。なぜか隣がずっと空き部屋なのも、楽器をやる身としてはありがたい。
「わ、思ってたよりも生活感ある」
「もう5年も住んでるから多少はね。ベース貸して。荷物置いて適当に座ってよ」
色褪せたキーホルダーがごちゃごちゃとついた空のギターケースを隠すように、2人で背負ってきたベースケースを寄り添わせる。
リサの言う通り、生活感を感じさせる程度に物は置いてるし、それなりに散らかっている。生活感が少ないのはキッチンくらいなものだろう。
引き戸を開けてすぐ右手のセミダブルのベッドは、今朝起きたときのままで乱れているし、その横に置かれたテーブルの上は開きっぱなしのノートPCやCD、雑誌類が乱雑に置かれ、左手のテレビには薄っすらと埃が積もっている。対照的にテレビの横のスタンドに立て掛けられた、ボロボロの赤いフライングVと5弦ベースはピカピカと輝いていた。
キョロキョロと部屋を見回すリサに背筋が冷える。突然の来訪で、隠しておきたかったものが、色々と隠れていない。テーブルの上の雑誌を何食わぬ顔でその下へと移動させた。
「陽さんって、前にアコギ弾いてたけどエレキも弾くんだ?うっわー傷だらけ・・・。これもヴィンテージだったり?」
「いや全然、持ち主が置いてっちゃって。ただボロいだけで現行品だよそれ。扱いが尋常なく粗いやつだから」
「ふーん。・・・それって女の人?」
ギターの前にしゃがみ込んだリサが声のトーンを落として聞いてくる。怖いって・・・。
機嫌を取るように頭をくしゃりと撫ででやる。
「まぁ女だけど、後から話すよその辺のことは。料理どうする?手伝うよ」
「・・・ちゃんと話してくれるなら我慢する。陽さん料理できるんだっけ?」
「だから出来るって多少は」
「乱切りってどうやるか知ってる?」
「・・・乱雑に切る?」
「・・・一緒に料理は今度にしよっか。ちょっと時間も遅いし。陽さんはテーブル周り片づけて待ってて」
「面目ない・・・」
「それじゃキッチン借りるね」とリサは部屋を出てしまう。なんだろう、とても情けない。
リサに言われた通り、テーブルの上のPCや雑誌を部屋の隅に片づけるが、10分も経たずにやることがなくなってしまった。
普段テレビでもつけない限り無音の部屋に、台所の方からリサの上機嫌な鼻歌と調理する音が聞こえてきてどうにも落ち着かない。・・・少しだけ様子を見てみよう。
引き戸を開けてキッチンのほうに目をやると、当たり前だけどリサが料理をしていて、その光景が映画のワンシーンのような、他人事のように見えてしまう。
「んー?どしたの、ボーっとして。部屋の片づけは終わった?」
「あ、あぁ終わった。・・・いや、ホントにリサが料理してるなって思って」
「あはは、何それ。てか陽さん、ホントに料理してるのー?キッチンめちゃくちゃキレイなんだけど」
「それはほら、綺麗好きだから」
「部屋散らかしてるクセにー?調理道具もピカピカで笑っちゃったよ」
1人暮しを始めたころに張り切って購入した調理道具たちは数回使っただけで収納の肥やしとなっていた。そんな不遇の時間を過ごしていた道具たちがリサの手で日の目を浴びる日がくるなんて思ってもみなかった。
「筑前煮ってフライパンで作るものなんだ?」
「んーん、ホントは鍋でじっくり煮込むんだけど、今日は時間が遅いから簡単バージョン。今度ちゃんとしたの作ってあげるからね?」
「今度って・・・。また作りに来るんだ」
「そ、そりゃーね。アタシ、陽さんの彼女、だし?・・・迷惑だった?」
「いや・・・凄く嬉しい」
「そ、そっか」とはにかむ様に呟くリサの表情に、妙にくすぐったい気持ちになる。
会話が途絶えて、リサの調理する音だけが鳴り響く。なぜか沈黙が心地よい。
「そ、そろそろ出来るから、陽さんはテーブル拭いて置いて!あと紙皿の用意!」
「うん、わかった」
今度。今度か。またうちの狭いキッチンで料理をするリサが見られるのだと思うと、なんだか無性に嬉しかった。
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「筑前煮って本当に家で作れるものなんだな・・・」
「初めて彼女が作った料理に対する感想がソレってどうなの?」
普段、スーパーの見切り品の弁当や、カップ麺しか並ぶことのなかったテーブルの上に、湯気の立ちあがる筑前煮が置かれていることに感動を覚える。
盛り付けられているのが紙皿で、白米と味噌汁がインスタントなところが変に現実的でわけがわからなくなった。
「食べていい?」
「もちろん!口に合えばいいけど・・・」
「頂きます」と手を合わせて、さっそく里芋を口に運んでみると、煮汁の優しい風味が口の中にふんわりと広がった。少し熱くて行儀悪くはふはふとしてしまう。
どうしよう、泣きそうなくらいに美味しい。
「・・・どう?変じゃない」
「リサ、結婚しよう」
「はぁっ!?何言ってんの!?」
1人暮しを始めてから5年間でこんな優しい味に出会えたことがなかった。以前、ご馳走になったリサのお母さんの料理も、もちろんとても美味しかったけれど、それとは全く違った温かさがリサの料理にはあった。
「悪い取り乱した。美味しいよこれ」
「そういうこと軽々しく言わないでよね・・・。でも口に合ったんだったら良かった!」
「アタシも食べようっと」とリサも箸を伸ばす。
ふたりともライブ後で空腹だったこともあり、テーブルの上の料理はみるみるうちに空になっていった。
こんなに幸せでいいのだろうか、ちらりとテレビの横のフライングVに目をやる。
「アタシが知るかバカ」と返されたような気がして苦笑した。