32型のテレビの画面には3人組のバンド演奏が流れている。
大きめの白い半袖のTシャツと、大きめの黒い短パンに身を包み、キックペダルを力強く踏む足元は真っ白な素足。
ショートボブというよりは中途半端に短いだけの暗い茶髪を振り乱して、小柄な体躯を引き千切らんばかりにスティックを振り下ろすと、シンバルの音が落雷のように砕けた。
大きな丸い目に、なだらかな輪郭の丸顔。中学生みたいな童顔からは想像できない、地鳴りのようなビートを刻むドラムの少女。
今よりも若々しい出で立ちの、今ではちょっと考えられない熱量を注いで、今と変わらないボロボロの赤いジャズベースを弾いている俺。
そして、毛先が真っ赤に染められた烏羽色の長い黒髪をうざったそうに掻き上げ、マイクに噛みつくようにシャウトする、一度見たら毎日夢に出てきそうな、抜き身のナイフのような美貌の猫目の少女。
黒のタンクトップに赤い革ジャンで武装し、ホットパンツから伸びる薄手のストッキングで包まれた華奢な脚が艶めかしい。足元を飾るのはこれまた赤のジョージコックス。
肩からぶら下がっているのはテレビの横のスタンドに立てかけられているものと全く同じ、傷だらけの深紅のフライングVだ。
「陽さんのバンドって3ピースだったんだ・・・」
「リサがまりなさんに聴かせられた音源はベースとドラムだけだっただろ?これが俺がやってたバンドの本当の音」
隣に腰掛けたリサは熱に浮かされたような視線で映像に見入っている。
スピーカーから流れ出る、ハスキーだけど幼さを感じさせる歌声をまともに聴くのは、もう何年ぶりだろうか。
「なんて名前のバンドなの?」
「Red Dayって名前だった。語感が地獄のように悪いけど、ボーカルのやつのセンス。あいつ赤が好きだから」
あ、そろそろだ。
画面の中の赤いバカがフライングVを、まばらにしか人がいない客席にぶん投げて、続いてマイクスタンドを振りかぶって床に叩きつけた。見ているだけで頭が痛くなってくる。
アンプの悲鳴を忠実に再現したテレビのスピーカーが悲鳴を上げる。あの時は俺も悲鳴を上げたかった。
そして画面は暗転して映像が終わった。
リサは唖然として真っ暗になった画面を見つめている。
「これがファーストライブの映像。おもしろいだろ?」
「あはは・・・燐子が見たら失神しそう・・・」
テレビの電源を落とすと、途端に静けさが部屋を覆う。
先程まで流れていたロックンロールの熱の余韻がうっすらと漂っているような気がした。
「ギターボーカルの馬鹿が櫻井茜(さくらい あかね)で、ドラムの小さいのが佐藤愛子(さとう あいこ)って名前。愛子は同い年で、茜はひとつ下だった」
「・・・陽さんは、その、茜さんとはどういう関係なの?あのギターも、クローゼットの革ジャンも茜さんのだよね?」
「普通にバンドメンバーだよ。なんかあいつ、ずっとこの部屋に入り浸っててさ・・・」
たまったもんじゃなかった。気づいたら化粧品や洋服が増殖して、バイトでくたくたに疲れて帰ると、ベッドで気持ちよさそうに丸まってるあいつがいるんだ。
本当にたまったもんじゃない。
「・・・じゃあ恋人同士とかじゃないんだよね?」
「違う違う。あいつが恋人とかゾッとするよ。・・・まぁそういうことは、してたけど」
「・・・恋人同士じゃなくて、そういうことする人がいるの?」
「ま、まぁ・・・」
年頃の男女がふたりでいれば仕方のないことだろう。若気の至りというやつだ。
あの頃の退廃的とも言える生活を思い出すと頭が痛くなってくる。
今じゃとても考えられない怠惰で、どうしようもなく幸せな毎日だった。
過去の過ちのようなものに苦笑していると、突然立ち上がったリサに胸倉を掴まれた。
キツく俺を見下ろす瞳には怒りと涙の気配が満ちている。
「最ッ低ッ!!そういうことする人がいるのにアタシに好きとか言って、キスまでしたの!?」
「リ、リサ?どうした、何で怒ってる?」
「セ、セフレがいて彼女まで作ろうとかどういう神経してんの!?」
「セフレ!?」
セフレ、セフレか・・・。
リサの言う通り、恋仲でもないのにそういう行為を重ねてばかりいた俺と茜の関係性は、傍から見れば確かにそう形容するしかない。
しかし、リサは致命的な勘違いをしているみたいで、自分の話下手に軽い嫌気がさす。
「待て誤解だ、話を聞いて」
「何言い訳?ホンット最低だね」
「あいつは、茜はもういないから」
「別れたってこと?へー、こんなに物が残ってて?」
「死んだんだ、2年前に。茜はもう死んでる」
「は?」
胸ぐらを掴んでいた手から力が抜けてスルリと落ちる。怒りの気配が霧散した。
困惑を顔に貼り付けたリサの手を握って、そのまま隣に座らせる。
茜は死んだ。それはもうあっさりと。
人の家にいいだけ物を置いたまま。修理を押し付けたギターを受け取らないまま。
「話す順番が悪かった。変に誤解させてごめん」
「死んだって、え?」
「リサがまりなさんに聴かされた音源、ベースとドラムしか鳴ってなかっただろ?」
「う、うん・・・」
「あいつ、その日に事故って死んだんだ。だから俺と愛子だけでライブやって。リサが聴いたのはその時の録音」
リサが息を呑むのがわかった。握った手に力が入る。
まりなさんがリサにあの録音を聴かせたと聞いたときは正気を疑った。このバンドの顛末を知っていてやることかと。
それが結果としてリサとの師弟関係のきっかけになったのだから、今では文句も言えないのだけれど。
「その日のライブ、バンド初のワンマンでお客さんもかなり入ってたんだよ。なのに茜のやつ、リハには顔を出さないわ、本番の1時間前になっても連絡はつかないわで・・・」
絶望的な時間だった。
どんどん埋まっていくフロアの客の大半は茜のパフォーマンス目当てで来ているのにその本人がいないのだ。
愛子とふたり、死刑台へのエレベーターにでも乗せられた気分だった。
「そしたら10分前になって、茜の友達だっていう子、泣きながら楽屋に飛び込んで来て、あいつが事故で死んだって教えてくれて・・・」
そこからは地獄だ。
罵声が飛び交うステージで、とにかくやれることをやった。
愛子と必死で弾いて叩いて歌って・・・。
気づいたら客席にいたのはボロ泣きしてる茜の友達と、見たこともない女の人と、貸しスタジオの青髪の店長だけになっていた。
「その友達の子が茜の伝言っていうか、遺言っていうか・・・まぁ、そういう感じのことを伝えてくれてさ」
ベースを床に放り投げる、アンプが野太い悲鳴を上げるが知ったこっちゃない。悲鳴を上げたいのはこっちの方だ。
マーシャルに繋いで立て掛けて置いた茜のフライングVを肩にかけて、3人しかいない客席に向き直った。
特に何をやるって言ったわけじゃないけど、愛子はカウントを4つ鳴らして合わせてくれた。
思い切り息を吸い込んで、マイクに魂を吐き出す。
「「アタシの好きな曲歌って」ってそれがあいつの最期の言葉だったらしい。こっちとしては、お前の好きな曲ってどれだよって感じだったんだけど・・・」
Mr.Bigのto be with you
家に入り浸ってた茜がよく歌っていた。
気だるい夜明けにベッドに腰掛けて歌っている姿は、まだ夢の中にいるんじゃないかって錯覚するくらい綺麗だった。
甘ったるい歌詞があいつに全然似合ってなくて、そのことをからかったら、顔を真っ赤にしてめちゃくちゃキレられた。
本当は茜の歌うTo Be With Youが、この世の音楽の中で一番好きだったけれど、照れくさくて結局伝えられなかった。
「とりあえず、茜がよく歌ってた曲の中で、俺が好きなやつを勝手に歌った。まりなさんもそこまではリサに聴かせなかっただろ?相当酷かったと思うから・・・」
茜はよく俺に歌えって言ってくるクセしてその度にヘタだの、音痴だの難癖をつけてきた。
ざまぁみろ、死んでしまったからにはもう文句は言えまい。勝手に死んだお前が悪いんだ。
視界が滲んでぼやけて、喉の奥が燃えてしまいそうなくらい熱くて、汗が次から次へと溢れて止まらくて、でも茜が歌えっていうから思いっきり歌ってやった。
生きてる間に結局歌ってやれなかった曲を、あいつのためだけに歌ってやった。
「そんな感じで盛大にワンマンを大失敗で終えて、要のギターボーカルもいなくなって、解散したっていうのがバンドの顛末。俺がバンドをやらない理由は、もうこんな思いは沢山だって思ったから」
視界が急に暗転して、唇に柔らかい感触を感じた。
初めて、リサの方からキスをされた。
数秒ほど触れ合って、名残惜し気に離される
「・・・リサの方からされるのは初めてだな」
「キス自体、今日が初めてでしょ?・・・陽さんは茜さんのことがまだ好きなの?」
「それはない。茜に対する感情はそういうのじゃなかった」
多分、きっとそうだと思う。
「ならなんで茜さんの物、残してるの?」
「・・・あいつがもし万が一、ひょっこり帰って来たとき自分の物が無くなってたら可愛そうだろ?」
リサに抱き着かれて、そのままの勢いでベッドに押し倒された。
体に腕を回され強く抱きしめられる。
薄い部屋着越しに、リサの柔らかさや熱が痛いくらいに伝わってくる。
「悪い。冗談だって。リサに話したら全部、処分する気でいた。ギターは勿体ないから使うけど・・・。大丈夫、もう心の整理は済んでるから」
「・・・アタシは茜さんほど陽さんにとって大きい存在にはなれないかもしれない。けど、一緒にいたい、ホントに陽さんのことが好きだから。大好きだから」
「リサ、こっち向いて」
頬に手を当ててこちらを向かせる。瞳の中には少しだけ誰かを思い出させる強い光が。
そっと唇を重ねる。深く深く。リサの存在を味わうように。抱きしめられる力が強くなった。安心させるように髪を優しく撫でると、その体は弛緩して、ふたりの身体の境界線があいまいになる。
ゆっくりと唇を離す。銀色に濡れた光沢を放つリサのそれが艶っぽい。少しだけ息が乱れている。
「もうとっくに誰よりも大きな存在だよ、リサは。大好きだ。だから、いなくならないで、ずっと、ずっと一緒にいてくれ」
リサの方から深く唇を重ねられる。目を閉じる。この女の子を絶対に離したくないと思った。強く強く、リサの身体を抱きしめる。
目を閉じる瞬間にちらりと映りこんだフライングVが、優しく光ったように見えたのは、都合の良い目の錯覚だったのだろうか。
わからない。でもその錯覚が本当だったら良いなと、心からそう思った。