都内に草木のように無数に生えている、ありふれた雑居ビルの地下への階段を愛子とふたりで降りる。無機質だった壁が天井の低い階段を降りていくにつれて、見たことも聞いたこともないバンドのポスターや、どうやって空いたのかわからない穴で彩られていき、まるで地獄の窯に呑まれていくかのようだ。
居心地の悪さを振り払うようにベースの入ったケースを背負い直す。
「愛子、本当にここで合ってる?変な事務所に連れてかれてない俺?」
先を歩く愛子の足取りは軽く、その姿に餌のついた罠に向かっていく小動物を見ているような、漠然した不安を覚える。
「だいじょぶだってー。愛子も最初はこんなとこにスタジオがあるって思わなかったよ」
都内の練習スタジオは駅前の好立地に店を構えている場合もあれば、今回愛子に連れてこられているここのように駅から離れた初見だと間違いなく迷う場所に店を構えている場合もある。
しかし、ここの雰囲気は異質だ。人を迎え入れようという気が一切感じられない。
地獄への階段を下り切ると、カウンターと思われる場所には青鬼が鎮座していた。
いや、青髪の三十代くらいに見える派手な柄シャツの男が鎮座していた。耳は両耳ともピアスだらけで鼻や口元にも数個空いてる。手は人を殴り殺すのに使えそうな、シルバーのごつい指輪やブレスレットで彩られ、首回りも同様にシルバーのネックレスがジャラジャラとぶら下がっており、見た感じとてもじゃないがお近づきになりたいタイプではない。
「てんちょーさん、こんにちわー!今日も青いね!」
「おー愛子ちゃん、いらっしゃい。今日もおっぱいが大きいね」
「もーやだー!」と直球すぎるセクハラを受け流して談笑する愛子の姿に眩暈を覚える。悪い夢でも見ているのだろうか。
「そっちの彼は見ない顔だね、愛子ちゃんの彼氏くん?いいなぁ、たまにはおじさんにも愛子ちゃん貸してよ」
「いや貸さねーよ」
ヤバイ、思わずため口で突っ込んでしまった。
「あらあら独占欲?愛子ちゃん愛されてるねー」
「もー陽くんったら、人前で恥ずかしいよー」
肩を抱いてくねくねと踊る愛子の姿が非常に鬱陶しい。殴りたい。
俺の視線を感じ取ったのか、愛子は咳ばらいをひとつすると、この青髪の男が何者なのか教えてくれた。
「こちらが、このスタジオの店長さんです!」
「どうも、ボクが店長です。よろしくね彼氏くん?」
「彼氏じゃないです。高橋です。今日はよろしくお願いします」
「お、彼氏じゃないんだ?じゃあボクにもチャンスがあるってことだ」
「店長さん、奥さんいるでしょー?また怒られちゃうよ?」
嘘だろ・・・。こんなのでも結婚できるのかよ。
その奇抜過ぎる姿も相まって、いよいよ未確認生命体でも見ているような気分になる。
「そんな宇宙人を見るような目で見つめられちゃ照れちゃうよ高橋君。愛子ちゃん、ちょっと早いけどスタジオ入っちゃっていいよ?3番もう空いてるからさ」
「ほんと!?ありがとー!」といって駆けていく愛子に置き去りにされる。
頭が痛い、もうハンバーグランチ分の働きをしたように思えてきた。帰ってもいいかな・・・。
「高橋君、下の名前は?」
「え?陽です。太陽の陽で、陽」
「じゃあ陽ちゃんだね。陽ちゃん、今日一緒にスタジオに入る娘のこと、愛子ちゃんから聞いてる?」
「陽ちゃんって・・・。背が高くてカッコいい女の人だとしか」
あと、突然スタジオに突入して来るぶっ飛んだ野郎だとも。
「はは、カッコいいか、そりゃあ良い。ま、悪い娘じゃないからさ、仲良くしてあげてね?」
「はぁ」と気のない返事を返して愛子が入っていった3番のスタジオに向かう。
仲良くするもなにも、適当に合わせて、またご縁がありましたらとか言って帰るだけの、いつものサポートと変わらない。愛子にご飯を奢って貰ったから来た。ただ、それだけだ。
立て付けの悪い防音扉に苦戦して、何とか中に入ると以外にもスタジオの中は小奇麗に片付いていた。備え付けのベースアンプも使用感はあるもののパッと見た感じ良い状態に保たれている。
ドラムの椅子に座った愛子はピカピカのシンバルに囲まれながら、嬉しそうにキックペダルの調整をしていた。
「今日って結局、なにやるんだ?知らない曲弾けって言われたらさすがにお手上げなんだけど」
「愛子もわかんない。バンドに誘われて、ベースの心当たりあるって言ったら、じゃあこの日に集まろうって」
「行き当たりばったりすぎだろ・・・」
インターネットでのメンバー募集が普通な今日、そんな携帯電話が普及する前のようなやり取りが行われているなんて思ってもみなかった。
「だいじょぶだって、陽くんは心配性だな」
「愛子が能天気過ぎるんだよ」
腹の底から溜息をこぼす。
ベースをケースから取り出して、チューナーで手早くチューニングを済ませた。
とりあえず、ハンバーグランチの代金分はしっかりこなそう。そしてさっさと帰って寝よう。
アンプにシールドを差し込んで電源を入れると、排熱のファンが低いうなり声を上げて回りだす。全てのつまみを12時に合わせて解放の4弦を弾くとスタジオ内に低音が鳴り響きスネアが共鳴した。つまみの位置を適当な状態にセッティングする。
視界の端に映る愛子の表情が、みるみるうちに笑顔になっていくのが見えた。
「久々のベースの音だー・・・。陽くん、ちょっとジャムろうよ!」
「嫌だ。疲れる」
「けちー」と愛子はぶうたれるが、彼女のドラムと長時間合わせていたら、とてもじゃないが体力がもたない。
セッティングを終えたベースをスタンドに立てかけて、椅子に腰かける。ポケットから取り出した耳栓を装着。
さて、あとは待つだけだ。
どんなやつがくるのだろう。またバンドをやりたいと思わせてくれるやつだったら・・・そんな少しの期待を胸に、じっと防音扉の方を見つめた。