「れっど、はうす・・・あったー!やっとみつけたー!」
「看板小さすぎない?こんなの分かるわけないじゃん・・・」
店長の親父さんがオーナーを務めているらしいライブハウスは、最寄りの駅から徒歩で20分ほどの大きな通り沿いという、なんとも微妙なところにあった。
無個性に建ち並ぶオフィスビルの中に、よく見るとその看板はぶら下がっていた。
どうやらこの古ぼけた建物の、地下が丸々ライブハウスになっているらしい。
分かりづらいったらない。おかげで三人揃って同じ場所を何回も行き来するハメになった。
手垢だらけのガラスのドアを押しあけると、右手に粗末な作りのチケットカウンターがあって、奥の方に地下への階段が見えた。
「急ごう、時間ギリギリだ」
「うわ、壁真っ赤。かっこいいじゃん」
階段を囲む壁は真っ赤に塗られていて、櫻井は気に入ってるみたいだけど、俺としてはずっといると気でも狂いそうだなとしか思えない。
足早に階段を降りて、重たい防音扉を押し開ける。
目に入ったのは、よく磨かれた板張りの床と、壁際の革張りの赤いソファと照明が落とされたステージ、そしてデカいなにか。
思わず立ち止まってしまい、後ろの櫻井から怒声が飛ぶ。
デカい何かが、ゆっくりとこちらを振り向いた。
大きさは、多分2メートルはあるだろうか。肩幅が尋常じゃない、まるで熊だ。髪の毛が生えてない頭がピカピカと輝いている。
そんな人間がのそのそと、こちらに歩いてくるものだから回れ右して逃げたくなるけれど、後ろは後ろでおっかない櫻井がいるから逃げようが無い。
「お前らが、あのバカが言ってたやつらか?」
「あ、あのバカとは?」
「青い頭のバカ息子だよ」
絶句した。似ていないなんて騒ぎじゃない。こちらを見下ろすギョロリとした視線も、ツルツルの頭とは対照的な豊かな髭も、店長の容姿とは似ても似つかない。
「時間ギリギリに来やがって、これだから最近の若いのは・・・。リーダーはどいつだ?」
「こいつです」
俺が櫻井の事を指差すよりも早く、後ろからふたりの声がぴったりと揃って響いた。壊れた人形みたいに声のした方を振り返ると、明後日の方に視線を向けた櫻井と愛子が、こちらを指差している。
「ほぅ、お前か。名前は?」
「い、いや俺はそんなのじゃなくて・・・」
「名前は?」
「・・・高橋陽です」
本日限りのサポートメンバーです、と付け足したいけれど、圧が凄くて舌が回らなかった。
「陽、か。覚えておいてやる。俺がこのライブハウスのオーナーだ。リハが終わったらこれにセットリストとバンド構成書いてPAに渡しとけ。楽屋は今下りてきた階段の突き当りの扉だ。しっかりやれよ」
そう言って、岩みたいな手に持っていた紙切れを俺に押し付けると、オーナーはドリンクバーの奥に引っ込んでしまった。プレッシャーから解放されてどっと力が抜けた。後ろからも息を吐く声が聞こえる。
「ヤバイびびった・・・。あれが店長のお父さんってウソでしょ?」
「おっきかったねー。熊さんみたい」
「お前ら、人を盾にしやがって・・・」
俺と似たような感想を言い合うふたりに向けて恨み言を飛ばす。
「ゴメンって、ビックリしてついさ。リーダーやらせてあげるから許してよ」
「絶対嫌だ」
「わー残念!」
ちっとも残念そうじゃない櫻井は、愛子を連れ立って楽屋へと消えてしまう。そろそろ一発くらいひっぱたいても許されるんじゃないだろうか。
オーナーから手渡された用紙に目を落とす。用紙は二枚あって、一枚はオーナーが言っていたセットリストとバンド構成を書き込むための用紙で、もう一枚は今日のタイムテーブルだった。出演バンドは俺たちを含めて五バンド。
リハをやるのはどうやら俺たちだけらしく、それは他の四バンドがそれなりに経験を積んだ手練れであることを示している。リハ無しでも自分たちの音が出せるという自信の表れだ。
もしかしたら仕事の都合で参加できないだけかもしれないけど・・・。
でもこれなら、一発目に俺たちが醜態を晒しても、後のバンドが挽回してくれるだろう。安心して肩の力が抜けた。
「陽くんなにやってんのー?早く来なよ、リハだよリハ!」
「悪い、今行く」
妙にテンションの高い愛子に急かされて楽屋へと向かう。そういえば愛子ってライブ経験あるんだっけ。少なくとも専門に入ってからはなかったと思うけれど・・・。
安心したところを狙いすましたかのように降って湧いた懸念材料に頭を抱えそうになるのを堪えて、楽屋へと向かった。
ーーーーー
フロアで流れているBGMが薄く漏れる。倉庫みたいなこの楽屋は、ドリンクカウンターに直接繋がっているらしく、客入れが始まったのかぽつぽつと人の話し声が聞こえた。
リハは予定していた時間を少しオーバーしたけれど、なんとか無事に終わった。
櫻井がアンプのセッティングに手こずったのが原因だけど、珍しいモデルだったから仕方ないといったら仕方ない。ベースのアンプも初めて触るモデルだった。ライブハウスによって置いている機材は違うから、この辺りは純粋に経験値が試される。
愛子みたいに「頑丈で思い切り叩いても壊れなければいい!」とか言うやつには関係のない話だけれど・・・。
「あー!陽くんどうしよう、ライブだー!」
「もう何回目だよ。ちょっと落ち着けって」
愛子はリハが終わってからずっとこの調子で、裸足でペタペタ歩き回ってスティックを振り回している。さっき聞いてみたら、やはりこれが初ライブらしい。それならもう少し緊張してもいいのに、その様子は欠片も無くて、ライブが楽しみで楽しみで仕方がないといった様子だ。
対照的に櫻井は様子がおかしい。黙りっぱなしだ。心なしか顔色が悪いようにも見える。
「お前、緊張してるの?」
「そ、そんなわけないし。殴るよ?」
大きな猫目でキッと睨んできたが、表情がガチガチで迫力が無い。聞いてなかったけど、もしかしたらライブ経験がそこまでないのかもしれない。初めて会った時と同じ赤い革ジャンを纏った姿が、縮こまって見える。
さすがにマズいかと思い、何か適当な話題を振ろうと口を開きかけたところで、楽屋のドアのひとつが開いて、オーナーが顔を出した。
「おい、もう時間だぞ。さっさとステージ上がれ」
「えっ、もう?」
櫻井の声につられて時計を見ると、たしかにもう時間だった。
「客入りがあんまりよくねぇが、まぁ頑張ってこい」
素っ気ないエールを投げて、返事をする前にオーナーは引っ込んでしまった。
「おっしゃーライブ!初ライブ!がんばろー!」
「声がデカい。それじゃ行くか」
興奮した愛子は飛び跳ねる様にひとりでステージへと行ってしまった。これは間違いなくリズムが走るだろうな・・・。やる曲のテンポが全体的に速かったことを思い出してげんなりする。
愛子の後を追おうとして、櫻井がパイプ椅子に座りっぱなしなことに気付いた。
「ほら、行くぞ。早くしないと愛子がひとりでやり始めるかも」
「う、うん」
櫻井に右手を差し出すと、意外にもすんなり握って来た。振り払われるかと思った。引っ張って立たせる。櫻井の手は細くて、ひんやりと冷たかった。
お互いに楽器はステージに置きっぱなしだから、手ぶらで向かう。
先を歩く櫻井の足取りはしっかりしていて、もしかしたら直前まで緊張するタイプなのかもしれない。
右手をグーパーと握ったり開いたりしてみる。櫻井の緊張が移ったのか、少しだけ手が震えているような気がした。