テーブルの片隅に、空になった皿が丁寧に重ねられている。
黙っていれば店員さんが勝手に持っていくのだから適当に置いておけばいいのに、こういうところまで几帳面なのはさすが紗夜だなと思う。
それぞれの前にはメモ帳と、各々の好みのドリンクが。中央に置かれた山盛りのフライドポテトは誰が注文したのか。
状況は違うけれど、こうしてRoseliaのみんなとテーブルを囲むと、彼女たちとの関係が始まった日のことを、どうしても思い出してしまう。
あれから2カ月くらい、みんなとの関係性も随分と変化したものだ。
「それじゃあ、今日の本題に入りましょう。陽さんから見て、昨日のライブはどうだったか聞かせてもらえるかしら?・・・今回は逃げないでくれると助かるわね」
「大丈夫逃げないって。昨日のライブ、みんなお疲れ様。トラブルの前後で評価が変わってくるから、分けて話すよ。質問とかあったら聞いて」
トラブル、という言葉に隣に座るリサの体が固くなったような気がした。ちらりと表情を伺うがそこにはいつも通りのリサがいて、さすがに気にしすぎかなと内心で苦笑する。
「とりあえず、ベースが凄く良かった」
「あの、惚気でしたら結構ですので」
「いや真面目に。あこちゃんは特に感じたんじゃない?昨日のリサ、凄かったでしょ?」
「うん!すっごかった!リサ姉のベースっていつもはこう包み込むような?感じなんだけど、昨日はなんかグワー!って感じで、あこめっちゃくちゃテンション上がった!」
身振り手振りを交えて話すあこちゃんの姿が微笑ましい。
あこちゃん、昨日のリサのベースの変化を感じ取っていてくれて良かった。いいリズム隊だ。
しかしベタ褒めされるリサの浮かべる表情は、何かが喉の奥につっかえたような、微妙なものだった。
「ほんとにー?アタシ、昨日のライブはやらかしたことしか思い出せなくってさ・・・勿体ないことしちゃったなー」
「仕方のないことです、大きいトラブルでしたから。今井さんに大事がなくて何よりでした」
「ごめん・・・ありがと、紗夜」
怪我がなかったことは本当に、本当によかったけれど、そうか覚えてないか・・・。
あこちゃんの言うところの「グワー」という感覚、あれは口でも説明は出来るけれど、実際に体感してみないと自分のものに出来ない類のものだ。
「グワーってなった理由なんだけど、あこちゃんのドラムのキックに対して、リサのベースが少し速くアタックしたからなんだ」
「それって、アタシが走ってたってこと?」
「違う違う、走る一歩手前というか・・・いわゆる前ノリで弾いてたってこと。いつものリサは後ノリ気味で弾いてるから、走りやすいあこちゃんにとっては包み込んでるように感じてたんだと思う」
クリックにぴったり揃えて弾くのが基礎なら、前ノリや後ノリは応用みたいなものだ。
でも、この応用が出来ているかどうかが本当に良いリズム隊の条件だったりする
あこちゃんがそれを感じる事が出来たということは、本当に良いリズム隊になれる可能性があるということだ。
「んー、ゴメン。まだちょっと理解出来そうにないや・・・」
「いきなり出来たら苦労しないよ、結構ハイレベルな話だから。あこちゃんが感覚を覚えているから大丈夫。ふたりで頑張れば絶対掴めるから」
「あこ頑張ります!リサ姉も一緒にがんばろー!」
「・・・ゴメン、頼りにしてるからねー、あこ!」
テーブルを挟んでふたりハイタッチを交わす。紗夜が「行儀が悪いですよ」と窘めるが、ポテトを摘んだ後の指先を赤い舌でペロリと舐める紗夜のお行儀も、珍しいことによろしくない。
「それで、トラブル後の話なんだけど・・・いや、別に怒るわけじゃないから、そんなに構えないでよ・・・」
「す、すみません・・・ご迷惑をおかけして・・・」
「いや、燐子が謝る事じゃないって。やらかしたのはアタシなんだから・・・」
盛り上がってた雰囲気は霧散してしまって、暗い空気が流れ始める。
もしかしたら、ライブが止まるようなトラブルを経験したのは、今回が初なのかもしれない。
「部外者の俺が誰も悪くないって言っても、あんまり説得力がないかもしれないけれど、ライブの失敗は個人じゃなく全体の失敗だから、みんなでしっかり乗り越えて欲しいかな」
「い、いや、陽さん。アタシがコケなきゃ良かっただけなんだから、みんなは悪くないって!」
「注目する点はそこじゃなくて、リサがトラブった後のこと」
「どういうことかしら?」
ライブも失敗がひとりだけの責任になるだなんて、こんな寂しいことはない。
たとえギターをぶん投げたり、燃やしたりみたいな、バカが自発的に起こしたトラブルであっても、ステージ上ではみんなでカバーするべきだと思う。バンドなのだから。
「リサがトラブった後、演奏は途切れちゃうし、MCは誰もやらないしで無音が生まれただろ?あれが一番良くなかった。Roseliaは演奏は上手いけれどMCで喋れる人が少ないのが弱点だな」
「そう言われてしまうと、MCなんて今まで必要のないものだとタカをくくってましたが、考えを改める必要がありそうですね・・・」
「是非そうして欲しい。友希那のMCはなかなかに、うん、なかなかだった」
「う、うるさいわね。自覚はしてるわよ・・・」
あのときの友希那のMCは、平常時なら娘の授業参観を見守るような生温かい心境で眺めることが出来たのだろうけど、緊急時でのあれは不安を助長させるだけだった。
本当、歌はすごいのにな・・・。
「最後に、演奏の方も。昨日はリサが絶好調だったせいもあるけれど、それにしてもリサひとりが崩れて、残りの4人も総崩れっていうのは脆すぎる」
「・・・確かに・・・その通りです」
「こういうのは場数を踏んでいくしかないから、今回は本当に仕方のないことだよ。CiRCLEはみんなにとってホームみたいなものと思って貰って構わないから、沢山経験を詰んで、外のライブで活かして欲しい。俺たちスタッフも、もっとサポート頑張るからさ」
「・・・えぇ、ありがとう、陽さん。頼りにしているわ」
今回のことで、会場側としても改善点が多く明るみに出た。
ソデにすぐに使えるギターやベースをスタンバイさせておけば、復旧はもっと早かったはずだし、お立ち台周りの視認性をもっと高めておけば、そもそもこんなトラブルは起こらなかったかもしれない。
彼女たちの失敗を、彼女たちだけの責任にしないためにも、やるべきことは多い。
「陽さん。ところで、なのだけど・・・」
「友希那?なにか質問があった?」
つい考え込んでしまっていた、切り替えないと。
すっかり冷めたコーヒーを飲み干す。
「質問というより不満ね。こういう場でリズム隊やバンド全体のことしか指摘しないのはなぜ?」
「え、そうだっけ?意識してなかったけど・・・」
「そうよ。楽器隊は個別にスタジオに入ってアドバイスしているみたいだけど、私はそういうのもないし、贔屓は良くないわ」
「いや、贔屓って・・・。友希那は紗夜と同じで技術面で言うことがないんだから仕方ないだろ?」
「それなら表現の方は陽さんから見てどうなの?私だけ成長の機会を与えられないのは不服だわ」
友希那の底の見えない瞳でじっと見つめられると、何か言わなければという焦燥に襲われる。
しかし友希那の場合、表現も出来ているからどう言って良いのかわからない。
彼女に足りないもの、彼女の表現に欠けているもの・・・。
頭を捻って捻って、なんとか答えを絞り出す。
「・・・色気かな。うん、そうだ色気だ。友希那には色気がない」
「・・・それは侮辱と受け取っていいのかしら?」
いつかのように、場の空気が凍りつくのを感じた。
「アドバイスを求めて、罵倒されるとは思わなかったわ。父に相談させてもらうから」
「いや、歌の話だから!友希那にもっと色気があればいいなって思ったのは!お父さんは本当に勘弁して」
せっかくリサと恋仲になれたというのに、まだ死にたくはない。
その隣に座る恋人に手首をがっしりと掴まれた。
恐る恐るリサの方を向くと、その表情は意外にも笑顔だった。尚更怖い。
「ちなみに、陽さんからみてRoseliaで一番色気がある娘って誰?」
「え?燐子かな。断トツで色っぽいというか、艶っぽいというか・・・リサ、手首が痛いんだけど」
ギリギリと手首が万力のように締め付けられる。
以前のように逃げようにも、壁際の席で身動きが取れないし、例え逃げられても家の場所が割れている。
どうしよう逃げ場がない。
「リサ、色気って音楽のことだからな?その辺わかってる?」
「・・・どうせ胸なんでしょ」
「違う!大体そういう色気ならリサの方がよっぽどーーー」
「そういうことフツーみんなの前で言う!?」
「・・・みんな、今日はこれでお開きにしましょう。陽さん、お会計よろしくお願いするわ。後日支払うから」
溜息を吐いて友希那は席を立ってしまった。それにみんなもゾロゾロと続いて出口へと向かう。
真っ赤になった燐子があこちゃんに手を引かれていくのが見えた。いよいよ話して貰えなくなるかもしれないな・・・。
足の甲に痛みが走った。リサのブーティの踵が載っている。
「・・・また燐子のこと見てる。アタシに散々あんなことしといて!」
「それ、あんまり大きい声で言わないで頼むから・・・」
今回は割と真面目に終われたと思った反省会だったけれど、前回とは反対にみんなに逃げられてしまった。
空になったフライドポテトの皿がテーブルの中央の放置されている。いつの間になくなったんだ・・・。
店員さんがこちらの様子を心配そうに伺っている。大丈夫です、ただの痴話喧嘩ですから。
本当にたった2ヶ月で随分と変わった。
「弟子にならないか」と言われて目を丸くしていたリサが、今では恋人なのだから。
手首と足の甲の痛みすら幸せに思えてきて、さすがにそれはどうなのだろうと苦笑する。
とりあえず、リサの怒りを宥める方法を考えないと。
結局、店員さんが片付けてくれなかった丁寧に積まれた皿を見て、他人ごとのように思った。