昼過ぎの公園、子供たちが声を上げながらボールを追いかけて遊んでいる。その少し離れたところでは、恐らく子供たちの母親であろう女性たちが、談笑に花を咲かせている。
9月の初旬、まだ残暑が感じられる気温だが、人々は今日も元気に生きている。
そんな穏やかな光景を眺めながら、木製のベンチに浅く腰かけ、先程コンビニで買った新発売らしい缶ジュースを喉に流し込む。思っていたよりもきつい炭酸に軽く咽た。
ポケットからスマホを取り出し、耳にイヤホンを差し込む。適当に再生するとLed Zeppelinの天国への階段が流れ始めた。ジミーペイジの幻想的なアルペジオに、ロバートプラントの歌声が溶ける。この曲が終わるころにはアルバイトを終えた今井さんがやって来るだろう。
「どうしてこうなった」
コンビニで買い物をすることに決めた数分前の自分を恨む。
もし今井さんが、彼氏とかを連れてきたらどうしよう。彼氏の1人や2人、今井さんくらいの美人ならまず間違いなくいるだろう。そんな美人の彼女が、見ず知らずの輩に「弟子にならない?」などと最近の残暑に頭をやられたようなことを言われた、と聞いた彼氏は果たしてどう思うか。
・・・2,3発頂戴するのは覚悟しておいた方がいいかもしれない。頭を抱える。本当にどうしてこうなった。
「ごめん、お待たせ!」
「・・・あれ、彼氏は?」
「え、なにそれ?」
気づいたら目の前に、昨日に比べるとラフな服装に身を包んだ今井さんが、怪訝な表情を浮かべて立っていた。天国への階段はいつのまにか終わっている。
マズい完全に気が抜けていた。コンビニ袋からペットボトルのミルクティーを抜き取り「バイトお疲れさま」と今井さんへ差し出す。
「いいの貰っちゃって?ありがと」
早速フタを開けると、一口飲み下す。ごまかせたかな。
「で、彼氏ってなに?」
ごまかせてなかった。
ーーーーーーーーー
「へー、そんなこと考えてたんだー、高橋さんは」
「だからごめんって・・・、痛い痛い叩かないで」
隣に腰掛けた今井さんがペシペシと俺の二の腕辺りを叩く。
先程まで妄想していたことを包み隠さず話したところ、すっかり機嫌を損ねられてしまった。
「そもそもアタシ、彼氏とかいないし。いたとしてもそんな乱暴な人とは絶対付き合わないし」
「あ、いないんだ彼氏。なんか意外」
「絶対見た目で判断したよね?失礼しちゃうよなー!」
「いや、バンドやっててそれだけ美人なら、普通にいると思うって」
「び、美人って・・・。はぁ、なんかちょっと緊張してたのがバカらしくなってきた」
ミルクティーをグイッと煽る今井さんの横顔を眺めるとほんの少し顔が赤くなっていた。こんな安っぽい賛辞に、思っていた以上に初心な反応を返され内心少し驚く。
「緊張?アドバイスのことだったら気楽に構えてて大丈夫だよ。そんなキツイこととか言う気は無いからさ」
「んー、アドバイスのことももちろんあるんだけど、アタシが話したいことはそっちじゃなくってさ・・・」
「アドバイスじゃなかったら何だろう?俺で答えられることなら何でも聞くよ?」
しらばっくれる。アドバイスが目的じゃないなら、今井さんの話というのは確実にあれしかない。
「アタシが聞きたいのは、弟子入りの話。昨日高橋さん言ったよね?」
ーーやっぱり忘れていてくれなかったか
「アタシ、昨日も言ったけど人からベースを習ったことがなくてさ。ちょっと自信が無いんだ、今やってる練習が本当に正しいのか、自分がちゃんと上達できてるのか・・・」
「今井さんゴメン、昨日のあれは伝えたいことが多すぎて、それで混乱してあんなことを言っちゃったんだ。ちゃんと、本当に上手くなりたいならプロの講師に習った方が君のためになる。俺は結局のところプロにはなれなかった人間なんだから」
「・・・昨日あの後、まりなさんが聴かせてくれたんだ、高橋さんのライブの録音」
自分の表情が凍りつくのがわかった。いつのライブの、どのバンドの録音を聴いた?
思わず手に力が入りジュースの缶が形を歪める。まりなさんが何をしたいのか、わからない。
「アタシがベースを弾く理由は、友希那の笑顔を傍で見ていたいっていう、ちょっと変わった理由で、あの子今はそんなことないけど、少し前まで危うい感じでさ、傍についていてあげたかったんだよね」
「そういえばバンドを組む前の一人でやってたときの湊さんは、歌い方が今に比べて悪い意味で必死な感じだったな・・・」
「あー多分その辺りだと思う、アタシがベースを始めたの。というか再開したの。中学のときにも少しやってる時期があったから」
「空白期間は楽器やる人あるあるだよ。再開してから数か月で今の腕前はなかなか凄いと思う」
「友希那や紗夜に鍛えられてるからねー。まぁそんな理由でベースをやってきたから、あこみたいに憧れのドラマーがいたり、紗夜みたいに確固たる意思があってギターを弾いたりっていうのが、アタシにはないんだ」
今井さんはそう自嘲するが、大抵の人はそんな大層な信念を掲げて楽器を始めない。異性にモテたいだとか、友達と一緒の趣味にだとか、大体そんなものだ。
俺はどうだったかな、思い出せそうにない。
「だけど、高橋さんの音を聴いたときコレだ!って思った。衝撃だったんだ、こんなベースがあるんだ、こんな音があるんだって。友希那に勧められて色んなバンドのCDを聴いたけど、こんな衝撃は初めてだった。」
「・・・初めてだよ、そんなこと言われたの」
俺にも憧れのベーシストはいた。でもそれは俺が生まれる前にとっくに死んじゃってる人だったり、ベース1本で世界中を駆け回る人だったり、決して俺みたいなアマチュアで沈んでいったような、そんなありふれたどうしようもない奴ではない。
「アタシは、高橋さんみたいな音を出せるようになりたい・・・。だからアタシの先生になって欲しい」
こちらに向き直った今井さんが、強い力の宿った瞳で、真っすぐにそう言う。
この途方もなく熱い、若い情熱に触れていいのだろうか。
ーー触れてみたいーー
そう思ってしまった。
「条件がある」
「条件?えっとお金のことだったらバイトやってるし、親にもちゃんと相談するからーー」
「そういうのじゃなくて。俺はさっきも言ったけどアマチュアなんだ、プロに比べるとなにもかもが劣ってる。だから俺に教わっててなんか違うなって思ったら、すぐに俺の弟子なんか辞めて、プロの講師に習って欲しい」
ダメだったときの保険。情けないことだけど、彼女のためにも、臆病な自分のためにも必要なことだ。
「うーん、なんだかモヤってするけど・・・。その条件を呑めば、先生になってくれるんだね?」
「うん。俺の持っているものを全部、今井さんに渡す」
「・・・なんだかプロポーズみたいだね、それ」
今井さんが少し照れたように頬を掻き、張りつめていた空気が弛緩する。
「うん、わかった。高橋さんがそう言うならそのとおりにする。・・・だから先生、やってくれる?」
「・・・もちろん。俺なんかで良かったら」
今井さんに右手を差し出す。花のような笑顔を浮かべた彼女がその手をギュッと握り返した。
「これからよろしくね!先生!」
穏やかな秋晴れの日に、初めての弟子が出来た。
派手な外見からは想像できない真面目な、燃える様に情熱的な、そしてやたらと美人な女子高生の弟子が出来た。