店長の親父さんが経営するライブハウス「Red House」は駅から徒歩で約20分ほど、繁華街を外れたオフィスビルが立ち並ぶ、飲食店もまばらな三車線の大きな通り沿いという非常に微妙な立地にその看板を掲げている。
店名の由来はジミヘン好きのオーナーが特に気に入っている、Red Houseという曲をそのまま使用したという大変わかりやすい理由だ。
その店名に恥じず、規模こそ大きくはないけれど、ロック好きの界隈ではとても人気なライブハウスで、毎夜ロックンロールを鳴り響かせている。
真っ赤な壁に囲まれた地下への階段を愛子とふたり下りる。
30分くらい、じっとしてたら精神に異常をきたしそうなこの真っ赤な壁を、俺が背負ったギターの持ち主である茜は甚く気に入っていた。
重たい防音扉の年季の入った手すりをグッと引くと、懐かしい板張りの床と壁際に設置された革製の赤いソファ、そしてデカい何かが目に入った。
フロアの真ん中にこちらに背を向けてずんぐりと佇む2メートルくらいのそれは、まるで熊のようだ。
ピカピカの頭が照明に反射して眩しい。
熊がゆっくりと振り返る。以前に見たときよりも少し皺が増えたかもしれない、髭もじゃの懐かしい顔があらわれた。
こちらの姿を見るや、ずんずん歩み寄ってくる。相変わらずの迫力に思わず後ずさり。
「陽じゃねぇか。よく顔を出せたもんだな、ん?」
「ご、ご無沙汰してます、オーナー」
信じられないことに、この筋骨隆々の熊が貸しスタジオの青髪の店長の親父さんだ。
オーナーのピカピカの頭を見るたびに、店長の青髪は実はカツラなんじゃないかと疑念を抱いている。
キャッチャーミットみたいな大きな手で頭を鷲掴みにされた。死ぬかもしれない。
「オーナーさん、久しぶりー!相変わらずおっきいねー!」
「おぉー愛子ちゃん。綺麗になったなぁ」
もう片方の手で愛子の頭を優しく撫でる。この扱いの差はなんだ。
「バカ息子から話を聞いたときは耳を疑ったが本当に来やがったか」
「お世話になります・・・」
「・・・お前、茜の事はもう大丈夫なのか?」
店長が知ってるのだから、当然オーナーもバンドの顛末は知っている
ただでさえ低い声をさらに低く響いて、実の父親と話している気分になった。
「だいじょぶだよ。もう陽くん彼女いるし。しかも女子高生」
「あのバカが言ってたことは本当だったか・・・」
「痛い痛い痛い!」
鷲掴みにされた頭が万力のように締め上げらて、思わず悲鳴を上げる。
この人、もう60歳を過ぎてるはずなのに、どんな力をしてるんだ。
「つうことは、その女のためにライブをやるってのも本当だってことだ?いいご身分だなぁ、えぇ?」
「割れる!割れますって!」
耳から変な液体が噴き出すんじゃないかって思い始めたところで、急に手を離された。
頭が手の形にじくじくと痛む。
「前みたいに情けねぇ面してステージに立ったら、ただじゃおかねえからな?・・・しっかりやれよ」
肩を外れて飛んで行ってしまいそうなくらい、平手で2回強く叩かれた。
叩かれた肩がやたらと熱いのは、きっと痛みのせいだけじゃない。
のそのそと巨体を揺らしてバーカウンターの奥に引っ込んでしまったオーナーに、愛子とふたり静かに頭を下げた。
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ふたりしかいないのだから当たり前だけれど、リハーサルはすぐに終わった。
ステージのマーシャルの横にボロボロのフライングVがスタンドに立て掛けられて、照明の光をギラギラと赤く反射させている。
なんとなく持ってきた茜の赤い革ジャンは、使っていないマイクスタンドに引っ掛けて、ステージの横に置いておいた。
壁際のソファに身を沈めると、愛子も隣にちょこんと体育座りで乗っかってきた。
愛子はすでに戦闘着である、大きめの白いTシャツと大きめの黒い短パンに着替えていて、その姿はどこからどうみても中学生だ。
靴を履いていない、真っ白な素足の指を握ったり開いたりする癖も昔から変わっていない。
「なんか、懐かしいね」
「・・・そうだな」
このバンドで初めてライブをやったのも、この場所だった。
そして終わった場所も、この場所だった。
「陽くんってさ結局、茜ちゃんのこと好きだったの?」
「なんだよ、いきなり?」
「なんか気になって。いいじゃん教えてよ?」
ステージのギターと革ジャンに視線を向ける。
当たり前だけど、そこに茜はいない。
「わからない。でも嫌いじゃなかった」
「なにそれ?素直に好きって言えばいいのに。ほんっとふたりとも素直じゃない」
「うっせ」
茜と過ごした一年にも満たない時間は、今でもたまに夢の中の出来事だったんじゃないかと思ってしまうくらい現実感のないもので、あのときの感情を思い出せと言われてもちょっと思い出せそうにない。
それが好意だったのかどうか、今でもわからないままだ。
「今の彼女のリサちゃん、だっけ?その娘のことはどうして好きになったの?」
「ぐいぐいくるな・・・。リサの事は・・・リサにベースを教えてるうちに、人とやる音楽の楽しさをどんどん思い出していって、それに比例して好きになっていった感じかな」
リサを通して、Roseliaのみんなの音に触れて、音楽がどんどん楽しくなって、そしてリサの存在が俺の中でかけがえのないものへと変化していった。
「リサちゃんのこと、ほんとに好きなんだね」
「うん、大好きだ」
もうリサのいない生活が考えられないくらいに。
「陽くん、今日は責任重大だ。茜ちゃんのリベンジとリサちゃんのベースを取り戻すのと。モテる男は辛いってやつ?」
「茶化すな」
小さい肩を小突いてやると、手に持っていた黒いドラムスティックで脇腹を突き返された。
悪戯に笑う表情が昔のままで、嬉しくなる。
愛子の言う通り責任重大なのだけれど、不思議と上手くいく気しかしない。
「久しぶりだけど、頼りにしてるぞ相棒」
「こういうときばっかり都合がいいんだから。うん、任された相棒」
ふたり、顔を見合わせて笑い合う。
謎の安心感、無敵感。なんでもできる気がする。
防音扉が開いた。
ぞろぞろと友希那を先頭にそれぞれの楽器を背負ったRoseliaの面々が入ってくる。
もちろんそのなかにはリサの姿もある。
開いた防音扉から冷たい外気が流れ込んできた。
滞留した空気が一気に動き始める。
止まっていた全部を吹き飛ばすように、一気に動き始める。