冬の夜の澄んだ空気に、排気ガスの匂いが混じる。
もうそれなりに遅い時間なのに、大通りを行き交う車の数は多くて、沢山のテールランプやウインカーの明かりが点滅する様子はクリスマスのイルミネーションみたいだ。
白い息を吐き出す。胸の奥と繋がれた手が熱くて、全然寒くない。
来るときは重く感じたギターケースが、今はやけに軽く感じる。
「それで、請けちゃったんだ?店長の話」
「なんていうか勢いで・・・。相談した方が良かった?」
リサの反応が思っていたよりも薄いから、恐る恐る顔色を窺うと、キョトンした表情で首を傾げられた。
「相談?なんで?」
「いや、もうちょっと反応があると思ったから・・・」
「いくらアタシが重くても、さすがに陽さんの将来にまで干渉しないって」
苦笑を浮かべて、やんわり肩をぶつけてくる。
少し気にし過ぎだったのかもしれない。リサもそこまで束縛みたいなことはしてこないか。
「あ、でもアタシ的にはちょっと嬉しいかも」
「なんで?」
「CiRCLEと違って男の子メインのスタジオになるんでしょ?浮気の可能性が減るもん」
「・・・俺って、そんなに信用無い?」
「冗談だって!」と笑うリサだけど、冗談を言う声のトーンじゃなかった気がする。
「ちゃんと信用してるよ?アタシのためにあんな頑張ってくれて、凄く嬉しかった」
肩に体重をかけられたままで歩きづらいことこの上ないけれど、何も言わずゆっくりと歩みを進める。
こうしてふたりで帰るのが随分と久しぶりな気がして、もっと長くこの時間を過ごしたくて。
「陽さんの後ろでベース弾くの楽しかったなー。また機会があったら弾かせてね?」
「・・・うん、機会があったら」
結局あの後、愛子とバンドの今後について話すことはなかった。
俺が店長たちとの話が終えたのが遅い時間だったし、愛子にすっかり懐いてしまったあこちゃんがべったりで、話し合う暇がなかったのだ。
けれど、それで良かったのかもしれない。
正直な所、少し考える時間が欲しかった。最近、色んなことがあり過ぎて頭がパンク気味だ。
問題が問題なだけに、適当な判断を下したら茜に祟り殺されかねない。
「CiRCLEにはいつまでいられるの?」
「今年いっぱいの予定。急だけど1月2月の暇なうちに引き継ぎを済ませたいらしくて」
「ホントに急だね・・・。CiRCLEに行っても陽さんに会えないって結構寂しいかも」
「それは俺もだよ・・・」
仕事終わりにリサのレッスンをしたり、Roseliaの練習を見たり、そういうのが無くなるのは、かなり寂しい。
友希那と紗夜の呆れた表情や、あこちゃんと燐子の微笑ましいやり取りを見る機会はグッと減ってしまうだろう。
何より、こうしてリサと一緒に帰れなくなることが寂しい。
握る手に少しだけ力を込める。
「ね、たまに陽さんのスタジオ、遊びに行ってもいい?」
「・・・それは、あんまり来て欲しくないかな」
ボソリと呟くように言うと、リサの歩みが止まった。
想定内の反応だったから、リサに引っ張られることなく俺も足を止める。
今までの経験から、間違いなく不信を買うと思っていた。
「理由は?」
いつも通りの怖い方の笑顔。
徐々にこの笑顔に慣れつつある自分がいて、笑いそうになるけれど、ここで笑ったら酷いことになるだろうから堪えて、精いっぱいの神妙な表情を保ったまま口を開く。
「さっき言ったけど、俺がやるスタジオって男の利用者がメインになるから、あんまりリサには来て欲しくないんだよ」
「確かに聞いたけど・・・。でもなんでそれがアタシが行っちゃいけない理由になるの?」
心底わからないといった表情をされて唖然とする。
俺の周囲の女の影には敏感なクセに、自分のことにこんなに鈍感だとは思わなかった。
「・・・だから、リサがうちに来た客にナンパとかされたらと思うと、気になって仕事にならないから、だからあんまり来て欲しくないんだ」
迂遠な言い回しだと伝わらないみたいだから、半ばヤケクソになってそう伝える。
リサのポカンと開いた口元が徐々に吊り上っていくのを見て、素直に言ったことを後悔した。
「ふーん、そっかそっか。アタシがナンパされるのがそんなにイヤなんだ?」
「嫌に決まってるだろ」
からかわれるのが悔しくて、ぶっきらぼうに返すと悪戯な笑みがさらに深くなる。
この笑顔、なんだか久しぶりに見たような気がする。
急に歩き始めたリサに手を引っ張られて、つんのめりそうになりながら、なんとか横に並ぶと、リサは上機嫌に繋いだ手を大きく振った。
ずり落ちそうになった、ギターケースを背負い直す。
「いきなり嬉しそうだな?」
「そりゃー嬉しいよ。アタシばっか嫉妬してなんか不公平だなって思ってたから。陽さんもちゃんと嫉妬してくれるんだなーって」
「嫉妬くらいするよ。リサ、可愛いんだから」
手を繋いだまま、しがみつくように腕に抱きつかれた。
じわりとリサの体温が腕を通して染み渡る。
「心配しなくても大丈夫だよ。ナンパされたら、アタシは陽さんのものですって言ってやるから」
「それなら安心かな・・・」
答えに満足したように鼻を鳴らすリサが愛らしいけれど、あんまり安心出来ない。
リサくらい魅力的な娘なら、相手がいると分かった上で口説いて来る奴がいても不思議じゃない。
リサが俺のもの・・・って自分言うとまだなんだか照れ臭さがあるけれど、それを周りにわかって貰うにはどうすればいいのだろう。
・・・首輪?
いや、それなら指輪だろう。
「どうしたの?難しい顔して」
「・・・リサ、首輪と指輪ならどっちが欲しい?」
考えていたことがそのまま口から滑り落ちてしまい、頭を抱えたくなる。
これじゃ、リサのことを重いなんてとても言えたもんじゃない。
「何その二択・・・。そりゃ指輪がいいけど、でも陽さんが付けろって言うなら付けてもいいよ、首輪」
「そこは拒否してくれ・・・」
「自分から言ったんでしょー」と笑って頭を腕に擦り付けてくるリサが猫みたいで、少しだけ本気で首輪を買ってこようかと思った。
「なんだ、陽さんも愛、重たいんじゃん」
「嫌か?」
「ううん、重いくらいが丁度良い。もっと束縛して?アタシもするから」
その言葉に満たされる自分がいることに気づいて、そろそろ危ないかもしれないと思い始める。
けれど、腕に抱きついたリサが嬉しそうだからどうでも良くなった。
ゆっくりと歩く。少し急げば渡り切れる点滅する信号をあえて渡らなかったり、道端のどうでも良いことを話題に立ち止まったりして。
戻ってきた日常を噛みしめるように、これから先、減ってしまうだろうこの時間を惜しむように、ふたりの帰り道をゆっくりと歩いた。