「陽さんってさ、ここにいていい人だっけ?」
「間違いなく、良くはないかな」
リサとふたりだけの楽屋。演奏中のバンドの娘たちの音が漏れ聞こえてくる。
隣に座るリサはステージ衣装に着替えていて、むき出しの肩の白が眩しい。
ゴシック調の豪奢な衣装でパイプ椅子に座る姿は、絶妙にシュールだ。
イベント中の楽屋というものは普通、混雑するものだけど、前のバンドが演奏中で、次が出番のRoseliaの面々も準備を終えてステージ袖で待機している今は、冗談みたいに閑散としている。
中央のテーブルの上にはヘアアイロンや、化粧道具が散乱していて、これは片づけが大変そうだなと、ぼんやり思った。
「お仕事は大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。出来る後輩が頑張ってるから」
照明とミキサー卓を必死になっていじくる勇人の姿を想像すると、ほんの少しだけ申し訳ない気持ちになるけれど、これからのことを考えると出来る限りあいつには経験を積ませておいた方がいい。
・・・というのは建前で、ただリサと一緒にいたいだけなんだけど。
こんな機会はもうないだろうから。
「職権乱用ってやつじゃない?ソレ」
「使えるものはなんでも使うよ」
「あはは、悪い人だ」
どちらからともなく、ゆるりと指を絡める。
その手は温かい。
「調子、大丈夫そう?」
「うん、もうバッチリ!早くライブがしたくてうずうずしてるよ!」
リハを見た感じでも、もうリサのベースはすっかり元通りで、不安な点は感じなかった。
前回のライブの前みたいな、変な気負いも見られない。
握った手に力を込めると、嬉しそうにリサが肩を寄せてきた。
髪を撫でたいけれど、セットが崩れてしまうだろうからグッとこらえる。
控えめなノックの音が響いた。
「リサ、開けるわよ?」
凛とした声の後で、返事を待たずにドアが開けられる。
リサと同じゴシック調の衣装に身を包んだ友希那が肩を寄せ合う俺たちを見て、ジットリとした視線で睨んだ。
でもその表情はすぐに盛大な溜息とともに、いつもの見慣れた呆れ顔に変わる。
「あなたたち、時と場所を・・・。いえ、もう言うだけ無駄ね。リサそろそろ出番よ」
「え、もうそんな時間!?」
声を上げて立ち上がるリサにつられて壁にかかった時計を見ると、Roseliaの出番までもう10分を切っていた。
マズい。ひとバンド分の時間、勇人に丸投げしてしまった・・・。
「皆待っているから早く来なさい。陽さんも、あんまりサボっているとまりなさんに言いつけるわよ?」
「それは勘弁して・・・。友希那?」
「・・・何?」
さっさと出ていこうとする友希那をつい呼び止めてしまう。
振り返る際に肩からサラリと零れた銀髪が黒い衣装に映えて、絵画のように美しい。
「ライブ、頑張れ」
「・・・当然よ」
金色に輝く瞳を細めてそう答えると、友希那はリサを置いて戻って行ってしまった。
失敗の後のライブ。リサの不調が重なって練習時間があまり取れなかったのに、自信しか感じさせない頼もしいリーダーの姿が、あまりにもカッコよくて変な笑いが出そうになる。
ちらりと時計を見ると、いよいよ戻らないとマズイ時間になっていた。
軋むパイプ椅子から立ち上がって、ひとつの伸びをする。
「じゃあ、俺もそろそろ戻るよ。リサも頑張ってきて」
「うん!陽さんもね!・・・ね、ちょっとだけパワー頂戴?」
「パワー?」
「ん!」と両手を広げるリサの表情は生き生きとしていて、もう十分にパワーとやらは足りているように見えたけれど、別に断る理由もないから遠慮せず思い切り抱きしめる。
少し苦しそうな声が上がったあと、負けじと強い力で抱きしめ返された。
「陽さんと一緒に弾いてると思って頑張るから」
「うん。一番いいところで聴いてる」
「アタシから目を離したらダメだからね?」
「リサ以外見えないよ」
甘ったるいやりとりに、ふたりして静かに笑う。
離れ際に一瞬、唇が頬に押し当てられて体が離れた。
悪戯気に微笑むリサの表情はこれからステージに立つ人のものとは思えないくらい自然で、魅力的だ。
「じゃ、行ってきます!」
「いってらっしゃい。頑張ってこい」
衣装の裾を翻して走る姿に、転ばないか一瞬不安になったけれど、その足取りはしっかりとしていて、本当にリサはもう大丈夫なんだなと心から安堵した。
リサの姿が見えなくなってから、ひとつ息を吐いて会場に向かう。
次に特等席から彼女の姿を見れるのは何時になるかわからない。
妙な緊張感が胃の奥に溜まるのを感じて苦笑する。
なんで見る側が緊張しているんだろうと。
ーーーーーーーーー
重い防音扉の向こうは熱気で満たされていた。
熱気の中で当たり障りのないBGMが薄く漂う。
前のバンドの演奏の影響もあるのだろうけれど、それ以上にこの後のRoseliaのステージへの期待が会場内に膨れ上がっていくのが目に見えるようだ。
照明卓に突っ伏した勇人が、恨めし気な声を上げる。
「・・・随分長いトイレっすね?」
「悪い便秘気味なんだ」
「へー・・・。そのほっぺについてる赤いやつはなんすか?」
勇人に言われて手で頬を拭うと、リサのものだろう赤い口紅が掌に薄く伸びていた。
もう一度、強く拭う。
「陽さん、Roseliaのベースの娘と付き合い始めたんすよね?」
「羨ましい?」
「否定すらしないって!めっちゃ羨ましいっす・・・」
「そうだろ。今度、勇人にもあこちゃん紹介してやるから」
「よりによって中学生!」
頭を抱えて唸る勇人を見て、思わず声を上げて笑う。
お客さんの話声で溢れる会場の中だ。これくらいは許されるだろう。
「まぁこれからは勇人の天下だ。出会いがあるかもよ?」
「それはそれで複雑っすよ・・・」
冗談のつもりで言った言葉に、予想外にしょげた反応を返されてしまった。
小さく笑って、縮こまった勇人の背中を強めに叩く、彼は小さく呻き声を上げる。
「明日もあるけど、とりあえず今日はこれでラストだ。気合い入れていこう」
「・・・おっけです!」
ミキサー卓の横に置いた時計を見る。もう始めても良い頃合いだろう。
勇人に目配せをして、BGMの音量を一瞬上げてゆっくり絞っていくと、それに合わせて会場の照明が落とされる。
反比例するように観客たちの熱気がゆらゆらと大きくなり始めた。
そして薄暗いステージに人影が現れた瞬間、歓声が沸き上がった。
卓のすべてのミュートを解除し、フェーダーを所定の位置まで押し上げる。
何故か指先が震えた。
暗闇が切り裂かれる。歓声が悲鳴のように大きくなる。ステージ上の少女たちがキラキラと輝く。
悲鳴のような歓声が、唐突に砕けたシンバルにかき消された。
スピーカーが雄たけびを上げる。
Roseliaのライブが始まった。