CiRCLEの建物の中いっぱいに、まだライブの熱が漂っている気がする。
ロビーの円卓に腰掛けて、入口の辺りを何も考えずに見る。
外はすっかり暗くなっていて、それでようやく終わってしまったんだなという実感が湧いてくる。
クリスマスイベント初日、イヴの夜は予想以上の盛り上がりを見せて終わった。
明日の出演者のハードルが尋常じゃないくらい上がったなと、他人事のように思った。
「良かったの?Roseliaの打ち上げ、誘われてたんでしょ?」
「さすがに今日は部外者が入っちゃダメかなと思って」
対面でノートパソコンのキーを叩くまりなさんが、何の気なしに聞いてきたので、こちらもぼんやりそう答える。
今頃、Roseliaのみんなはいつものファミレスで、打ち上げを楽しんでいることだろう。
誘いを断ったときのリサの残念そうな反応がちょっと辛かったけれど、あんなとんでもないライブをやった後だ、メンバーだけでその余韻を噛みしめて欲しい。
それがバンドの結束をさらに深めることになるのだから。
「勿体ないなー。女子高生に囲まれてイヴを過ごせる機会なんて、多分もうないよ?」
「明日、その女子高生とふたりっきりでクリスマスを過ごすから、いいんですよ」
「うわー、独り身の女の前でそういうこと言うんだー」
キーを叩く音が物々しくなる。おっかなくて声をかけられない。
しばらく、静かなロビーにやつあたりのようなタイピングの音が響いたけれど、エンターを強く叩いた音を最後に、元通りの静寂が帰ってきた。
パソコンの電源を落としたまりなさんが、大きくため息を吐く。
「はー終わった・・・。それじゃ明日も忙しいだろうし、今日はもう帰ろっか」
「あれ、今年はやらないんですか?あの儀式」
「儀式って?・・・あー、あれのこと?そんな変な言い方しないでよ」
頬を膨らませる仕草が、思いのほか似合っていて可愛らしい。
「薄情な誰かさんが裏切ったからやりません。いまさら一人でやるのもなんか悲しいし・・・」
「じゃあ、まりなさんこの後は特に予定はないんですか?」
「だから、独り身の女にそういうこと聞く?」
「すいません・・・。でもそれならちょっと付き合って貰えません?」
キョトンとした顔で首を傾げるまりなさんを置いて、足早に事務所から目当てのものを取ってくる。
冷蔵庫の奥に隠していた、小さなホールケーキの入った箱とシャンパンを円卓の上に置くと、まりなさんの顔が驚きに染まった。
その反応に内心ほくそ笑みながら、使い捨てのコップに黄金色のシャンパンをなみなみと注いで、まりなさんに渡す。
自分のカップにも同じようにいっぱいに注ぐ。
「これ、高橋君が用意してくれたの?」
「他に誰が用意するんですか?」
「いや、だって高橋くんがこんな気の利いたこと出来るなんて思わないもん・・・」
失礼なことを言うなと思ったけれど、実際その通りだからなにも言い返せない。
ケーキの箱を開けてまりなさんの前に置くと、その顔が少女のように華やいだ。
雪のように白い生クリームの上に、サンタをかたどった砂糖菓子がちょこんとのっている、なんの変哲もないクリスマスケーキ。
「ロウソクは何本刺します?さすがに年の分はありませんけど・・・」
「喧嘩を売ってるのかな?」
「滅相もございません」
ジットリした視線のあとで、呆れた表情を浮かべる。
「うん、いつもの高橋君だ・・・。でも本当にどうしたの?高橋君がこういうことするって、明日は雪でも降るのかな?」
「時期的には降っても不思議じゃないですね。・・・ほら、こういうの来年は出来ないでしょうから、いつもお世話になってるし。なにかやっておきたいなって思ったりしまして・・・」
照れくさくって、しどろもどろになってそう返すと、まりなさんの表情が急に優しいものに変わった。
てっきりからかわれると思っていたから、恥ずかしくてその顔を見れなくなる。
「そっか、うんそうだよね。来年はもう、CiRCLEにはいないんだもんね・・・」
「・・・自分で勧めておいて、そんな顔しないでくださいよ」
「それはそれ、これはこれだよ。・・・乾杯、しよっか?」
差し出されたカップに自分のカップを軽くぶつける。注ぎ過ぎた中身が少しこぼれてお互いに苦笑い。
口をつけると、炭酸の刺激と上品なアルコールの香りが口内に広がった。少し値段が張ったけれど買って良かった。
まりなさんの方を見るカップの中身が半分以上減っていた。
ビールじゃないんだから・・・。
思わずぼやきそうになったけれど、黙って注ぎ足してあげる。
「新しいPAは引っ張ってこれそうですか?」
「ううん、やっぱりすぐには無理そうかな。受付のバイトを増やして、しばらくは私がやる予定」
「まりなさんのPAですか・・・。ちょっと楽しみです」
「ちょっと、そうやってプレッシャーかけないでよー!」
CiRCLEのPAは別に俺だけで回していたわけじゃないけれど、それでも人数はギリギリだった。
新人が見つかる前に離れるのは結構心苦しいものがある。
「そういえば前々から気になってたんですけど」
「なになに?お姉さんに何でも聞いてごらん!」
気付いたら手酌でお酒を注ぎ足している。
ペースが速い分、すでに酔いが回ってきているみたいで、頬が薄く赤く染まっている。とろんとした目つきが色っぽい。
「店長とまりなさんってどんな関係なんですか?年が離れてる割に、仲がいいっていうか遠慮がないっていうか・・・。傍から見てて不思議な感じなんですよね」
この間、3人で話したときも、店長の肩をどついていたし。
「あの人とは、まだ私がバンドをやってる時に知り合ったんだ。いくら言い寄っても適当にあしらわれてさ。失礼しちゃうよね?」
「いや、妻帯者になにやってるんですか・・・」
そんなことしてるから独り身なんだ。
「・・・今失礼なこと考えたでしょ?あの人の奥さん、私が知り合った時にはもうとっくに亡くなってたんだよ。それなのにいつまでもうじうじ抱え込んで、バカみたい」
八つ当たりするみたいに、もう何杯目になるかわからないシャンパンをまりなさんは喉に流し込んだ。
・・・なんだかとんでもないことを聞いてしまった気がする。亡くなってた?店長の奥さんが?
店長の左手の薬指に光る、年季の入った指輪を思い出す。
だから茜が死んだとき、俺のことを気にかけてくれたのだろうか・・・。
衝撃のあまり、思考の海に沈みそうになったけれど目の前にずいっと差し出された瓶に、現実に引き戻される。
「ごめん、今の無し。飲んで忘れて」
目が据わってて怖い。素直にカップを差し出す。
気にならないと言ったら嘘になるけれど、気軽に知ろうとしたらいけない話なのは、アルコールが回りつつある頭でも、さすがに理解できた。
まりなさんが傾けた瓶から、友希那の瞳の色に似た液体がカップに流れ込むが、半分も満たさないうちに瓶の中身が空になってしまった。
まりなさんが不機嫌そうに眉を寄せるけれど、貴方がほとんど1人で飲んでしまったんだ。
「無くなっちゃいましたね。ケーキ食べて、そろそろお開きにしましょうか?」
「・・・高橋君、コンビニ行くよ。お姉さんが奢ってあげる」
「はい?」
立ち上がるまりなさんの足元はおぼつかなかない。
ふらふらと外へ出て行ってしまうから、慌ててその後を追った。
日を跨ぎかけている外の空気は、コートも無しで出ていくには寒すぎて、追いかけてきたことを少し後悔した。
空気が澄んでいるからか、目を凝らすと晴れた空にいくつか星が見える。
「明日も忙しいんですから、このくらいにしておきましょうって」
「ロックンローラーがみみっちいこと言わないの!」
噛みつくように言われてしまって、何も言い返せない。
真っ白な溜息を吐いて、こっそり笑う。
こんなまりなさんは本当に初めて見た。
千鳥足の彼女がうっかり転んでしまわないように、そっと腕を掴む。
「何、セクハラ?リサちゃんに言いつけちゃうよ?」
「それは勘弁してください・・・。ほらコンビニ行くんでしょう?ふらふらで怖いから支えさせてください」
「・・・付き合ってくれるの?」
上目使いに言われて、不覚にもドキリとした。
「・・・ケーキがまだ手付かずですから。朝までは勘弁してくださいよ?」
まりなさんの表情が徐々に満面の笑みへと変わっていった。掴んだ腕を逆につかみ返され、物凄い力で引っ張られる。
ずんずん歩くまりなさんが口ずさむのは去年も聞いたハッピークリスマス。近所迷惑と言おうと思ったけれど、今日くらいはいいかと思って言葉を引っ込めた。
引っ込めた言葉の代わりに、まりなさんに合わせて歌詞を口ずさむ。
これで雪でも降ってくれば風情があるのに、東京の空はそこまで空気を読んではくれなかった。
翌日、当然の如くふたりそろって二日酔いになった。
他のスタッフの苦笑が痛む頭に辛かった。