食後のコーヒーを一口飲み一息。鼻に抜けていく芳醇な香りを堪能する。
やっぱり自分で淹れるコーヒーとは全然違うな。
羽沢親子が落としていった爆弾の衝撃からも、コーヒーの味を楽しめるくらいには立ち直り、対面に座る今井さんも食事を終えてミルクティーを口にしている。
「それじゃ腹も膨れたことだし、当初の目的の今後の事について話そうか」
「え!?う、うんそうだね、オッケーオッケー!」
彼女の方は、まだあまり立ち直れていないようだ。
とはいえ、いつまでも引きずっているわけにもいかない、切り替えていこう。
「今井さんは俺からどういう事を教わりたい?それに合わせて練習の仕方とか考えていこうと思ってるんだけど」
「うーん、教わりたいことは色々あるんだけど、うまく言葉に出来ないっていうか・・・。とにかく上手くなって、高橋さんみたいな音が出したい」
「面と向かって言われると普通に照れるな・・・。まぁ言葉に出来ないって気持ちは理解できるよ。俺もそういう経験あるし」
始めたばかりの頃なら、あの曲が弾きたいだとか、この技が出来るようになりたいだとか、わかりやすい目標があるものだけれど、一定のレベルまで来るとその目標が突然、漠然としたものに変化する。例えば「リズム感を強くしたい」のみたいな、ゴールの見えない目標へと変化してしまうのだ。
「じゃあ、無難に基礎の見直しから始めていこうか。それと並行して音作りや理論の勉強も少しづつやっていこう。理論の勉強をしたことはある?」
「ううん全く。Roseliaに入ってからは曲をこなすので精一杯だったからさ・・・」
「まぁ、ぶっちゃけ勉強しなくて弾けるんだけど、実際プロでも譜面が苦手って人は普通にいるから。だけど経験上、理論を知ってた方が上達が早くなるから、今井さんのペースで頑張ってみよう」
「うん!よろしくお願いします、先生!」
「他の人がいる場所で先生はやめよう・・・」
生徒とふたりっきりで外食する先生って、どう見てもアウトだから・・・。
やることは決まったし細かく練習メニューを組んでいこう。彼女の情熱に応えられるようにしっかりしなければ。
「ところでさ高橋さん、下の名前ってなんていうの?」
「え、陽だけど。太陽の陽で、よう」
「そっか!じゃあこれからは陽さんって呼ぶね!陽さんもアタシのことリサって呼んでよ。いつまでも名字呼びとかなんだか堅苦しいじゃん」
「いつまでもって、まともに話すようになったの今日からだろ・・・」
「ふーん・・・。じゃあ先生って呼んだ方が良い?」
「これからもよろしくな、リサさん」
「うんよろしくね!先生!」
「・・・これからもよろしくな、リサ」
・・・本当、いいように弄ばれてる気がする。
すっかり上機嫌になったリサと連絡先を交換する。アドレス帳に女子高生の連絡先が登録されていることに、妙な後ろめたさを感じた。
ふと外に目をやると、日の短くなってきた秋空が赤く夕日に染まっている。窓から差し込んだ赤が、同じく外を眺めていたリサを彼女のベースと同じ赤色に染める。
この世の物とは思えないまるで絵画のような、幻想的な彼女の姿に思わずに息を飲む。
視線に気づいたのか彼女の琥珀色の瞳がこちらを向いて、表情をふっと緩めた。
「どーしたの?」
「い、いや。もう夕暮れだなと思って」
「そうだねー、なんか今日は色々あったなー。・・・ねぇ、陽さん。もういっこ聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「まりなさんがアタシに聴かせてくれた、陽さんがベースを弾いてたバンドってどんなバンドだったの?」
リサの言葉で現実に引き戻される。
まりなさん、そこまでは教えてなかったんだな・・・。リサに聴かせたことは恨むけど、そこには感謝する。
「それは・・・もうちょっと、仲良くなったら話すよ」
「・・・仲良くって、どれくらい?」
「ちゅーできるくらい?口と口とで」
リサの顔が夕日と同じくらいに、真っ赤に染まる。
先程までの幻想的な雰囲気はどこかへと霧散し、年頃の可愛らしい少女へと戻ったリサは「か、帰るっ」と伝票をむしり取ってレジへと向かってしまう。
「よし、勝った」とほくそ笑みながらコンビニ袋を手にその背中を追う。
その後、レジで羽沢さんに「おふたりとも、本当に良い雰囲気ですね!」と再び屈託のない笑顔で告げられ、リサとふたり謎の敗北感を味合うことになった。