to be with...   作:ペンギン13

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紗夜の華奢な手首が鞭のようにしなって、ピックを摘まんだ指先が六本の鉄弦を撫でると、子犬の鳴き声みたいな甲高い高音が、試奏用のマーシャルアンプから飛び出した。

鳴き声を上げたのは、黄色のFender Mustang。いつも紗夜が弾いている藍色のESP M-IIの重厚な音とは対照的な、やんちゃな鳴りが特徴的なギターだ。

Mustangは高域に独特のクセがあって、扱いづらさから「じゃじゃ馬」と評されることもあるのだけど、紗夜が何回か撫でてやるとすっかり懐いた様子で、彼女の意のままに鳴き声を上げるようになった。

繊細な指先から紡がれる音楽はNirvanaのSmells Like Teen Spirit。ロック好きなら誰もが聞いたことがあるだろう名曲中の名曲。そういえば紗夜はカートが好きなんだっけ。

荒々しく弾いてなんぼみたいなこの曲を、紗夜は弦を一本一本、精密機械のように均一に、でも燃えてしまいそうなくらい情熱的に弾きこなす。

しばらくシンプルなリフを繰り返し弾いて紗夜は演奏を止めた。左手が弦に擦れて鳴った音が、子犬が寂しさに鼻を鳴らす音みたいで、紗夜の手の中の黄色いギターが実は生きてるんじゃないかと本気で思った。

ギターの音が消えた代わりに、周囲の音が急に耳に流れ込んできてビックリする。完全に呑みこまれていた。

 

「高橋さん。いかがでしょう、このギター?」

 

「ビックリした。紗夜、なんかとんでもなくなったな」

 

「・・・私が訊いているのは、ギターの音のことなのですが」

 

そう言えばそういう話だった。

日菜さんにリサを連れ去られた後に、紗夜とやって来たのは二階の隅の方にある楽器屋だった。全国に店舗を構える大手なだけあって、ショッピングモール中の楽器屋にしては品揃えがそれなりに良い。

年頃の女の子を掴まえて真っ先に向かうのが楽器屋というのも、なんとも色気のない話だけど、考えてみるとリサと初めて一緒に出掛けたときに行ったのも楽器屋だった。

 

「面白いし良い音だけど、Roseliaで使う気?」

 

「・・・やはり合いませんか」

 

少し、しゅんとした様子で紗夜は小振りなボディを撫でた。

合うか合わないかで言ったら、少なくとも既存の曲にはまず間違いなく合わないだろうし、何より構造上の問題もある。Roseliaの楽曲には通常のチューニングよりも低い音を使った曲が多く、そういう曲はMustangみたいなネックが短いギターにとって天敵だ。ピッチが甘くなってしまうからだ。

ノリと勢いで突っ走るバンドなら問題ないのだろうけど、緻密な演奏が求められるRoseliaには向かないギターだろう。

 

「紗夜、そのギター好きなの?」

 

「・・・はい、好きなギタリストが使ってましたから。・・・まぁ、その、いつかは手に入れたいと思ってます」

 

珍しく歯切れの悪い感じで紗夜は答える。気持ちはわかる。俺だって、ベースを始めてから随分経った今でも憧れのベーシストと同じ機材を使って見たいと思うのだから。多分、この気持ちは楽器をやる全ての人間に共通するものなんじゃないかと思う。

 

「Roseliaの既存の曲には向かないかもしれないけど、新曲で使えるかもしれないわけだし、友希那に音を聞かせてみればいいんじゃない?諦めるのはそれからでもいいだろ」

 

「・・・確かにそうですね。わかりました、今度そうしてみます」

 

どこかホッとしたように微笑む紗夜の顔を見て、こちらもホッとした。

楽器屋に入ってこのギターを見つけたときの紗夜は、よく見るしかめっ面とは真逆の、キラキラした表情を浮かべていて。そんなに好きなギターをバンドに合わないなんて些細な理由で諦めてしまうのは、勿体なすぎる。

 

「高橋さんも良かったら弾いてみませんか?なかなか良いギターですよ」

 

「いいの?それならお言葉に甘えて・・・」

 

紗夜からギターを受け取って構えてみると、ネックの短さに思っていた以上に違和感を覚えた。とりあえず、さっき紗夜が弾いていたSmells Like Teen Spiritを弾いてみる。アンプから流れる音は耳馴染みのあるあのリフなんだけれど、先ほどの紗夜の演奏と比べると何かが足りていない。というか、何もかもが足りていない。

目の前の紗夜の表情も険しく、いたたまれなくなってピックを振り下ろす手を止めた。アンプから不機嫌そうなハウリングの音が聞こえたから、慌ててボリュームを絞る。

 

「・・・ど、どうかな?」

 

「少し待ってください。高橋さんが傷つかない言葉を探しています」

 

「もう十分傷ついたよ・・・。そんなやばかった?」

 

はい、とあっけらかんと返事する紗夜に、心が折れそうになる。

 

「以前にライブを拝見した時から思っていたことなのですが高橋さん、ギターと歌はあまり得意じゃないのでは?」

 

「え、ギターはともかく歌も?」

 

「はい。あのときは状況が状況でしたから、私も湊さんもなにも言いませんでしたが、人前で披露するには少し・・・」

 

パタリと、太ももの上でムスタングの小さなボディが倒れた。心が折れる音が聞こえた。

 

「ベースの腕前に関しては、私は直接聞いたことはありませんが今井さんの上達ぶりや、一緒にスタジオに入ったと言う白金さんと宇田川さんの評価を聞く限り、相当なものなんだと思いますが・・・。ギターに関しては私から見ても多々改善点が見受けられます」

 

「具体的に言うと?」

 

「具体的にお話しすると、今日中には終わらないかもしれません」

 

「そんなにヤバい!?」

 

びっくりして言うと、紗夜は「冗談です」と真顔で返してくる。こんなわかりづらい冗談があるだろうか。

 

「・・・もし高橋さんが良かったらですけれど、今度ギターをお教えしましょうか?」

 

「教えるって紗夜が?・・・それはありがたいけど良いの?紗夜の練習の邪魔にならない」

 

「人に教えるのも練習と言いますし、私としては何も問題ありません。・・・それにお礼もお詫びもまだ出来ていませんでしたから」

 

「お礼?お詫び?俺、紗夜になんかしたっけ?」

 

記憶を探ってみるけれど、心当たりがまるでない。むしろ日頃から紗夜に心労をかけているこちらが詫びなきゃいけない気がして来た。

 

「以前に練習を見ていただいたことと、今井さんを助けてくれたこと。・・・それに今井さんの件のとき、高橋さんに手を上げてしまったことです」

 

「・・・あぁ、そのこと」

 

紗夜の言葉でいくつかのことを思い出す。そんなに前のことじゃないのに、すっかり記憶から抜け落ちていた。

 

「そういえば紗夜って思ってたより腕力あるんだな。びっくりしたよ。何かやってるの?」

 

「はい、弓道を少々・・・。いえ、そうじゃなくて・・・。からかってるんですか?」

 

少し顔を赤くした紗夜がこちらを睨むから「違う違う」と軽く手を振る。やり過ぎるとまずい、リサに変な風に伝えられる。

 

「お礼とかお詫びとか、気にしなくて良いんだけど・・・。でもせっかくだし、紗夜の迷惑にならないなら教えてもらおうかな?」

 

「最初からそう言えば良いんです・・・。私は厳しいですよ?」

 

「お手柔らかにお願いします・・・。そうだ、今度アコギ買おうと思ってるんだけど良かったら紗夜、選ぶの手伝ってくれない?」

 

「アコギですか?それなら私も少し見て見たいですし・・・。ええ、構いませんよ」

 

「ありがとう。じゃあ改めてよろしくな、紗夜先生?」

 

「先生はやめてください」

 

照れたようにそっぽを向いてしまう紗夜がおかしくて、思わず笑ってしまうと不機嫌そうに鼻を鳴らされた。太ももの上で倒れたままだったムスタングを持ち直して、ボディを撫でる。すぐには無理かもしれないけれど、いつか紗夜がこのギターをバンドで思い切り弾ける日がくれば良いなと、心から思った。

 

「可愛いギターだね。陽さん、それ買うの?」

 

背後から突然投げかけられた問いに心臓が止まりそうになる。恐る恐る振り返ると、くっつきそうな至近距離にリサの笑顔。

 

「いいなー!あたしもおねーちゃんにギター教えてほしい!選んでほしい!」

 

「日菜、どこに行ってたのよ・・・。教えてほしいって、あなた絶対に教えた通りに弾かないじゃない」

 

すぐ横で交わされる姉妹の仲睦まじい会話が、遠くに聞こえる。温かい店内なのに何故か冷たい汗が背中をつたった。ただでさえ近いリサの顔がさらに近づいて、耳元に熱い吐息がかかる。

 

「すっごく楽しそうなこと話してたじゃん?家に帰ったらちゃんと教えてね?」

 

今すぐ逃げ出したい衝動に駆られたけれど、考えてみたら逃げ込む先にリサも帰ってくるのだから意味がない。チラリと姉妹の方を見ると、呆れた表情の紗夜と、お腹を抱えて笑う日菜さんの姿。そっくりな顔で真逆の表情を浮かべる二人を見て、思わず笑ってしまう。足の甲に鈍痛が走った。

 

 

ーーーー

 

 

「アタシの先生が、アタシの友達の生徒になっていた」

 

「いや、少し教えてもらうだけで、別に紗夜に弟子入りしたわけじゃないから」

 

不機嫌そうに鼻を鳴らして食材を冷蔵庫に詰めていくリサは、紗夜と日菜さんと別れた帰り道からずっとこの調子で、なかなか機嫌を直してくれない。

 

「ほんっと陽さんは、ちょっと目を離したらこうなんだから。首輪買ってくれば良かった」

 

「それは勘弁して・・・。でもリサだってなんだかんだ楽しんだんだろ?」

 

「そりゃまぁ、年末で色々と安くなってたし。日菜と遊ぶの久しぶりだったし・・・」

 

リサの持ってきたキャリーバッグの横には、いくつか紙袋が増えていて、印刷されたロゴを見た感じ、多分中身は洋服だと思う。

バタンと冷蔵庫の閉まる音がして、バツの悪そうな表情を浮かべたリサが部屋に入ってくる。

 

「・・・にしても、やっぱハデだね、これ」

 

「そうだな・・・。夢にジミヘンでも出てきそうだ」

 

俺が腰掛けてるベッドを見てリサが苦笑する。昨日はピンクだったベッドは何故か星条旗に包まれていた。

帰り道、シーツ類を買い忘れたことを思い出した俺とリサに、待ってましたと言わんばかりに日菜さんが取り出したのは、彼女が売り場でも勧めてきたこの星条旗柄のシーツだった。

「ラブラブなふたりにプレゼント!」と屈託のない笑顔で差し出してくるものだから、受け取るしかなく、日菜さんの後ろで頭を抱える紗夜がなにも言ってこないことがありがたいのと同時に、なんだか申し訳なかった。

ギシりと小さく音を立ててベッドが沈み込む。肩に温かな体温。リサが隣に座る。

 

「日菜さんとは仲良いの?リサがあんなに振り回されるのって初めて見たかも」

 

「まー同じクラスだしね。陽さんと紗夜ほどじゃないけど仲は良いよ?」

 

「引っ張るな・・・。悪かったって」

 

「べっつにー、気にしてないしー?」

 

そっぽを向いてしまうリサの膨らんだ頰を指で突くと、間抜けな音を立てて空気が抜けていった。そのまま柔らかい頰を突いていると、大きな猫目がジロリとこちらを向いたから、大人しく手を引っ込める。

 

「・・・陽さん、ほんとに悪いと思ってる?」

 

「思ってるって。・・・リサ、右手出して」

 

怪訝そうな表情を浮かべながらも、素直に差し出してくれるリサの右手を取る。人差し指と中指の先だけが異様に硬い、ベーシストの手。その薬指にポケットから取り出したシンプルなシルバーの指輪をはめ込む。リサの目がビックリしたように丸くなった。

 

「どうしたのこれ?」

 

「見たまんまペアリング。ちゃんとしたのは今度一緒に選ぼう。とりあえずは悪い虫除けってことで」

 

言いながら、自分の分も同じように右手の薬指にはめる。思ってたよりいい感じ。

 

「わ、これアタシが好きなブランドのだ。いつの間に買ってたの?」

 

「みんなでご飯食べてるとき、電話で席立っただろ?そのときにダッシュで。ブランドは日菜さんから聞いた」

 

「あー、あのとき・・・。サイズは?陽さんに教えてないよねアタシ?」

 

「それは昨日、リサが寝てる間にこっそり。驚いた?」

 

うん、と頷きながら自分の手をマジマジと見つめるリサ様子にこっそり頰を緩める。本当は今日一緒に選ぶつもりでいたのだけれど、思いがけずサプライズになった。

リサの顔がこちらを向く。その表情は喜んでいるような、怒っているような、複雑なもので、いまいち感情が読み取れない。

 

「もしかして気に入らなかった?」

 

「ううん、嬉しい。すっごく。デザインもアタシ好みだし。・・・けど、陽さんのその、上げたり下げたり、下げたり上げたりってどうかと思うなーって」

 

「・・・それはゴメン。気をつける」

 

グッと体重をかけられてベッドに倒される。柔らかい重み、鎖骨の辺りに慣れ親しんだ甘く鈍い痛みが走る。ふわふわの髪の毛が影を作る。

 

「うん、気をつけて。アタシもゴメン。重くなり過ぎないように気をつけるから」

 

申し訳なさそうに笑うリサの顔が嫌だから、首に手を回して引き寄せる。首筋に噛み付くと、紗夜が弾いてたムスタングの音みたいな、甲高い声が漏れた。

 

「ところでさ、指輪なんで右手なの?普通、左手の薬指じゃない?」

 

「それは、ほら・・・ちゃんとしたときのために、残して置こうかなって」

 

リサは俺の胸に顔を埋めて、笑い声を押し殺して震える。そんな変なこと言ったかな?

しばらくして、むくりと顔を上げたリサの顔は予想通り、いつもの悪戯っぽい笑顔。どれだけ笑ったのか目元には薄っすら涙の跡。

 

「ね、陽さん。アタシね、陽さんのそういう変にお硬いっていうか、律儀っていうか。そういうとこが大好きだよ」

 

「・・・俺もリサのちょっと重たかったり、それなりに嫉妬深い所が大好きだよ」

 

顔を引き寄せて、文句が飛んでくるのを阻止した。その代わり不満げに挿し込まれる熱は素直に受け止める。

今まであまり考えてなかったけれど、女性関係にはもう少し気をつけよう。怒らせる度、今日みたいに指輪を贈ってたんじゃ、全部の指がすぐに指輪で埋まってしまうだろう。それじゃベースが弾けない。なにより、リサにはあんな申し訳なさそうな笑顔じゃなく、ちゃんとした笑顔でいて欲しいから。

鼻腔に入ってきた新品のシーツの匂いが、すぐにリサの匂いに上書きされる。染まってしまえばいいと思った。この部屋にあるものも、俺自身も。全部リサに染まってしまえばいい。熱でじわりと溶かされていく頭で、そんなことを思った。

 

 

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