リサ達とはぐれた事がわかった数分後、途方に暮れた俺と友希那はとりあえず、みんなが並んでいるであろう参拝の行列に加わることにした。ここまで来て参拝もせずに帰るのも癪だったし、この寒い中何もせずにぼんやり突っ立っているのは流石に辛かった。
もしかしたらみんなが俺たちを探して鳥居の方に戻ってくるかもしれないとも考えたけれど、友希那の「この行列から抜け出せるのかしら」という、諦観の念がこれでもかとこもった呟きを聞いて、その考えは綺麗さっぱり消え失せた。
リサだったら、無理に行列を抜けてさらに迷子を増やす危険は冒さない。きっと参拝を終えて先程までいた鳥居のあたりで合流しようと考えるはずだ。
友希那の方も同じことを思ったのか、俺が参拝の列に並ぶことを提案すると小さな溜息を吐きながらも了承してくれた。
いざ並んでみると、思っていた以上に列は長かった。雑然としているように見える列は、よく見ると四人か五人の列になっていて意外と統制がとれている。後ろを振り返ると同じような列が形成されている。
なんとなく、クリスマスのRoseliaのライブのことを思い出した。満員の客席。熱狂の坩堝。一糸乱れぬバンドサウンド。照明を反射するリサの赤いベース。胸の奥がじわりと熱くなる。
「ライブを思い出すわ」
右隣から聞こえた友希那の声で現実に引き戻される。ステージの幻が消えて、神社の拝殿が見える。さっき見たときよりも近くなったように感じた。
「ライブって、どのライブ?」
「クリスマスのライブに決まっているでしょう?」
「……決まってるのか」
俺が笑いを噛み殺しながら言うと、友希那が抗議するような視線を向けてくるから、なんでもないよ、と手を振って誤魔化した。
友希那は、Roseliaというバンドを組む前から、ステージに上がり続けている。孤高の歌姫として、たった一人でCiRCLEを満員にしてしまうことだってあった。それなのに真っ先に思い出すのがあのライブだということが俺は嬉しかった。
「友希那、去年はどうだった?」
「何よ、唐突に」
「なんとなく。黙って並んでても暇だろ?」
友希那は視線を少し上に持ち上げて考えるような素振りを見せた。そしてマフラーに顔を埋めて「自分の未熟さを思い知らされた一年だったわ」と固い声で言った。
俺は今度は笑いを噛み殺すことが出来なかった。それに腹を立てた友希那の肘が俺の脇腹を控えめに打った。ジットリとした視線が痛い。
「ごめん、悪かった。けど女子高生の口から出てくる感想じゃないだろそれ」
「うるさいわね。実際そうだったのだから仕方ないじゃない」
溜息を吐いて友希那は、もう一度肘で俺の脇腹を突いた。同時に列が進んだから、俺たちも数歩前に歩みを進める。
「ひとりじゃ出来ない音楽があることを知ったわ」
独り言のように、友希那が呟く。
「リサがいて、紗夜がいて、燐子とあこがいて。みんながいるから歌える歌があることを知った。みんながいなければ目指せない高みがあることを知ったわ」
徐々に温かな熱を帯びていく友希那の声。羨ましいと思った。そんな素敵なバンドに恵まれた友希那のことが羨ましかった。
俺にもそんなバンドがあっただろうか。あった。多分。未だに素直に認める気にはなれないけれど、確かに存在していた。
「陽さんはどうなの?」
「え?」
「去年がどんな年だったのか訊いてるの」
「あぁ、うん。どんな年だったか」
夏頃までは同じだったと思う。茜の物がそのまま残った部屋で、寝て起きて食べて、そしてCiRCLEで働いて。ただ毎日を生きていた。なんの実感もなく、ただ生きていた。
それが突然に変化した。まりなさんの謀で、リサにベースを教えることになってから。
「……なんていうか、不思議な年だったよ」
「不思議?」
「うん。不思議」
ただ続くだけの毎日に、突然に陽だまりが生まれた。
初めはその温かさに驚いて、遠ざけようと思った。けれど、いつのまにか陽だまりは、無ければならない存在になっていて。失われそうになったとき、必死になって取り戻そうとするくらいに大切な物になっていて。
「リサと出逢えて良かった」
「あら、リサだけなの?」
「友希那とも、出会えて良かったと思ってるよ。もちろんRoseliaのみんなとも」
「そんな取ってつけたように言われても嬉しくないわ」
ぶっきらぼうに言いながらも、友希那の声色は柔らかかった。
本当にRoseliaのみんなと出会うことが出来て良かったと思う。みんなのおかげで、音楽の楽しさを思い出すことが出来た。このまま疎遠になっていくと思っていた愛子や店長と、また笑い合うことが出来た。……茜のこととも向き合うことが出来た。
「友希那」
「何?」
「去年は色々とありがとう。今年もよろしく」
「……ええ、こちらこそよろしくお願いするわ」
列がまた一歩前に進む。気が付くと拝殿に続く短い石段がもう目の前にあった。前の三組の参拝が終われば、ようやく俺たちの番だ。辺りを見渡してみるけれど、やはりリサ達の姿は見えなかった。今頃、鳥居の前ではぐれた俺たちのことを待っているのかも。いや、もしかしたら、おみくじでも引きに行っているかもしれない。
俺は尻のポケットから財布を取り出して中身を確認する。神様なんて大して信じていないけれど、去年は色々と良いこともあったから、千円札の一枚くらい放ってやるのもやぶさかではない気分だ。
「そういえば陽さん。二人きりのうちに話しておきたいことがあるのだけれど」
「友希那、気持ちは嬉しいけど、俺にはもうリサがいるから……」
「何を勘違いしているの?」
友希那の冷たい視線を感じたから、俺は黙ることにした。頬に突き刺さる圧が消えたのを確認して友希那の方を見ると、俺と同じように財布の中身を確認していた。毛長の猫のイラストが大きくプリントされた長財布。随分と奇抜なデザインだ。どこに売ってるんだろう。
小銭を貸して欲しいのかなと思い、自分の財布の小銭入れを覗いてみる。丁度良く、五円玉が一枚だけ入っていた。
「まだ皆には言っていないけど、Roseliaの活動をしばらくの間、休止にしようと思うの」
「……は?」
つまみ上げた五円玉が指からすり抜けた。五円玉が石畳に落ちる音は、前の参拝客が鳴らした鈴の音のせいで聞こえなかった。五円玉は列に並ぶ人の足の陰に間抜けに転がっていって消えた。鈴の音が頭の中で反響する。クラッシュシンバルが目の前で打ち鳴らされたような気分。五円玉の行方を追うことを諦めて友希那の方を見ると、全く知らない女の人が怪訝そうな表情を浮かべて立っていた。
「陽さん、何をしてるの?他の人に迷惑よ?」
少し上の方から友希那の声が聞こえたから、見上げてみる。ステージとフロアくらいの高低差。いつの間にか友希那は賽銭箱の前に移動していた。
俺は呆けたまま石段を上がって、友希那の隣に並ぶ。そして手に持ったままだった財布から紙幣を一枚とって賽銭箱に放った。「あっ」と隣から友希那の少し驚いたような声が聞こえた。後から財布の中身を確認して分かったことだけど、俺が千円札のつもりで放ったのは、一万円札だったらしい。