to be with...   作:ペンギン13

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 一万円があったらなにが出来るか。何か美味しいものを食べに行くのも良いだろうし、今度買おうと思っているアコースティックギターの予算の足しにするのも良いかもしれない。それかリサに何かプレゼントを送るのも良いかも。手を離れた一万円札は桜の花びらのみたいに力無く宙を舞って賽銭箱に吸い込まれていく。呆けた頭で考えた神様へのお願い事は『まりなさんが婚期を逃しませんように』という、本人に知られたら愛用のエレキギターで殴りつけられそうな内容だった。

 

「一万円を賽銭する人なんて初めて見たわ」並んで石段を降りている最中、友希那が呆れを多分に含んだ声音で言った「一体何をお願いしたの?」

 

 馬鹿正直にまりなさんの婚期のことを願ったなんて言ったら、路傍でぺしゃんこになった空き缶を見るような目で見られるに違いないから俺は「……世界平和」と絞り出すように答える。

 

「ジョンレノンみたいね。陽さんはベースでしょ?」

 

「ポールだってギターは弾くし世界平和くらい歌うだろ。それに俺、最近はギターと歌ばかりだし」

 

「……陽さんのベースをちゃんと聴いたことは無いけれど、少なくともギターよりはベースを弾いていた方が良いと思うわ」

 

 妙に力のこもった友希那の言葉につんのめりそうになる。先日の紗夜との会話を思い出す。そんなにマズいのかな? 俺のギターと歌。……いいや友希那と紗夜の求める水準が高すぎるだけに違いない。彼女達から見たら東京に掃いて捨てるほど存在するアマチュアミュージシャンの殆どがそう見えるはずだ。きっと、多分。というか、俺が下手くそかどうかなんてどうでもいいことで。

 

「友希那、悪いことは言わないから考え直した方がいい」少し先を歩く友希那に俺は言った。人混みの中、小柄な友希那は人と人の間を意外にも器用に縫って進んでいくから、危うく置いて行かれそうになる。「なにを?」と友希那が首だけで振り返る。

 

「バンドのことだよ」先を歩く小さな背中に向かって言うと、友希那は歩みを止めた。つられて俺も足を止める。後ろを歩いていた人が迷惑そうに速足で追い抜いていったけれど気にしない。

 

「活動休止したバンドがどうなるか、友希那なら知ってるだろ?」

 

「……ええ」友希那は頷く。

 活動を休止したバンドには何通りかの未来がある。文字通り期間を置いて復活を果たす場合。復活はしてもメンバーがすげ替わっている場合。……そして、自然消滅。

 大多数のバンドは自然消滅の末路を辿る。メジャーで多くの人々に受け入れられ、愛されたバンドならともかく、メジャー以上に入れ替わりの激しいインディーズの世界で活動を休止し停滞したバンドは、新しい若いバンドに追いやられ、風化し、そして誰からも忘れ去られる。きっと今この瞬間も、雪の欠片がアスファルトに落ちて溶けて無くなるみたいに、いくつのバンドが消えて、またいくつかのバンドが生まれている。

 

「そりゃ友希那は曲も詞も書けるから、一人でだってやっていけると思う。実際Roseliaを組む前はそうしてたわけだし。……だけどこれから先、Roseliaみたいなバンドにはそうそう出会えないと思う。だから……」

 

「陽さん」

 

 自分でも驚くくらい真剣に言い募る俺の言葉を、友希那が遮った。温度を感じない金色の瞳がじっとこちらを見上げる。顔の下半分がマフラーに埋まっているせいで、友希那がどんな表情をしているのか窺い知ることは出来ない。

 少しの沈黙の後で友希那は毛糸で編まれた手袋に包まれた手で指差して「あっちで甘酒が貰えるみたいよ」と言った。

 

「え?」

 

「少し冷えたわ。貰いに行きましょう」

 

 そう言うや否やこちらの返事も待たずに、友希那は人と人の間を野良猫みたいに、するすると進んでいってしまうから、俺は慌てて後を追いかけた。

 

 

 御神酒や甘酒を振る舞うテントには列らしい列は出来ておらず、待たされることなくふたり分の甘酒を手にいれることが出来た。生憎と近くのベンチは人で埋まっていたから、友希那とふたり人の往来から外れて立ったまま、湯気の立つ紙コップで冷えた両手を温めた。

 

「酔っぱらうなよ?」

 

「甘酒で酔うわけが無いでしょう?」

 

 友希那は横目で睨んで言って、艶のある唇を紙コップにつけた。寒さのせいか、白い頬に朱が差しているのが色っぽい。じっと見ていると友希那が怪訝そうに眉間に皺が寄ったから、慌てて俺も紙コップに口をつけた。癖のある風味の液体が喉に落ちて身体を温める。友希那とほとんど同時に息を吐くと、煙みたいに白い息がふわりと浮いてすぐに消えた。

 

「陽さんが考えているほど深刻な理由じゃないのよ」

 

 お互いに黙ったままで、甘酒をコップの半分くらいまで飲み終えた頃、友希那が呟くように言った。少し間を置いて「バンドのこと?」と俺が訊くと友希那は小さく頷く。

 

「あこ以外はもう三年生だから、さすがに進路の事を考えないと」

 

「……あぁ」

 

 冷静に考えれば直ぐに考え着くことだった。

 

「友希那のことだから、音楽のこと以外は考えてないと思った」

 

「失礼ね」友希那はムッとして見せるけれど直ぐに視線をあらぬ方にやって「……正直、父に言われるまでは何も考えていなかったのだけど」誤魔化すように紙コップに口をつけた。

 進路。そういえばリサとそういう話をしたことがない。リサはどんな将来を思い描いているのだろう。自分の好きな人のそういう部分に、今まで感心を持たなかったことが酷く恥ずかしい。

 

「進路、友希那はどうするんだ?」

 

「父からはどこでもいいから最低限、大学は出るように勧められたわ」

 

「まぁ、そうなるだろうな」

 

「音楽系の専門学校も考えたのだけど……」

 

「それはやめとけ」俺が遮るように言うと友希那は「父と同じことを言うのね」と小さく笑った。

 実際に専門学校を出た身からすると、友希那が行く意味はあまり無いように感じる。ほとんどの専門学校は音楽大学と違い入試に実技試験が無くて、乱暴な言い方をするとお金さえ払えば誰だって入学することが出来るような場所だ。それゆえに入ってくる人間の抱く意志にはバラつきがみられる。俺が通っていた所では、入学から半年で三割が退学し、一年が経つ頃には半分になっていた。

 全員が意志薄弱なというわけではもちろんないけれど、それでも少なくない数の半端物が集まる場所で学ぶことが友希那にとって必要なこととは、とてもじゃないけれど、考えられない。

 

「……少し、不安だわ」

 

「成績があんまりだったり?」

 

「それもあるけれど」

 

 あるのかよ。

 

「今、このタイミングでRoseliaの歩みを止めてしまうことが、ほんの少しだけ」

 

 友希那は冷めて湯気の無くなった甘酒を一気に呷って息を吐く。ほんの少しだけ、と言うけれど唇から白く漏れた息には不安の色が濃い。だけど。友希那は空になった紙コップをくしゃりと握り潰す。

 

「皆のこれからのことを考えるなら、いま、立ち止まることが正解なのでしょうね……」

 

「……そうだな」

 

 バンドが永遠に続く保証なんてどこにもない。それはRoseliaだって例外ではない。もし万が一、これから先の未来でRoseliaというバンドが終わりを迎えることがあったとして、メンバーはどうなる? 

 バンドを失ってなお、メンバーの全員が煌びやかで冷たい音楽の世界で生き抜いていけるとは思えない。

 バンドが時を刻むのを止めた後も、世界は何事も無かったかのように回り続ける。舗装されたアスファルトの地面みたいな日常では、何度も喉を枯らして手にした歌声や、必死に磨き上げたギターの技術には、石ころほどの価値も無くて、学歴だとか、資格だとか、履歴書の空欄を埋めるものが、なによりも尊ばれる。

 

「不思議なものね」潰れた紙コップを弄びながら友希那が言った

 

「昔なら……私がひとりだったなら、周りに何を言われようが、迷わず音楽だけを続けていたわ」

 

 昔の友希那。

 昔と言ってもほんの一年程前のことだけれど『孤高の歌姫』と周囲から称されていた頃の友希那のステージをCiRCLEのミキサー卓から何度か見た。観客全員を氷の鈍器で殴りつけるような歌唱力は、もしかしたら今以上に凄まじかったかもしれない。

 今の友希那の歌は、あの頃に比べると少し柔らかくて、どこか温かい。

 紗夜の正確無比なギターを、燐子の七色に光る音の粒を、あこちゃんの暴力的ともいえる音数を、そしてリサのベースを、メンバーの全てを引き出すために、今の友希那は歌っているように思える。

 俺は今の『Roseliaの友希那』の、少し不器用な感じのする歌が好きだ。

 

「良かったな、迷えるようになって」心からそう思って言うと、友希那は「本当ね」と、くすぐったそうに微笑んだ。

 

「活動休止はいつにするか決めてるの?」

 

「夏休み前……かしら。決定はみんなと話し合ってからだけど」

 

「そっか」

 

 寂しくなるな。とは言えなかった。きっと一番寂しいのは友希那なのだから。

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