話し込んでいてすっかり忘れていたけれど、そういえば友希那と俺とは迷子の最中だった。とりあえず最初に待ち合わせた鳥居に向かおうと友希那と頷き合う。
「じゃんけんをしましょう」友希那が言った。
「なんでまた?」
「負けた方が、迷子の言い訳を考える」
「なるほど」
最初はグー。友希那が生白い小さな拳を突き出して言うから、俺は慌てて手を出す。
結果は友希那がチョキで、俺がパー。
「……友希那が猫を追いかけたせいで、はぐれたっていうのはどう?」
「猫がいるのっ?」
今日一番の瞳の輝きを見せた友希那が、存在しない猫を追ってあらぬ方向へ歩き出そうとするから、コートの襟元を掴んで「例え話だよ」と言うと、友希那は今日一番の輝きの消え去った瞳を見せた。
***
境内は参拝を終えた人々で混雑していて、これではぐれたらたまったものじゃないからと、友希那にコートの裾を掴ませて、鳥居の方へと急いだ。
鳥居の周辺はやはり多くの人が待ち合わせに使っているらしくて、来たときよりも人の数は多く思えた。
そんな中でも、リサの真っ赤なダッフルコートはひときわ目立っていて、ポケットに手を突っ込んで鳥居の柱に、丸めた背中を預けたその姿をすぐに見つけることが出来た。
照明で照らされた明るい地面を無表情に見つめるリサに友希那が歩み寄ると、リサは心の底から安心したような表情を浮かべて「どこいってたのさ? 電話全然出ないし、心配したんだよ?」
「ごめんなさい。……陽さんが、ちょっと」友希那が申し訳なさそうに俺の方を横目に言う。まずい、言い訳を考えていない。
「陽さん?」ようやく俺の存在に気付いたリサは、友希那を見つけたときとは打って変わって不機嫌な表情を浮かべた。ずんずんこちらに歩み寄って来たと思ったら、後ずさる間もなく音が鳴るくらいに思い切り、両手で頬を挟まれた。冷え性気味のリサの手はいつも以上に冷たくて、氷柱でも押し付けられた。
「……友希那と、どこ、行ってたの?」
「どこって、気付いたら皆とはぐれてて」
「電話、どうして出なかったの何回もかけたんだけど」
「ごめん、スマホ家に忘れちゃって」と俺が言うと、リサは首だけで友希那を振り返って、友希那がその通りだと頷いた。「……どうしてふたりして忘れるかなぁ」リサが深い溜息を吐く。吐息の白い煙が目の前に浮かんですぐ消える。
リサの様子に思わず乾いた笑いを漏らしそうになると、冷たい指先が、緩みかけた俺の頬を抓った。
「陽さん」
低い声。猫が威嚇するときの唸り声みたいな、そんな声。
「なーんかさ、ちょっと、フラフラしてるんじゃない?」
風邪でもひいたのかも。とか、そういう冗談を言える雰囲気ではない。明確な怒りを湛えたリサの大粒の瞳に至近距離で見据えられた俺は何も言い返せなくて、沈黙の黒い塊がリサと俺との間に落ちて足元に絡みつく様な錯覚を覚えた。
初詣の浮ついた喧騒や、等間隔に並んで吊るされた提灯の灯りや、そういう煌びやなものが遠くに感じ始めるくらいの沈黙が続いて、黒いものが腰の辺りまで這い上がっていよいよ全身を呑みこもうとしたころ「夫婦喧嘩は猫も食べない」友希那の突拍子もない言葉が聞こえた。
「……それ、犬じゃなくて?」
「猫は可愛いわ」
「そうだな」
「ええ、そうよ。可愛いわ」
「どっちでもいいし! ていうか、まだ夫婦じゃないし!」
リサが友希那と俺との間の抜けた会話に割って入ると、友希那は「まだ、ね?」と猫みたいな笑みを浮かべて見せて、耳まで赤くしたリサは言葉になっていない声を発して友希那の肩を揺すった。
すっかり遠くに感じていた周囲の喧騒が耳に入る。黒い沈黙は霧散していて、そのことに安心している自分が情けなかった。
陽さん。友希那の頬っぺたをぐりぐりしながらリサの顔がこちらを向く。先程までに比べて表情は多少和らいだけれど、じっとりした視線は相変わらずで、俺は背筋を正して、なんでしょうか?
「友希那に免じて半分だけ、許してあげる」
「……もう半分は?」
「それは、陽さん次第かなー?」
いつもみたいに悪戯っぽく笑うリサだけど、妙に言葉に重量感があるような気がした。
「反省します」
「よろしい」
鼻を鳴らしてリサは頷いて「はい、これ」ダッフルコートのポケットから封筒を取り出した。薄い桃色の封筒は真っ赤なハートのシールで封がされていて、少女趣味を通り越して悪趣味にすら思える。
受け取ろうとするけれど、リサが離そうとしない。どうしたのだろうとリサを見ると、そこには背筋が震えあがりそうな素敵な笑顔。
「愛子さんが、陽さんに渡しておいてって。ラブレター、だってさ?」
思わず天を仰ぎそうになった。あのバカはどうしてこのタイミングで、こういうことをするかなぁ。
「……わかってると思うけど冗談だからな?」
「どーだか?」
「ていうか、当の本人は?」
「誰かさんが迷子になったから、代わりにみんなを送りに行ってくれたよ」
愛子の見た目だと、むしろ送られている様にしか見えないだろうなと思ったけれど、俺が放棄した保護者役を代わってくれたことには内心で感謝。
ようやくリサが封筒から手を離してくれたから、ラブレターとかふざけたものじゃないことを証明するためにも、『愛しの陽くんへ』などと丸っこい文字が書かれた封筒の口を、ありったけの憎しみを込めて破いて、中から出てきた便箋をリサにも見えるように広げる。リサは覗きこむようなことはしなかったけれど、興味はあるのか横目でこちらを見るのがわかった。