side 士郎
英霊などと言えば聞こえは良いが、その実、彼らはサーヴァントという使い魔に貶められた、単なる装置でしかない。望んで人の道具になる者など、誰もいまい。そうするしかないほどの、そうでもして、聖杯を手に入れなければ叶わないほどの願いがあるからこそ、
そう、あいつは言っていた。いけ好かない奴だが、その言葉には確たる自信と実感が籠っていた。自分を永劫の眠りに就かせることすらさせず、ただ延々と、人類の後始末をさせられるだけの仕事だと。そして、望んでそうなったのだと。
望んで、願って、ただの「装置」になったのだと。
「はぁ···。」
ため息が漏れる。穿たれた右手が痛む──というのもあるが、最たる理由は、先ほどまで「護衛」をしていた男の、捨て台詞。
『セイバーとて、聖杯に願うほどの何かがあるのだろうよ。貴様のような三流以下のマスターの召喚に応じてまで叶えたい願いが。』
帰ったら、まずセイバーに謝って、怒られて。それから、願いを聞こう。
side out.
ガラガラ、と、玄関が開く音を聞き、桜とセイバーがそれぞれ自室と台所から出る。並んで玄関へと向かい、一言。
「遅いぞ。」
「おかえりなさい、先輩。」
険を多分に含む──どころか、険のみで構成された、斬りつけるような声と、穏やかな声。対照的な二人は、次の反応もやはり、対照的だった。
「怪我したのか。まったく、だから言っただろう。早く帰ってこいと。」
「先輩、その怪我は···!?」
右腕に巻かれた包帯と、制服に染みた血液。サーヴァントである···というより、戦い慣れたセイバーからすれば、「あ、結構深いな。」くらいの傷──腕を鉄杭が貫通した──なのだが、血に慣れていない桜にしてみれば大惨事だ。
「大丈夫、大丈夫。えっと、ちょっと事故っただけだから。ほら、ちゃんと処置してあるし。」
「嘘乙。取り敢えず、ちょっと道場に来い。桜、悪いが飯は後──」
「駄目ですっ!! 先輩は安静に──」
「桜ちゃーん、お腹すいたー。早くご飯食べよー。」
剣呑になりかけた空気が、大河の気の抜けた声で霧散する。毒気の抜かれたセイバーが折れ、「いいよ、飯が先で···。士郎はさっさと着替えてこい。」と、食卓へと戻っていった。
「あの、先輩。事故って仰られてましたけど、具体的にどんな事故だったんですか···?」
「え? あ、えーっと、鉄パイプが落ちてきてな。でも、ほら。もう痛みもないし、大丈夫だって。」
「そう、ですか···。」
この日も、夕食は静かだった。
◆ ◆ ◆
「セイバー、ちょっといいか?」
士郎は夕食の片付けを終えると、そんな簡単な言葉でセイバーを道場へ呼び出した。道場は他の建物と離れているため、桜や大河に聞かれる心配がないからだ。
「セイバー、いきなりだけど質問がある。」
板張りの床に正座し、改まった様子の士郎に応えて、セイバーも道場の床に座る。士郎とは違い、セイバーは胡座だ。どこか緊張しているような士郎の様子に、セイバーが興味深そうな視線を向ける。
「セイバーは、聖杯に何を願うんだ?」
「···は?」
愉しげだったセイバーの瞳から、一切の感情が抜け落ちる。質問がセイバーの琴線に触れ、無感情になった──という訳ではなく、あまりにも意外な質問過ぎたのだろう。やがてセイバーの瞳には、明確な「なに言ってるんだろ、こいつ」という疑問の色が宿る。
「えーっと、なんで?」
なんで、とは可笑しな言い種だ。共に戦う者なのだから、明確な目的というものが確かに存在するはずである以上、把握しておくのは悪いことではない。
士郎がそう伝えると、セイバーは腑に落ちたといった風情で笑った。
「そういうアレか。あー···。」
セイバーは照れた様子で頬を掻くと、目を合わせないままに言った。
「受肉、かな。」
「···え?」
受肉、というのが、サーヴァントが仮初めの生命としてではなく、マスターに縛られない、肉の体を持った一人の生命としてこの世界に顕現することだと、士郎は理解していた。ただ、どうしてそれを願うのかが分からなかった。
「ど、どうしてだ? 言っちゃなんだが、この時代は生きにくいんじゃないか?」
神秘が廃れ、薄れたこの時代に、サーヴァントは生きにくい。そのはずなのだが。
「まぁ、この時代に居たいって訳じゃないさ。ただ、みんなともう一度、一緒に生きたい。」
「···。」
みんな、というのが、夢で会ったセイバーの従える数多の魔剣たちであることを、士郎は理解していた。その願いは、セイバーが持つ、一国を落とし得るような戦力を加味すれば、本当に個人的な、ささやかなもの。願いが聖杯に懸けるに値するかどうかなんて、個人の価値観によって変わるもの。そう弁えていたはずの士郎でさえ、「それだけ?」と思ってしまうような願い。
でも、だからこそ。
「叶えよう。セイバー。」
「···え?」
「セイバーのその願い。叶えよう。俺もまだまだ未熟で、セイバーに比べれば非力なものだけど···でも、出来ることがあるなら全力でやる。···セイバー。」
「な、なんだよ?」
「勝とう。」
感情に任せたセリフに、セイバーが呆気にとられる。だが、セイバーはすぐに持ち直した。
「あぁ。そうだな。···そこでなんだが、士郎。」
「なんだ? ···っと。」
セイバーは道場の隅まで歩くと、竹刀を一本、士郎へと放った。自分でも一本持つと、士郎に向けて構える。
「訓練をしよう。今日も、凛に手酷く苛められたらしいじゃないか。」
「う。···って、なんで知ってるんだ?」
秘密だ。と笑ったセイバーが、竹刀を片手で持って士郎へと襲いかかる。咄嗟に士郎が竹刀を翳して防ぐと、セイバーは追撃はせず、踏み込んだ一歩分下がった。
「やるじゃないか。士郎もそこそこ使えるみたいだし、実戦形式で行こう。」
「···分かった。よろしく頼む、セイバー。」
◆ ◆ ◆
「ふぅ···疲れた。」
士郎は土蔵でひとり、胡座をかいて座っていた。結局、三十分ほどセイバーと打ち合っていたのだが、実力が拮抗していたのか、なかなかどちらも決定打を与えられずにいた。と、いうか、士郎が全く敵わなかったランサーや、戦闘にすらならないであろうバーサーカーと渡り合っていたセイバーと、さっきはいい勝負ができたのはどういう理屈か。
「さて···。こっちの方もやっておかないとな。」
足元に敷かれたブルーシートの上、散乱したガラクタの山から、一本の角材を取り上げ、胡座をかいて座った士郎は、瞑想でもするかのように目を閉じた。
「
腕から角材へ、士郎の魔力が流れ込んでいく。
「基本骨子、解明。···構成材質、解明。」
滑らかに、清流のように魔力を流していたはずの士郎の魔力回路に、僅かにノイズが混じる。
「基本骨子、変更。···こうせい、ざいしつ···ッ!?」
魔力回路が唸り、魔力が散乱する。角材はバラバラに砕け散った。
「クソ、また失敗か···。」
「──士郎。」
ふと、土蔵の扉から、声が掛けられた。目を向ければ、いつから居たのか、壁に凭れたセイバーが腕を組んで士郎を見つめていた。
「士郎、おまえ···何をしていたんだ?」
「あぁ、セイバー。魔術の鍛練だよ。」
「魔術の···鍛練? あれがか?」
好奇の色が濃い、訝かしむ色も混じったセイバーの瞳を覗きこみ、士郎は何がそんなに珍しいのかと首を捻る。
「えっと、魔術って言っても俺が使えるのは「強化」と「投影」ぐらいなものだからさ。こうして、毎晩反復練習してるんだ。」
「今まで、ずっとこんなのを?」
「あ、あぁ···。」
はぁ。と、セイバーがため息を吐いた。かと思えば、今度は後ろを向いて、何やらぶつくさと喋り出す。
「どう思う?」
『確かに魔術の起動でしたが···面白いやり方でしたね。』
『と、いうか···自傷にしか···見えなかった···です。』
「だよなぁ···。」
がりがりと後頭部を掻いたセイバーは、心底気だるげに士郎へと向き直った。
「なぁ、士郎。」
「な、なんだよ、セイバー。」
「魔術、教えてもらえ。」
言って、セイバーは声の質を変えた。呆れたような、気だるげな声から、さながら配下へ命を下す王者のごとき堂々たる声へと。
「アクアディンゲン、ルルイエ異本、ネクロノミコン、イステの歌、セラエノ断章。少々スパルタで構わん。士郎に魔術の何足るかを教えてやれ。」
瞬間、ぞわ、と、空間そのものが悲鳴を上げて拒絶するかのような怖気が走り──スパァン!! といういっそ小気味良い音に掻き消された。
「うう···」
後頭部にお約束的にタンコブを作り、煙を上げながら蹲るセイバー。背後には、その腹でセイバーを打ち据えたと思しき戦斧を持った、ナース服の上から黒いカーディガンを纏った、黒髪の少女がひとり。材質こそよく分からないが、どう考えても金属質な戦斧で軽い音を鳴らすあたり、凄まじい技巧の持ち主だということが伺える。
ハードなツッコミ以外には全く意味のない技巧だが。
閑話休題。
「クトゥルー勢総出で、マスターさんは一体ナニを教えるつもりだったんですかー?」
「魔術の何足るかを···」
ゾンッッ!! と、土蔵の床に戦斧が突き立つ。ちょうど、その翼のような刃の真横にあったセイバーの顔から、一瞬で血の気が失せる。土蔵の床に断痕を残された士郎も然り、だ。
「マスターさーん?」
「はい。」
「自分がやられたからってー、他人にもそれを押し付けるなんてー、救えませんねー。」
「···はい。」
懇々と話出したナース服の少女と、真っ青な顔でそれを聞くセイバー。流石にいたたまれなくなってきた士郎であったが、如何にへっぽことはいえ魔術師のタマゴだ。他の名前には聞き覚えが無くとも、「ネクロノミコン」の名前には聞き覚えがあった。そして、それと並んで出てきたということから、他の魔導書がどういうものか推察できないほど、愚かでもない。
故に、士郎はただ傍観していた。
のだが、現在、夜12時を回り、日付が変わったところ。健全な高校生たる士郎にとって、眠くなる時間帯である。
「良いですかー、マスターさん。私たちの影響力というものを、もっとよく考えて──あれ?」
「...zZZ」
それとは関係なく、セイバーもまた、眠くなる時間帯である。
「はぁ···救えません、ねッ!!」
びたーん。擬音にすればそんな音を鳴らして、セイバーの横面に戦斧の腹が激突する。相当な質量を持つであろう戦斧でもって、そんな柔らかな音を出すあたり、少女の技巧は以下略。
士郎はそこまで見届けて、睡魔に抗うことをやめた。
◆
糸。
縫い止めるものではなく、操るためのもの。
手繰り、操るための、人形の糸。
吹かない風に乗って街を抜け、月光に煌めきながら、土蔵の中へと入っていく。
人形使いは口角を上げる。自分の監視に気付く程度の技量はあるようだが、所詮は護衛もその程度。掛けられた毛布には多少の加護が掛けられているが──温い。緩い。
糸は少年の体へと絡みつき──人形は、意識すら持たずに動き出した。