side 士郎
──目が覚めると、そこは異世界だった。
なんでさ。そう呟き、もう一度よく周りを見渡──おかしい。なんで、俺は直立しているんだろうか。立ったまま寝て···そもそも、どうして屋外に居るんだろうか。記憶が確かなら、俺は土蔵で眠りに落ちたはずだ。
それに、何やら体が動かない。口と眼球、それに瞼や指先程度は動くが、腕や足はてんでダメだ。金縛りと夢遊病の合わせ技──な、ワケないか。
眼球を動かして、出来る限りの風景を目に映す。幸いにしてと言うべきか、ここは見知った場所だった。というか、なんなら友達の住まいだったりする。
「柳洞寺···?」
呟くと、閑散とした境内に、絡み付くような気配が不意に現れた。正面に視線を戻すと、影のように黒いローブに身を包んだ女がひとり、青い口紅を引いた唇を笑みの形に歪めて立っていた。
「あら、目覚めたのね。坊や。」
む。確かに童顔であることは認めるが、坊や、なんて呼ばれる年ではない。
なんて、そんなことで意地を張っている場合ではない。この状況で、そんな登場の仕方をするヤツは、敵とまでは言わずとも、まず間違いなく友好的な関係は築けそうにない。と、いうか、最重要怪しい人物である。
「な···」
「そうね、まずは名乗りましょうか。私はキャスターのサーヴァント。そして、ここは私の陣中。ようこそ、坊や。」
何者だ。そう問うより早く、相手から名乗った。···まさか、心を読まれ──
「私が施したのは、単なる遠隔操作の術よ。読心術なんて面倒な代物を、わざわざ貴方程度に使うと思って?」
「···。」
使われているとしか思えない。
「表情に出過ぎなのよ、坊や。···それで、どうしてココに招待されたのかはお分かりかしら?」
「
セイバーは、どうやら俺のことを影から護衛しているらしい。なら、セイバーが気付き、ここに来るまで時間を稼げば、直接戦闘力で勝るセイバーが有利。
そう考える。が、時間を稼ごうにも、身体が動かせない現状ではそれも厳しい。
「確かに、貴方のサーヴァントは強力よ。正面から戦えば、私のような直接戦闘が不得手なサーヴァントは、まず勝てないでしょうね。」
「勝てないから、まずマスターの俺を狙った···。」
「えぇ。そうよ。でも、貴方を殺すつもりはないわ。」
──なに?
意図を図りかね、嘘ではないかと勘ぐる間に、キャスターは砂利を踏みしめてこちらへ歩み寄ってきた。
「血腥いのは嫌いなのよ。···今から、貴方の令呪を貰うわ。」
「なっ!?」
令呪を奪う。技術的には可能なのだろう。魔術師として英霊になるほどの巧者であるキャスターほどの技巧と知識を持たない、教会から送られてくる監督役にさえ、令呪の譲渡は可能。ならば、その逆も然りと考えられる。
だが、遠坂は令呪を奪おうとしたときにこう言っていた。
「最悪、腕の神経を剥がすことになる」と。
「あ、ぐぅ···」
俺の意思と関係なく、左手が持ち上がっていく。全身に魔力を巡らせて抵抗するが、体の要所に絡みつき、操り人形のごとく操作する糸は、切れないどころか軋みもしない。
「無駄よ。既に完成した魔術は、ただの魔力では切れない。常識じゃない。」
目の高さまでだらりと持ち上げられた左手に、キャスターが絹の手袋で包まれた指先を這わせる。ぞくぞくとした感触が腕を伝って手の甲へ到達し──半ば快感すら生じていた左手が、大きく震えた。
「あ、がぁぁぁぁぁぁぁ!?」
拘束がなければ転げ回っていたであろう痛みが。発声の自由が無ければ、発散できずに発狂していたであろう痛みが。強すぎる痛みは熱にしか感じられないという話は何処へ行った。バッチリ痛いぞと、見知らぬ誰かに呪詛を投げたくなるほどの痛みが、左手を襲った。
夕方ごろに突き立った杭とは違う、出血を伴わず内側から湧き出る痛みは、血圧と体温を急激に上昇させ、ショック状態へと昇華させる。
だが、強すぎる痛みが、失神すら許さず神経を苛む。発狂が先か、令呪が剥離するのが先か。どちらにしても、ここでリタイアするのは確実だった。
──夜闇を裂いて滲出する、救いの手が無ければの話だが。
「こちらですぅ、ご主人様ぁ」
語尾にハートマークでも付いていそうな、媚びた声が響く。キャスターが焦った様子で周囲を見回すが俺の視界にも、そしておそらく、キャスターの視界にも、そんな声を発する者は映らない。だが。
「あぁ、うん。分かったから、早く出よう。」
俺は、この声を知っている。
じわり、と、足元の砂利から青褪めた、粘度の高い液体が滲み出る。次第に広がっていく液体を避けるように、キャスターが宙へ舞った。
「バカな、ここは私の工房よ? それを易々と──」
キャスターが蝙蝠の翼のようにローブを拡げる。幾つもの魔方陣が追従するように浮かび上がったかと思うと、次の瞬間には光の線が降り注いだ。
次々と、地面を覆う青褪めた液体へと弾痕が刻まれる。しかし、それらはすぐに、後から滲み出てくる液体に覆い尽くされる。
「目を閉じてろ、士郎。」
「あ、あぁ。」
辛うじて動く瞼を閉じる。刹那、ばしゃり、という水音と共に、慣れた気配が隣に現れた。
side out
◆
士郎の横に立ったセイバーが、足元の青い液体をばしゃばしゃと蹴る。
「おい、ティンダロス。もう良いぞ、引っ込め。」
「そんなぁ、ご主人様ぁ、私、もっとお役に立てますぅ。」
媚びた声と共に、青い液体がセイバーの脚へと絡み付き──その寸前で、青い炎で焼き払われた。
「ティンダロスの猟犬。マスターはいま機嫌が悪いの。あまり煩わせないで。」
セイバーの隣に、黒いドレスを身に纏った、銀髪の少女が現れる。彼女が手を翳すと、セイバーと士郎の周りの液体が、やはり青い炎で駆逐されていく。
「それに、この脳ミソみたいなのも退けて。気持ちが悪いから。」
「ヘル。同士討ちはその辺にしておけ。敵はあっちだ。」
「···分かったわ。」
そう言うと、ヘルの姿が、柳洞寺の庭全体を覆い尽くそうとしていた液体諸共に消え失せる。
「···あれ、帰っちゃうの?」
哀愁を漂わせ、切なげに呟いたセイバーがキャスターを見据える。セイバーとしては、そのままヘルを使おうと出した指示だったのだが、ヘルは「怒られた」と取ったらしい。かつてテレパシーによる指示を、「俺たちにはそんなの必要ないだろ?」と、半ばカッコつけて辞めたという過去を持っていたりするセイバーだが、まぁ、それはそれとして。
「ま、いいか。」
セイバーが右手を振ると、その手中に見慣れつつある大剣が顕れる。
「さて、キャスターのサーヴァントだよな。俺のマスター、返して貰うぞ。」
「あら、それはどうかしら、セイバー。ここは私の陣中よ? 見たところ魔術に適性のない貴方が──」
「──くっ」
セイバーが苦しげな声を漏らす。士郎が驚いた様子で一瞥すると、セイバーは口許を押さえて俯いていた。次第に大きくなる呻き声に焦り、士郎が駆け寄る。
「お、おい、セイバー···」
「くっ···うぅ···」
顔を赤くして震えるセイバーを見て、士郎は「キャスターに魔術を掛けられた」と思っていた。だが、当のキャスターは困惑した様子で中空を漂っている。
「ふ、あ、無理。くっ···あ、あははははははは!! おいおい聞いたかみんな!! この俺を掴まえて、「魔術に適性がない」と来た!! あはははは!!」
高笑いを始めたセイバーから、ぎょっとした様子でキャスターと士郎が距離を取る。
「何か間違っていて? 事実、貴方の魔力は燃焼には適していても、細かい操作には向かないはずよ。」
「あぁ、くっ、ふふふ···、うん。そりゃあ間違っちゃいない。」
確かにそうだ。と、いうか、それを初見で見抜くあたり、この女かなり巧い。セイバーは心中でキャスターへの評価を一段階上げた。
「が、まぁ、それは
セイバーが右腕を翳す。しかし、その先を言わせることを恐れるかのように、キャスターが砲撃する。幾重にも展開した魔方陣から光の線が降り注ぎ──違うことなく、その全てがセイバーに着弾した。
「セイバー!!」
小規模なキノコ雲すら生じさせた熱量を浴びては、流石に強靭なサーヴァントとはいえ無傷という訳にはいかないだろう。そう思って叫んだ士郎にとって、そして下手人たるキャスターにとっても意外なことに、軽い返事があった。
「なんだよ、士郎。あとちょっと離れて目を瞑っておけ。でないと──」
「発狂するぞ? なぁ、『セラエノ断章』!!」
「えぇ、魔剣使い様。私たちに抗うなんて、無駄なこと。熱量でなんて、尚更愚か。」
名前を呼ぶ。その行為は、古来より呪いを、あるいは祝福を表すものとして代表的だ。その事が指すように、「名前」には大きな意味がある。個の判別という実用的な意味でも、呪術的な意味でも。そして、こと神秘の薄れた現代において、聖杯戦争ほど「名を呼ぶ」という行為に意味を付与するものはない。
「セラエノ断章ですって!? 貴方、あの神話体系に触れた者なの!?」
キャスターが叫ぶ。かの名を冠する魔導書は、宝具に値する。なぜなら──
「──ふんぐるい むぐるうなふ くとぅぐあ ふぉまるはうと んがあ ぐあ なふるたぐん」
「辞めなさい、セイバー!! こんな所で···!!」
キャスターが焦燥を──否、恐慌を隠さずに砲撃する。セイバーの掲げた黒い石板が悉くそれを弾き、掻き消す。
「──いあ、くとぅぐあ」
セイバーの詠唱が終わると、にわかに周囲の気温が上昇する。柳洞寺の庭を覆う砂利が一斉に液状化し、巨大な円を描き、次第に、その内側に複雑怪奇な紋様を為していく。柳洞寺に満ちた魔力を吸い上げ、青白く発光する魔方陣からは、およそこの世のものとは思えぬほど強大な気配が漏れ始めていた。
「セイバァァァァ!!」
キャスターが一際大きい光線を撃ち出し、それに紛れて自身も急降下する。その手には、稲妻じみた形状のナイフが握られていた。
「は、届くかよ」
石板を振るい、光の束を一瞬で掻き消す。だが、その一瞬が、キャスターにとって唯一の活路だった。
「
融解した砂利の描く魔方陣の上で、キャスターは両膝をついてナイフを振り上げていた。何をしているのか、セイバーが疑問に思うより早く、キャスターがそのナイフを振り下ろす。
「
切っ先が魔方陣に触れた瞬間に、魔力が満ちていた紋様から色が消える。そのまま色褪せていった魔方陣は、ガラスの砕けるような音とともに霧散した。
「はぁ···はぁ···」
「なんだ、つまらん。ここで鏖殺しようと思ったんだが···残念だよ」
鏖殺、という言葉は、対キャスターには、つまり、個人を相手にするには相応しくない。それは、もっと大勢の対象を取る言葉だ。例えば、他のサーヴァントとそのマスター全員のように。
「士郎、もういいぞ。」
「せ、セイバー。今のは···」
顔面蒼白、立っているのもやっとと言った風情で、士郎が問う。神髄を知ると言っても過言ではない、神代の魔術師であるキャスターはともかく、現代に生きる士郎にとって、あの魔術で招来させようとしたモノの気配は、その精神に重大な負荷をかける。いち惑星に生きる者にとって、宇宙的な恐怖はイコール、未知なる恐怖だ。
「なに、『偉いヤツ』に怒られない範囲で出せる、俺の切り札みたいなモンだよ」
ちなみに、セイバーの指す「偉いヤツ」とは星の抑止力のことだ。そもそもこの世界が存在する以前より生きる"彼ら"にとって、「星」も「人」も、一瞥にすら値しないモノだ。それらが練り上げた「抑止力」も、また然り。だが、「抑止力」の側から見ればそうは行かない。自らを脅かす大いなる存在に対して、規模が違いすぎるからと泣き寝入りするようでは、それは「抑止力」とは呼べない。
──だが、それが何だと言うのか。
抑止力の使者? それは彼の存在を超えるほどに強大なのか?
複数の星の連合? それは彼の存在を縛るに能うのか?
素粒子レベルでの時間跳躍と過去編纂? それは彼の存在に影響を及ぼすのか?
否、否、否だ。
彼らにとって、抑止力の、人の、星の行いなど、その一切が、観測にすら値せぬ些事。セイバーの持つ魔導書のような、「興味を引かれる」モノが無ければ、関わる事すらない。
──故に、厳密に言えば、「怒られない」ではなく、「怒れない」なのだが。
「さて、キャスター。お前の溜め込んだ魔力は、お前がいま自分でリセットした訳だが。どうする? 続けるか?」
「ち──」
石板を消したセイバーが、ようやく
「ふぅ···。」
「セイバー···。」
ようやく落ち着いてきたらしい士郎が、セイバーに近寄る。
瞬間。
「ぐぅ」という、何とも気の抜ける音が境内に響いた。
「···セイバー?」
「士郎」
苦い表情の士郎に、真顔のセイバーが振り返る。
「お腹減った。」
「···はぁ。帰ったら何か作ってやる。」
「わーい、さんきゅー士郎。」
◆
士郎は知らない。
『セラエノ断章』という特級の魔導書を使ったことによる魔力消費が、今の衛宮邸の食糧在庫をほぼ食い潰す量だということを。まだ半月を残しているというのに、バイトを増やさなければ不味いレベルだということを。
セイバーが召喚に成功していれば、「鏖殺」という言葉が指すのは、キャスターどころか、残る6人のマスターどころでは無かったことを。
セイバーが真に憎むものを。
セイバーの、真の望みを。
セイバーが何を喚ぼうとしたのか「理解」した貴方、SANチェック(1D10/1D20)です。