化物語 こよみサムライ[第二話]   作:3×41

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「さぁて、どうしたもんかなぁ」

 

 僕は一人天井を見上げてそうつぶやいた。

 部屋は湯気に包まれて、見通しが悪かった。体にお湯の熱が伝わって心地よかった。

 

 僕は結局、とりあえずエルザの勧めもあってノイマンの屋敷の客人用のお風呂を使わせてもらっていた。

 何を悠長に風呂になど入っているんだと思われるかもしれないが、エルザに進められては僕にそもそも拒否権がないので、もうしかたがなく体を温めているのである。

 着替えはどうするのかと思ったけど、ご丁寧にこちらで用意してくれていたようで、サイズまでピッタリだった。すごいおもてなしの精神もあったものである。

 

 風呂釜は円形で体を広々と伸ばすことができた。

 今の僕の姿勢は風呂釜のふちに背中と両腕をあずけて、足を前方に大きく伸ばす格好だ。

 

 風呂のお湯の中には、なにやら綺麗な草花が束になって浮かんでいる。

 その花や草からそれらの香りがお湯に溶け出して不思議な匂いを作り出していた。

 エルザのさせていた匂いはこれと同じものだな、風呂につかりながらぼんやりそう考えた。

 これらの草花を毎回使うのはきっとそれなりの金額がかかるに違いなかったが、イギリスの大貴族ともなればそのようなことは気にならないらしい。

 

「それで、どうするのじゃ?お前様よ」

 

 僕以外の、幼さの混じった声。

 僕が気がついて天井あたりに泳がせていた視線を前方に向けると、円形の風呂釜の向こう側に、普段は僕の影の中に潜んでいる吸血鬼、もとい金髪幼女の忍野忍が僕とちょうど同じ体勢で湯に使っているのがわかった。

 その幼い体形ではやや体がプカプカ浮いてしまっている。

 ちなみにいつくすねたのか、体にはバスタオルを巻いていて、体のラインがわかるだけだった。別にわからなくてもよいのだが。

 

「どうって、どうするかな。何かいい方法はないか?」

 

「ふむ、お前様が儂にそれをたずねるのか? カカッ」

 

 忍は風呂の向かいの僕を見ながら、顔を上げてカカカと笑う。

 この状況を打開する方策を尋ねてみたが、忍はおもしろそうに僕の顔をまじまじ見つめているだけだ。

 

「それについてなら、この屋敷に来る前になにやら別の女と話こんでおったようじゃがのう」

 

 忍の言う別の女とは、戦場ヶ原のことだろう。

 もしかして妬いているのだろうか?

 

「それはそれさ。もしかしてお前妬いてるのゴボォッ!?」

 

 言っている途中で忍の足が風呂の中で僕の腹に突き刺さった。

 忍は少しジト目ぎみに僕の腹に刺さった足をグリグリえぐってきた。

 

「まぁなんじゃ。全盛期のころの儂ならばともかく、今の半端な状況では戦力は比にならんじゃろう。うまく話をすすめるしかまぁあるまいな」

 

「まじで!? 全盛期のお前なら、金光鳥を宿した人間に勝てるっていうのか?」

 

「やったことがないからなんとも言えんがのう、お前様。まぁしかし負けはせんじゃろうよ。吸血鬼の強みはその不死性にある、しっておるじゃろう?」

 

「なるほどな。じゃぁ今の状態じゃ難しいな」

 

 忍と僕、吸血鬼の力を共有するこの状態は、決して全盛期の忍の力の半分を使えるというわけではなかった、おそらくその1割もない。不死性だって、単に死ににくいというだけだ。

 

「10秒もつかわからんぞ、カカッ」

 

「そんなこと前向きに言ってんじゃねーよ」

 

 再び上を向いて笑う忍に不満をこめて非難する。

 

「忍お前、速く動ける方法とかないのか? ほら、エンカナッハドライブとか使えないのかよ」

 

「使えん。そもそも重力操作は儂の領分ではないからのう」

 

「そうだよなぁ。いや知ってて聞いたんだけどさ」

 

 ちょっと思いついたように、忍は続けて僕に提案した。 

 

「あの英国娘はお前様に奴隷になれとゆうておるのじゃろう? なってやればよいのではないか? 儂はこの洋風の住居も嫌いではないのじゃが?」

 

「馬鹿なことをいうなよ。そしたら戦場ヶ原が黙っちゃいない。僕、バーサスエルザが戦場ヶ原、バーサスエルザになるだけだよ。承服しかねるね」

 

「おーおーおやさしいのぅ。カカカッ」

 

 今度は忍は僕の顔を見据えたまま乾いたように笑った。

 

「よいしょっと」

 

 次に忍は出し抜けに風呂から出て、近くのお湯のシャワーの蛇口をひねった。

 忍が座ったイスの上からお湯のシャワーが降って忍は小さな体をそのお湯のほうにもっていって、シャンプーを使わず綺麗な流れるような金髪を両手をあげてワシワシと洗い始めた。

 

「お前様もよく体を洗っておくことじゃのう。ほれ、首を洗ってなんとやらということわざがあったじゃろう」

 

「縁起でもねーな」

 

 さはさりながら、一応僕も風呂を一度あがって、忍の隣に腰掛けて頭を洗い始める。

 

「ところでお前様よ、シャンプーはどれじゃ?」

 

「これだ。ほれ」

 

 蛇口の近くにあったシャンプーを忍に手渡してやる。忍は「ん」とぞんざいに返事をしてシャンプーを受け取ると適当にポンプをポンポン押してそれでまた頭をワシャワシャやり始めた。

 忍は泡だらけの髪をワシャワシャやりながら出し抜けに隣の僕に言った。

 

「お前様。あの英国娘は人間ではないぞ」

 

「ん?人間ではないって、エルザのことか?」

 

 少し驚いて聞き返す。人間ではないというだけのことなら、僕についても少々怪しいが。

 

「それだったら僕だってそういうことには一応なるんじゃないかな」

 

「しかしお前様は儂とは別個じゃ。あの娘は半身金光鳥と思っていいじゃろうな。おそらく精神の半分もそうじゃ」

 

「そうなのか?」

 

「せいぜい気を抜かんことじゃ」

 

 そういえば忍野がそんなことを言っていたような気がする。

 忍がシャワーで髪の泡をすべて洗い流すと、そのまま立ち上がって再び広い風呂に飛び込んだ。

 風呂の水面が揺れてお湯がちょっと外にあふれ出す。

 しばらくして僕も体を洗うと再び風呂の湯に身を沈めた。

 

「忍。一応僕の血を吸っておいてくれないか、いっぱいまで」

 

 風呂にプカプカ浮いていた忍がそれを聞いて僕のいるほうまで泳いでくる。

 

「なんじゃ、結局やる気なのか? 交渉に持っていくとゆうておったではないか?」

 

「もちろんそうするつもりだけど、一応だよ。逃げることになるかもしれないしな」

 

「カカカッ、逃げおおせるとも思えんがのう。まぁよい、ではじっとしておれよお前様」

 

 忍は言うと僕のところまで泳いできて風呂の中で僕のひざに乗ると、おかまいなしに首筋に歯を埋めた。

 とたんに体が燃えるように熱くなる。忍がノドを鳴らし、血が抜き取られていくのがわかる。

 僕は血を吸う忍の頭をポンポン撫でながら、浴室の湯煙にかすむ天井を所在無くながめていた。

 

 

 

 #

 

 

 

 忍が再び僕の影に潜み、風呂から出て服を着たあと、浴室の外のだだっぴろい廊下を歩いていく。

 廊下には絵画やら、全身鎧のオブジェやらで目うつりがしてしまう。この巨大な屋敷が今二人しかいないのだと思うと少し薄らざむい。足音がさびしく響くように聞こえた。

 

 そして1階のダイニングへと入ると、部屋には明かりが入っているのがわかり、そこには10mほどの長い装飾が施された木彫りのテーブルと、その上座にエルザが座っていた。

 僕が部屋に入るとエルザは僕に微笑みかけ、次にテーブルの反対側の席へ僕を促した。

 

「お風呂はどうだった阿良々木君?」

 

「あ、うん。いいお湯だったよ。個人の家とは思えない浴槽だな」

 

「フフフ、それはよかったわ。それじゃ食事にしましょう?そちらへどうぞ」

 

 エルザが手をやったほうに言われたままに歩き、テーブルのイスを引いて腰掛ける。

 目の前のテーブルにはすでに料理が並べられていた。

 スープやら肉料理やらサラダやら、すでからして輝いて見える。またえらく豪勢な料理が並んでいた。

 そのテーブルの10m向こうにはエルザが座っている。長テーブルのちょうど向かいに座っていて二人の距離は結構にあった。しかしこのくらいの距離がむしろちょうどよいように思われた。

 

 僕が料理に手をつけずにいると、エルザは目の前の肉料理を右手のフォークで突き刺して自分の口に入れて見せた。

 

「どうぞ阿良々木君? 毒の類なんて入ってないわよ?」

 

 その必要もないだろうしな。エルザが食べた肉料理を口に運んでみる。

 

「うわ、おいしいな」 

 

 それは豚肉でも牛肉でもないようだった。

 口の中で溶けるようで、肉汁が舌の上でうまみをしたたらせながら転がされる。しかしくさみやしつこさはなかった。

 

「お口にあったならよかったわ。この料理はすべて私が作ったのよ」

 

「本当か? すごいな。いい感じのレストランでも開けると思うよ」

 

「フフフ、阿良々木君、うそぴょんよ」

 

「……いっとくけどその言葉ふるいからな」

 

「本当はさっきシェフを二人招いて作ってもらったの。今はもう帰ってもらったけど」 

 

 僕はサラダを口に入れてモグモグ咀嚼しながら話を聞いていた。

 

「だからこの屋敷にいるのは私と阿良々木君、二人だけよ」

 

「……」 

 

 そこで口の中のものを飲み込んで、水を一口飲んでから口を開いた。

 

「じゃぁ遠慮する必要はないな。エルザ、お前が隠してる僕の妹と、神原を返してくれ」

 

「単刀直入に言うのね」 

 

 エルザは言って、水の隣のアップルジュースの器を傾けた。

 

「いつ気づいたの?」 

 

 カップを置いてエルザの光る瞳が僕の顔を覗き込む。

 その彼女の表情から内心を読むことはできなかった。 

 

「今思えば、お前は僕にそれとなく気づかせようとしていたんだな」

 

 エルザは黙って僕の話を聞いている。

 

「空中公園でお前に会ったとき、お前は神原のことをがんばるするがちゃんと言ってたよな。あれは神原は高校では僕にしか言っていないあだ名だって言ってたし、よく考えたら僕を正義マンだと言ったり、その由来を知っている人間なんてかなり限られているからな」

 

「フフフ、阿良々木君は意外と察しが悪いところがあるのね」 

 

「エルザお前、火憐ちゃんと神原の記憶を奪ったな」 

 

 金光鳥は人の記憶を食える。忍野がそういっていたのを思い出していた。

 僕にそういわれたエルザは、しかし表情をまったく変えず僕の顔を見返している。

 逆に僕のほうが追い込まれるような気持ちになり、思わずつばをのんだ。

 

「もちのロンよ阿良々木君。きっと今の私は火憐ちゃんよりするがちゃんより、戦場ヶ原さんより、誰よりあなたのことを知っているわ」  

 

「おい、まじかよ……」 

 

 じゃぁ僕の黒歴史とか若さゆえの過ち的なことまで把握されてる可能性があるじゃないか。

 やばい、頬が赤くなりそうだ。

 

「阿良々木君。私の奴隷になりなさいな。もう私は我慢できなそうだわ」 

 

「はっ!」 

 

 照れ笑いぎみに、乾いた笑いを向ける。

 

「僕を奴隷にしたいなら、イギリスの女王様でも連れてくるんだな。そしたら考えてやるよ」

 

「まぁ阿良々木君。叙述詩のプリンセスのようなことを言うのね。日本なら、かぐや姫かしら?」

 

 エルザは微笑み顔で返した。

 

「そうね。イギリスに帰ってからなら、内務省のおじさまに話を通せばいいでしょうね。わかったわ」

 

「まじで!? できるの!? いや、ダメだ。今のナシ!!」

 

 あわてて腕を振って前言撤回した。

 そういえばエルザは貴族界で顔が利くらしいことを忘れていた。

 

「なぁんだ。フフフ、でもいいわ」

 

 エルザは楽しそうにコロコロ笑った。

 逆に僕は固くなってしまっている。

 

「その気になれば、実力行使だってできるんじゃないのか? なんでこんな回りくどいことをしたんだよ。なんで火憐ちゃんと神原を巻き込んだ?」 

 

「そうね、それは可能だったけど、あなたのことを知っておきたかったのよ。いいでしょう? 私だってシモベの具合は知っておきたいもの。それに阿良々木君はこうして私の屋敷に来てくれたわ。この街の人口をすべて傀儡にして、私は一番高いビルの最上階で街を見下ろしながら阿良々木君を襲わせるでもよかったけれど、それじゃ二度手間だものね」

 

 そういってエルザはパンを口に運んだ。

 夕食の話題としてはあまりに物騒だったが、エルザは普通の世間話のようにそれらを話していた。

 

「そりゃ、そっちの手じゃなくてよかったよ。だいたい、なんで僕なんだ? 僕がエルザの奴隷になってなんのメリットがあるんだよ」

 

 エルザはパンを飲み込んで、飲み物を一口飲んでから話を再開しはじめた。

 

「阿良々木君、少し昔話をしていいかしら? 前に私のお父様の話をしたわよね?」 

 

「え? ああ、確か研究者をやってるって親父さんだったっけ」 

 

「ええ、そうよ」 

 

 話が意外なほうに飛んで、ふいをつかれてしまった。

 それとこれと、関係があるのか?

 思いながらエルザに続きを促した。

 

「私のお父様はジョォン・フォン・ノイマン。聞いたことはあるかしら?」

 

「うーん…… すまない。僕はちょっと知らないな」

 

「そう、でも学会でお父様の名前を知らない人はいないでしょうね。世界でも指折りの研究者で、イギリスでは悪魔の頭脳といわれているわ」

 

「すごい人なんだな」 

 

「ええ、とっても。子供のころは世界史の図書を一目でおぼえてしまって、まわりに暗唱して聞かせてあげていたそうよ。大学でも教授をこえるくらい頭がきれていたそうだし、あるときほかの有力な研究者と、一人は計算機、一人は計算尺、そしてもう一人のお父様は暗算で大容量の計算をしたら、お父様が一番早く正答したらしいし、コンピュータの製作でも中核的な技術を開発して、自分の次に頭のいいものができたと喜んだらしいわ」 

 

「そりゃぁ……」 

 

 すごすぎる人だった。おそらく、天才の中でも頂点に君臨するような天才だろうと思われた。

 僕は今までこの世の天才というのは羽川のような人間のことを指していると思っていたし、実際羽川は天才の部類だと思うけど、そういう枠でくくれるものではないようだった。

 

「あるとき高名な数学者がある予想を半年考えた末にやっと解決したらしくって、お父様に聞いてもらおうと論文の冊子を持って屋敷に訪れたのだけど、そのときの彼の顔はとてもうれしそうだったからよく覚えているわ」

 

 エルザは昔を懐かしむように器のみなもを少し揺らした。

 

「お父様はその予想の概要を聞いた後、しばらく考えちゃって、2、3分で『君の言いたいことはつまりこういうことかい?』といってその予想を証明してしまったわ」 

 

「そ、そりゃぁ無慈悲すぎるな」

 

 それを話した数学者が気の毒すぎた。

 

「お父様は思ったことをそのまま伝えただけくらいにしか思っていなかったのよ。お父様の頭脳に比べれば、社交界の星といわれても、高々一般人の優秀な頭脳だといわれても、何ほどのものでもないのよ」

 

「そりゃぁ、そう思うかもしれないけど。でもそれは相手が悪すぎるんじゃないか? 比べることでもないんじゃないかなって思うけどさ」

 

「そうかもしれないわね。でもお父様は悪魔の頭脳だなんて言われているけど、人格はとても優しい人なのよ。お父様の人間離れした頭脳を妬む人こそいても、それ以外の人はお父様にあったらみんなお父様のことを好きになってしまっていたわ。それは私だってそうよ」

 

――でも、お父様は優しすぎた。そうエルザが続けていった。

 

「あるとき、ノイマンの屋敷にある夫婦がやってきたわ、お父様の遠縁の親戚らしくって、お父様はその夫婦を屋敷に招きいれて生活させはじめたわ。二人はお父様にとても感謝して、私や私の妹にもよくかかわっていたわ」

 

「エルザは一人っ子じゃなかったんだな」

 

 妹がいるというところにひっかかってそれが口に出た。

 

「ええ、かわいい妹よ。今はやせているけど、当時は太っていたわ、その遠縁の夫婦が来てからよ」

 

 そこでエルザの口調が少し圧を帯びたのに気づいた。

 

「最初はただの親切だと思っていたわ、その夫婦は私や妹にケーキやクッキーをよく食べさせようとしたわ。私はあまり食べなかったけれど、妹は夫婦に強く勧められて断らなかった、それでどんどん太っていっていたわ。それだけじゃなく、夫婦は妹に堕落的な遊びを教えて、妹はそれにおぼれていた。私はその夫婦にそんなことはやめるように言ったけれど、その夫婦はそれをやめるかどうかは妹しだいだと言って聞かなかった。私もそれは彼女らなりの親切かと思っていたけれど、そうですらなかったわ」

 

 エルザはそこで言葉を切った。彼女の口ぶりからその遠縁の夫婦に対していい感情を抱いてはいないようなことが察せられた。

 

「あるときじいやに頼んで、その夫婦が使っている隣の部屋に、ベランダまわりに入れてもらえるようにしたのよ。そこで私は壁越しにその夫婦の部屋に聞き耳を立てていたわ。何が聞こえたと思う?」

 

「見当がつかないよ」

 

「その夫婦は笑っていたわ。すっかり太ってしまって、堕落した遊びにおぼれる妹を。いい気味だと喜んでいたのよ。利得のためでもなんでもなかった。夫婦がくれたケーキやクッキーは食欲を増す薬草類まで混ぜていたともいっていたわ。それで次はどうやって妹や私やお父様を陥れてやろうか、そういう相談を楽しそうにしていたのよ」

 

「……」

 

 なんといえばいいのかわからなかった。そもそも屋敷に人を招きいれるということ自体が想像がつかないことだし、その夫婦の心理も理解できなかった。

 

「その夫婦は、私たちを壊すということそのものを快楽にしていたわ。私はすぐにお父様に彼らはよくない人たちだと言ったわ。でもお父様はそれを聞き入れてくれなかったし、そういわれて、私は何も言えなかった。でもそれだけじゃなかったわ。その夫婦は、次の快楽を求めてブードゥーにまで手を出したわ」

 

 ブードゥー。それはいわゆる西洋の呪術の類だと、以前忍野が言っていたことがあった。

 

「その夫婦は、屋敷の外でブーディストと関係を持つようになり、そのブードゥー自体にも実効が発現したわ。それは妹だけじゃなく、お父様にまで及んだわ。お父様は、あの夫婦の嫉妬や快楽のために損なわれていいものではないのに。でもそれでもお父様は私の言葉を聞き入れてはくれなかったし、私も二度訴えることはできなかった。お父様はあの夫婦をむかえるべきではなかった」

 

 そこで、エルザの言葉から感じていた圧のようなものが心なしか少なくなった。

 

「お父様も病床に伏せってしまった。私は私で対抗するしかなかったの。だから私もブードゥーに手を出したわ。それでこの子が私の前に現れた」

 

 そういうと、エルザの髪が一瞬金色に輝いた。

 僕がそれに目を見開くと、その光は一瞬でなくなってしまった。

 まるでその存在がここにいると示すような所作だった。

 

「ヴィゾープニルは私がブードゥーに手を出さなくても1,2年後には私の目の前に現れる予定だったらしいのだけど、事情が事情で、少し早く私の前に現れて、私はそれを受け入れたわ。この力で、お父様ののろいは簡単に打ち消すことができた。もちろんお父様にそれを話すことはできなかったけれど」

 

「そ、それで……」

 

 それで、その遠縁の夫婦はどうなったのか。

 それを聞くことは僕にはできなかった。僕が聞けずにいても、エルザのほうから話そうともしなかった。

 

「妹も、快方に向かったわ。でも最初から、妹だって、お父様だって、蝕まれる必要はなかったのよ。それにもしかしたらそのままだったかもしれないもの。私はとても悲しかったわ、私はお父様に、何も言えなかった。お父様に向き合って言葉を発せられる人間でありたかったわ」

 

 そこでエルザは僕の目を覗き込んだ。

 エルザの青い瞳は、いまや金の燐光をあふれさせるように輝いている。

 

「だからあなたがほしいわ。阿良々木君。あなたの力を私に頂戴な」

 

「エルザ……それは……」

 

 それは、矛盾しているように思われた。どこか飛躍している。

 

「阿良々木君の言いたいことはわかるわよ。でもヴィゾープニルの意思と、私の意思が混ざって、もう私には自然なことなの。あなたの、ヴァンパイアの力がほしいわ」 

 

 なるほど。つまり僕を使役して、僕が忍をそうしたように。

 この吸血鬼の力をその身に取り込みたい、そういうことなのだ。

 

「それで火憐ちゃんと、神原がかえってくるなら、僕だってそうしたいよ」

 

「いいわよ? 神原さんも、興味を引く力を持っているようだけど、ヴィゾープニルはあなたしか見えていないみたいだもの」

 

「それでも、戦場ヶ原は首を縦に振らないよ。それなら僕もそうはできないさ」

 

 エルザは僕の言葉に少し間をおいてからたずねた。

 

「戦場ヶ原さんが? それなら阿良々木君。そうでなければ、あなたは私のものになるのかしら」

 

「そうする可能性はあっただろうな。そもそも僕なんて人間は、なにかしら価値があるように思ってないんだ。求められる分マイナスから0に近づくってもんでさ」

 

「そう……」

 

 エルザはパンを一口食べて、飲み物を一口飲んでいった。

 

「なら阿良々木君、交渉決裂ね」

 

「そうなっちゃうかな、エルザ。残念だけど」

 

 エルザは、その後何もいわず、長テーブルの向かいで立ち上がると、エルザの隣の食事を運ぶカートの、下段から何かを取り出してテーブルの上においた。

 

 それはスポーツウェアのようだった。スパッツのようなパンツと、同じく動きやすそうな上着。

 それをテーブルの上において。次に右手を彼女の胸元にやって、シュっと胸元のリボンを解いた。

 

「ちょっ……エルザ!?」

 

 彼女の服が脱げようとする寸前で、あわてて目線を下にやった。

 僕が下を向いている間にも、エルザが服を脱ぐ衣擦れの音が聞こえてくる。

 

「どうしたの阿良々木君? 別に見てもいいわよ? これでも人に見せて恥ずかしくない身体だって自負はあるのよ」

 

「そういうのは、ここらの風習にはないんだよ!」

 

 下を向きながら言う。それを言っている間にもエルザはシュルッという音やススっという音をさせながら着替えを進めていった。

 

「着替え終わったわ。顔を上げていいわよ阿良々木君。それじゃぁはじめましょう?」

 

「あ、ああ……」

 

 僕がエルザの声に顔をあげる。するとすでに僕のすぐ目の前に金色に光るエルザのこぶしが肉薄していた。

 

 身体の血液が急激に沸騰し、光るエルザの拳が直撃するすんでの僕の目が赤く変色し、僕の顔に肉薄したエルザの光る拳の間に僕の左手が割って入る。

 

 次の瞬間、轟音。

 それとともに、屋敷の壁がその轟音とともに吹き飛び、夜の闇に包まれた屋敷の外庭に僕の身体は吹き飛ばされた。

 

 状況がわからなかった。エルザの拳を阻んだ僕の左腕は、粉々に砕けていた。粉々に砕けてはいたが、僕が吹き飛ばされて屋敷の壁をぶち破り外庭に突っ込む間にすでに再生している。

 

 辺りを見回すと、石畳や庭園、それに暗闇があたりを包んでいる。

 

 そしてふいに暗い空が強く金色に輝いた。

 

 

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