化物語 こよみサムライ[第二話]   作:3×41

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「えっ…」

 

 夕方の放課後、夕日がうす赤く照らす人気のない教室で、

僕は文字通り固まってしまっていた。

 

 奴隷?僕は奴隷になれと言われたのか?

 奴隷って、あの奴隷だよな。いわゆるスレイブ。

 人権が制限された、主人に絶対的に服従し、一切の反抗を許されない、はるか数世紀前に終焉を迎えた、歴史の教科書にしか登場しないあの概念だ。

 

 僕は振り返った格好のままかたまったように、目の前の美少女、

イギリス社交界の星、私立直江津高校の頂点にして話題の的、

エルザ・フォン・リビングフィールドに釘付けになっていた。

 

 その彼女はというと、その整った唇から発せられた物騒な言葉とは裏腹に、彼女はまるで「子犬ってかわいいわよね、私も好きなのよ」とでも言うかのような表情で、麗しい笑みを僕に向けていたのだった。

 

 瑞々しい笑みだった。見るものを安らがせ、魅了し、篭絡する。

 いや篭絡するというのは表現が適当ではなかった、彼女、エルザからは、彼女から人を篭絡しようという意思、そういうベクトルはまったく感じられない。

 それはあくまで受け手の印象であって、こちらがかってに虜になってしまう、というのが実際のところだろう。

 

「僕、もういかないと…」

 

 かわいた口でそういった。

 エルザは僕がそういうと、こちらに向き直って、

微笑をたたえながら青い流し目で僕に目をやった。

 スイスかどこかの山奥の、まだ誰も見たことがない湖のような、そういう澄んだ青い瞳だ。

 まるで彼女の目から僕の目に何か流れ込んでくるかのようだった。

 やめろ、そんな目で僕を見るな、奴隷にでもなんでもなってしまいたくなっちゃうだろ。

 

「奴隷…」

 

 エルザがポツリといって、その言葉にビクっと僕の体がはねてしまう。

 彼女は少しうつむいて、彼女の白い右手をアゴにあてるようにしてそのかわいらしい唇におしあてて思案顔をしている。

 

 そして沈黙。

 

 ちょっとして彼女がパッと顔を上げて、僕を見ていった。

 

「奴隷、奴隷って言葉が好きじゃなかったの?じゃぁ使用人、小間使いはどう?」

 

 それは同じことなんじゃないだろうか、いや、厳密には同じと言うことはないのだけれど、

一人の高校生が、一人の高校生の奴隷でも、使用人でも、小間使いでも、そうなるというのは同様に、少なくともこの日本の文化ではありえないことだ。

 

「い、いや、僕もういかないとさ、戦場ヶ原を待たせてるんだ」

 

「校門で待ち合わせなんだったっけ、でも彼女、お手洗いにいってるならまだ校門にはいないんじゃないかしら?」

 

 どうやらお花摘みの意味は知ってたらしい、じゃぁなんでわざわざお手洗いをお花摘みというのかということに対して疑問そうな表情をしていたようだ。

 戦場ヶ原は濫読家で、古今東西いろんな本を読んでるから、それもあってなかなかの語彙力を持ち合わせているのだった。

 

「いや、でもさ…」

 

 とりあえず食い下がってみよう。今日び奴隷になれといわれてはいわかりましたと即断するような奴隷根性の塊などいない、いてたまるか。

 というかそんな人間はおそらく過去にもいないしこれから先もいるわけがないのだ。

 

「奴隷でも小間使いでも使用人でもなんでもいいよ。仮にそうなったとして、僕はいったい何をすればいいっていうんだ?」

 

「特別なことは何もしなくてもいいわよ。ただ私と一緒に暮らして、私の言うことを何でも聞いてくれればいいだけ、あ、その場合あららぎ君に拒否権はないわね」

 

 普通にヘビーだった。

 

「一応念のために聞いておきたいんだけどさ、その、小間使いっていうのは、ほら、エルザさんはイギリス育ちなんだろ?日本人の僕とはニュアンスがもしかしたら違うんじゃないのかなって思うんだよ。それはつまり、英語で言うとどんなニュアンスになるんだい」

 

「slave」

 

 やっぱり奴隷だった。彼女は確かな口調で、流暢なイギリス英語のアクセントでそういったのだった。

 

「朝はあららぎ君が起こしてね」

 

 まいったな。僕は朝が苦手なんだよな。

 いや、僕はなんで奴隷になる前提で考えてるんだ。

 

「お風呂のときは私の背中を流すのよ」

 

 いいんですか!?

 

 いやいや、違うだろ阿良々木 暦。

 やはり彼女の作る空気に呑まれているようだ。

 僕は彼女、エルザ・フォン・リビングフィールドの奴隷になどならないし、たった今校門前に戦場ヶ原を待たせてしまっているのだ。

 

 そうだ、ガハラさんを待たせてしまっている。

 これ以上彼女を待たせた上に、出会いがしらにエルザさんの奴隷になることになりましたなんていった日には僕は翌日から行方不明になってしまうことうけあいだ。

 

「悪いエルザさん、その冗談の続きはまた今度聞かせてくれよ。戦場ヶ原を待たせてるんだ。きっともう校門で僕を待ってるころだろうしさ」

 

 僕は少し固まってしまった体を強引に動かして、急ぎ足でエルザの隣を横切った。

 横切り際に何かの花のような香りが花をくすぐった。

 

 香水とは違うように思われる。もっと自然な、バラのような、いや、ローズマリー?よくわからない。なんというか、とにかくいいにおいだったのだ。

 

 なにはなくとも今は校門へ急ごう。

 

「あなたは私の奴隷になるわよ。阿良々木 暦君」

 

 心臓がはねる。

 教室を出る僕の後ろ姿を、きっと彼女はあの深い青い目で見つめているに違いなかった。

 

「今までもそうだったもの。これからもそうだし、あなたもそうなるわ」

 

 教室を出際に、僕は教室の中のエルザに振り返った。

 すると彼女は微笑んで右手をヒラヒラと僕に振っていた。

 僕もつられて、ぎこちなく右手を上げて彼女に挨拶を返してしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 戦場ヶ原は学校の校門によりかかって僕を待っていた。

 いつもの癖なのだろうが、鞄から取り出した書籍を片手で広げてそこに目を落としていた。

 

「ごめん戦場ヶ原、少し遅くなったかな」

 

 声をかけて彼女のほうに駆ける。

 彼女は僕のほうを横目に見て、フゥと小さく息をついて、右手に持った書籍をたたんだ。

 

「ちょっと遅刻よあららぎ君。でも私は寛大だから、今なら市中引き回しの上打ち首獄門でチャラにしてあげるわ」

 

「求刑がすでに振り切れてるじゃないか!」

 

「何?まさか私の申し渡しに反抗しようとでもいうの?私の右肩の桜吹雪を見ないと納得できないのかしら?」

 

 どこのお奉行様だよ。

 

「今私の桜吹雪を想像したのでしょう?あららぎ君は本当に変態ね。石畳もプラスするわ」

 

「誘導尋問的に罰則を増やされた!!」

 

 寛大さのかけらもなかった。

 

「寛大よ?寛大に決まってるじゃない。これが私じゃなかったら、あららぎ君はどうなっていたと思う?」

 

「どうって、やっぱり謝罪くらいはするべきだと思うよ。でもそれぐらいが妥当ってもんだろ?」

 

「いいえ、禁固4000年よ」

 

「そういうのは無期懲役っていうんだ!」

 

 というか打ち首獄門はそれより寛大ということになるのだろうか、

あまりに尺度が大きすぎてよくわからなくなってきた。

 

「まぁいいわ、はやく帰りましょう?あららぎ君」

 

 それには賛成だ。

 途中までやった宿題も終わらせたいし。

 そういえば途中でなんとかドーナツに寄ろうといっていたのだった。

 そしたらガハラさんにもう少し宿題のアドバイスだってしてもらえそうだ。

 戦場ヶ原が歩道を歩き始め、僕は少し早足で彼女を追った。

 

「クッションのポイントは100円につき1ポイントで5000円分のポイントでもらえるそうよ」

 

「いや、だから僕は別にライオンクッションがほしいなんて思ってないんだけどな」

 

「遠慮しなくていいわ。あららぎ君は本当に慎み深いのね。でもいいの、あなたがライオンクッションを頭につけて、パン一で人語をしゃべらない縛りで街を闊歩したいという目標には私も協力したいと思っているの」

 

「そんな願望をチラリとも考えたことはねーよ!」

 

 この街の警察と全国の世論を敵に回す自信がある。

 しかも敵に回った世論の先頭のほうに戦場ヶ原がいそうだから救いがない。しかもおそらくその理由はなんとなくおもしろそうだったから、だろう。

 まぁでもせっかくもらえるというのなら、月火ちゃんにあげれば喜ぶだろうか。

 

「やはり何回か通う必要があるわよね」

 

「んー、まぁそうだな。一回で5000円分もドーナツなんて食べれないしな」

 

「私の体重は53万キロです」

 

「体重の話はしてないよ。というかどんな照れ隠しだよ」

 

「初めてだわ、私をここまでコケにしたおばかさんは。いい?あららぎ君。一回しかいわないからよく聞きなさい、私は大事なことはたった一回だけしか言わないの」

 

「念を押さなくても僕は聞いてるよ」

 

「私は自分の体重に一切やましいところはないわ」

 

「私は自分の体重に関してやましいところは微塵もないわ」

 

「・・・」

 

 二回いいやがった。

 

 いや、そんなこと僕だってわかってるよ。

 戦場ヶ原は、僕が言うのもなんだけど整ったプロポーションだと思うし、

仮に戦場ヶ原が自分の体重を気にするのだとしたら、それは「軽すぎた」ということだけであって、それだって過去形の、ちょっと前までのことだ。

 

 僕たち二人が歩道を歩いていると、道端に下校途中のうちの学校の生徒が数人しゃべっているのが横目に入ってきた。

 通行の邪魔になるほどには広がっていないので、僕が少しガハラさんのほうに体をよせて通り過ぎる、

通り過ぎ際に生徒たちの話題があのエルザさんのことだったから少しドキリとしてしまった。

 いや、僕には何の関係のないことなのだからそういう反応をするのはどうにもおかしいことなんだけど、

そういえば学校の靴箱あたりでもそういう話をしてるのを聞いたっけな。

 その話では男子が複数人彼女に特攻をかけ、つまりは付き合ってほしいともちかけてはやんわりと断られてを数回繰り返したということで、その度胸には敬意を表したいが、それは猪突猛進にすぎるというものなんじゃないかと思ったりもする。あくまで僕の個人的な感想でだけど。

 それは当たって砕けた男子たちには少々申し訳のない話かもしれないが、彼女、エルザ・フォン・リビングフィールドはイギリス社交界の中心であった少女なのだ。

 それだったら、当然イギリスの上流階級のとんでもない地位のよんどころのない男性が彼女に求愛してきたことも間違いないだろうし、現在エルザさんに彼氏がいないということはそういう男性たちをも袖にしてきたわけだから、こんな片田舎の男子高校生なぞいわずもがな、というものなのだ。

 

 どうも彼女の一挙手一投足が直江津高校の学生たちの話題をにぎわしてしまうようで、それならいっそのこと彼女専門の新聞でも作れば今の学校新聞の軽く100倍は部数を伸ばせるのではないだろうか。しかし本当にそんなことをいうとうちの学校でせっせと新聞を作っている方々に少々失礼なものいいになってしまうのでそれを僕個人の想像にとどめておくのはもちろんのことである。

 

 戦場ヶ原の隣を僕が歩く、少し手持ち無沙汰だ。

 そういえば、昨日月火ちゃんと火憐ちゃんと話していたときに上がったことがあったんだったっけ。

 ふとそれを思い出した僕はその話を隣を歩く戦場ヶ原にもちかけた。

 

「あ、そうだ戦場ヶ原。今日の夕飯さ、僕のうちで一緒に食べないか?」

 

「え?」

 

 ガハラさんが短く言って。少し考える。

 

「いや、親はいないんだけど、月火ちゃんと火憐ちゃんはいるし、二人も戦場ヶ原を呼ぶことには大賛成なんだよ。もし戦場ヶ原の親父さんの帰りが遅くなるんだったら、4人で食卓を囲むのもいいんじゃないかなって思ってさ」

 

「ふぅん」

 

 戦場ヶ原は歩きながら、しばし黙って考えているようだったが、

 しばらくして、顔をあげた。

 

「そうね、本来ならこういうことはしかるべき手順を踏んであと30年はしないほうがいいように思うのだけれど」

 

「なげぇよ!ていうかそれはどういう計画なんだ」

 

 遠まわしに拒否されているのだろうか、それにしてもずいぶんと遠まわしだ。

 特別の他意もなく何気なく言ってみたことだったんだがおかしかっただろうか?

 

「冗談よ。ではありがたくご相伴にあずかることにするわ」

 

「ああ、よかった。じゃぁ月火ちゃんに連絡しておくよ」

 

 何か買ってきてほしい食材があるかもしれないし。

 携帯電話を操作して、月火ちゃんにメールを送る。

 

「それじゃぁお返しというわけじゃないけれど、今日の宿題がおわるまで、あららぎ君に付き合ってあげるわ」

 

「ああ、ありがとう戦場ヶ原。それは助かるよ」

 

「今夜は寝かせないわよ」

 

「そんなに時間かかるの!?」

 

 じゃぁ早く宿題を終わらせてしまおう。

 一高校生が、親しく付き合っているものを夕食に呼ぶのは、それだっておこがましいことなのかもしれなかったが、それだって家で一人夕食を食べるものと、妹たちに囲まれて少し肩身を狭くして夕食を食べるものとの間がらである。たまには、ほんのごくたまのことならいいのではないだろうか。

 僕たち二人はとりあえずの計画をたてて、よどみなく、少し早足に帰路を歩いていったのだった。

 

 

 

 

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