結局、僕は忍に目潰しをされたまま服を着たおののきちゃんとホテルのエントランスで別れ、一人でハーレンホールドというこの巨大都市を北に向かい、けっこうな坂を登ってくだんのエクソシスト学園、レメンタリー・クアッズへと向かった。
学園の門をくぐって、サリバンたちの宿舎があるトパンズの宿舎区画へと向かう。
ちょうど朝日が半分ほど出かけているころで、学園をランニングしている学生とチラホラすれちがった。
昨日、北西の森へと姿を消した樹魅は、今だその姿を見せる様子はなく、また北西の森からさらに抜けてどこかに消えたということもないらしいので、おそらく森に潜んでいるのだろうと思われる。
そしてもうひとつ浮上した”不死の祟り蛇”である。
山犬部隊のトップがその不死性まで含めて捕獲を試みたが、このハーレンホールドの大霊脈をその巨体でバーストさせ、さらに幾重にも複数の蛇に分かれてはつかみどころがなく、祟り蛇を北西の森へと追い返してその後は厳戒態勢を強いているということである。
朝日と薄い霧のキャンパスの街路樹を横切りながら、昨日の血煙を帯びた森が脳裏によぎる、確かに、あの祟り蛇がハーレンホールドを襲えばどれほどの被害がでるのか、にわかに想像もつかない。
しかし、祟り蛇をどうにかしようにも、おののきちゃんいわく”レオニードの鍵”によって不死性を得た祟り蛇は現状手に余る。
おののきちゃんは、そのレオニードの鍵の流出についても何か手がかりをつかまなければ、不死の祟り蛇を処理しきれないと見てもいるようだった。
なぜ完全にこのハーレンホールドに君臨するレオニード家にして門外不出である”レオニードの鍵”を”樹魅”が持っているのか、そしてそれはどこからだ?
それはそれで僕自身も結構考えはしたが、残念なことに、やはり見当がつかなかった。
学園から北東へと入り、並木道を抜けると次は大きめな湖畔をよこぎった、サリバンたちの宿舎村はその先だ。
その間もけっこうランニングをする学生とすれ違った。
やっぱりエクソシスト養成校というだけあって、体が資本みたいなところもあるのだろうか?
結界術や交霊術なんかが僕の中で目立っていたけど、結構アナログなところも重要であるようだった。
しかし、それも今はおそらく物の数ではないだろう。あの”樹魅”や”祟り蛇”は、学園の学生が全員でかかってもどうにかなるとは思えない、本来なら避難、それこそ昨日レミリアに案内されたシェルターにでも入るべきだろう。
現行、そこらへんは戒厳令が敷かれているらしく、自警団が問題の処理に当たるということらしかったが、たしかにこのハーレンホールドの自警団は大戦力だというのはわかるけど、それでどうにかなるだろうか? おそらく、山犬部隊の主席か二席が”樹魅”をしとめることができなければ、あとは太刀打ちできるかすら微妙なところだった。
さはさりながら、僕は僕で”存在移し”の痕跡をつかまなければならない。
#
やっとサリバンたちの宿舎の一軒立てのロッジが見えてきた。
そのロッジへと歩く僕の目に入ったのは、ロッジの玄関の前にある野ざらしのテーブルで飲み物のカップを所在無さげに傾けているメアリーの姿だった。
そのストリートファイターな豊満な短髪アッシュブロンドの女の子は、近くまで歩いていた僕の姿を見ると、ロッジのほうに
「コヨミだ! みんなコヨミが帰ったよ!」
と叫んで次にこちらにかけよってきた。
かけよってくるメアリーに僕も右手を上げてこたえる。
「よお。おはようメアリー」
言いながらチラっと頭をよぎる、いつもはロッジの裏庭で木偶人形を相手に格闘訓練をしているらしいメアリーが、なぜ今日は表で所在なさげにしていたんだろう。
「メアリーさ、お前もしかして僕のこと待っててくれたのか?」
「ああ、そうだよ」
僕のその問いに、メアリーが人懐っこい、しかしどこか狩猟者のような印象の笑みでもってそうこたえた。
よかった、僕の自意識過剰でなくて。
内心ほっとする僕にメアリーが続けた。
「ほら、昨日コヨミが晩餐会を抜けてから、街で爆破テロがかなり大規模に起こったって言うし、コヨミは帰ってこないし、みんな心配してたんだよ。でもよかったよ、どこも怪我がなさそうでさ」
「ああ、ありがとう。幸いにその事件があったとこにはいかなかったんだよ」
まぁ、怪我はしたんだけど。というか、一度命すら落としている。
ただ、僕の体に宿る中途半端な吸血鬼の不死性によってなんとかリカバリしただけであって、それも忍がいなければ、僕の体を幾重にも刺し貫いた黒い樹に回復のしようもなかっただろうな。
「どうしたんだいコヨミ?」
「あ、いや。なんでもないよ。とにかく僕は無事だよ。そこは見てのとおりだ」
「なんだかちょっと元気がないんじゃない? 一回やるかい?」
「なんで格闘訓練で元気になるのが共通認識みたいになってるんだよ。それはあとででいいだろ」
っと、昨日の悪夢に少し気が遠くなってしまい、メアリーにも少しそれが気取られたようだった。
僕が毒気を抜かれたようにそうこたえると、メアリーは快活にアハハと笑った。快活というか、エネルギーあふれすぎである。
僕とメアリーが少し話している間に、ロッジの扉を開けてサリバンやマットやレミリアが僕に声をかけた。
「おはようコヨミ! いやぁよかったよコヨミが無事でさ! メアリーなんかコヨミを探しにいくって学園飛び出しそうだったんだぜ!?」
と、サリバンが言うとマットが続いて
「無知を恐れるな。偽りの知識こそ恐れよ。とはパスカルの言葉だがね。学園側が外出禁止を出してたのにあの意思の強さはどこから来たものか。俺たちがメアリーを止めるのも一苦労だったんだぜ」
「そ、そうだったのか。よくとめてくれたな」
ていうか僕のいたとこまで来たら下手すれば死んでたぞ。
なんて抜き身な女だ……
サリバンとマットの言にメアリーが言い返した。
「サリバンだってちょっと乗り気になってたじゃない。コヨミは私たちのクラスメートに真っ先に助けに入ってくれたじゃないか」
「あ、いやあれは僕がそうしたかっただけというか……」
「私はさ、サリバンやマットやレミリアを家族だと思ってるけど、きっとそこにコヨミも入ってもらえると思うんだよね」
「おもっ! 重いわ! 僕ら会ってまだ一日とちょっとだぞ!?」
「それに昨日コヨミを追っていれば、何かおもしろいことに出くわしたかもしれないしさ。そうじゃない?」
「そっちが目的かよ……」
まぁ確かにメアリーの予感は、大当たりというか、大当たり過ぎなのだが。
カラカラ笑うバトルジャンキー女の隣でレミリアが言った。
「まぁいいじゃない、私としてはこの変態がピンピンしてるのもちょっとアレなんだけどね」
「レミリアお前、昨日から思ってたけど同居人にとる態度じゃねーだろ。お前は僕をお兄ちゃんか何かと勘違いしてるんじゃないのか? なら変態じゃなくてコヨミお兄ちゃんって呼んでいいんだぜ」
「うるさい変態!」
「とか言ってるけどレミリアも昨日は心配そうにしてたんだぜ?」
マットが言うと、レミリアがプリプリして語気を強めた。
「ちょっとマット! そういうこと言わないでよ!」
「まぁそこらへんは宿舎の中で話そうじゃないか! 今日は短期留学生も受けられる自由参加型の授業もあるし、校内新聞が出る日でもあるしさ! 楽しみだなぁ!」
そういいながら宿舎へと歩いていくサリバンに続いて、マットやメアリーもしゃべりながらロッジへと向かった。
しかし、レミリアは3人をよそに声を潜めて言った。
「ねぇあんた。今からちょっと時間ある? あるでしょ、あるに決まってる。ちょっと私に付き合いなさいよ」
「僕の予定のなさを確信してんじゃねーよ。え、なに? 付き合うって?」
「いいから、こっち」
といってレミリアの小さめの手が僕の服の袖を引っ張った。
僕とレミリアの様子に気づいたメアリーが冗談めいた口調で声をかけてくる。
「おやおや、レミリアも色恋沙汰には億手かと思ってたら、もうそんな年頃なのか。優しくしてあげてよコヨミ」
「は、はぁ!? 違うわよメアリー! 変な勘違いしないで!」
「え、そうなの? お前の気持ちはうれしいけどさ、僕にはもう彼女がいるしさ……」
「うるさい! さっさとこい!」
ボグ! と僕の太ももにローキックが突き刺さった。
「いってぇ! ああ、わかったから次のローキックの動作に入るのはやめろ!」
結局、僕はレミリアに連行される形でロッジの裏庭のさらに林に連れて行かれることになったのだった。
メアリーは僕に、レミリアに優しくしてくれといったが、当のレミリアがまったく僕に優しくない。優しさのキャッチボールがまったく成立してない。
優しくほうった僕のボールは全部デッドボールで返ってくる感じだ。それでもなんだかかわいく思えてしまうから卑怯だった。なんか、僕の性癖なんだろうか。
「で、なんだよレミリア。こんな人気のないところに連れ込んでさ。さっきもいったけど、僕には彼女がいるんだぜ。まぁ、どこかに遊びに行くくらいならかまわないけどさ」
「いってないでしょ! ぜんっぜんいってないじゃない! 何かってに勘違いしてんのこの変態!」
ちょっと軽口をいったのにこの反応である。
「へいへい。それでどうしたんだよ? もしかしてアイリー・レオニードにまた何かされたのかい?」
それなら問題である。
先日の交霊室の件も、転び方によってはしゃれにならないところだった。
しかし、レミリアはその問いにも首を振った。
「違うわよ。んー、なんていえばいいのかなぁ……」
レミリアの様子は、見た感じだけど、どこか楽しそうだった。
まるで旅行に行く前のような、好物を食べる前のような。
もしかしてメアリーがいったように、僕じゃないにしても誰かに思慕の情でも芽生えたのだろうか?
いや、それで僕に相談とかしないよな……
レミリアは、しばし悩んでいるようだったが、思いついたようにすると。
「よし! 実際に見てもらったほうが早いわよね」
と言って、静かに目を閉じた。
そして、はかりかねている僕の目の前で、突然、レミリアの小さな体が、フワっと、宙に浮き上がったのである。
「え、お前。なんだそれ?」
目を閉じたレミリア。完全に浮いている。その細いスラっとした足は、芝生から50センチほど離れて、空中にふわふわと浮遊している。
ふとレミリアが目をあけて、明るくはずんだ、うれしそうな声でしゃべりかけた。
「ねっ? ねっ? すごいでしょ? サイコキネシスで飛べるなんて、聞いたことないよ!」
「ああ、レミリアお前、完全に浮いてるよな…… うわっ!?」
すっとんきょうな声を上げた僕が、再び状況を確認すると、地面が少し遠くにあるのがわかり、僕まで宙に浮いていることをやっと確認した。50cmほど浮いているだけなのだが、普通に怖い。
「うわっ! ちょ、なになになに!? レミリア!?」
「あはは、じゃぁちょっと行くよコヨミ」
行くよ? 二人とも地上50cm浮いたままで、どこへ行こうというんだろう?
ポカーンとした僕をよそに、レミリアは小さく微笑むと、レミリアと僕の体が、はねるように動き、はるか上空へと疾走していった。
まるでロケットかなにかのように地上から上空へと飛び立った二つの人体は、もしそばで見ている人間がいれば鳥か何か、それ以上に速い何かに見えたに違いない。
すばやく高度を上げていく僕の体は、しばらくすると白いもやが体を包み、それが雲なのだと認識したころには、その雲を飛びぬけて、朝日が晴れやかな上空へと飛び出した。
「ほらコヨミ! ハーレンホールドが見渡せるよ!」
レミリアはどうやら、上空に飛ぶのはこれがはじめてではないらしく、はるか上空からの景色に楽しそうにしていた。
一方僕はというと、生身で、何の装備もないまま上空800メートルやそれ以上を飛行させられて、めちゃくちゃ怖かった。
まるで飛行機から生身のままで放り出された感覚である。レミリアの前でなければ絶叫していたに違いない。
「ちょっとレミリア!? こええよ!! 怖い怖い怖い!!」
無重力感を感じながら上空を漂う僕は、手足をバタつかせながら結局叫び声を上げるように言った。
その僕の様子を見たレミリアは
「すぐ慣れるわよ。あはは、バーカ」
といって楽しそうに笑っていた。
断言しておくが、急に上空800メートルにサイコキネシスで浮遊させられたら、誰でもこうなるハズである。
僕が特段へたれだからということではないはずだ。
今腹を抱えて笑っているレミリアだって最初はびびっていたことうけあいなのである。しかし今それを言うと何をされるかわかったものではないので口には出さないでおいた。
僕とレミリアは、というかレミリアのサイコキネシスなんだけど、しばらく水平移動し、雲を突き抜けたりハーレンホールドのどこまでも続くような街並みを眺め、またしばらく遊覧飛行を続けた。
それをしばらく続けたあと、レミリアは僕とレミリア自身を先ほどの宿舎の裏の林に移動させ、僕が地面に着地してドスンと全身の力が抜けたように地面にへたり込むと
「これ、なんだろ?」
と聞いてきた。
「いや、僕にわかるわけないだろ。こっちがききてーよ」
「私のサイコキネシス、こんなに強いわけないんだけど……」
「うーん、確かに一理あるかな。スプーンをやっと浮かせられるくらいのサイコキネシスだろ?」
そこで、昨日のことが脳裏によぎる。
交霊室、その扉、レミリアが手をかざし、数泊おいて叩き潰されたように吹き飛んだあの鉄扉。
「もしかしてレミリアのサイコキネシスがかなり強くなってるのか?」
「そう、なのかな……」
レミリアが自らの両手に目を落としてつぶやいた。
レミリアの異能が成長した。いや、成長したというような表現は生ぬるいかもしれない。鉄扉をひしゃげ、自らの体を飛行させるほどの、変貌である。
「それ、もうサリバンたちに言ったのか?」
僕が尋ねると、レミリアは首を振った。
「言ってない。だって、こんな力があるってわかったら、クラスを移されるかもしれないし……」
「そこかよ。でも、サリバンたちになら言っておいてもいいんじゃないか?」
「ダメ! これを知ってるコヨミにしか聞けなかったんだから!」
「いや、でもさ。これって……」
いいかけたところで、僕の体が再びふわりと宙に浮いた。
僕があわてながら正面のレミリアのほうを見ると
「このままひねりつぶすわよ?」
「いや、怖いよ! さっきと違う意味で怖い! わかった! わかったってば!」
そういうと、レミリアははぁとため息をついて僕を地面に降ろした。
「はぁ。あんたが話がわかるやつでよかったわ」
「いやお前完全に脅迫したよな」
「はぁ? なに?」
「なんでもないです……」
このごろの女の子は難しいようである。
「はぁ。でも、なんだろこれ。交霊室の”アレ”かな」
交霊室の”アレ”。交霊室に満たされた青い燐光のことだろう。レミリアの力は、それが原因なのか?
ここで僕とレミリアでその結論を出すことはできなかった。
結局、このことは保留ということで僕とレミリアはロッジへと戻ったのだった。
#
僕とレミリアがロッジに戻ると、サリバンとメアリーとマットの三人は一階のリビングのテーブルでコーヒーを飲んでいるところのようだった。
玄関から入るとメアリーが左手にコーヒーのカップを持ったままで右手でヒラヒラと手を振った。
「二人ともお帰り、内緒話はうまくいったかい?」
「ああ、レミリアもとうとう僕の手を離れるのか。なんだろうなぁ、うれしいような、さみしいようなこの気持ちはさ!」
とメアリーに続いてサリバンが言うと
「そ、そういうんじゃないわよ! バカ兄貴!」
「心外だなぁレミリア! 僕の学術はクアッズでもトップなんだぜ!」
とまた言い合いをはじめたので、僕は僕で気にせずリビングのイスに腰を下ろすと、メアリーが尋ねた。
「ねぇコヨミ。午前はクアッズで自由参加型の授業があるけどコヨミはどうする? 私たちはその授業に出席する予定だよ」
「ああ、そうだな」
午前は、特に予定はない。
ちなみに午後はおののきちゃんと合流して、ハーレンホールドのことについていろいろ調べる予定にはなっていた。
そこでちょっと気になったことをメアリーに尋ねる。
「ちなみにその授業っていうのは、トパンズだけじゃなくて、別のクラスも混じるのかい? 例えば、ダイアスなんかも?」
ダイアス。この学園のもっとも優秀なクラス。そして”アララギコヨミ”が所属するハズだったクラスだ。
「ああ、そうだよ。自由参加型だから、特例っていうのかな、クラスの垣根もなしってことになってるみたいだね」
テーブルの端ではサリバンとレミリアが言い合いを続けていて、マットは涼しげにコーヒーを飲んでいる。
メアリーがそう答えると、僕も思案に数泊置いて答えていった。
「そっか。実は午後はちょっと予定が入ってるんだけど、午前は僕も予定があいてるから、僕も是非参加させてくれよ」
実際、僕個人としても興味を引かれるところではあった。
そんなこんなで、今日の午前の予定は決まったわけだった。