翌日。僕はおののきちゃんに少し時間をもらって、エクソシスト学園の寮区画を訪れていた。
大きな湖畔のわきの道をとって、サリバンたちの寮区画を目指す。
昨日の今日で、さすがにランニングをする学生の姿を見ることはできなかった。
おののきちゃんの話では、街は大規模な認識結界やら物理的な復旧作業でかなりゴタついてるし、しばらく続くという話だった。
「ただ、勘違いするんじゃないぜ。鬼いちゃん」
「うん? 何がだい? おののきちゃん」
頭の中で、つい先ほどの会話がよみがえってくる。
「鬼いちゃんも、言っても高校生だからさ。なんか変に酔っちゃってるんじゃないかなって。変な承認欲求っていうのかなそういう俗物根性にひたってもあんまいいことないぜ。ボクにはよくわかんないけどさ。鬼いちゃんは所詮、友達のいない、ぼっち一刀流男子吸血鬼高校生に過ぎないんだから」
「僕を変な流派を使う悲しい剣士みたいに言うんじゃねぇよ。まぁ、わかってるよ。結局のところボクはただ死角から刀を振っただけだしな」
「いや、それもちょっと違うんだよね。結局のところ、そういうところまで見越して動いたこのボクの手柄みたいなところはやっぱりあると思うんだよね」
「さっきまでの話はなんだったんだよ……」
「イェーイ。ピースピース」
激しくウザかったが、まぁそれはそれである。
街の復旧や、おののきちゃんが存在を奪われていたことなど、そっちのことは、そっちでやるということらしい。
林に入ると、しばらくして見慣れたロッジが見えてきた。そのロッジの玄関近くのテーブルには、サリバンが腰掛けているのが見えた。
サリバンが近づく僕に気づいて気さくに声をかけてくる。
「やぁこんにちは。どちら様かな?」
「ああ、僕はアララギっていうんだよ。短期留学生でさ」
サリバンは、ボクの様子を少しうかがうようにすると、
「そうかもね。その様子だと、アジア系かな? もしかして君も僕を笑いに来たのかな? まぁ、好きに笑ってくれよ」
「別に、笑ったりはしないけどさ」
サリバンの表情は少し暗い。先日の校内新聞のことをまだ引きずっているに違いない。
「気にすることないんじゃないか? 勘違いなんて誰にでもあるしさ。それにその新聞を書いたやつら。その記事を書いてるときはえらく醜い面して書いてたと思うぜ?」
「……」
サリバンは、少しポカンとしたように僕の顔を見上げると。
「そう思ってくれるかい?」
といって控えめに笑った。
僕とサリバンが話していると、それを聞きつけてか、一軒屋の寮の扉が開いた。そこから現れたのはレミリアだった。
「どうしたの兄さん。あれ、この人は?」
レミリアが僕のほうを見て、次にサリバンにそう尋ねた。
「あぁ、アララギ君って短期留学生らしいよ。それにどうやらいい人みたいだよ」
「ふぅん……」
レミリアは、しかしあまり興味なさげに返事をすると、再びサリバンに尋ねた。
「ねぇ兄さん。コヨミはどこに行ったのかしら?」
「あぁ。たぶん無事なんだと思うよ。メアリーの話では、急ぎで街を離れたって話だったしさ」
「うん。無事なら、別にいいんだけど」
その会話は、僕にはなんだかむずがゆいものだった。もう僕には“阿良々木暦”としての存在が移されてしまっている。サリバンやレミリアが接してきた“羽川暦”とは別人なのだろう。
「そうだ。メアリーはどこにいるんだい?」
僕が尋ねるとサリバンが答えていった。
「うん? メアリーなら裏庭だと思うよ。そういえば、今日来客があるかもしれないってメアリーが言ってたけど、それって君のこと?」
「ああ、うん。たぶんそうかもな」
そうあいまいに返事をして、玄関のほうからまわって裏庭に向かった。
#
裏庭に回ると、芝生につきたてられた丸太の前に立つ女の姿をとらえることができた。
ショートの銀髪が汗でぬれて湿っぽく光を反射している。
「おはようメアリー。体は大丈夫か?」
「うん? どちら様かな?」
「別にいいけどさ……」
僕はそういって、ちかくにある木製のタルに腰掛けていると、メアリーは再び丸太への打ち込みを始めた。
別に昨日の今日でトレーニングなんてしなくてもいいんじゃないかって思うけどな。
存在移しにあった人間は、それを認識しやすくなる。そういう話はおののきちゃんにきいていたけど、今の反応を見てそれが当てはまってる感じはする。
「私さ、校長の弟子になることになったよ」
「校長っていうと、この学校の校長か?」
「そうだよ。先日まで出張してたけど、エクソシストの世界でも指折りの実力者なんだよ。私が校長のはじめての弟子になるんだそうだ」
「そりゃすごいんだろうな。僕にはわからんけど」
「どうかな。でも、一応レミリアの冤罪だけはそれでなんとか晴らせそうだよ」
「そうなのか?」
「あぁ。もともとアイリーが影響力を発揮しないと、あの冤罪は成立しえないからね。校長はかなり顔が利くし、私だって29人目のレオニードの人間だもの」
「そこらへんのことはその校長も把握してるんだな。まぁそっちのほうがいいか。アイリーはどうなるんだ?」
「あいつは、今更赤の他人でしたってやるのも混乱が大きいだろうし、一応レオニードの人間って扱いではあるだろうけど。正直興味ないな」
「興味ないって…… それでいいのかよ」
「私はあんまりそこらへんの倫理観がないんだよね。私は私の好きな人以外はどうなろうが知ったことじゃないんだよ」
「それもどうなんだよ。僕もあんま人のことはいえないけどさ。じゃぁまぁ、お前も大事ないみたいだしそろそろ帰るよ」
「ねぇコヨミ」
「なんだよ。僕はこれでもない時間をぬってきてるんだぜ?」
「もしさ。日本での生活がつらくなったら。いつでもこの寮に来てくれてかまわないよ。みんな歓迎するだろうし、私だってそうだよ」
「ああ、ありがとう」
そして少し考えて付け加えた。
「でもたぶんそうならないほうがお互い幸せなんだろうな」
「そうかな。まぁそうかもね」
それだけ言って、その寮を後にしたのだった。
#
朝方で寮へと続く道にはほとんど人気がなかったが、途中でおののきちゃんがこちらに歩いてきているのを発見した。
「悪いおののきちゃん。無理いっちゃってさ」
「本当だよ。鬼いちゃん。ボクは鬼いちゃんの悪巧みに翻弄されっぱなしだよ」
「確かにその点では僕に非があることに間違いはないが、わざわざ人聞き悪く言ってるんじゃねぇよ」
実際のところ、帰りの便の時間は結構ギリギリだそうらしかった。
でもそこをなんとか頼み込んでここへ来れたことはおののきちゃんにも手間をとらせてしまった。
「うん? どうしたんだいおののきちゃん?」
見ると、おののきちゃんが、いつもの無表情で、僕のほうに向かって両手を突き出していた。
「何って、ハグだよ鬼いちゃん。決まってるじゃないか。この難局を二人で乗り越えたわけだから。ここはハグハグして友情を確認することにしようよ」
「友情って……」
この子にそういう感覚はあるのだろうか。しかし、である。
人気のない道で、童女に両手を差し出されてハグをしてくれとせがまれれば、これはもうハグをしないという道理はないわけである。
「こ、これでいいかい?」
そういいながら、僕がおずおずとおののきちゃんの小さな体に手を回すと、おののきちゃんもガッチリと僕の体をわしづかみにした。
「オッケーオッケー。これなら安全。振り落ちることもないよ。それじゃぁ鬼いちゃん。帰ろうか」
「え、何?」
たずねる僕に、おののきちゃんは、しかし何も答えずつぶやくのだった。
「“アンリミテッド・ルールブック・離脱版”」
急激な加速で全身に衝撃が走る、人間のスペックにもどってしまっていた僕は、その衝撃でたやすく気絶し、気絶したまま再び日本までの空路を輸送されることになったのだった。
なんともしまらないが、この小旅行の顛末は、まぁこんな感じである。