隣人のお姉さんが肉じゃがを持ってこない。   作: junk

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 突然だが、僕は今年の春から一人暮らしをしている。

 大学に進学した事で、自宅から通うのが困難になったからだ。

 

 一人暮らしについて、男子なら一度は憧れるシチュエーションというものがある。

 例えば気になる女の子を呼んで夜通しどんちゃん騒ぎをするとか、料理を作ってもらうとか。 

 そういった数ある妄想の中で頂点に君臨するのは、やはり隣人のお姉さんシチュだろう。

 たまたま隣に住んでいるお姉さんとひょんなことから仲良くなり、色々と面倒を見てもらう、というのは誰もが憧れる所だ。もちろん、僕も例外じゃない。というか大好きです。

 そんなシチュエーションの代名詞的なセリフが「肉じゃが作り過ぎちゃったから、おすそ分け」だ。後に「お口に合うと嬉しいんだけど……」って恥ずかしそうに言われたら、僕は肉じゃがが劣化ウランで出来ていようと食べきる自信がある。

 

 さて、諸君。

 ここからが本題だ。

 憧れのシチュエーションについての題ではなく、僕についての題だ。

 僕の部屋の隣には、お姉さんが住んでいる。

 しかも、かなりの美人だ。

 よくありがちな可愛くて包容力がある、という感じではないけれど。背が高くて、キリッとした目をしていて、スラっとしたスタイルのカッコいい美人のお姉さんが住んでいる。

 お姉さんの名前は鹿倉みゆき。

 ひょんなことから仲良くなって、僕とは仲良くしてくれてる。

 

 コンコン、と部屋のドアを叩く音が聞こえてきた。

 鹿倉さんはインターホンの存在を知らないらしい。いつもああやってドアを叩いて僕を呼ぶ。

 ドアを開けると、そこにはやっぱり、鹿倉さんが立っていた。

 

 鹿倉さんはいつも無表情、鉄面皮ってやつだ。

 普通なら愛想が悪いと感じるかもしれないけど、どちらかとクールとか孤高って印象を受ける。

 美人ってずるい、って言う人の気持ちが分かる。

 

「こんばんは、佐々木くん」

「はい。こんばんはです、鹿倉さん」

 

 挨拶を済ませると鹿倉さんは、一人暮らしで使うには明らかに大きすぎる鍋を、僕に渡した。

 鍋からいい匂いが漂ってくる。

 いい匂いと言っても、お花の様な匂いじゃなくて、煮物とかからする何処か懐かしくてお腹が音を鳴らす類の匂いだ。

 

「夜分遅くにごめんなさいね。肉じゃがを作り過ぎてしまったのだけれど」

 

 お裾分け、だろうか。

 僕は鍋を開けてみた。

 

「頑張って全部食べ切ったわ」

 

 鍋の中身は空だった。

 まだ洗ってないのか、所々にタレが付いているけど、空と言って差し支えないだろう。

 

 僕の隣人のお姉さんは、肉じゃがを持ってこない。

 

 

   ◇

 

 

 僕は鍋を鹿倉さんに返した。

 

「鹿倉さん」

「何かしら? 使ってるシャンプーならツバキよ」

「なんでそこでシャンプーが出てくるんですか」

「あら。今からグルシャンをするのではなくて」

「グルメシャンプーなんて、したことありませんよ」

「嘘おっしゃい。いつも壁越しに聞こえてくるわ。佐々木くんが美味しそうにシャンプーをグルメする音が」

「凄い勢いでシャンプーすすってますね、僕。このアパートの壁はそんなに薄くないでしょう」

「私が頑張って削ったわ」

「そんなショーシャンクの空にみたいな」

「それじゃあ佐々木くんは最後、銃で自殺するのね」

「僕は汚職していません」

「そうね。佐々木くんは職に就いてない、ただの汚だものね」

「汚くもありません。それより、鹿倉さん」

「はい」

「帰って下さい」

「……」

「……」

「今日は、随分冷たいのね」

 

 鹿倉さんはうつむきながら、両手で肩を抱いた。

 それだけ見ると可哀想だけど、顔はやっぱり無表情だから、あんまり悲壮感がない。

 

「いや、そんな仕草されましても。僕今から、夕ご飯食べますし」

「それじゃあ、私も同伴させてもらうわ。ちょうどお腹が空いていたのよ」

「さっき肉じゃがを頑張って食べ切ったって言ってたじゃないですか」

「あれは嘘よ。お腹が空いて空いてしょうがないわ。げぷっ」

「満腹ですよね? 確実に満腹ですよね?」

「そうね。たしかに空腹ではないわ」

「認めちゃった」

「でも問題ないわ。トイレで嘔吐してくれば、まだ食べれるもの」

「そこまでしますか」

「あら。私が佐々木くんとどうしてもご飯を食べたい、みたいな言い方ね。そんなことないわ。私はいつも、お夕飯時はゲロを吐いて二度食事をするのよ」

「……はあ。じゃあ、上がって下さい」

「そう。そこまで言われては仕方ないわね。お上りしてあげるわ」

「自分に尊敬語を使わないで下さい」

 

 鹿倉さんは靴を脱いで、僕の部屋に入った。

 ちゃんと靴を揃えてるのが、なんというか、無駄に礼儀正しい。

 

 僕の部屋には、あまり家具がない。

 ベッドと本棚、それと小さなちゃぶ台が一つだけだ。当然、床に座ることになる。

 だけど座布団はひとつしかない。

 僕は座布団がない方に座って、鹿倉さんに座るよう促した。

 

「お構いなく。突然押しかけた身だもの。家主が座布団のある方に座ってちょうだい」

「いやいや。一応とはいえ、お客さんですから。どうぞ」

「いやに親切ね。まさか、私が帰った後私のお尻の熱を愉しむ気かしら?」

「分かりましたよ」

 

 鹿倉さんと、座っていた位置を交換した。

 何だかんだいっても、この人は優しい人だ。

 本当に僕に気を使って変わってくれたのかしれない。

 そう思っていると、何処からかクッションを取り出して、下に敷いた。

 

「なんでクッションなんか持ってるんですか」

「準備がいい女だからよ」

「僕に何も言わず、僕の部屋に来る準備をしないで下さい。でもまあ、それなら良かったです」

「だから言ったじゃない。お構いなく、って」

「そう言われて本当に構わない人、みたことあります?」

「さあ。分からないわ。私、友達いないから」

「そ、そうですか」

「……」

「……」

 

 なんて反応していいか分からず、少しの間沈黙が流れた。

 鹿倉さんは僕の部屋を見渡すこともなく、僕の方をじっと見つめてる。

 何だかいたたまれなくなって、僕は無理矢理話題を引き出した。

 

「あの、お茶とかいります?」

「お構いなく」

「あ、分かりました」

「ところで、佐々木くん」

「はい」

「喉が渇いたわね」

「飲むんじゃないですか。お構いして欲しいんじゃないですか」

「素直になれない、いじらしい女の子なのよ」

「そういうことにしておきます。日本茶とほうじ茶、紅茶、コーヒーがありますけど、何がいいですか?」

「沢山あるのね」

「実家からの仕送りです」

「ああ。佐々木くんのお家はカフェだものね」

「いや、まったく違いますけど。僕の実家の話、したことないですよね?」

「あら。これは別の隣人の佐々木さんのお話だったかしら」

「鹿倉さんの別隣は空き家でしょう」

「そうだったかしら。じゃあ別の人の話ね」

「あっ、誰かの話ではあるんですね。架空じゃなく」

「誰の話か、気になる?」

「いえ、特には」

「聞こえなかったのかしら。もう一度言うわね。誰の話か、気になる?」

「なんですか、このドラクエみたいなシステムは」

「誰の話か、気になる?」

「ええ、分かりましたよ。気になります。誰のお話なんですか?」

「ふふっ。秘密よ。私の全てを知れるなんて、思わないことね」

「全てはいいんで、対処の仕方だけ教えて下さい」

「五千円で握手、

 一万円でデートになっております」

「料金プランじゃないですか。しかもちょっと高いし」

「私のような絶世の美女のお相手が出来るのだから、当然でしょう」

「そうですね」

「クレオパトラ・楊貴妃・ヘレナの代わりに鹿倉みゆき・鹿倉みゆき・鹿倉みゆきにすべきだわ」

「三大美女全部独り占めしてるのに、一万円でデート出来るんですか」

「ええ。佐々木くんだけの、特別プランだもの。他の人は、いくら積まれてもお断りよ」

「……そ、そうですか」

「ところで」

「は、はい。なんでしょう」

「コーヒーはまだかしら?」

 

 僕は急いでコーヒーを淹れに行った。

 でないと、うるさくなる心臓が、女の子と二人きりで部屋にいることを僕に自覚させそうだった。

 インスタントのコーヒーを淹れながら、鹿倉さんに尋ねる。

 

「お砂糖とミルクはどうします?」

「私、甘党より辛党なのよ」

「じゃあ無しでいいんですね」

「お砂糖2つに、ミルク多めでお願い」

「うん。ちょっと前の会話いります?」

「無駄なことこそ、人生の宝である。鹿倉みゆき」

「最後に名前を付けても、名言にはならないですよ」

「格言よね」

「失言です」

「じゃかじゃかじゃーーん。鹿倉みゆきの失言シリーズ」

「なんか始まった」

「おかあさ――先生、質問があります」

「ガチの失言じゃないですか」

「昨日は恥ずかしい思いをしたわ」

「まさかの昨日の出来事」

「あっ、これ核ミサイルの発射ボタンだったわ」

「失言過ぎます。いきなりレベル跳ね上がりすぎでしょう」

「肉じゃがに集中し過ぎたわ」

「ついさっきの出来事じゃないですか」

「私ったら、罪な女よね」

「罪な女というか、罪人ですよね。国際指名手配犯ですよ」

「世界中が私の敵になったとして、佐々木くんは味方でいてくれる?」

「影ながら応援させていただきます」

「逃走経路や、武器の調達とかかしら」

「割と本気で影ながら応援してますね、僕」

 

 コーヒーのドリップが終わり、抽出器からコーヒーが零れ落ちてくる。

 僕はブラック派なので、先輩の方にだけ砂糖とミルクを入れた。

 

「どうぞ。熱いので、気をつけて下さいね」

「ありがとう、佐々木くん」

 

 マグカップを両手で待ちながら、珍しく、鹿倉さんは素直にお礼を言った。

 悪い気はしない。

 いや、正直ちょっと嬉しい。

 普通にお礼を言われただけなのに、不思議なものだ。

 

「いい香りね。豆は何を使ってるのかしら。それとも、淹れる人が上手いのかしら」

「さあ。インスタントなので。豆もスーパーで買ってきた奴で、淹れたのも機械です」

「そう。じゃあ、佐々木くんが一緒だから美味しく感じるのかしら」

「そう、かもしれませんね」

「あるいは私が味覚音痴か」

「もしかして、僕をからかってます?」

「どうかしらね。ところで、お夕食はまだと言っていたけれど、食べないの?」

「食べますよ」

 

 お客さんが来ているのに、僕だけ目の前でむしゃむしゃ食べる、というのも気が引けてしまう。

 けれど、お腹が空いたことも確かだ。

 さっさと夕ご飯を作ろう。鹿倉さんには、何かお茶受けでも出しておけばそれでいいか。

 

「じゃあちょっと、夕ご飯を作って来ますね」

「今日の献立はなにかしら」

「みんな大好きインスタントラーメンです」

「駄目よ。育ち盛りの男の子が、インスタントなんて」

「もう育ち盛りって年齢でもないですよ。インスタントも、ほぼ毎日食べてますし」

「例えそうだとしても、私の目の前では許さないわ。少し待ってなさい。キッチン、借りるわね」

「あっ、ちょっと!」

「いいから。座っていなさい」

 

 僕が止めるのも聞かずに、鹿倉さんはキッチンの方に行ってしまった。

 鹿倉さんは、結構頑固な人だ。ああなったら、僕がなんと言おうと、持ち主の僕がなんと言おうと、キッチンを占領し続けるだろう。

 仕方ないので、スマホでもいじりながら待つことにする。

 

 鹿倉さんが戻ってきた。

 手には、最初に鹿倉さんが持ってきた大鍋が握られている。

 ちゃぶ台の上に敷いたタオルの上に、大鍋が置かれた。中にあるのは、肉じゃがだ。

 

「僕の家には、肉じゃがの材料なんてなかったと思うんですけど……」

「ええ。だから家から持ってきたのよ」

「わざわざすみません。ありがとうございます」

「味には自信があるわ。散々試したもの」

「……じゃあ、作り過ぎちゃったけど、食べ切ったっていうのは」

「そうよ。試行錯誤中に出来た物を食べていたら、いつのまにかお腹いっぱいになってしまったの。本当は佐々木くんと一緒に食べようと思っていたのだけれど。人生、そう上手くはいかないものね」

「ありがとう、ございます」

「いいのよ。私が好きでしたことだから。お構いなく、よ」

「でも、なんで、その、こんな回りくどいことを? 自宅で作って持ってくるとか、余り物を持ってくるとか、出来たんじゃないですか? 頂いてる身で、恐縮ですけど」

 

 僕の問いかけに、鹿倉さんは少しだけ悩むそぶりを見せた。

 そして一言。

 

「愚問ね」

 

 そう前置きしてから、彼女は言った。

 

「作り置きや余りものではなくて、出来立てを食べてもらいたかったからに決まってるじゃない」

 

 そう言った鹿倉さんは。

 珍しく、本当に珍しく、少し笑っていた。

 

 僕の隣人のお姉さんは肉じゃがを持ってきてくれない。

 だけど、そう。

 お姉さんが作る肉じゃがは、美味しい。


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