人類は壁の向こうに衰退しましたが、人魚はよく釣れます。(完結)   作:ダブルパン

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調査兵団とひいちゃん

 海に囲まれてしまった壁内。

 外に出ようにも海上活動は今まで全く経験が無く、おまけに海中には巨人面魚が人間を狙ってうようよと泳ぎ回っている昨今。

 各種兵団が暇をもて余す中で、調査兵団は今日もイルカの騎乗訓練にあけくれていた。

 といってもイルカの数は貯水池の広さやメンテナンス、飼育費の関係で十二頭しかおらず、とても三百名が居る兵士全員に回る状態ではない。

 この海に囲まれ孤立した現状が全く変わらないのであれば、いずれは貯水池や頭数を増やして馬と同じくイルカも一人一頭としたいところだが、当面は少数精鋭として特別に組まれたリヴァイ班が優先的にイルカの騎乗訓練に参加していた。

 ピィィィィィとグンタとエルドが同時に指笛を鳴らすと、二頭のイルカが滑らかに泳いで来て二人の居る貯水池の縁に静止した。背中に取り付けた鞍を水面に浮かせる姿勢を取ったとき、イルカの口にイワシの切り身が放り込まれる。

「ヨーシヨシヨシ、だいぶ上達したな」

 海面から飛び出るツルンとした頭を撫でてやると、喜んでいるのかイルカはきゅいきゅいーと鳴く。貯水池の中ではペトラとオルオがイルカに乗ったまま水面を駆ける訓練をしているが、その表情は真剣ながらもどこか楽しそうだ。ペトラなんかは時々本当に笑い声を上げている。

 そんな中で、水しぶきを上げて水中からひときわ高く飛び上がる黒い影。

 水面下からダイナミックに飛び出して来たのはイルカに乗ったリヴァイだ。その表情は相変わらず仏頂面。だが、荒い指示ながらも乗られているイルカの方はまんざらでもないようにリヴァイの指示をよくきいている。

「やっぱり水に濡れると動きが鈍くなるな」

「まぁ、言っても仕方ないじゃないですか。兵長」

 水で肌が透けないように工夫された厚手の水着は普段の調査兵団の服と比べて重たいが、そもそもイルカから振り落とされたら服が軽かろうが重かろうがアウトなのでこの際目を瞑る。もう少し余裕が出来たらもっと動きやすいものの制作も考えてはいるらしいのだが。

「それでも、最初よりはどうにか様になってきましたね。あとは実戦までどれくらい精度を高められるか……」

「ペトラ、それこそ言った所でどうにもならねぇだろ。俺達は自分が出来ることを精一杯やるだげぇっ!!」

 格好つけた所でオルオが舌を噛み、ペトラは冷ややかな目で見下した。

 

 

 ☆  ☆  ☆

 

 

「あのー、兵長……?」

 それはある日のイルカ騎乗訓練の事だった。

「何だペトラ」

「あの子、また来てるんですけど……」

 イルカに乗ったペトラが気まずそうに視線を向けた先には、頬を膨らませて怒った顔の人魚が貯水池の縁からジロッとこちらを睨んでいた。

 ちなみにむろみさんではない。

 イルカ等の水棲哺乳類を毛嫌いしているむろみさんは、普段からあまりこの貯水池に近づこうとはしない。

 ため息をついたエルドは仕方なくその怒った顔の人魚を呼んだ。

「ひいちゃーん。そんな所に居ないでこっちにおいでよ」

「おい魚。言いたいことがあるならはっきり言え。じゃないと解んねぇだろ」

「言いたいことは一杯あると!! でもイルカさんが良いって言いよるけん。だから人間さんがイルカさんば虐めんよう、ひいちゃんが睨みきかしとーだけたい!」

 そして怒った顔のまま再び黙ってしまったひいちゃんに、リヴァイ班のメンバーはため息をついた。

「ひいちゃん、まだ私たちがイルカを使うの嫌なのかなぁ」

「まぁ、ひいちゃんにとってイルカは家族みたいなもんらしいしな。そりゃ危険な事はさせたくないだろうさ」

 現在、調査兵団に所属するイルカは全て淡路さんら人魚のハンターたちに連れてきてもらった個体ばかりだった。ちなみに連れてこられたイルカは衣食住を提供する代わりに兵団に所属して人を乗せてくれるよう人魚を挟んだ交渉をしているので、捕獲というより雇用に近い形でここにいる。それがイルカたちの異様な物覚えの良さや従順さに起因するのだが、問題がここに一つ。

 調査兵団がイルカを飼育し始めた事を聞いたむろみさんの妹分であるひいちゃんが、軍用イルカという言葉にすっかり過剰反応してしまったことだった。

「イルカさーん!! イルカさんたちは騙されとるだけたい! 都合の良い事ばっかり言われてコキ使われとるだけとよ!! 騙されたらいかんと!!」

 ひいちゃんが訓練に参加していないイルカたちに声を上げると、聞いていたイルカはキュイキュイと鳴いて返事をする。

『そんなこと無いよー。大体僕ら雇われてここに居るわけだし』

『敵がいなくて毎日ちゃんとご飯食べられるなんてここは楽園だよー!』

『そうだよひいちゃん。それと、皆やさしいよー』

「でもでも、絶対騙されとるけん!! 巨人面魚って人間に襲い掛かるんちゃろ? 人間なんか乗せてて、一緒に飲まれたら危なか!!」

 するとひいちゃんの言葉を聞いたイルカたちは一斉にに笑い出した。リヴァイ班を乗せた訓練中のイルカまで笑い出す始末である。

『巨人面魚なんてデカいだけで全然ノロマじゃーん!! ひいちゃん僕らナメてんの?』

『そうだよ失礼しちゃうな。あと訓練の邪魔。僕らだってこれがお仕事なんだから』

『失礼なひいちゃんなんかとはもう遊ばないよ!! 悪いけど帰って』

「そんな……ひいちゃんは……ひいちゃんは皆を心配しとるとよ!! 皆、お願いだから危ない事せんとー!」

 そして、とうとうひいちゃんは泣き出してしまった。

「何をやってるんだ。あの魚は?」

「さぁ……イルカとお喋りしてるんじゃないですかね?」

「ふっ、ここは俺の出番だな。魚の一匹や二匹すぐに黙らせてゃぐっ」

 また舌を噛んだオルオの事は無視して、泣いているひいちゃんが何だか可哀そうになってきたペトラがイルカに乗ったまま貯水池の縁まで近づいた。

「ねぇひいちゃん。私たちはどうしてもイルカ達の力が必要なのよ。お願いだから解って?」

 務めて優しく、小さな子供を慰めるように声をかけるのだが、ひいちゃんは泣き止まなかった。

「おい、訓練の邪魔になる。テメェらの知り合いだろ。何とかしろ」

「キュー……」

 泣き声に苛立ったリヴァイがドスを利かせた声で自分が跨っているイルカを見下ろすが、イルカは困ったような声を発しただけだった。

「どうだ、リヴァイ。イルカの調整は上手くいっているか?」

 全然泣き止む気配を見せないひいちゃんにリヴァイ班の面々が困った顔をしていると、丁度その時、調査兵団団長エルヴィン・スミスが顔を覗かせた。

「団長。訓練そのものには問題ないのですが……。済みません助けて下さい」

 ペトラが団長に助けを求めると、エルヴィンは困り顔を浮かべている周囲を見回した。

「これは……何が起きたんだい?」

「どうしたもこうしたもねぇよ。魚がイルカを使うなってびゃーびゃー泣きやがる。これじゃ煩くて訓練になりゃしねぇ」

 リヴァイが指をさした先にはひいちゃんがまだベソをかいていた。

「ひいちゃん、イルカが巨人面魚に食われないか心配だって泣くんですよね。まぁ解らんでもないですが、流石にこればっかりはどうにも……」

 エルドが困った顔で事情説明をすると、エルヴィンは「なるほど」と言って頷いた。それきり他には一言も発さないまま、貯水池の縁をのんびり歩いてグズグズと目を擦っているひいちゃんに近づいた。

「団長、何をする気なんだ?」

 皆が固唾をのんで見守っていると、屈みこんだエルヴィンは両手でひいちゃんの小さな手を優しく握り込む。

「ひいちゃん。私の話を聞いてほしい」

 そしてまっすぐに涙に濡れた人魚の瞳を見据えると、大声で言った。

「私はイルカが大好きだ!! むしろ愛していると言っても過言ではない!!」

 その場に居た全員が、何を言ってるんだコイツはみたいな表情をした。

「ふえ?」

「あぁ、私はイルカが大好きだ。一目会った瞬間から大好きになったと言っても決して大げさではない。彼らは賢くて優しい。そして何よりこの外に広がる海よりもずっと心が広い。遊び心も持っているから、一緒に遊んだらきっと楽しいだろう? 私は、そんな愛らしいイルカが大好きだ。いつも一緒に居たいと思うくらいにはね。君も、イルカが好きという気持ちは同じだろう?」

 そこで普通のご婦人ならばコロリといってしまうような爽やかな笑みを浮かべてみせると、ナイスミドルの笑顔に気圧されたひいちゃんが面食らった表情でこくんと頷いた。

「イルカの他にも海には沢山の水棲哺乳類が居ると聞く。そのどれもが愛らしい姿でとても賢い生き物だと言うのも聞いているよ。海の賢人……そんなふうにね。私は、その子たちとも是非『お友達』になりたいんだよ」

「……ほんなこつ?」

 ひいちゃんがじっとエルヴィンを見つめると、王子様然とした態度でエルヴィンは頷いた。しかし、すぐに悲しそうに憂いを帯びた表情を浮かべてみせる。

「ところがだ。私たちは下等な人間。彼らのような立派なヒレも無く、海ではまったくの無力なんだ。しかも海中では恐ろしい巨人面魚どもが今か今かと我々を狙っている。海の向こうに居る彼らと出会い、そして『お友達』になるにはどうしてもイルカたちの手伝いが必要なんだ。彼らを危険な目にあわせるのはとても申し訳ないと思っているけれど……」

 まるで世界中の悲劇を見てきたかのような悲しみを帯びた声で嘆くエルヴィンに、心根が優しいひいちゃんは一生懸命考える。

「そ、そんならひいちゃんが壁の傍に皆を連れてきてあげるたい!! そしたらわざわざイルカさんに乗らなくて済むと!!」

「それではダメなんだ」

「何で!?」

 そこで、エルヴィンは一度呼吸を置いて、わざとらしく首を振った。

 

「だってそれじゃあ、君やイルカや他の友達と一緒に仲良く泳ぐことが出来ないだろう?」

 おそらく、人間のご婦人ならば一発で恋に落ちたに違いない。

 全力のヴァリトンボイスで甘く、優しく、美しい声で囁かれると、それまで泣きそうな顔だったひいちゃんの表情がぱぁっと輝いた。

「こんなにイルカさんのこと解ってくれる人間さん、初めて見たと……」

「あぁ、だからひいちゃんも良かったら私たちを手伝ってくれると嬉しい。そうしたらきっとイルカも私たちも傷つかずに沢山の海の仲間たちとお友達になれるに違いない」

 そしてもう一度、優しい笑顔でひいちゃんの手をぎゅっと握りしめると、嬉しそうな顔のひいちゃんが勢いよく頷いた。

「わかった。ひいちゃんも、人間さんがイルカさんやクジラさんと友達になれるよう頑張るたい!」

 下半身が魚とはいえ、幼女と中年が仲良く両手を握り合っている様を呆然と見ていたギャラリーはその時、全員が同じことを思った。

 

 

 この絵面は犯罪だ。

 

 

 ☆   ☆   ☆

 

 

 イルカの使用を反対していた人魚を懐柔し、しかも協力者にまでなってくれたことに調査兵団団長、エルヴィン・スミスは大層ご満悦であった。

 ひいちゃんという通訳が居ることでイルカの訓練が爆発的に進歩を遂げているという報告もある。

 今日も様々な書類にサインを書き、次の壁外調査の作戦を練っていると後ろに佇んでいたミケ・ザカリアスがぽつりと呟いた。

「エルヴィン。子供を誑かす真似はあまり感心できんぞ」

「何がだい?」

 本気で解らない顔をするエルヴィンに、ミケは黙り込んだ。

 兵団内でエルヴィンにロリコン疑惑が浮上しているのだが、今の表情と匂いから察するにどうやら間違いだったようだ。

 本当によかった。

 

 

 ☆   ☆   ☆

 

 

 某所海の中

 

 

「おねいたん。人間さんにも良い人がいるとね」

「何ね。突然」

「イルカさんば愛してるって言ってくれたとね。ひいちゃんといっしょたい」

「アンタ騙されとるっちゃない?」

 

 

 

 

 





 前から感じているんですが、エルヴィンは絶対怖い人だと思うんだ。
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