炎を斬る、という言葉は言うだけならば簡単だ。しかし、それを実行できる人間というのは、今生きている全人類から数えてみても、一握りもいれば十分というレベルだろう。物体ではなく、現象を斬るということは、言うだけならば簡単ではあるが、やってみるには人間離れした身体能力と、超人的な才能が最低限と言えるレベルで必要なのだ。
それを、ユキは成している。
達人、人外級でも、全神経を集中させて、ようやくできるようなそれを、何十回、何百回も連続で成功させている。ハッキリ言ってしまえば彼女がやっている事は、フィクションだと言われた方が納得できるレベルだった。
しかし、それを見てもレイブンブランドは感嘆の声を漏らさない。それが当たり前だと。自分の生み出した火球が切り裂かれていく様を見ながら感じていた。
『記憶を失えど、剣技は衰えぬか……』
「このっ……余裕綽々な声出しちゃって……!!」
レイブンブランドの生み出す火球は、斬れば消える。しかし、斬った分だけ倍になって自分を囲んでくる。
生み出す上限が存在しないのか、とユキは言いたくなったが、すぐに
レイブンブランドを初めとしたドラゴンの能力に、上限と言うのは存在しないと考えた方がいい。何故なら、彼等は『大気中に無数に存在する魔素』を現象に変換できるからだ。レイブンブランドの、かつて人間の間で伝わっていた二つ名は『紅龍』。その理由は、火を扱う事に長けたからという単純かつ明快な理由。しかし、その火は魔素という、無限に近い材料から生み出される。
つまりレイブンブランドは、自分の視界内であればどこからだろうと燃料無限の火炎放射を放てるという、人間だろうと魔獣、魔物だろうと、簡単に相手を鏖殺できる存在なのだ。それを相手に、火を斬って耐久しているユキという存在が、本来は一番のイレギュラーなのだ。
それを思い出し、ユキは迫ってくる火球を逆手に持った剣で受け流し、順手で持った剣で斬り消しながらなんとか食らいついていく。
「ぐぅっ……さすがに、キツイ……!!」
攻撃と防御。それを成すための構えではいささか火球を防ぐための手数が足りなかった。
すぐにユキは右手の、順手で持っていた剣を逆手に変え、完全に防御に回るための立ち回りへと切り替える。
攻めるための順手。受け流すための逆手。それを使い分ける事が自分のスタイルの強み『だった』と、ユキは知っている。体が何故か覚えている経験に沿って動いてくれるため、今のユキはなんとかレイブンブランドという、人間を簡単に超越できるスペックを持った怪物にくらいついていけている。
しかし。防御だけではジリ貧となっていく。歯を食いしばりながら、守っているだけでは負けると察し、そして攻めていこうと決める。
「負ける、ものかッ!!」
一瞬。時間にして一秒にも満たない時間でユキは自分を包囲する火球の間を自身の全力を持ってすり抜け、当たりそうな火球を、自ら当たりにいき、それを無理矢理受け流す事で自分一人がギリギリすり抜けれるような間を作り出し、その間を縫って一気にレイブンブランドへと突撃していく。
このまま接近すれば、一太刀浴びせられる。数少ない逆手での攻めの構えを取り、そのまま一気に突撃していく。しかし、それもレイブンブランドの視線を感じ、それを直感的にマズい物だと感じ取り、ユキはその直感のままその場で真上へと跳躍していた。
その跳躍の直後。自分の足元が真っ赤に赤熱し、直後に『火炎放射』が真下から飛んでくる。
「こういうのって、普通ブレスじゃないのか、なッ!!」
あのまま突っ込んでいたらこの火炎放射にこんがり焼かれていた。ゾッとしない、有り得たかもしれない未来を想像しながらユキは空中で無理矢理構え、そして回転しながら火炎放射に向けて突っ込んでいく。
空中で回転しながら炎を斬り裂き地面へと向かっていく。
しかし、その回転も途中で炎に負けてしまい、ユキは火炎放射を受け流す事もできずに、火炎放射に呑まれてしまう。
「まだッ!!」
だが。火炎の中からユキは飛び出す。服と髪を焦がしながら飛び出したユキはなんとか地面へ着地し、大きく息を吐き、すぐに空気を吸う。
ユキは、簡単に言ってしまえば、炎の中で自分の剣を蹴り、その勢いで炎から脱出した。その証拠に、双剣の片割れが炎の中からユキとは反対側へ飛び出し、地面へ突き刺さっている。咄嗟に自分の武器を捨ててまで行った延命行為は、どうにかこうにか功を奏した。
熱気を吸い込んでしまっていたがために内臓を火傷しかけていたが、なんとか新鮮な空気を吸い、息を止める事でこれ以上の重症化を防ぐ。
(くそっ、自分でもやってる事が滅茶苦茶でよく分かんないよこれ……ッ!!)
そんな神業的な回避で生き延びているユキだったが、実際は自分でもやっている事の原理も、何もかもを半分も理解できていなかった。
咄嗟に、覚えていない経験を頼りに行っているこれまでの延命行為は、自分でもやっている事がよくわからないという、無意識下での行為だった。もう一度やれと言われても、無理だと言えてしまう位には、彼女は無意識で今までの延命行為を行っていた。
ユキが自分の意思で行ったのは、受け流しと回転しながら火炎放射に突っ込んでいった程度だ。その後の離脱は完全に体が無意識で動いていた。
『剣技は衰えずど、経験は衰えたか』
「何も覚えてないから仕方ないでしょ……」
既に荒くなりかけている息を整えながらユキは両手で剣を握り、構える。
だが、こうしてレイブンブランドと実際に数手渡り合うと分かった。彼のドラゴンは、ユキが全力なのに対し、全くの全力を出していない。まるで小手調べのような。牽制として一番弱い攻撃を使うかのように、ユキをおちょくっている。
本人はおちょくっていないのかもしれない。だが、自分が本気で、相手が本気じゃない。むしろ全力で手加減している。それが分かっているから、ユキの中の冷静が徐々に熱を持って行ってしまう。
『かつてのメグなら、この程度、本気でなくても捌いたのだがな』
「さっきから、メグ、メグって……うるさいんだよ!!」
そして、その一言も更にユキの心に炎を灯す。
時にその炎は完全な悪循環を引き起こす場合がある。
だが、この時だけは違った。
冷静を失い、ユキとしての意識がほぼ消え失せ、体の経験だけが前に出てきた結果。ユキは全くの無意識でレイブンブランドが、ユキの行動と共に生み出した火炎放射、火球、火柱を生みだしユキの進行を防ごうとするが、紙一重。間一髪、傷にならない程度で避けながらユキは一瞬にして肉薄し、その足に両手で持った剣による斬撃を叩き込む。
『むぅッ!!?』
「元カノに縋りつく駄目男か、お前はァァァァァッ!!」
そして足に全ての力を込め跳躍。そのまま地上から五メートル近く離れているレイブンブランドの頭部の高さまで飛び上がると、そのままレイブンブランドの頭部を剣で思いっきり斬り裂いた。
「激情ッ!! 高揚ッ!! 無双ッ!!
叫びながら、そのままレイブンブランドの周囲を高速で走り、飛び、駆け抜け。レイブンブランドの全身をその手の剣で斬り裂いていく。
ユキの中の誰かが叫んでいる。
レイブンブランドの弱点。それは、その巨体だと。人間という小さな生き物を補足し続けるには、いささかレイブンブランドの体は大きすぎると。
ならば、それを逆手にとれ。
守るな。攻めろ。それこそが
『ぐぅっ……経験までも無意識に引き出すかッ!!』
「君は前からちっとも変わっていない!! 私を相手に余裕ぶるのも! 距離を詰めさせないがために炎を配置したがる事も! そして、人が傷つくことを何よりも避ける事をッ!!」
いつの間にかユキの片手には、吹き飛ばしたはずの双剣の片割れが戻ってきていた。
単純に手数が二倍。レイブンブランドの体表、鱗を削っていく速度は単純に二倍となった。それにレイブンブランドは反応することができず。その周りには最早白い閃光と化したユキがレイブンブランドの『認識』の外側を走り、『無意識』に己の気配を、存在を潜り込ませる事によってレイブンブランドが『ユキに気が付き、対抗する』という逆転のプロセスを前提から覆す。
ユキは、■■は、■■■■■■は、完全に知り尽くしているレイブンブランドの癖も、動きも。何もかもを読み、その先を行き、経験から彼の反抗の全てを予測し、それを一瞬の思考で完全に封殺し、レイブンブランドという巨体を封殺するためのプロセスをリアルタイムで更新しながら己の経験と技だけでそれを果たさんと――
『やはり心では覚えているか、メグッ!!』
その言葉を聞いた瞬間、■■■■■■の完全なる封殺のプロセスにバグが発生する。
「私はメグじゃない! 私は……私、は……」
動きが止まる■■■■■■。しかし、それを逃すレイブンブランドではない。
レイブンブランドの思考に従って彼女を火球が十字に囲み、その火球から彼女へ向かって火炎放射が放たれた。それをようやく知覚できたのは、火炎放射が自分へ向けて放たれた時だった。
「
しかし、火炎が届く僅か数秒でも、今のユキにとっては十分だった。
体が覚えている。一分にも満たない時間ではあったが、ユキがユキではなかった。ユキの才能は、その一分にも満たない時間で。たった数十秒の時間で『レイブンブランドに対する体の動かし方』を完全に理解させる。
故に、火炎が届くまでの一瞬を、意図的に自分を危機的な状況に陥れる事で伸ばした思考時間で考える事によって、この状況を抜け出す方法を一瞬のうちに弾き出す。
「疾ッ!!」
鋭く息を吐き、四方から迫る火炎を、自身の体を回転させながら双剣を振るう事で火炎を『斬り裂く』。
たった一瞬ではあるが、二つに分かれる火炎。更にそこからもう一度剣を振るい、真正面の火炎を更に斬り裂き、自分の体をねじ込むスペースを作り出す。直後、その火炎の中へと自分の体を突っ込み、開いた空白を抜け、十字の火炎放射を抜ける。
この世界に存在する、どの人間でもできない神業。それを一息で成し遂げたユキはすぐにレイブンブランドへと走り出す、と思わせたフェイントで横へと走る。
そのフェイントに一瞬だがレイブンブランドが乗った瞬間、ユキはレイブンブランドの認識の外側を、無意識を走る。故に、レイブンブランドから見れば、ユキの姿はフェイントに乗った直後に消えていた。
しかし。
『小賢しいッ!!』
レイブンブランドはその程度を予知できない存在ではない。
ユキの行動を読み、消えたという事は自分の無意識に潜り込んでいるのだと理解し、無意識を『意識』する。
そうする事でユキの姿はレイブンブランドに見えるようになる。そうすれば、あとは簡単だ。
ユキへ向けて、火炎の壁を造り出し、彼女を包囲する。
しかし。
「視線を斬る」
呟いた彼女が、双剣をレイブンブランドへと投げた。
直後、レイブンブランドの視界には二本の双剣のみが写る。故に、レイブンブランドは目を閉じてしまう。生物としての本能に従ってしまう。
そしてレイブンブランドの鱗に覆われた瞼に弾かれた双剣が来た道を戻っていく。そして目を開けたレイブンブランドは直後に己の失敗を理解する。瞼を閉じてしまったがために、ユキを視界から外した。それはつまり、己の攻撃が発動前に潰されたという事だ。
視線を斬る。それは一時的に相手の視界を思いのままに操る技術。ミスディレクションとも言えるそれを、ユキは無意識から引っ張り出してきた情報だけで成した。ならば、あとはレイブンブランドへと突っ込み、斬るのみ。投げた双剣は既に自分の思い通りの軌道を描いて自分の両手に収まっている。そしてレイブンブランドは呆けている。ならば、この剣をその頭に突き刺して、全てが終わる――
『言っただろう。小賢しいと』
――わけがなかった。
その声が聞こえた直後、ユキの体は炎に包まれていた。
死なない程度に放たれた炎は、レイブンブランドに飛びかかっていたユキの体を飲み込み、そのまま地面へと叩きつける。直後、レイブンブランドの前足がユキの体を押しつぶす。
「がぁっ!!?」
『甘い。いくら経験を引っ張って来ようと、貴様自身が経験したわけではない。故に、幾らか穴ができる』
だが、死なない。
それは、レイブンブランドの温情。
必要のない殺生はしない。そんなレイブンブランドの温情が、ユキの動きを封じ込めるだけに押し留めていた。
押しつぶされながらも、ユキはその通りだと。レイブンブランドの言葉を否定できずに受け止めていた。
先ほどまでは、完全に体が『レイブンブランドとの戦いに特化した動き』を勝手に取ってくれていた。だが、今は違う。ユキの考えた戦法に、たった十数秒の動きを練り込んだだけの模倣だ。それが簡単に破られるなんてことは、彼を倒すために特化した動きと戦ってきた彼が相手なら、簡単に想像できることだった。それを想像できなかったのは、ユキの甘さだった。
『三百年もあったのだ。まさかその時から止まっているなどと思ってくれるなよ?』
そう。レイブンブランドには三百年の時間があったのだ。その時間の中で、自身の視界内でしか炎を巻き起こせない等と言う、欠陥中の欠陥を放置しておくわけがない。
最も、レイブンブランド自身、見えない所への火炎の設置は昔からできた。しかし、加減が苦手なこと。細かい調整ができないこと等の欠陥を抱えた不確定要素であったため、実戦でも本当にピンチの時くらいでしか使っていなかった。もっとも、彼が三百年前に戦った敵は、それを使わせる前に自分を下したのだが。
『悪いが、このまま全身の骨を折らせてもらう。あとで助けは呼ぼう。だが、暫くは寝ていてもらうぞ』
レイブンブランドはそのままゆっくりとユキへかける力を増やしていく。ユキは一応、両手を前に出してなんとか体と地面が直接挟まれないようにはしているが、このままではそのまま潰されて文字通り全身の骨を折られてしまうだろう。
「ぐ、ぅぅぅぅ……!!」
『……存分に恨めよ。我はそうされるだけのことをしている自覚がある』
少しずつ、少しずつ。腕が悲鳴を上げ始める。
痛い。辛い。苦しい。だが、それを乗り越えて、この現状を打開しないとエルリックが殺される。
『逆境』に追い詰められ。しかし、それでも諦めたくないと。いや、諦めないと歯を食いしばりながら耐えて。だけど、この逆境を跳ね返す力は無くて。
――逆■■■――
だけど。自分の中の何かが叫ぶ。
この状況を打破できる力を。
『使ってはいけない』と本能が叫ぶ力を。
――逆■■人――
そう。
どうしてユキが、自分の事をここまで過大評価していたのか。ドラゴンとの一対一にも全くの恐怖なく挑めたのか。どうして、エルリックを守れると。剣を抜くそのときまで確信できていたのか。
その理由を思い出す。
自分の自信の源を。
■■■■■■が、どうして英雄となれたのかを。その英雄の、力の理由を。
――逆境■人――
力が増していく。
逆境であればあるほど。ピンチであればあるほど、力は増していく。
理屈も常識も法則も。何もかもを超えた不条理とすら言えてしまう、圧倒的理不尽を叩きつけるための力が。
そう、これが英雄が英雄であった証。
相手が強大であればあるほど。自分がピンチであればあるほど、その力を『際限なく』上昇させていく、無双の力。
「『逆境、武人』ッ!!」
それは、人間が持っていてはいけない。人間が持つべきではない。
人知を超えた、最強の異能。
それが発動し。この逆境を跳ね返すだけの力となった。
『逆境武人』
文字通り、逆境になればなるほど際限なく強くなるというチートをそのまま表したかのような力。相手が強ければ強いほど強くなり、そしてその逆境を跳ね返すだけの力になる。
本編中に一回か二回だけ出てきた、四文字だけの、文じゃない伏字はこれです。ピンチになるだけ強くなっていくなんて、正しく主人公の、英雄の、ヒーローの特権ですよね。