蹴り破られた戸の木片が散乱する土蔵の中を見渡す三人。土埃の匂いがした。
既に村は夜の闇に閉ざされている。
外界に残された光源は、夜空に浮かんだ月の明かりだけだ。
「おい、大丈夫か?」
不意にカインが言葉を発した。
「誰かいるの、カイン?」
マリアンが恐る恐るカインに尋ねる。カインが野生の豹並に、夜目が利く事をマリアンは知っている。
「ああ、アルム、ランプをつけてくれ」
「あいよ」
アルムがランプの灯りをつけ、土蔵の奥を照らす。すると、地面には縛られた男の姿があった。
力尽きかけた動物のように伏している。身なりから察すると、どうやら旅の者のようだ。
カインは男を拘束している荒縄をナイフで切った。
「おい、しっかりしろ」
男の身体を起こし、再びカインが言う。
だが、男は言葉にならない呻き声を喉奥から発するだけだった。
当たり前だ。男の顎は、村人の振るった棍棒によって砕かれている。
カインは革袋に詰まった蒸留酒を気付け代わりに男に飲ませてやった。
酒がダラダラと男の頬や顎を伝っていくが、それでも男も何とか嚥下していった。
少しは酒が飲めたようだ。
「どうやら、顎を砕かれているな、治せるか、マリアン?」
「うーん、治せないことはないけど、喋れるようになるまで治療に専念して丸一日は掛かるわねえ……」
「ふむ、そうか……おい、お前、文字は書けるか?」
カインの問い掛けに男が頷いてみせる。これは僥倖だ。不幸中の幸いである。
男は指で地面に文字を書いていった。そこにはこう書かれている。
<今すぐこの土蔵から逃げろっ>
旅人からの警告だった。だが、もう遅い。土蔵の暗がりには、すでに悪霊が佇んでいた。
若い女の姿だ。青醒めた肌色をしている。だが、顔立ちは可憐で美しかった。
生前はさぞや評判の美しい娘だった事だろう。
「悪霊か。外の鬼火もお前の仕業か?」
物怖じせず、カインは悪霊に対して問いかけた。この蛮人は恐れというものを知らない。
カインに問われた悪霊が、無言で四人を見つめる。
そしてけたたましい叫び声を上げながら、突如として襲いかかってきた。
髪を振り乱し、目を剥いた凄まじい形相で。
激しい怖気に襲われる三人──放たれたカインの右フックが、悪霊の顎を的確に捕らえた。
鈍い音が土蔵内に響く。地面に崩れ落ちる悪霊──そのまま風化していく。
「とりあえずここを出て、もう少し安全な場所に行くとするか」
四人は休めそうな民家に潜り込んだ。囲炉裏に火をつけると鍋で湯を煮立てていく。
戸口には鍵が掛かっていたので、これはカインが叩き壊した。
炙った干し肉を無言で齧るアルム、旅人にスープを飲ませるマリアン、そして長剣を磨くカイン。
「それで一体この村で何が起きているのだ?知っていることがあれば教えてくれ」
そこから旅人が灰に文字を書き、事のあらましを三人に説明していった。
旅人は名をセルフマンと言い、この村に立ち寄ったのは、実の兄を探していたからとのことだった。
セルフマンの兄、ジローは旅の行商人で、他の街に向かう途中で行方知れずになった。
それで弟のセルフマンが兄の足取りを追っていくと、どうやらこの村の付近で、
ジローが行方不明になったということが判明した。
セルフマンは村人達に兄の行方を訪ねて回ったが、皆が嫌な顔をしたという。
最初は余所者だからかと思っていたが、徐々にそれだけではないらしいと感じ、セルフマンは更に村を調べていった。
村人達は口を固く閉ざし、何も喋ろうとはしなかったが、
ただ、幸運なことにセルフマンは、村はずれに住む老婆から話を聞き出すことができた。
それなりの銀貨を払い、老婆の好物だという蜂蜜酒を一樽用意しなければならなかったが。
酒に酔った老婆はセルフマンに喋った。
元々が少しばかり知恵が遅れているようだったが、そこに酒が回ったせいで、分別が付かなくなっていたのだろう。
老婆はこの村にある生贄の風習をセルフマンに漏らしてしまった。
そして老婆の話を聞き終えたセルフマンは、兄が既にこの世に存在しないことを悟ったのである。
同時にそこでセルフマンの運も尽きた。
セルフマンを尾行し、老婆の話を盗み聞いていた村人がいたのだ。
その村人はすぐに他の者達に知らせた。
セルフマンはすぐに村から逃げ出そうとした。
だが、結果は棍棒で顎を砕かれ、縛り上げられた挙句に土蔵の中へと押し込められるだけに終わった。
そして、当の土蔵の中こそ、生贄を捧げる場所だったのである。
「生贄の風習か。なるほどな」
磨き上げた刀身を眺めるカイン、ランプの灯りが剣先に反射した。
「なあ、カインの兄貴、こんなヤバイ村、さっさとトンズラしちまったほうがいいんじゃねえのか?
俺は面倒事に巻き込まれるのはごめんだぜ」
そう言いながら、苛立つように干し肉を食いちぎるアルム。
「私もアルムの意見に賛成よ。すぐにこの村を出て近くの代官所に報告するべきよ。
アルムとマリアンの言葉にセルフマンも頷いて同意する。
「お前らの意見はわかった。所でこの村の懐具合はどうだ?中々裕福そうに見えるが」
カインの意見に首を縦に振るセルフマン──実際のところ、この村は他の村に比べて裕福だ。
村の穀物庫には、常に麦などの穀物類がぎっしりと詰まっているし、農作業用の道具は新品で良い物を使っている。
村人達はわざと粗末な野良着を身につけているようだが、家の中に置かれた調度品や織物は贅沢なものだ。
見かけと内情が釣り合っていない、となると村の財政状況を外部に知られないようにしているのか。
「ハハァ、兄貴、火事場泥棒をしようって魂胆かい?」
カインの考えをいち早く察したアルムが、口元を歪めて笑う。
「そういうことだ。無人の村であれば、思う存分に持っていけるぞ。
セルフマンよ、お前も代官に報告するだけでは、兄を殺された気持ちが収まらぬだろう。
だったら詫び代わりに好きな物を持っていけ」
セルフマンがカインのその言葉に大きく首を振って賛同する。どうやらセルフマンも火事場泥棒に乗り気のようだ。
「ちょっと、三人とも泥棒なんてやめておきなさいよっ」
三人に向かって抗議するマリアン──少し悩む仕草をするセルフマン、言葉を聞き流すカインとアルム。
その時、青白い光が発生したかと思うと、いくつかの鬼火が部屋の中に現れた。
「こいつら、家の中まで現れるようだな。なるほど、家にも人がいないわけだ……」
連続してジャブを打ち、鬼火をかき消すと、カインは叫んだ。
「さあっ、今のうちに村中の金目の物をかき集めるぞっ」