けものわーるど   作:Nyarlan

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第十二話 出発準備

「おかえ……ど、どうしたのにーちゃ!?」

 

 満面の笑みで迎えてくれたクーの表情がたちまち驚きに染まる。

 視線の先にある僕の姿はというと、転がった時に肘や膝を衣類ごと擦りむいた傷に加えて顔にも幾つか傷がある上、捻挫した足首の痛みでシーザーの肩を借りている有様だ。

 クーの悲鳴に釣られて出てきたチビ助も驚いている様子が見て取れる。その視線はみるみる険しいものとなり、僕に肩を貸すシーザーへと向けられた。

 

「帰り際、見たこともない怪物に襲われた。こっちのシーザーがいなかったら正直危なかったと思うよ」

 

 シーザーに警戒の目を向けていたチビ助は説明を聞いてすぐに視線を和らげる。

 そして彼女は少し思案顔をすると、小首を傾げて訊ねてきた。

 

「見たこともない……その怪物ってのはひょっとして、丸っこくて1つ目の変なやつ?」

 

 なにやら、怪物に心当たりのあるらしい。チビ助が両手のひらでボーリングの玉ほどの空間を作ってみせた。

 おそらくだが、これがダンシャクの言う”ちびこいの”の大きさなんだろう。

 

「チビ助もあれを見てたのか」

「ええ、昨日仲間に追っかけられてた時にね……でも、あれそんなに危ないの? 小さくてトロいし、猫一匹捕まえられそうにない感じだったと思うけど……」

 

 小型の怪物は、どうやら大した脅威ではないらしい。僕は頭を振ると、先程出会った怪物について説明を始める。

 

「いや、さっきのはもっと大きかった、大体僕がひと飲みにされそうなくらい。しかも、大きな顎のついた長い腕がたくさんついてて、それを自在に動かせたんだ」

 

 僕の説明で怪物がいかに凶悪か理解したらしく、二人は顔を青くする。

 そんなとき、横から遠慮がちにシーザーが声をかけてきた。

 

「あの、くおんさま? 早く治療をしたほうがよろしいのでは……」

「ああうん、ありがとう。それじゃあ、とりあえず上がろうか」

 

 初対面のチビ助の視線にそわそわしているシーザーに促されて、僕らは家に上がった。

 とりあえず、治療を終えたら今のうちに水の確保をしなくちゃね。

 

 

※※

「にーちゃ、大変だったんだね」

「ホントにね……痛たっ」

 

 停電で少し溶けたのか、氷は冷凍庫の底にベッタリと張り付いていて固まっており、使い物にならなかった。

 代わりに保冷剤を患部に当てているが、幸いにも捻挫は重篤ではなさそうで、痛みはあるものの変色はしていない。多分、明日には問題なく歩けるようになるだろう。

 傷は軽く消毒し、ひどい所には大きめの絆創膏を貼り付けて処置した。

 我ながら中々に傷だらけである。

 

「それにしても、くおんさまのお怪我が大事なさそうで良かったです」

 

 不器用に握ったフォークで四苦八苦しながら麺をすするシーザーの表情からはようやく緊張の色が消え始めている。

 ……本日のお昼は袋麺だ。ごめんよ、美味しいお昼の予定が手抜きになって……立ち仕事が思いの外辛かったんだ。

 

「うまく歩けないって聞いてびっくりしたわ。安静にしてなきゃダメよ」

「うん、そうするよ。……あっ、クー! ヒジにコップが――」

「――わっ、あぶなかった」

 

 クーが動きを止め、落とす寸前だったコップを中央に寄せたのを確認し、浮かせた腰を落として苦笑する。

 こうやって並んで食事する姿を見ると、同じ元動物の彼女らではあるがテーブルについた時のお行儀の良さに差が出るらしい。

 クーは肘杖を付き、フォークで小皿に移した麺を口元に付けてすすっている。

 逆にシーザーは口を丼に近付けフォークで持ち上げた麺をすすっている。

 そして意外なのがチビ助で、器用に箸を使ってお上品に食べている。どうやら、僕の食べ方を見て覚えたらしい。

 一番上手に食べるのがこの場で唯一の野生児なのがまた面白い。

 そんなふうに観察していたのが悪かったのか、視線に気づいたチビ助が箸で掴んだ麺と僕の顔を見比べ始めた。

 

「……なに、食べ足りないの? 少しだけ分けましょうか」

「ああいや、上手いこと箸使ってるなって思っただけだよ。ゆっくり食べて」

 

 一人食べ終わってジロジロ見ていたものだから勘違いされたらしい。

 その言葉に納得した様子で麺を口に運んで飲み込んだ彼女は、周囲を見渡して一つため息をついてみせた。

 

「たしかにみんな食べ方がなってないわね。……ほら、せっかくニンゲンになったんだから食べ方もちゃんとしなきゃ。クー、零してるわよ」

「うにゃー?」

 

 口の端からこぼした汁がクーの白い服(けがわ)を汚したのを見かねて、チビ助が布巾で拭いてやる。猫じゃらしの件といい、彼女は意外と面倒見がいいらしい。

 ふと考えてみれば、チビ助のマナーは僕を見て覚えたもの……これはお手本としてあまり行儀の悪いことはできないな。彼女がなにか変な覚え方をしないよう気をつけないと。

 そんなことを思っていると、にこにことしたシーザーがチビ助に話しかけた。

 

「チビ助さんとクーちゃん、とっても仲がいいんですね」

 

 その言葉に、布巾を握る手を止めたチビ助は少しだけ考える素振りをして答える。

 

「んー、そうねぇ……会ったときからなんとなく気が合うのよね」

「ねー!」

 

 満面の笑みで同意するクー。面倒見の良さそうなチビ助と、寂しがりやで甘えん坊なクーはなかなかに相性が良いようだ。

 彼女らを留守中二人きりにしてしまう事が少し気がかりではあったが、この様子なら何も問題はないだろう。

 いささか、チビ助には負担を強いてしまうかもしれないが――。

 

「――それで、話ってなんなの?」

 

 そんな思考を読んだのか、食べ終えた丼を置いたチビ助がこちらの顔を見つめていた。

 クーも冷ました麺をすすりながら視線と獣耳をこちらに向けている。

 僕は同じく麺を食べ終えたシーザーと目をを合わせると、二人に事情をかいつまんで説明しはじめた。

 

 

※※

「多分、早くても三日は不在にする事になる。おにぎりはなるべくたくさん握っておくから残ってる間それを食べてくれ。日が昇れば電気も使えるようになるし、そしたらこのケトルでお湯を沸かしてその袋から……」

「ねえ」

 

 僕が不在の間の食事について説明していると、今まで黙って聞いていたチビ助が、おもむろに口を挟んできた。

 

「……つまり、そのミスミってヒトを探しにわざわざ出ていくのよね?」

 

 チビ助はやや困惑した様子で首を傾げてそう問いかけてきた。

 同じく黙って話を聞いていたクーも、どこか不安げな表情でこちらを伺っている。

 

「にーちゃ、お外は危ないんでしょ? 目玉のオバケが出るってさっき……」

「ねえ、危険を冒してまで探しに行く必要はあるの? そのヒトとは別に親子ってわけでもないんでしょう?」

 

 怪我をして帰ってきたというのにまた外に出て行くのかとクーが問い、家族でもない人のために危険を冒すのかとチビ助は問う。

 僕の横で、シーザーが不安そうに俯いているのが見えた。自分の都合で僕を危険に晒す事を気にしているのだろう。

 俯く彼女の頭を軽く撫でると、口を開く。

 

「人はね、支え合わないと生きていけない生き物なんだよ」

 

 不安そうなクーと、困惑するチビ助の目を見つめ返し、僕は話を続けた。

 

「だから、人は大人になって巣立った後でも親子同士……もっと言えば、血の繋がった他の親族とも縁で結ばれている。そして支え合うための縁は血族だけじゃなくて、いろんな人と繋がってるんだ」

 

 こうして、クーやチビ助たちとも縁がお互いの関係を繋いでいるのだ。

 

「……三隅さん達には、昔からとても良くしてもらってきたから。それにシーザーにはさっき命がけで助けてもらった。その恩を今、返したいと思ってるんだ」

「くおんさま……」

 

 感極まったように甲高く鼻を鳴らすシーザーの頭を再び優しく撫で付けてやると、僕は静かに二人の反応を待った。

 しばらくの間黙って考え込んでいた二人だったが、やがてチビ助が大きく頷いてから顔を上げる。

 

「ニンゲンの社会については正直まだよくわからないけど……うん、そのミスミってヒトがあなたにとって大事なのはわかったわ」

 

 すっかり冷めたお茶の入った湯呑を指先で弄びながら、彼女はそう言った。

 

「そもそもあなたが行くって言ってるのに、あたしには止められるだけの理由なんてないわ――ただし」

 

 キランと、チビ助の目が光った気がした。

 彼女は湯呑の中身をグッと飲み干すと、口を開く。

 

「あたしもついてくから」

「クーも行く!」

 

 そう宣言したチビ助、そして間髪入れずに追従したクーに、僕は思わず呆気に取られてしまった。彼女らは人の姿を得て、人と同等の思考力を持っているとはいえ、これまで動物としての倫理観で生きてきたのだ。

 クーやチビ助にとっては見ず知らず、あるいはそれほど関わりのない誰か。

 そんな相手のために危険へ飛び込む僕をたしなめはすれど、同行を申し出るとは露とも思わなかった。

 

「意外、って顔をしてるわね?」

 

 そんな僕の内心の驚きを読まれたのか、チビ助はクーと顔を見合わせてくすりと笑みを浮かべた。

 

「うん、君らには危険を冒してまで僕についてくる義理はないと思ったし。水も食料もある家に居れば、危険な外に出る必要も――」

「そうね、確かにただのカラスだった頃なら、ついていこうと思わなかったでしょう」

 

 僕の言葉を遮り、彼女は言う。

 

「自分の身が一番大事だもの。あたしの知らない人の為にわざわざ危険な所へ一緒になって飛び込んでいくなんて、ね」

 

 だけど、と。空になった湯呑を細い指先で弄びながら、彼女は言った。

 

「この姿になって、あなたたちと過ごしてみて、なんとなくわかったわ。()()()()()、ってそういう感じなんじゃないの?」

 

 綺麗な顔で柔らかな微笑みを浮かべながらそんな事を言ってのける彼女に、僕は思わず硬直してしまう。

 ――おともだち、お友達。昨日、確かに僕はそう言った。

 実際、先延ばしのために言ったような言葉ではあったが、人に近づかんとする彼女は、彼女なりに考えてくれていたらしい。

 

「ていうか、さっきの話に出てきたカイブツにまた出くわしたらどうするつもりだったのよ、四匹がかりでやっとだったんでしょ」

 

 チビ助は呆れた表情でそんな事を言うが、それについては僕にも考えがあった。

 

「シーザーの鼻なら近付く前にわかるんだ。なにもいちいち戦う必要は――」

 

 その説明を、彼女は頭を振って否定する。ええ、なにが駄目なんだろう。

 

「風下から来たらどうするのよ。それにどうしても避けられない状態になったときはその子一匹の足ならともかく、あなたを抱えてだと逃げるのも難しいんでしょう?」

「……あ」

 

 耳の痛い言葉だった。

 確かに、いかにシーザーの鼻が利こうとも匂いの届かない方向から来られたり、囲まれてしまったら先程の二の舞となる。それに、今度は援軍など来ないのだ。

 少々考えが足りなかったかもしれない、僕も少し焦りが過ぎたようだ。

 そうやって言葉に詰まっていると、彼女は少し笑って言った。

 

「あたしなら、たぶんあなた一人くらいなら抱えて飛べるわ。それなら、緊急のときにもまだ逃げやすいんじゃないかしら?」

 

 目的地までずっととかは無理だけど、と補足が入るが、ありがたい申し出だった。

 僕というお荷物を抱えて飛べる彼女が居れば、クーやシーザーなら簡単に逃げられる。

 仮に戦いが避けられなくなったとしても、空から奇襲ができる彼女がいればかなり有利になるはずだ。

 

「――ありがとうチビ助、実は結構不安だったんだ。クーも、おうちにいなくても大丈夫? かなり歩くと思うけど」

 

 クーは生まれてこの方、ろくに外に出たことのない、正真正銘の箱入りだ。ベランダから地上を見下ろしはすれど、玄関が開いても出たがったりする事もない。

 

「うん、だいじょーぶ! むしろ一人でおうちにいる方が寂しくて嫌かな」

 

 考えても見れば、クーを置いて何日も家をを空けたことなどない。精々が一泊二日だったはずだ。

 

「それに、にーちゃがまたおおケガして帰ってくるほうが嫌だから……」

 

 そう言って俯くクーに目には薄っすらと涙が浮かんでおり、それほどまでに心配をかけてしまった事に申し訳なくなった。

 

「……うん、心配かけてごめんね。だけど、二人が一緒ならもう大丈夫だよ」

 

 ……幸いにも、これで道中で怪物に襲われた場合にもある程度の対処ができるだけの人手が図らずとも確保出来た事となる。

 少しだけ、安心した。

 

「くおんさま、クーちゃん、それにチビ助さんまで……わたしのためにすみません。この御恩はきっと返します」

 

 感激した様子のシーザーが涙ながらにそう言うと、チビ助は少し照れくさそうに頬を掻きながら手をひらひらと振る。

 

「まあ、あたし的にはクオン(おともだち)についていくだけだし、別にあなたが気にすることはないわ」

「おじちゃんたちの事も心配だからね! シーザーと一緒に来たときはいつもおやつくれたし、遊んでくれたし!」

 

 クーも笑顔でシーザーに応えた。以前は度々シーザーを連れてうちを訪れていた三隅夫妻は奥さん特製の手作りおやつを持参してくれていた。

 よく考えれば、クーにとってもそれなりに三隅夫妻は思い入れがあるのか。

 

「……さて、日が暮れる前に準備をしてしまわないと。手伝ってもらっていいかな?」

 

 僕らは食事の後片付けを終えると、出発の準備に取り掛かった。

 明日の朝にはここを発つ。それまでにしっかりと準備をしなければ。


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