けものわーるど   作:Nyarlan

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恩人を探して
第十三話 雷雨 1


けものわーるど 13話「雷雨 1」

 

 雨垂れが激しく打ち据える音が響く。周囲を覆っている闇は時折思い出したように真っ白に塗りつぶされて――。

 ぴしゃぁん、と鋭い音を周囲に響き渡らせる。凄いかみなりね。

 

「ひゃぁあああ――!!」

 

 耳をつんざく音と衝撃が響く度に情けない悲鳴を上げ、全ての耳を両手で器用に抑えて震え上がるシーザー。

 深くため息をついて腕の中の重みに視線を落とすと、そこには激しく震えながら浅い息を繰り返す白い顔――クオンの姿がある。

 

 ……その肌は普段からひんやりとしてはいたけど、今の彼はそれを通り越してぞっとするほど冷たいものになっていた。

 濡れた毛皮をすべて剥ぎ取って、既に乾いていたあたしの羽毛やシーザーの毛皮を一部外して彼をくるんでいる。

 そして一番体が暖かくて怪物が来ても飛んで逃げられるあたしが抱えて温めてはいるのだけど……彼の震えは一向におさまらない。

 ヒトの体の事について詳しく無いあたし達でも、これが良くない状態であることははっきりとわかった。

 

「くおんさま、ごめんなさい……私のせいで……」

 

 かみなりの音に怯えながらクオンの冷たい手を握るシーザーの目からはぽろぽろと雫が垂れていた。

 その手を彼は眠りながらも弱々しく握り返す。

 

「あなたのせいじゃないわ、天候なんてどうしようもないもの。それより、怪物がこないかちゃんと見張っててね」

「ごめんなさい、ごめんなさい、雨でニオイも分かりにくくて……」

 

 そう言って俯くシーザー。

 さっきからずっとこの調子だ。

 

「わかってるわ。でも、あたしたちの中で一番鼻が利くのはあなたなの、万一の時に素早く逃げるためにお願いね」

「はい……」

 

 申し訳なさそうにうなだれるシーザーの姿にあたしはため息をついて、クーが出て行った出入り口に視線をやる。

 ……あの子は「見たことあるから大丈夫!」なんて言ってたけど、本当にヒトの”おくすり”を探してこれるのかしら。

 

 怪物に鉢合わせたり、他の子のナワバリに踏み込んで喧嘩になったりしたらと思うと心配だけど……今はあの子に頼るしかない。

 荒い呼吸を繰り返すクオンの体をぎゅっと抱き寄せたわたしは、その冷たさに身震いする。

 

「……どうして、こんな事になったのかしら」

 

 かみなりの鋭い音とシーザーの悲鳴を聞きながら、あたしはどしゃ降りの天を透明な壁ごしに仰いだ。

 

 

※※

 

 激動の二日目から一夜明けて、出発の朝が来た。

 

 玄関の外でクーたちの黄色い声が聞こえる。女三人寄ればとは言うが、それは元が動物であっても変わらないらしい。

 元オス二匹と性別不明だけど。そして僕はというと、忘れ物が無いかの最終確認を一人行っていた。

 

「……食料(おにぎり)よし、水よし、着替えよし、地図とコンパスよし、と」

 

 クローゼットから埃のかぶった大ぶりのリュックサックを三つ見つけ出し、昨夜の内に用意したものは詰め込み終えた。

 水と食料は消費量を調節すれば三日程度は軽く持つはずだ。

 

 かなり重くなってしまったが、頼もしい事にクーとシーザーが軽々と持ってくれた。

 他に必要そうな懐中電灯も電池ごと確保したし、コンパスもとりあえずは北を指してるし、地図は……かなり前のものではあるが、まあ大丈夫だろう。

 

 絆創膏や消毒液、ガーゼや包帯も一応入れてあるし、幸いにも着替えが必要なのは僕だけなので荷物はかなり抑えられたはず。

……こうやっていざ準備してみると、どんな物が旅に必要なのか想像以上に迷ってしまったな。これでも抜けがありそうで怖い。

 

 しかし、不謹慎ながら少しワクワクしている自分もいた。

 事情が事情だけに楽しむ余裕などないだろうが、こういったアウトドア的な行いは子供の頃、父に数回連れて行ってもらった日帰りのキャンプ以来だし。

 野山に出る訳でもなく、舗装された道をひたすら歩くだけとはいえ普段全くしないような事だからなぁ……。

 

 履き慣れたスニーカーの紐をキツめに結び自分の荷物を背負うと、僕は玄関を開けて外で待つ三人に……三人に、あれ、いない?

 確かに声はしていたはずなのにと、周囲を見渡していると頭上からクーの楽しげな声が降ってきた。

 

「おーい、にーちゃー!」

「えっ……おっふ」

 

 声につられて天を仰ぐと、煌々と輝く太陽の横にいろんな意味で眩しい光景が広がっていた。

 頭上には楽しそうにはしゃぐクーを背負い、引き攣った顔のシーザーを両手で抱えるチビ助がふわふわと浮かんでいる。

 ……なるほど、二人を抱えても飛べる能力があるならば、いざという時に僕を抱えて飛んで逃げるという提案も実行可能か。

 

 しかし、相変わらず彼女らは無防備というかなんというか、これについての指摘をするべきなのかどうなのか。

 まあ、仮にしても理解してもらうのは難しいだろうけど。

 

「今そっちいくねー!」

 

 ぼんやりと考えていると、クーがそんなことを言い出した。

 

「あ、ちょっと!」

「ちょ、危な――」

 

 クーはチビ助が制止する間もなくその背中から手を離し。

 

「えいっ」

 

 お向かいの家の屋根へ音もなく着地すると……。

 

「ほっ、よいしょ!」

 

 軽々とブロック塀を経由し、虹色の粒子を足元から散らしながら僕の前へ降り立ったクーが誇らしげにポーズを取った。

 

「どう!? すごいでしょー!」

「ああ、うん……凄いけどちょっと心臓に悪いかな……」

 

 ドヤ顔のクーの背後に、呆れた顔をしたチビ助と、いろんな意味でほっとした様子のシーザーがゆっくりと降りてくる。

 

「もう、いきなり手を離したらびっくりするじゃない」

「クーちゃん、いくら猫でもあの高さは危ないと思う……」

 

 続いて着地した降りてきた二人に、クーは笑顔を向ける。

 

「ごめんね! でもへーき、これくらいひょいっといけるよ!」

 

 ほら、というやいなや、ブロック塀を踏み台に高く跳躍したクーが空中で数回転をしたのち地面へ華麗に着地する。

 

 そしてドヤ顔。

 

 ……どうやら、普通の猫だったときと比べても飛躍的に高まった身体能力に気づいてややテンションが上がっているらしい。

 ずっと家の中にいたからあの跳躍力も発揮できなかったしな。

 

「すごいすごい。……さ、クオンも飛んでみましょうか」

「えっ」

 

 やる気ない褒め言葉に続いて出てきた言葉に僕は面食らう。

 何という無茶振り。猫でも雑技団員でもないのであんな動きはできっこないのだ。死んでしまう。

 

「僕はあんな曲芸できないけど」

「いや、そうじゃなくて。あたしが抱えるから試しに飛んでみましょって事よ、何かあった時にいきなりじゃ不安でしょ?」

 

 と、思っていたら違ったらしい。

 なるほど、たしかに今のうちにちょっとでも抱えられて飛ぶ事に慣れておいた方ががいいのかもしれない。

 

「慣らしておいたほうがいいですよ。私もやってもらいましたが、地に足がつかない感覚というのはこう、ちょっと慣れないです……」

 

 シーザー的には先程の空の旅もちょっと辛かったらしい。よく見れば彼女の顔色はどことなく青く、膝もぷるぷると笑っている。

 

「ふぅん、翼を持たないけものには新鮮かもね。さ、クオン?」

「あ、はい。……お願いします」

 

 リュックを下ろしてしゃがむと、彼女はシーザーにやっていたように背後に回り僕の脇から細い腕を回し、しっかりと抱きしめた。

 

「おっふ……」

「ん? どうしたの?」

 

 突然奇声を漏らした僕に、チビ助の腕の力が緩む。

 

「あの、いや……なんでもないです」

「そう? 苦しかったら言ってちょうだいね」

 

 そう言って彼女は再び腕に力を込めた。

 見た目は華奢なのに、そのしっかりした保持はまるで遊園地の固定具の如き力強さを感じる。

 それでいていろいろ柔らかいというか……なんていうかね、この体勢だとどうしても()()()んだ。

 煩悩が脳を駆け巡っていると、体がぐっと持ち上げられた。

 

「さっ、飛ぶわよ!」

「よろしく――っ!?」

 

 言い終わるかどうかくらいのタイミングで、体へGが掛かる。  

 急速に遠のいて行く地面を視界に捉えながら、背後の彼女に身を委ねてじっとする。胸元を締め付ける細腕は微塵も揺るがない。

 ……この分なら落ちる心配は必要なさそうだが、所在なくぷらぷらと揺れる足元が心もとなく、少しだけ怖かった。

 地面がある程度遠のくと速度は徐々に落ちてゆき、やがてチビ助は上昇をやめて一定の高度に留まった。

 足下のはるか下では小さくなった二人が手を振っているのを眺めつつ、冷たい風が体の隙間を吹き抜ける感覚に少し身震いする。

 

「はじめての空はどうかしら?」

 

 緩やかな羽音と共にどこか楽しげな囁きが耳元をくすぐる。

 

「風が気持ちいい、でも足元に何もないってのは結構怖いかな」

 

 正直な感想を述べると、チビ助はくすくすと笑う。

 

「ああ、慣れない内はそうかもしれないわね、でも落としたりしないから安心してちょうだい。……さ、旋回しながら降りるわよ」

 

 彼女はそう言うと大きく螺旋を描くように飛びながらゆっくりと下降し始めた。朝焼けの中、ひんやりとした風を全身に受けながら見る地上の景色はとても清々しい。

 空に浮かぶ小さな雲の群れを眺めつつ、僕らは地上へ舞い戻る。

 

 

「みんな荷物はちゃんと持ったな?」

 

 はーい、という元気な返事を聞きながら三人の姿を確認する。

 

 水入りペットボトルが詰まったリュックをシーザーが、おにぎりや缶詰め等の食料を詰めたリュックをクーが背負っている。

 空からの偵察役兼、緊急時の離脱要員であるチビ助は双眼鏡を首から下げるのみと軽装だ。双眼鏡の使い方を教えると、彼女は夢中になってレンズを覗き込んでいる。

 

「これ、スゴイわね! 遠くの景色がすぐ近くにあるみたい」

「その分視野は狭くなるからそこは気をつけるようにね。それじゃ、空からの偵察は頼んだよ」

「まかせなさい!」

 

 笑顔で頷いた彼女は軽く膝をかがめると、頭の翼を広げて力強く地を蹴る。虹色の粒子の尾を引きながら空へ翔けたチビ助は上空でしばらく周囲を見回ると、やがてこちらへ顔を向けて叫んだ。

 

「近くに大きな怪物は居ないみたいよー!」

 

 それに大きく手を振りながら返事をする。

 

「わかったっ、疲れが出ないよう適当に降りて休憩挟んでなー! ……それじゃあみんな出発しようか!」

「はいっ!」「しゅっぱーつ!」 

 

 

――――

 

「そういえば『りーど』なしで出歩くのってちょっと新鮮ですね。ちょっと違和感あって落ちつかないです……じーっ」

 

「絵面が悪いし話が通じるなら必要ないからね!」

 

――――

 

「なにこれ! お水がいっぱいー!」

 

「アレは川だよ。……そっか、クーは生まれてから外出た事がないんだもんなぁ、川も海も知らないか」

 

「うみー?」

 

「昔ご主人さまご夫婦に連れて行っていただいた事があります! しょっぱいお水がたくさんある所ですよ、あの時ははしゃぎ過ぎて溺れかけちゃいました……」

 

「はは……落ち着いたらみんなで行こうか、海」

 

「やった!」

 

 

――――

 

「クオン、ちょっといいー?」

 

 前回の休憩から三十分ほど経った頃、頭上から僕の名を呼ぶ声とともにチビ助が目の前に降り立った。

 

「おつかれさま、結構長いこと飛んでたな」

 

 虹色の粒子が舞う中、彼女は頭の翼を手櫛で羽繕いする。民家の屋根や電柱で時折休んではいたものの、飛続けるのは疲れそうだ。

 

 日は既に高く登り、今の季節とはいえ喉が渇くだろう。

 リュックからペットボトルを取り出すと、キャップを開け呼吸を整えている彼女に手渡した。

 

「ありがとう……この辺り見通し悪いからね。それでなんだけど、そこを右に曲がって少し進むと小さいのが一匹いたわ」

 

 ボーリングの玉が入る程度の大きさを作る彼女に、ついに出たかと顔がこわばるのを自覚する。

 

「この辺には居ないのかと思ってたけど、居るんだな……」

 

 あの怪物の危険性は身を持って知っている。なにせ、昨日殺されかけたばかりだ。

 

「偶然かもしれないけど、こっちの方に来てるのよね」

「こちらが風上なので気づかれてるかもしれませんね。小さいのは大したことないって話ですけど……どうします?」

 

 不安げに眉をひそめながら尋ねるシーザー。あるいは、僕が首から提げている巾着に入った結晶を感知されるかもしれない。

 

「そのくらいのサイズならクーでもやっつけられそうじゃない?」

「……わざわざ戦う必要もないだろ。若干遠回りにはなるけど別の道を通ってやりすごそう」

 

 準備運動として手をニギニギするクーに、僕は首を降った。

 ダンシャクたちは大したことがないと言っていたが、警戒するに越したことはない。なにせ、相手はこの旅で最大の障害なのだ。

 

 

――――

 

「この住宅街を抜けてしばらく行ったら、この高速道路に乗ろう」

「こーそくどーろ?」

 

 通りかかった公園のベンチに腰掛けながらのお昼休憩。おにぎりを片手に地図を見つつ、僕は皆に説明する。

 

「自動車専用の道だな。とはいえ今なら車も走ってないだろうし、地上と比べても見通しがいい。万一怪物が陣取っててもチビ助がいれば簡単にやり過ごせるし、いいことずくめだ」

 

 そして何より道が単純だ。紙の地図のややこしさに、いかに今までスマホの地図アプリに頼っていたかがよくわかった。

 可能な限り間違えにくい大きな道を選んでチビ助という文字通りバードビューな視点の補助を得てなお分かりづらいところが何度かあったし。

 

「へえ、見通しがいいならあたしも飛びっぱなしにならなくて済むだろうし、いいんじゃない?」

「ふーん、じゃあそっちにいこっか」

 

 もぐもぐと頬張っていた鮭おにぎりを飲み込んでチビ助とクーが同意。昆布おにぎりを咀嚼しながらシーザーも尻尾で賛同する。

 

「高速道路でまっすぐ行けば明日の昼過ぎには目的地の辺りまでは行けるはず。さっさと行って三隅さんと合流しよう」

「はいっ!」

 

 

 

「って思ってたんだけどなぁ。……っくし!」

 

 ――雨。それもバケツをひっくり返したような土砂降りだった。

 高速道路を渡り始めて数時間、迷う心配もなく意気揚々と歩いていたらこれである。降り始めてすぐ慌ててチビ助に高架下へ下ろしてもらったものの、開幕土砂降りだったため時既に遅し。

 

 ……というか天気予報も見れず聞けずで長距離歩くのに雨具忘れるとか迂闊にも程があるぞ、僕。

 

「ひゃー、久しぶりにすごい雨ですねぇ」

「うー、びしょびしょ……」

 

 ブルブルと全身を振り水気を飛ばすシーザーと、必死の形相で毛づくろいをするクーを尻目に、僕はリュックを開けて天を仰いだ。着替え、全滅である……ビニールか何かで包むべきだった。

 地図も濡れてしまったが、高速道路沿いなら迷わないだろう。

 そんなことを考えていると、誰かが僕の服の袖を引っ張った。

 

「……ちょっとクオン、大丈夫?」

「うーん、ちょっと雨宿りしてからの移動になるかな」

「そうじゃなくて。震えてるじゃない、アナタ」

 

 僕の服の袖をつまんでチビ助はそう言った。可能な限り絞ったとはいえ、じっとりと水を吸い込み体に張り付いた服は風が吹くたびに震え上がる程冷たい。

 

「うん、正直めっさ寒い。どっか屋内に入らないと風邪引きそう」

「やっぱりね……ヒトの毛皮って、全然水を弾かないんだもの。水が染み込むとどれだけ冷たくて気持ち悪いかこの間よく分かったし」

 

 そう言うと、彼女は冷水シャワーの一件を思い出したのか身震いした。水を弾く羽根をもつ彼女らにとって皮膚までずぶ濡れは未知の体験だったのだろう。

 

「濡れた毛皮は脱いだほうがいいんじゃない?」

「いや、着替えも濡れちゃったからね。着てたほうが早く乾くし」

「……そう? とにかく、雨も風も凌げる場所を早く探しましょう。クー、シーザー、なるべく濡れずに行ける場所、探すわよ!」

 

 その言葉に横で聞いていた二人は力強く頷く。

 程なくしてシーザーが見つけた高架下のコンビニに僕ら一行はお邪魔する事となった。

 順調だと思っていた旅路は既に遅れが出始めている。なるべく早く雨が止んでくれるといいんだけど……。


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