「クーちゃん、大丈夫かなぁ」
「……流石に、少し心配になってきたわね」
かすかに震えるクオンの体を抱き寄せながらシーザーの言葉に同調する。クーが薬を探しに出てからもう随分と時間が経つ。
あれほど強かった雨の音もすっかり弱くなって、雷も遠のいた。
「もしかして、迷子になってるんじゃあ……」
心配そうに眉を寄せるシーザーに、私も同じ不安を感じている。あの子は生まれてからずっとクオンの巣の中で暮らしてきたって話だし、外の歩き方もろくに知らないはず。
不安要素は迷子だけじゃない。あの怪物だって危険みたいだし、他の子の縄張りに踏み込んで、喧嘩になったりしても大変だ。
……どうしよう、役割分担間違えたかしら。でも、薬がどういうものか知ってるのはあの子だけだし、クオンを抱えて飛んで逃げられる私が残らないといざというとき、危ないし……。
そんな不安が頭をぐるぐる回っていたとき、微かな犬の遠吠えが外から聴こえてきた。
入り口近くのダンボールに寝そべって外を眺めていたシーザーがそれに反応して大きな耳をひくつかせる。
「あえっ? この声は……ちょっと失礼しますね」
「どうしたの? わっ……」
むくりと体を起こした彼女がそっと扉を開けて外へ出ると、体を震わせながら力強く遠吠えを返した。何度か声が反響するのを聞きながら、シーザーが中へ戻ってくる。
「何だったの?」
「うーん、お互いの居場所を知らせ合う感じの声ですね。ひょっとしたらクーちゃんがどこかの犬を頼ったのかも……」
「結構たくさんの声が聞こえてたけど、わかるの?」
お互いに位置を知らせると言っても、あちこちから返事が帰ってきてもわかるものなのかしら?
「えっと、知り合いの声ならなんとなく伝わるとは思うんですが、ここらの犬に知り合いは居ないので……」
「……クーがちゃんと道を覚えてる事を期待しましょ。というか、今ので怪物が寄ってきたりしないかしら?」
「あっ」
……備えはしておいたほうがよさそうね。眠るクオンをぎゅっと抱きしめると、触れる肌からやや温もりを取り戻し始めているのを感じて少し安心した。
「……あっ! チビ助さん、上から何かが近づいてきます!」
遠吠えからしばらく経ってから、シーザーは再び体を起こした。
「翼の音が――それと、このニオイはクーちゃんだ!」
入り口から空を見上げていた彼女は歓喜の声を上げる。
外に出て両手を大きく降る彼女の前に重なった人影が降り立つと、そのうち一つがシーザーに飛びついた。
尻尾をピンと立てたその白いシルエットは間違いなくクーだ。無事に帰って来てくれてよかった……。
それにしても、一緒に居る二人は誰かしら? 一人はあたしと同じカラスみたいだけど……。そう思っていると、クーに急かされるようにして一行が中へ入ってきた。
「おかえり、雨の中大変だったでしょ。薬は見つかったかしら……それにそっちの二人は?」
「ただいま! おくすりも拾えたし、それに助けてくれるヒトたちもついて来てくれたよ!」
そう言って前に出てきた二人を近くで見て見ると、どうやら人間とカラスみたいね。
……それにしても、どっちも不思議な姿をしている。人間の方は入ってくるなり目を見開くと、慌てた様子で目を逸して頭を下げた。
カラスの方はそれを見て笑っている。一体なんなのかしら。
「ぇ、ええ、クーさんに助けを請われてここへ来ました。私は賀茂 涼子と申します、こちらの烏はキン……」
「くく、ご主人はこの年で
くつくつと笑いながらそう言うカラス――キンに、リョウコとやらは顔を赤くして拳を握りしめる。……頼れるのかしらこの二人。
「この……! ん、こほんっ、早速ですがそちらの男性を軽く診させていただきますね。失礼します……」
彼女は一つ咳払いをするとなにか棒状の物を取り出して、あたしとシーザーの毛皮の一部をどけてクオンの脇に挟んだ。
その様子をシーザーとクーが不安そうに見守っている。
「どう、ですか?」
「見たところ、容態は安定しているようですね……本当はちゃんと病院で診て貰うべきなんでしょうが、この状況ですから」
「ビ、ビョウイン……」
彼女の言葉に、何故かクーとシーザーが震え上がる。どうしたのかしら? しばらく待って脇に挟んだ棒を引き抜いて確認すると、リョウコは表情を緩めた。
「やや低めの体温ですが、正常の範囲です。重篤化する前に気づいたのと的確な対処が効いたのでしょう。じきに目を覚ます筈です」
「やったっ!」「無事で良かったです……!」
手を取り合って喜ぶクーたちに、肩の力が抜ける思いだった。
「さて、そうとなればとっとと持ってきた服を彼に着せてやろう。君らもその格好じゃ寒かろう?」
「そうね、流石に冷えたわ……」
「はい、私もちょっとさむいです……」
クオンを温めている内にあたしの体もすっかり冷えてしまった、早く彼に新しい毛皮、服を着せてしまおう。
そう思ってキンが持ってきたものを確認する……これは一番最初に足から通すやつだったかしら……? ええと確か……。
「ああご主人、食事の支度は頼んでいいか? 私は彼らの着替えを手伝おうと思う、どうにも手間取りそうなのでな」
「わかったわ、終わったら手伝ってね?」
あたしたちが迷っているのを見てキンが手を貸してくれた。
「……正直、助かるわ。これちょっとわかりにくいもの」
「ううー、外す時は慌ててたからやり方を覚えてなくて……」
「おいおい慣れるさ。まずこれだが、この丸いボタンのついている方が前だ。中身を取り出す用でな……」
そんな風にキンの指示通りにクオンと、ついでにあたしたちのも綺麗に着せてもらった。
※※※
――鼻孔をくすぐる良い匂いに、意識が覚醒していくのを感じた。
寝る前に感じていた湿った衣服の嫌な感触も消えていて、暖かな感触に包まれている。すっかり乾いたのだろうか?
まだ体が重く、強い倦怠感に包まれているが状況が状況だ、起きなければ。そう思って身体をよじると。
「……ん、起きたの?」
真後ろから、そんな眠たげな声が聞こえてきた。
「……うん?」
何事かと思ってキョロキョロすると、いつの間にか毛布で体が包まれていることに気づく。というか体勢もおかしい、なにかにもたれかかっているような……そう思って体を起こそうとすると。
「本当に目が覚めたみたいね、良かった……」
「あれ!?」
どうやら、僕はチビ助に抱かれる格好で眠っていたらしい。
少し混乱した頭で絶句していると、チビ助が僕の体を抱きしめたまま眠たそうな声で説明してくれた。
「アナタ、テータイオンショーとかで寝込んでたのよ」
「てーた――低体温症?」
低体温症って体が冷えすぎるとなるんだっけ、無事な替えの服もなかったしそのうち乾くだろうと思ってたけど迂闊だった……ん?
「なんか違和感が……」
「あっ、にーちゃが起きてる!」「え、本当ですか!?」
違和感の正体を探る前に、床のものを蹴飛ばす音を響かせながらやってくるクーとシーザーの声に思考が遮られた。
「ちゃんと目がさめてよかったぁ。にーちゃ、もう平気……?」
「よかった、ほんとによかったです……!」
がばっと抱きついてきた二人に、思わず目を白黒させる。
どうやらとても心配をかけてしまったらしい、反省しないと……。
「……ごめん、なんか心配掛けたみたいだ」
「体はとってもひやっこいし、どれだけ呼んでも起きてくれなくてすごくこわかったんだよ」
「私のわがままのせいで、くおんさまがどうにかなってしまったらと思うと、本当に……!」
ピスピスと鼻を鳴らしながら胸元に顔擦り付けてくる二人に少し気恥ずかしく思いながらも、させるがままにする。そうしていると、耳元でチビ助が囁いた。少しくすぐったい。
「クーがね、薬を探しに行ってくれたのよ」
「薬を?」
「ええ、あの子はアナタが薬を飲む姿を見て形を知ってるからって。結果的には薬は必要なかったみたいだけど、代わりに――」
そう言って彼女が指さした方向には、こちらを見て赤面している――
「え、えっと……?」
予想外の事態に戸惑っていると、女性はハッとした様子で咳払いをして僕の目の前に両膝をついて座った。
「気が付かれたようですね、体のお加減はいかがでしょうか?」
「え? はい、ええと、少しだるいですが大丈夫です」
「そうですか、安心しました。……とても良い縁に恵まれたようですね、皆さんとても心配していましたよ?」
そう言って彼女は僕にくっついてる三人へ柔らかな視線を送る。
「自己紹介が遅れました。私は加茂 涼子、宮内庁の者です」
くないちょう……宮内庁!? 宮内庁ってあの宮内庁?
なんで? という疑問が脳内を埋め尽くしているが、とりあえずは一旦それを胸の中にしまい込む。
「あの、ええと、星野 久遠です。ええと……」
ヤバい、なんか口が回らない。冷や汗を流していると、加茂さんが口元に手を当ててくすりと笑う。
「ふふ、別に緊張しなくて大丈夫ですよ、ただの公務員ですから。……そちらのクーさんに助けを求められてこちらへ来ました」
「え、クーが? あ、看病していただいたんですね、すみません」
「いいえ、私はほとんど何もしてません。それよりも――」
加茂さんは改めて三人へ視線を向けた。
「星野さんの冷えた身体をずっと温めていたチビ助さん。怪物が来ないかずっと気を張っていたシーザーさん。そして雨の中を駆けて助けを求めに来たクーさんをしっかりと労ってあげてくださいね」
「……はい」
視線を落とすと、いつの間にかクーとシーザーが膝の上で寝息を立てていた。彼女が言うように、皆僕の為にずっと気を張ってくれていて疲れたんだろう。
「……さて、私達はクーさんに呼ばれて来たのもありますが、実はもともと貴方に用がありました」
膝の二人を眺めていると、加茂さんがそう言った。
「ええと、僕に用ですか? 一体何の……」
そこまで言って、一つピンときた。神職の女性が僕に用事とくれば、アレしかないだろう。
「もしかして、”ヤタガラス”とは……」
「はい、お察しの通り私たちの事です。お稲荷様より、流星の結晶を預けた若者が居ると伺っております」
そう言って頷いた加茂さんに、やっぱりかとひとりごちる。
どこで誰に渡せばいいかと迷っていたけど、まさか相手側からこんな形で接触してくるとは思わなかった。
「ええと、それなら確か……あれ?」
巾着袋に入れて首から提げていた筈の例の結晶を探すが、どういう訳か見当たらない。
「ああ、結晶はクーさんが持っています。怪我を治すお守りとして借りていたそうなので――ほら、そこに」
「あー、ホントだ。ちょっと待ってください……よし」
クーの首元から放り出された巾着から結晶をそっと取り出すと、加茂さんへそれを差し出した。
「ありがとうございます。それではこれを……」
加茂さんはそれを大事そうに受け取ると、懐から一回り大きな結晶を取り出して二つを重ねる。
すると、二つの結晶は淡い光を放ちながらまるで溶け合うように融合し、一つの大きな結晶となった。
「……ん?」
カタリ、という硬質な音を立てて、結晶を構成する立方体の一つが床へ転がり落ちる。かすかな光を放つその結晶の中心には紅い鳥居のようなものが見える。
それをしばし見つめていると、やがて加茂さんが口を開く。
「……どうやらお稲荷さまが貴方へ、と仰っているようですね」
「え、でもいいんですか?」
「ええ、一粒くらいなら支障はありませんから。それに、他ならぬお稲荷さまのご意向です、どうぞお受け取り下さい」
……ひょっとしたら、この結晶を通してずっと見守ってくれていたのかもしれない。そんな事を思いながら、僕はその一粒をそっと拾い上げて再び巾着へ戻す。
「さて。お三方の寝しなで悪いのですが、温かいおかゆを作りましたので冷めないうちに――」
「……ごはん?」
その言葉を遮るように、寝ていた筈のクーががばっと顔を上げた。そういえば、ぐっすり寝ているように見えても好物のおやつの袋を開ければすぐさま起き出してくるような子だったな。
加茂さんと目が合い、互いに苦笑する。クーがシーザーとチビ助を起こしたのを確認して、揃って起き出した。
※
商品棚を挟んだ反対側へ行くと、今度は山伏の格好をした女性がカセットコンロに掛けられた土鍋の前に座っていた。
「ふむ、顔色も先程より良さそうだな。ああ、粥を炊いたので冷めないうちに食べるといい」
「炊いたの私なんだけど……コホン。紹介します、こちらはキン。私の、えー、同僚? のようなものです」
「あ、どうも、星野 久遠です」
黒い
よく見れば、被った頭襟を挟んだ左右の髪はここ数日で見慣れた翼のような形をしている。……多分、カラスかな?
唐衣と山伏、ヤタガラス、宮内庁。えーと、もしかして――。
いや、やめておこう。探らなくていい藪をつつくもんじゃないし。
「キンちゃんがね、空を飛んでここまで連れてきてくれたんだよ! おねーさんのジュツ? のおかげで雨も風もみーんな避けて飛べて寒くないの! あ、他にもケッカイ? とかであの目玉のオバケから守ってくれたんだ!」
とか思ってたらクーがそんな事を言い出した。……うん、見えてる地雷にツッコんだりはしない。お前は知り過ぎたとか言って
「……えーと、お忙しそうなのに食事まですみません。クーの事も危ないところを助けていただいたようで」
「なに、気にすることはないさ。結晶集めにずっと飛び回っていてこちらも少し羽根を休めたかったところでな……っと、ほれ」
そう言って白いおかゆを紙ボウルによそってくれる。
「ありがとうございます」
「熱いから火傷に注意したまえ、特に猫舌のクー殿」
「フーフーするからだいじょーぶ、ありがとね!」
それぞれに湯気の立つ器が行き渡ったのを見て、プラスチックの匙でおかゆを掬った。
「いただきます」
少し息で冷ました匙を口に入れると、優しい塩味が口いっぱいに広がった。まる一日ぶりの温かい食事は、それだけで気力が回復していくような心地のよさだった。
「あっちゅい!」
「クー、気をつけるように言われてたでしょ。ほら、お水」
「あったかいごはんってほんと良いですよねぇ……」
※
土鍋の中身が空っぽになる頃には冷えた体も少し温まっていた。
……やっぱり疲れが溜まっているのだろう、クーたちは空の器を手にゆらゆらと船を漕いでいる。
気分もほぐれてきたところで微かな金属音がコンビニ内へ響く。
「さて、それでは我々はそろそろ行かねばな」
見るとキンさんが錫杖を持ち、静かに立ち上がっていた。
「そうですね。疲れも取れたことですし、あまり悠長にしている時間もありませんから」
手早く身支度を整えた加茂さんを見て、僕も立ち上がる。
「お急ぎの所助けていただいて、本当にありがとうございました」
「いえ、お陰様でこちらの目的の物も得られましたし、いい具合に休息も取れましたのでお気になさらないでください」
こちらのお辞儀に対し、加茂さんは柔和に笑みを浮かべる。
「それよりも、星野さんたちはまだしばらく休んでから出発した方が良いでしょう。皆さんお疲れのようですし、あなたもまだ本調子ではないはずです」
……急ぎたい気持ちはあるが、たしかにそうだった。みんな疲れ果てているし、僕自身まだ体が重い。
「それと怪物のことは心配しなくていい、簡易的なものだが結界を張ってある。騒がなければそう見つかりはしないし、仮に何かが侵入を試みてもすぐに気付けるようにした。安心して眠るといい」
キンさんが悪戯っぽい笑みを浮かべながらそんなことを言い出したので、思わず周りを見渡してしまった。
「ふふ、どうも気を遣って知らんぷりをしてくれて居るようだが、この装束を見ての通り別に隠してる訳でもないのだよ」
そう言っておかしそうに笑うキンさんと、苦笑する加茂さん。
「なに、これから神話が再来するのだ。ヒヨッコ陰陽師や妖怪烏の式神が堂々と出歩いていても問題はあるまい」
気になることを言いながら、彼女はコンビニのドアを開く。
「……え、それってどういう?」
「それはあとのお楽しみだ、運が良ければ拝めるだろうさ」
そう言ってパチリとウインクするキンさん。
「微力ながら旅の無事を祈らせていただきます。星野さんたちもどうかお気をつけて」
そう言ってお辞儀をした加茂さんを横抱きに抱えあげて、二人は飛び立ってしまった。意味深なキーワードだけを残して。
……神様が実在した時点で今更だけど、陰陽師や妖怪を実際目にする日がくるとは、なんか感慨深いものがあるなあ。
僕はコンビニのガラス戸を閉めて中へ戻ると、いつの間にか寄り添って眠っている三人へ毛布を掛けてやった。とりあえず結界とやらを信じて、もう少し眠ることにしよう。